2・少女スリ
「あーあ、いいかげん動いてくれよ」
欠伸をしながら東昇は恨めしそうに被疑者のいるマンションの三階の窓を見た。
「通称、アリア。おおよそ二十歳前後で身元は不明。いくつかの窃盗に関与しているようだが今のところ証拠はなし。背後に指示をする男がいるようだ。……こいつだろ? 兄貴が追っているのは」
東昇は数日かけて自分で作成した調査報告書を読み上げながら、助手席にいる自分と同じ顔をした双子の兄、東十無刑事をちらりと見た。
十無は難しい顔をしたまま返事をしなかった。
「しかし、兄貴が財布をすられるなんて」
いつも十無にたしなめられている昇はニヤニヤしながら皮肉たっぷりに言った。
「余計なことはいい、場所はわかったからもう帰れ。……お前、探偵事務所の仕事、まともにやっているんだろうな? よくいなくなるって、音江槇がぼやいていたぞ。もうそろそろ先のことを考えろよ。二十半ばを過ぎたらあっという間に三十だぞ」
「そんなこと言われなくてもわかってるよ。それに、兄貴が他の事件で抜けられないからって俺に探させたくせに。俺だって仕事の時間を割いてやっているんだ。調査代請求するぞ」
探偵事務所副所長である音江槇の名前を出されて、昇は面白くなかった。
「わかった、ごめん」
十無は謝ったが、口調は全然謝っているようには聞こえなかった。
それにしても音江槇の奴、いつの間に兄貴に告げ口したのだろう。
昇は口を尖らせた。
音江探偵事務所所長の娘である槇は、幼馴染であり、同僚であった。昇も十無同様、刑事志望だったが、結局バイト先だった探偵事務所にそのまま転がり込み、今もなんとなく適当に続けている。どちらかというと流されやすいほうだと昇自身思っているが、人から言われると癪に障る。
特に、できの良い双子の兄にはとやかく言われたくなかった。
「手がかりはここしかない。アリアに雲隠れされたらおしまいだ」
十無は憂鬱そうな顔をした。
外見は瓜二つの二人だったが、十無は実直で生真面目な性格に対し、昇は後先考えず行動してしまうタイプであった。
目立つこともないが仕事を着実にこなし、地道にキャリアを積み上げている兄。
石橋を叩いて渡るどころか橋の裏まで確認し、調査団までも率いて何年がかりの調査の末に、一歩ずつ進みそうな兄。
多分、今まで大きな失敗はしたことがないのだろう。
そんな兄が困った顔をしているのを見ると、悪いと思いつつも昇は内心、ほくそえんでいた。
「何がおしまいだって?」
二人はぎょっとして後ろの座席に目をやった。同時にパタンとドアが閉まり、そこには張り込み対象のはずのアリアが座っていた。
「な、なんだよ! ふつう、刑事の車に乗りこむか?」
物怖じしないアリアに、昇は声が裏返ってしまった。
「硬いことは言わない。あれ? 十無かと思ったら……そうか、ここ何日か見かけたのは弟の方だったのか。初めまして探偵さん」
「兄貴、俺のことも話したのか? それにこいつ泥棒のくせに随分馴れ馴れしいぞ。いつもこんな感じなのか?」
昇は顔をしかめて十無の方を見るが、ただむすっとして、「いいや」と答えただけだった。
「失礼だなあ、泥棒だなんて」
そう言ってアリアは助手席で黙って座っている十無の、きちんと整えられた髪を撫でようとするが、十無は冷たく払いのけた。
「刑事さん、いつもに増して無口だね。二人とも顔は似ているけど、服装なんか見ていると刑事さんのほうが几帳面かな?」
仕立ての良い背広をきちっと着ている十無と、洗いざらしのようなワイシャツによれたコートを着込み、あまり手入れをしていないような長めの髪の昇とを見比べ、アリアはくすくす笑っている。
泥棒にまで兄と比較されて面白くない。昇は口を尖らせた。だが、何故か十無までもが不機嫌そうにしかめっ面をしていた。
「刑事さんはご機嫌斜めか。前に会った時のように女の格好の方がお気に召したかしら?」
アリアの声が突然、女性の声色になった。サングラスをはずすような仕草をしてニヤニヤしている。
「からかうな」
十無は怒り口調とは裏腹に、何を思い出したのか顔が真っ赤になった。
いつも冷静沈着な十無がひどくあわてているその態度が意外で、昇は何があったのかと色々想像してしまった。
「こいつ、女なのか?」
昇はまじまじとアリアを見た。未成年だとしても線が細く小柄で女性のようだ。
細面の整った顔立ちで、サングラスをかけていてもちょっと人目を惹く美少年だ。
少年の姿の女性といってもおかしくはない、中性的な正体のよく分からない少年。
「前にね、色々とね」
昇の考えていることを見透かしたように、あははと笑いながらアリアが言った。
「そんなことより二人とも何をしているの?」
「お前を見張っているに決まっているだろう」
「何のために?」
「何のって、お前を捕まえるためじゃないか」
十無の声が少し小さくなったのをアリアは逃さなかった。
「ふうん、探偵と? ……休みなんでしょ、今日は」
アリアにそう突っ込まれ、一瞬、昇と十無は顔を見合わせた。図星だった。そして昇はつい余計なことを話してしまった。
「実は、兄貴がおろしたばかりの給料を丸ごとすられて……そいつがお前のことを知っていた」
数日前に、十無はセーラー服の少女に財布をすられていた。というか気がついたらなかったというのが正確なところだった。
まだ財布がないことに気づかないでいると、少女が現れ「刑事さん、アリアに宜しくね」と言い残して姿を消したのだった。
「女子高生にねえ」
じっと聞いていたアリアはこらえきれずくすくす笑っている。
「笑いごとじゃない! 警察手帳までも……」
「それは災難だったね、面白い話をどうも。じゃ、そろそろ行かなきゃ」
ただ単に探りに来たのか、からかいに来たのだろう。面倒そうな話しになるとアリアは余計なことに巻き込まれる予感がしたのか、慌てて車を降りようとした。
「待てよ、まだ話しは終わっていない」
十無がドアロックに手をかけて降りるのを遮った。
「何だよ、高校生に知り合いはいないからね」
「じゃあなぜお前の名前をわざわざ出した?」
「知らないよ、どうせ誰にもこのことを言ってないんでしょ。早く上司にでも報告したら? このままじゃクビになっちゃうよ」
「余計なお世話だ」
「協力なんてできないからね」
アリアのそんな言葉は無視して十無は話しを続けた。
いつもは慎重な十無が、強引に訊き出そうとしている。焦っている。昇にはそう感じられた。
それほど切羽詰っているということなのかもしれないが。
「その娘とどこかで会っていないか? 補導歴はないが多分スリの常習犯だ。背格好は百五十センチ程度で小柄、顔立ちは目がパッチリとしていて髪は三つ編みの……」
十無が人相を言っていると、アリアは首をかしげて少し考え込んだ。
「その娘ってもしかして……」
「知っているのか?」
「同じ頃に同じようなことがあった。知らない女子高生に突然ぽんと背中を叩かれてアリアまたねって言われた」
「何かなくなったものはないのか?」
「実は……でも失くしたと思っていた」
アリアは考え込みながら、まさかそんなことはなどと呟いている。
「いったい何をやられた?」
「いや、たいしたものじゃないけれど」
アリアは口ごもり、一瞬顔を強張らせた。
「どうせ盗品だろう」
「おまえ、スリのくせにスリにやられたのか」
今度は十無と昇がニヤニヤした。
「刑事さんと一緒にしないでよ」
そう言ってふくれっつらをしたアリアの仕草が、ちょっぴり可愛いなと昇は思ってしまった。