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1・泥棒
「冬は東京で過ごすものじゃない!」
 ベッドから起き上がったアリアは、冷え切った冷たい空気に身を震わせた。
華奢な体にくるりと毛布を巻いて、そのままずるずると居間まで引きずって歩き、急いで電気ヒーターのスイッチを入れた。
 鉄筋五階建てアパートの一室は、痛みが激しく、築二十年は経っているようだった。薄っぺらな窓からは隙間風が入り、暖房といえば居間においてある小型の温風ヒーターだけだ。
殺風景で生活感のない部屋。
 アリアが生活拠点にしているアパートは他にもいくつかあり、ここはその一つに過ぎなかった。
一箇所にとどまっていられない職業――アリアは泥棒だった。
 アリアは電気ヒーターの前で足を温めながら、のろのろと白いシャツと茶のパンツに着替えて、いつもの黒いサングラスをかけた。少し長めの髪に細身の体形。二十歳になるかならないかの少年のようだが女性に見えなくもない。
 アリアは大きな欠伸をしながら、リモコンでテレビのスイッチを入れて時間を確認した。
 午前九時十分。会社勤めであればとうに出かけているような時間。普段は昼過ぎに起きて、午前三時か四時頃に眠りにつくような不健康な生活をしているのだが、今日は早起きをしなければならない理由があった。
 背中をヒーターで温めながら、アリアはテレビ画面をぼんやりと見た。映っているのは雪景色の東京だった。
 ニュースは、東京でこの冬初めての積雪だと報じ、JRの運休やダイヤの乱れ、首都高速の閉鎖、転倒者が何人などと伝えていた。
「午後から出掛けなきゃならないっていうのに」
 アリアはため息をついた。用事を伸ばすことはできない。絶対に行かなければならないのだ。
 寒いのは苦手だった。それに、一月のどんよりとした灰色の空が一層外出したくない気分にさせた。無味乾燥な東京の冬。窓枠に薄っすらと積もった雪が目に留まった。
 雪を見ると、北海道、旭川の冬を思い起こしてしまう。
 今頃は雪が降り積もり、街は白い世界に包まれ、部屋ではしっかりと暖房が効いていて居心地がいいのだろうな、などとアリアはふと考えた。ふんわりと雪が落ちてくる景色をぼんやりと窓から眺めて過ごしたい。
 アリアは毎年、冬は旭川で過ごしていた。
 北海道の内陸に位置し、盆地になるその地方都市は、氷点下の日々が続き、時にはマイナス二十度を下回ることもそう珍しくはない。雪は数メートルにも降り積もり、半年間もの間、雪に閉ざされる街。
 アリアにとって嫌な過去もある街だったが、ほっとする懐かしい街でもあった。
 雪を見て少し感傷的になって重いため息をついたところで、空腹感がアリアを現実に引き戻した。
 仕方なく空腹を紛らわせるために居間に続く四畳半ほどのキッチンに行って残っていた食パンをかじった。
 ティーバックで淹れた紅茶でパンを流し込み、マグカップを持ったまま、窓から外の様子をうかがった。
 相変わらず環状七号線は騒々しく、雪の為いつもより一層渋滞していた。その道路わきに車が一台停まっている。
 男が二人乗っているのが見えた。
「あの刑事さん、まだいるのか」
 アリアはうんざりした様子でため息をつき、肩に届きそうな髪をかき上げた。
 この数日、ずっと張り込まれていた為、外出を控えていたが、今日はどうしても出かけなければならない。
 昨夜遅くにヒロから呼び出しの電話がかかってきたのだ。
「俺だ、明日会って話したい」
「ヒロ、また何かやったの?」
「心配するな、掴まることはない。おまえに会いたい」
「今まで何処にいたの? ヒロが東京で待てと連絡してきてからもう一ヶ月になる」
「すまん、色々あって。時間がないから、また明日会ったときに話す」
 ヒロは待ち合わせ場所だけ言ってさっさと電話を切った。
 アリアはいつも携帯電話が鳴るたびにどきりとしてしまう。ヒロがまた危ないことに手を出したのではないか、と不安で胸が締め付けられる。
 今、刑事に張り込まれているのもヒロと何か関係があるのだろうかとアリアは心配していた。
 ヒロは大口の泥棒を重ねていた。そしてアリアはヒロの手足となって動いていた。
 今回も仕事の話のために呼ばれたのだろうとアリアは考えていた。
 アリアにとってヒロは絶対的な存在なのだ。逆らうことなど考えたこともなかった。ヒロがいたから今こうして生きていられる。
 母の再婚相手の連れ子であるヒロは、アリアの義兄であり、同業者であり、恋人のような存在だった。
 アリアは女性だが、ヒロの指示で男として生活していた。
 ヒロが言うには、『仕事』のためにも男でいた方が都合良く、警察の目をくらませるというのだ。
 実際、性別を変えることで、別人に成りすまして今までに見破られたことはなかった。
 窓の外には、刑事の車がじっと待ち構えて動く気配がない。
 ヒロが警察に追われているのではという不安で、アリアは夜眠れなかった。
 もしヒロが捕まってしまったら。
 そんな風に考えると、アリアは胸が押しつぶされそうなほど、苦しくなった。
「ヒロ、無茶な仕事だけはしないで……」
 ヒロを思って、アリアはつぶやいた。