宇宙の端
宇宙とは、いかに広いのか。
彼女たちと一緒に旅をしている自分自身に問いかける。
だが、答えは得られそうもない。
その宇宙の端を目指す旅は、今、始まったばかりである。
自分が空へと向かっていきたいと思ったのは、小学生のころだった。
量子移動が可能になってからというもの、宇宙へ行くのはほとんどなくなっていた。
わずかな例外は、人工衛星の保守点検や人工惑星の設置程度であり、それも10年に1回程度しかなかった。人工惑星に至っては、地球を建造して以来、一回も行われていない。
だが、空の彼方へ飛んでいきたいという欲求は、止まることを知らなかった。
中学、高校と空の端のことばかりを想像していたおかげで、時には進級が危ぶまれた時もあった。
それらの困難を乗り越えて、大学へ進学したころには、宇宙のことについて、深く知りたいと思うようになっていた。
どこまでも広がっている空の端、その端はどのような形をしているのか、自分自身の目で見てみたくなったのだ。
しかし、早々見せてもらえるわけもなく、大学を卒業してからは、地味な公務員として働いていた。
そんな自分に声がかかったのは、公務員として第103師団の旅客関連で働いていた時、突然上司から呼び出された。
上司の机へ呼ばれてすぐに向かうと、その整えられた机の上にファイルが置かれていた。
「辞令だ」
ひとことだけいって、ファイルから抜き取り、差し出したのは一枚の紙切れだった。
開けてみてみると、惑星国家連合中央政府への呼び出し状だった。
「ここでの、君の仕事はこれで終わりだ。あとは、向こうで頑張ってくれ」
自分には、新しい場所へ移ることができる切符に見えた。
実際にそうなのだが、なにかいい予感がした。
中央政府へ移って、配属されたのは宇宙全般を見張るための部局だった。
現在観測できる宇宙の広さは約137億光年の距離があり、理論上は470億光年の広さがあるとされている。
その距離の中にある、ありとあらゆるものを観測しようとしているのが、この部局の目的であった。
部局の総員は60人だった。
だが、そのような部局であったとしても、宇宙へ実際に行ったことがある人は、皆無だった。
行きたいとも思わないようであった。
「さて、君には、これからいろいろな訓練を受けてもらう」
赴任した翌日、まだ机の上には段ボールしかない状態で上司が言ってきた。
「どのような訓練ですか」
とりあえず聞いてみたが、眼光鋭く、それ以上聞くことは事実上不可能だった。
「目的は後からわかる。とにかく来い」
周りを見ても、いろいろな話をしているようで、誰一人としてこの訓練を受けたことがないようだった。
翌日から、午前中は机に座り事務作業を行って、午後からはその謎の目的のための訓練を受けることになった。
相変わらず、目的は話してくれなかった。
そのことが、1年続いた。
1999年4月1日。
再び辞令によって場所を移ることになった。
「次の場所は…ここだな」
探し始めてから到着するまで、地図片手でも30分以上かかった。
誰も来ないであろう建物の奥深く、地下38階へ行くようになっていた。
そこまでに通じる階段は、あちこちで分断されていて、50近くの階段を経由してどうにか到着した。
「こんにちはー……」
入った途端に、茶碗が飛んできた。
「だーかーらー、私は太ってないって!」
「いーや。絶対太ったって」
夫婦喧嘩の真っ最中の様子だった。
それを楽しげに見守る人が3人。
そのうちの一人が、自分に気付いたようで、物が飛び交っている中を潜り抜けながら、迎えてくれた。
「キミは誰だい」
「あ、川下旅路です。今日からここに転属になりました」
「ああ、話は聞いてるよ。私はこの局の局長をしている河早佐美。よろしく」
とりあえず社交辞令としての握手をした。
「はいはい、とりあえずケンカはやめてね。後片付けが面倒だから」
パンパンと手を打つと、椅子を投げようとしていた二人が止まった。
「今日からここに転属になった子を紹介するわね」
肩を叩かれて、とりあえずの自己紹介をした。
「えっと、川下旅路といいます。よろしくお願いします」
拍手が起こり、どうにか出迎えられたようだった。
「この人が、計画の最後の人?」
「そうよ。これで、チームの完成ね」
何を言っているのか意味がわからないが、ここの管轄は宇宙関連なので、その関連の話だろうと思った。
「宇宙の端を目指すって、かなり長くなるわよねー、私たち、生きていけるのかしら」
「アンドロイド化計画っていうのが、軍部の奥深くで進んでいるらしいわ。その実験として、私たちがおこなわれることになる。帰ってくるのは理論上数百年後。人類って、それまで生き延びていられるかしら」
「ちょっと待ってください、何のことですか」
あわてて話を遮った。
「ああ、キミは聞いてなかったわね」
河早がさらっと言った。
「宇宙の端を見に行く計画よ。私たちはそれの計画チームなの」
呆然としている自分を置いて、次々と自己紹介を進めていった。
「忘れないでよ。この人たちと一緒に数百年間を過ごすことになるのだから」
河早がそういうが、覚えきれる自信はなかった。
まあ、数百年間もあるのだから、覚えられるだろう……
「そのまえに、数百年で宇宙の端まで到達できるのですか」
「その質問は後回し。とりあえず、副局長から順々に……」
すぐに男の人が立ち上がった。
「俺は岡崎保夫。ここの機械のメンテを担当している」
横に座っている女性がそのまま言った。
「局員の田木藺生。よろしく」
それから順々に挨拶をした。
「うちは岡崎満子。よろしくね」
「僕は尾山一良。元外務省の外交官」
そう言ってから、河早が続けて言った。
「本当はもう一人いるんだけど、彼女、仕事で中央の方に行っちゃっててね…」
「どなたなんですか」
河早はいたずらっぽく笑いかけてきた。
「結構有名な人よ」
それから30分近くかけて、この局についての説明を受けた。
「……分かった?」
「とりあえず、ここが中央官庁からのあぶれ者だということだけは理解しました」
「色々な人たちが集まってるからね。でも、そんなあたしたちでも雇ってくれる中央の人々は偉いと思うよ」
河早が自分に言ってきた。
それに合わせるように、周りもうなづいた。
「それで、その轟科学って、旧名がScienceって名前だったりするんですか」
「その通りよ」
急に後ろの扉が開かれた。
それと同時に、女性の声がした。
「遅れてごめんなさい。議会への提出用の報告書に不備が見つかって……」
「はいはい、言い訳は結構。それで、この人が最後の局員よ」
「川下旅路といいます。よろしくお願いします」
「こちらこそ。轟科学です」
彼女が量子コンピューターとして唯一男性がマスターの人なのだろうかと、真っ先に考えた。
「マスター、遅れてしまいました。大丈夫でしたか」
「ああ、大丈夫だとも」
岡崎のもとへ真っ先に向かった。
「岡崎さんが、マスターなんですね」
「そうですよ」
すぐよこに科学を座らせるその姿は、親と子供のようだった。
「本物の親子みたいですね」
ついつい、本音の言葉が出てきていた。
「本当の親子みたいなつながりですからね。でも、年齢は私の方がはるかに下ですが」
アハハと笑いながら、岡崎は科学の頭をなでていた。
「さて、全員そろったから、とりあえず局内会議するわよ」
河早がプリントを局員たちに配った。
「本日、1500時、議会にて計画の承認があったわ。1週間後に、私たちはアンドロイド化手術を受ける。それ以後、私たちは宇宙軍の一部体として、局ごと引き継がれる計画よ。反論は認められないわ」
さらっとまとめて話した。
「各自、それまでに生きて会いたい人と連絡を取ること。費用は国が持つからって。では、5日後に、ここで集合」
まっさきに河早が出て行った。
「そっか、いよいよなんだな」
尾山がすぐ横で呟いたかと思うと、上着を置いて出て行った。
「Teroに挨拶にでも行くか。それに家族にも」
「そうだね」
岡崎と科学も出ていった。
「わたしも先に行くね。ここは勝手にカギが閉まる仕組みになってるから。鍵閉めは不要よ。入りたいときには扉の右側にある電子錠に、あなたの公務員番号を押して入ってね」
田木も部屋から去っていく。
誰もいなくなった部屋を見回して、自分も出て行った。
家に着くと、すぐに両親にそのことを話した。
「そうか、いよいよ行くんだな」
父さんは達観したかのような顔をしていた。
母さんは、話を聞いてすぐにどこかへ歩いて行った。
「それで、きっと生きている間ではもう会えないから、最後に話しておけって。5日後には、局へ戻らないとけないから、それまでの間に」
「旅路っていう名前の由来、分かるか」
唐突に、父さんが話してきた。
「旅の道っていう意味だろ。でも、由来なんて話してくれなかったじゃないか。小学校の頃、その宿題が出てきても、適当で終わらせろで終わりだっただろ」
ふすまがゆっくりとあけられて、母さんが再び入ってきた。
「それは、これを見ればわかるわよ」
それは一冊の本だった。
「日記帳……」
最初の一ページ目に、しおりが挟まっていた。
「四つ葉のクローバー……」
「それは、俺の最初の彼女がくれたものだ。あいつも同じものを持っている。だが、大学時代に留学するといってた惑星に行ったきり、別れた。いまではいい思い出さ。それから、俺はずっと彼女の旅の帰りを待っている。今じゃ、立派な世帯持ちだがな」
「旅っていうことで、旅路にしたっていうことか」
「ま、そういうことだな。人生という旅路で、みんな生きているということもある」
父さんが笑っている横で、しおりの裏を見ると"河早"と書かれている。
「局長と同じ名前だ」
「そうか、じゃあその局長に言ってくれ。俺は元気にしている。また会えたらよかったなってな」
父さんはそう言って泣きそうな顔をしている。
静かに泣きそうな感じだ。
「そうだ、その局長は、このしおりと同じものを持っていたか?」
「そこまでは確認してないけど……」
「もしも、最初の彼女と同じ人だったら、そのしおりを持っているはずだ。よろしく頼むよ」
「分かった」
自分はそう言って、しおりを預かった。
「もし、返ってきたとき、生きているようだったら返してくれ。死んでたら、位牌の前にでも飾っといてくれ」
笑いながら言っているが、生きて会えるかどうか、それは分からなかった。
ただ、超長寿命を得ようとすると、ガン細胞との平衡状態を保つため、1日3回、薬を飲む必要があることだけは分かっていた。
それはかなり面倒だと、どこかで聞いたことがあった。
なぜ人が長生きできるのだろうかという問いに、昔の哲学者が1つの答えをつけた。
長生きできる人たちは、他の人たちの死を看取り、それを受けて人生を豊かにすることができるらしいということだった。
自分は、そんなことができるのだろうかと、何度も問いかけた。
できる自信はないかった。
だが、しなければならないことだけは、はっきりとわかっていた。
5日の間、自分は友人たちを渡り歩いていた。
これから自分の身に降りかかることをはなしていた。
運よく会えれば、その時はまた仲良くしてもらいたいこと。
言いたいことは、すべて言った。
運がいいことといえば、自分に妻がいないことだろうと思った。
5日後、自分たちは、局の部屋に集まっていた。
必要だと思う荷物とともに、すべての思いを断ち切ってここに集まっていた。
「それでは、覚悟はいいわね」
手術着に着替えた自分たちを、河早がまとめ上げた。
誰もが無言でうなづいた。
陸軍の服を着た人の一団が、自分たちを連れていった。
「生身の体とは、お別れか……」
これまで、ありがとうという意味も込めて、自分は愛おしげになでた。
廊下を歩いている最中、すぐ横を歩いていた尾山が話しかけてきた。
「最後に、一つだけ」
「どうしたんですか」
立ち止まり、話し始めた。
「肉体が無くなって、超長寿命を手にして、宇宙の端を見て帰ってきたとして、僕たちはどうなるんでしょうね」
「その頃には次の仕事が待ち構えてますよ」
自分は彼にそう言い切った。
「そうかも、ですね」
何やらはにかんで見てきた。
それから、覚悟をしっかりと決めたらしく、そのまま部屋へ入っていった。
白い部屋の中に、ベッドが6つあった。
科学がすぐ横に立っていた。
白衣を着ている人が自分達が入ってきてからすぐに入ってきた。
画板を片手に持ちながら、何かを書いている。
顔をあげ、自分たちを見ながら話し出した。
「互いの頭脳はつながって、科学と一体化します。しかし、その一方では自我を持たせることも可能にさせます」
「頭の中で二つのセクションに分かれていて、共通部分と自己部分になっているということですか」
河早が軽く聞いた。
「そう考えていただいて結構です。これから、麻酔をかけます。次に起きるときにはあなたたちは、機械の体を手に入れていることになります。それでは……」
直後、針も何も使っていないのにもかかわらず、ものすごい眠気が襲ってきて、静かに眠りについた。
「さあ、起きてください」
声が聞こえてくる。
自然な、クリアな声。
ゆっくりと目を開けると、光がまぶしく感じる。
目の前には、科学がいる。
ただ、口は動いているように見えない。
「これって……」
自分は聞いてみる。
黙って、彼女はうなづく。
「これが、アンドロイド化というものです。川下さんが、一番最初に起きましたよ」
周りを見回してみるが、確かに誰も起きていない。
部屋には、自分たちと科学だけしかいないようだ。
「陸軍の人たちは、どこに行ったんですか」
「あの人たちなら別の部屋で仕事してるよ」
科学が廊下の方を指さして言う。
廊下の向こうを見ると、誰かが動いている影が見える。
「なるほど、温度も見ることができるのか」
サーモグラフィーのように、温度が青色から赤色へ分配されて見える。
赤色になり白くなるにつれて、温度が高くなる。
すぐにわかることである。
次々と同じ局の人たちが起きてくるのが、目の端でとらえられる。
ただ、この思考状態に慣れるのには、幾分の時間が必要だ。
自分の中にいる別の自分に思考を操られているような感覚がしぶとく残る。
実際には、集合意識といわれるものが、全員をまとめ上げている。
その中に、自我を埋め込んでいるという状況らしい。
「起きましたか」
白衣を着た陸軍の研究科の人が、自分たちのところへくる。
「気分はどうですか」
「頭が、がんがんする……」
河早が頭を押さえながら、白衣の人に言う。
だが、その感覚はこちらへ来ていない。
おそらくは、自我の範囲内での感覚だろう。
それから1日かけて、じっくりと検査をされた。
ようやく、このからだに慣れたころには、どうにか一通りの行動はできるようになっていた。
「では、これから宇宙軍へ向かう」
局の部屋で、河早が全員に話しかける。
宇宙軍が船を持っているらしく、それを借りていくとのことだった。
「宇宙軍の基地って、どこにあるんですか」
「第402師団に船が係留されているらしいから、そこに向かうわよ」
河早が言った途端、誰かが入ってくる。
「そこまで、ご案内しましょう」
「お母さん!」
科学がその人を見たとたんに言う。
Teroが、そこには立っていた。
「どうしたの、急にこんなところに来たりして」
「計算上は580年近く離れるんだから、先に挨拶しておこうと思ってね」
計算上、137億6千万光年離れたところまで行くことになる。
1分45光年で進むので、約581.9年[片道]かかる計算になる。
果てしないと思うが、それよりもTeroが生きていた時間の方が断然長い。
「それで、挨拶しに来たの……」
「Teroさん、大丈夫ですよ。科学は俺たちが守りますから」
保夫と満子が力強くうなづく。
それを見て、なんとなく安心したのか、Teroは一礼して、何かを伝えてから部屋から出て行った。
「さてさて、どうにか出発できる準備は整ったようだな」
保夫が見回して言う。
各々必要と思われる荷物を持ってきているから、旅行カバンが一人3つぐらい持ってきている。
「今回の計画をもう一度確認しておくね」
河早がきれいに片づけられているテーブルの上に、地図を広げていった。
「今回の計画は、宇宙の端を見に行くこと。それと同時に、この地図の範囲をできるだけ広げること」
銀河一つが書かれた地図を広げている。
「さて、これが人類が今生きている範囲だ。そして、こちらの地図の方が、人類が観測した範囲の地図になる」
すぐ横から別の地図を出して来て、保夫が話し始める。
「この天の川銀河系を中心として、これまで暮らしてきた。だが、人類が求めているのは、一つの銀河ではない。この宇宙すべてだった」
「だから、この宇宙の端を見に行って来いって……」
自分はなんとなくわかっていたことだったから、改めて言われると、すぐに納得できた。
「そういうこと。それで、うち達が選ばれたっていうこと」
「……簡単に言うと、お払い箱っていうことよね」
科学が暗いことを言い始める。
そこで、河早が手をたたいて話をやめさせた。
「その話はそこまでよ。とりあえず、これから宇宙軍第402師団へ向かうわ。船は、向こうに用意されてるそうよ」
「りょーかいっ」
田木が軽く言ってから、出て行こうとする。
だが、扉を開けた時点でこちらに向き戻る。
「そういえば、宇宙軍第403師団って、どこ?」
宇宙軍の師団か旅団の所在地を知るためには、その師団の番号を見ることになる。
一桁は各大区域の首都、二桁は各中区域の首都で大区域の首都を除く。四桁は各小区域の首都または宇宙軍総司令部が設置を許可した師団となる。
ただ、師団と旅団は共通の番号を使うため、4桁目には特に師団ではなくて旅団の場合が多い。
今回の三桁は、それら以外の場所、宇宙ステーションを駐留場所として指定されている師団になる。
だから、そこに行くためには、量子移動の装置を通る必要がある。
そこに行くだけでも、移動が必要だ。
上へのエレベーターがないから、階段をひたすら登らなければならない。
ぺたりと座りこみそうになっているのは、科学だった。
「もう疲れたー」
「ほら、残り半分」
科学のすぐよこに、保夫が経って話しかける。
こんな会話が普通のように聞こえてきた。
「そのセリフ、10回は聞いたな」
自分が数段上から、彼らを振り返りつつ言う。
「だって、疲れるものは疲れるものー」
ほほをぷくっと膨らませながら、駄々をこねる姿は、世界最高レベルの頭脳を持っている人には到底見えなかった。
見た目が見た目なだけに、そう考えてしまうのかもしれない。
昔、彼女のモデルが小学生だと聞いたことがある。
「ほら、手を貸してやるから、早くいかないと」
保夫が、手を差し伸べる。
「待ってるわよ。ゆっくり登ってらっしゃい」
河早は、階段の踊り場でずっと待っていた。
数分後、結局科学をおぶり、階段を上がっている保夫がいた。
彼の荷物は、自分が持つことになった。
そんなこんなをしている間にも、階段を上っていた。
「ほら、エレベーターがある階よ」
地下5階まで登ってきた時点で、ようやく文明の利器に頼ることができるようになった。
だが、ここに来るまでの間に、いったん上へあがったり、何階か下がってから別の階段を経由して再び別の場所へあがる階段を使ったり。
部屋が封鎖されていたり、通路に荷物が散乱しており通れなかったり、補修がされていないから水道が漏れていて数十メートルにわたって地面がぐしょぐしょなところを通る羽目になったり。
数多の困難を潜り抜けて、どうにかエレベーターのところまでたどり着いたのだ。
「降りるときは、スロープがあるから楽なんだけどね……」
河早がぼやく。
「上へ頼んで、直してもらったらどうですか。これからここから下へ降りて行く人がいるとは、そうそう思えませんが」
「だからよ。よく利用される部分は修理とかするけど、どうせ使わないから直しただけ無駄よ」
さらっと、河早が言ってのける。
「それが、上の方が考えていることよ」
階段を上がり終わり、上がっている息を押さえながら、自分たちはエレベーターに入った。
一気に数十階にまで上った。
「やっぱり、エレベーターは早いねー」
誰も乗ってこなかったエレベーターを降りながら、科学が行った。
「そりゃ、自分の足で行くよりかは早いですよ」
自分が科学に答える。
「この階の全部が、量子移動用の機械になっているからね。さて、早めに行こうか」
河早が代表して受付へ向かった。
「すいません、量子移動をしたいんですが」
「代表の方のお名前と人数を、こちらの用紙にお書きください」
受付は、自動的に行われた。
ロボットと人間が並んでいる。
サラサラっと書き終わると、人間の方に渡した。
すっと目を細めて、紙に書かれた内容をコンピューターに打ち込む。
「はい、承認されました。皆様、5番ブースにお入りください。まとめてお送りいたします」
5番ブースは、受付の目の前にあった。
扉にでかでかと5番と書かれているところの前へ立った。
「お入りください」
静かに扉が開き、中へ招かれた。
自分たちは、その部屋の中に入った。
「行き先を確認します。行き先は宇宙軍403師団、でよろしいですか」
「あい、いいです」
河早がその声にこたえる。
実際には、ここに設置されているコンピューターの合成音声なのだが、温かみがある声だ。
「では、移動を行います。第3師団中央標準時1500時にて、移動を開始します」
9秒ほどのこっている。
部屋の中に指定されている白い円の中に立つ。
「5、4、3、2、1、0」
体が引きちぎられるような感覚が残る。
すべての分子が泳動を始め、意識を保った状態で、体が崩壊する。
何も見えない瞬間を経て、再び体が構成される。
中の元素が集まり始め、意識下では把握できないほどのスピードで、体が作られる。
徐々に構成されていくのを意識だけで感じる。
「お疲れさまでした。これで量子移動は完了です。最後に、受付にて放射線の検査及び問診を受けてください」
同じような声で、自分たちに話しかけてくる。
「放射線なんてあるのかな」
満子がぼやく。
「移動するとき、量子化するでしょ。その時に重力泳動という現象が起きて、一瞬、ガンマ線が放出される時があるんだ。ただ、出るかどうかは、その人の体質次第で、大体は数秒で収まるんだけどね」
教科書的回答をやってのけるのは、当然のように科学だった。
「はいはい、分かったから。早くいくよ」
河早がすでに扉の外にいた。
あわてて扉の外へでる。
「次の人が来るまでの間に、中にたまった放射線など、不要なものを除去する必要があるの。早くいかないと、高額な罰金を請求されるわよ」
受付で、問診票や銃のような形をした検査機で検査を受けながら、河早が言った。
「さすが、よくご存じですね」
「そりゃ、だてに局長をしているわけではないわ」
「検査終わりました。みなさん、異常無いです」
受付の人が言った。
「ありがとうございます」
ロボットのような合成音声で、突然言われた。
宇宙ステーションかどうか、中からでは判断がつかない。
「普通に惑星上って言われてもわからないですよ」
自分はすぐ横にいた田木に言った。
「そりゃ、宇宙ステーションの中核に巨大な重力発生装置があって、それを基に作られてるからね」
「無駄話はそこまでっ」
唐突に河早が自分たちに言った。
「ここから先は、軍の管轄になるから、注意するように。師団長室まではすぐだからね」
目の前には、守衛室と書かれたプレートがぶら下がっている部屋が、通路の半分を占めていた。
「6名ですか」
10mほど離れたところから、自分たちへ聞いてくる。
小さな機関銃を、両腕で持ちながらもこちらに向けていた。
全員、両腕の手のひらを守衛へ向け、武器を持っていないことをアピールした。
「宇宙航行局の局長、河早佐美です。第403師団師団長および宇宙監督庁長官より命を受け、ここへ参りました」
銃口を下に向け、自分たちを通した。
ただ、通る時、かなり自分たちを見ていたのが気になる。
「失礼します」
師団室は、エレベーターで数階上がったところにあった。
「どうぞ」
中から、女性の声が聞こえてきた。
「宇宙航行局局長、河早佐美です。命を受け、ここへ参りました」
師団長は立ち上がり局長と握手をかわすために、河早のところへ歩み寄った。
「初めまして……いいえ、お久しぶり、ね」
「えっ。局長、この方とお知り合いなのですか」
自分が驚いて聞いたら、局長はしれっとした顔を向けてきた。
「幼馴染なの。とりあえず、社交辞令が終わってみたものの、これといって話をするのがないのよね」
「社交辞令は、社交辞令で終わり。それで、これが辞令書よ」
師団長は、そういいながら、知らない自分のために自己紹介をした。
「鏡重照葉です。よろしくお願いします……と、まあ、これぐらいにして、とりあえず事例にも書いてるけど、もう何人か一緒に行ってもらうことになったから。分かってると思うけど……」
「辞令を確認してから、判断しますよ」
厳封されている封筒を開き、辞令を見る。
目を見開いて、かなり驚いているようだ。
「これって…大丈夫なんですか、計画全体に狂いが生じるかもしれないんですよ」
「Teroも馬鹿じゃないわ。補助というべきか、3人で行った方が、何かと便利らしいの」
「何の話をしているんですか」
思わず、保夫が河早に尋ねる。
「彼らは、すでにデッキでまってるわ。行きましょうか」
局長以外、何を話しているのか理解できないまま、とりあえず船が留置されているデッキへあがっていった。
第6デッキには、大小それぞれ合計4隻の船が留置できるようになっている。
だが今日は、中型船が一隻だけ止まっていた。
「あの船が、あなた達が乗り込むことになる船、Searchよ。この船に搭載されているAIの名前と同じだから」
そのSearchの前に、2人立っている。
「それで、あの人たちが……」
局長が、師団長に聞く。
紹介された船のすぐ前に女性が二人立っている。
「マスターは、あなたがなることになっているわ。二人共じゃなくて、片方だけね」
自分を指さして、局長が言った。
「どちらの方でしょうか」
自分は船に近付きながら言った。
「小さい方よ」
師団長が、船の入口のすぐ横に立っている人へ近付いて教えた。
「紹介するわ。量子コンピューターで、科学の補佐をすることになる、VistaとUltoよ」
科学と同じような、量子コンピューターだとは言われるまで気づかないだろう。
「よろしくお願いします。あなたが、川下さんですね」
小さいといっても、中学2年ぐらいの背丈がある。
科学から見れば、二人とも大きく見えた。
自分がマスターになるのは、Ultoの方らしい。
「よろしく」
自分は握手のために手を差し出した。
二人同時に握手をした。
それから、それぞれの紹介をしてから、船に乗り込んだ。
船は、そこそこ広かった。
2階建てで、1階部分が居住スペースになっており、2階部分に作戦室、コックピット、AIルームがあった。
発電設備は、船後方にある燃料電池で行われることになっている。
それと並行して、船の循環機能もついている。
何か問題があった場合は、強制氷温睡眠になり、船外へ射出される仕組みだ。
その方向は、この銀河系になっている。
地球ー旧太陽星系へ向かっての自動航行だ。
もしもの時も安全だと言っているが、そんな暇があればの話だろう。
なければ、そのまま宇宙の藻屑と消えるだけ。
「ベッドルームもあるし、シャワーとお風呂もあるよ」
「水は貴重だからな、載せられるだけ載せた。食料も同様だ。総重量の9割はそいつらで占められている」
「山のように積まれている段ボール箱って……」
自分は物置の中を覗き込んでいた。
「その中身は、全てその類よ。昔作られたレシピを基に、宇宙食を再現してみたの。ちゃんと栄養状態も最適になってるわ」
「あの練り歯磨きこのようなものじゃないですよね…」
自分は、自信満々に言っている師団長にこわごわといった。
「何で知ってるんだ」
帰りたくなった。
「飛行状態確認」
帰れるわけもなく、結局自分は船に乗せられていた。
「確認終了」
AIの声が、船のコックピットに響く。
あちこちの操作をしているのは、Search本人だ。
船内だけは、ロボットを操作して自らの代わりに動くことができる。
だが、船外活動になるとそれができない。
だからこそ、他の人たちが必要になるのだ。
「安定に飛行してます」
「確認よし、第3宇宙速度到達」
昔は、ものすごい勢いで背中を押しつけられるという話もあったが、ここ最近の技術によってその話は過去のものになった。
いつ加速し、いつ減速したかわからないほどのゆっくりとした加速度しか感じない。
通常の超光速飛行を連続したとしても、137億光年かなたへ到達するには600年近くかかる。
だから、途中まではさらに速い速度での飛行を行うことになる。
それが、量子飛行といわれているものだ。
「5分後に、量子飛行へ入ります。各自、準備をしてください」
量子飛行とは、量子状態を作り、瞬時に移動する航法だが、欠点もある。
「この薬を飲まないといけないんだね……」
見た目も鮮やかな青赤黄色のカプセルを、一杯の水で一気に流し込む。
ものすごく苦い味がするが、それを我慢しなければならない。
「放射線に対して、一定の免疫をつけるための、研究途上の薬よ。これがあるからこそ、私たちは量子飛行なんてできるの」
「量子移動にすら、専用の機械が必要になるのに、数億光年を一気に飛ぶような飛行に不必要って、なんだかおかしいですね」
自分が科学に言った。
「技術の進歩って、驚くべきスピードで進んでいくのよ。今回のこの量子移動の技術は、つい3日前に完成されたもので、単純な実験しか行っていないから、無事にいけるかは未知数だったりするのよ」
「そんな船に乗り込んでるって……」
「遺族年金は出ることになってるから、大丈夫」
「そんな問題じゃなくてっ」
その時、再びSearchが船内放送を行った。
「みなさん、着席してください。これより量子飛行を実施します」
量子移動と同じように、意識が瞬間的に飛ぶ。
だが、一回慣れてしまうと、酔うようなこともなくなる。
「現在、旧太陽絶対座標系原点より、6780万光年離れた地点にいます」
「1回でそこまで遠くに来れたのか」
自分は、Searchの報告を聞いて驚いた。
「ですが、ここで船を休ませる必要があります。1週間は通常エンジンにて飛行を行い、量子飛行はそれ以後になります」
「どうしてですか」
「量子移動によって、原子が不安定になるんです。繰り返し行っているうちに、その原子が自己崩壊を起こし、量子状態から復元されない場合があるのです」
それはつまり、体や船が原子レベルで崩壊することを意味している。
だからこそ、制限をかけられているのだろう。
通常の場合では1日や2日であるが、今回は距離が長い分、原子の不安定さも増しているということだろう。
自分はそう納得することにした。
それから、何度か休憩をはさみながら量子飛行を繰り返し行った。
1年以上経過したとき、ようやく目標地点へたどり着いた。
「ここって」
「理論上の宇宙の端だよ」
コックピットにある画面には、船外の映像が映し出されていた。
「真っ暗だ……」
「それどころか、先にまだ星が見える」
「銀河とは正反対の方向を見ています。だから……」
結論はすぐに出た。
「先に進もう。宇宙の端を見つけることがあたしたちの使命なんだから」
船は、再び進みだした。
さらに数十年をかけ、宇宙を470億光年ほど進んだころ、ようやく見つけることができた。
「ここが、宇宙の端だよ」
画面に映されていたのは、元の銀河だった。
「ちょっとまって、元の銀河に戻ってるよ」
「宇宙の端は、ないっていうことだね」
結論を出さざるを得ない状態で、そう結論付けた。
だが、ここで一つの問題が生まれる。
「じゃあ、この宇宙って、どんな形なんだ」
自分が出したこの質問は、長い間全人類の宇宙物理学者を悩ませた問題だった。
「……端がないけど有限っていうことだから…」
自分たちが考えた結果は、ドーナツみたいなものだということだった。
しかし、自分たちが勝手に考えるのにも限界がある。
だから、この情報を早く持っていくことが重要だと思われた。
銀河の元の星系へ戻ってくることができたのは、出発してから20年後だった。
「目標地点へ到達。現在、2019年5月6日のようです」
そこにあったのは、第403師団の人工惑星だった。
「ようやく戻ってこれたのか……」
自分が感慨深げにつぶやいた。
「さて、そんなことよりも問題なのは、師団長よ」
「変わってる可能性の方が多いわね」
満子がつぶやく。
「……行きましょう。とりあえず、報告書を提出しないといけないから」
船を師団の惑星のドッグへ就けると、重々しい警備が敷かれていた。
「どうしたんですか」
河早が降りながら聞く。
「戒厳令が布告されています。警備のため、身分確認を行います」
自分達は、連合政府から支給されているIDカードを見せる。
「戒厳令の布告とは、かなり重大な事件が発生したんですね」
「いえ、事件自体は十数年前に解決済みです。しかし、その余波の影響で、通常の業務にすら支障が出ているほどです」
一人ひとりのIDをTeroに確認しつつ、終わった分からそれぞれに返していた。
「実は、Teroのマスターが誘拐されるという事件がありまして、その事件の関係団体が、あちこちでテロ行動を起こしたのです」
「どうしてですか」
自分は、不思議になって聞いてみた。
「彼らが所属する団体は、Teroを使って世界を統治しようとしました。しかしその企ては結局潰えました」
「その生き残りが、いまだにその思想を引き継いでいると……」
黙ってうなづかれる。
その通りらしい。
だがしかし、それであっても報告書は通常通りの形式で出さなければならない。
「失礼します」
河早が、最初に入った。
中から聞こえてきた声は、前の時と少しも変わってないかった。
「報告書を持って参りました」
「机の上に置いといて……ったく、こんな所にまで……」
師団長は、机の下で何かを探しているようだ。
「どうしたんですか」
自分が、聞いてみる。
「シャーペンの芯をばらまいてしまってね」
再び頭をあげて、自分たちを見た。
「さてさて、君たちがここに来たっていうことは、どうにか端を見つけることが出来たっていうことかな」
「ええ、目標を果たして、帰ってまいりました」
河早が代表して、報告書を提出する。
それを、パラパラとみて、一言言った。
「これは本当なのか?端がなくて有限の宇宙というのは」
「観測上、それが真実です」
自分が述べる。
師団長は、頭を軽くかくと、部屋から出て行くように言った。
他に仕事もなかったので、自分達はそのまま部屋から出た。
父さんに会うことはできたが、息を引き取る瞬間だった。
母さんは、そのすぐ後、父さんを追うように亡くなった。
仲良しな両親だったから、一緒にいたかったのだろうと、考えている。
それから数年間、何事もなく過ぎ去った。
結局、しおりは自分が持ったままだ。
聞くことはできないまま、ずっと持ち続けている。
「おはようございます」
エレベーターの直通運転が始まったため、仕事場へ行くのは楽になった。
「おはよう」
相変わらず、ホコリが多い部屋だが、帰って来てから最初にした掃除の時が一番ひどかった。
大掃除の成果が、今なのだから我慢するしかない。
そんな部屋の中には、今日は局長しかいなかった。
「あれ?他の人は……」
「ああ、パソコンが壊れちゃってね。総務課に文句言いに行ってるところ」
総務課の人たちも大変だと思いつつも、この時ぐらいしか言う機会がないだろうから聞くことにした。
「そういえば、河早局長。このしおりに見覚えはありませんか」
父さんから譲り受けたしおりを、局長に見せる。
老眼鏡をつけながら、じっくりとしおりを見る。
「これ……あなたのお父さんの?」
「ええ、そうです」
さらにじっくりと眺めると、自分に言った。
「このしおり、私の姉さんが持ってたわ。どういう経緯で持っていたのかは知らないけれど……」
「そのお姉さんは、父さんの昔の恋人だそうです。生前、同じしおりを持っている人が自分の最初に好きになった人だって言っていました」
「そうだったんですか……」
しおりを持って、何かを思い返しているようだ。
だが、結局何も思い出せないまま、自分に返してきた。
「……今頃、姉さんとあなたのお父さんが、向こうの世界で仲良く暮らしてるんでしょうね」
「自分の母親もいますが……」
「細かいことを気にしちゃいけませんよ」
局長は、柔和な笑みを浮かべて自分に言った。
その直後、ドドッと入ってくる音がした。
「ただいま、帰りました」
「お疲れ様」
労いの言葉をかけると同時に、局長に一台のパソコンが渡される。
「これ、戦利品」
「それしか渡してくれなかったというのが本当でしょ」
田木が局長に渡したパソコンは、1年ほど前のものだった。
「動くから、大丈夫!」
科学がすぐ横でパソコンの底面をいじくっている。
「はいはい、じゃあ、動かしてみましょうか」
局長は、軽くいなして科学からパソコンを離すと、机の上に置いた。
今日も今日とて、元気な一日が始まる。
宇宙の端を見た次は、人の心の端を見たくなっている自分がいるのが、ひっそりとわかった。