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王都の長い午後

Spcial Thanks:

fooさん pochiさん 合言葉はBEEさん

「全く、技師というのはなんとも無粋な生き物だね。一度興味が向けば周りなど見えていないのだから。

 そうは思わないか? ホーリィ」


 イズムの作業場の壁に立てかけられた作品を眺めつつ、ホーリィが淹れた紅茶の香りを楽しみ優雅にカップを傾けルナスが言う。


「そうですね……でも楽しそうです」


 おっとりとしたその言葉はホーリィのものである。今日の朝はルナスに怯え、道中では怒気を含んだ物言いをしていたホーリィだが、今では口調も態度も平常のものに近い。


「そうだね。それについては否定しないが、けれども、こうも放置されているこちらの身にもなって欲しいものだね」


 口元だけで微笑みつつ、ルナスはホーリィにそんな言葉を返した。口先ではそんな事を言っているが、実際のところ、ルナスはそれほど退屈しているわけではない。イズムの工房の壁に立てかけられている作品は例え現代人から見ても大層なものであり、刀剣類が好きなルナスにとって見ているだけで飽きる事が無いものである。むしろ現在は普段は触ると口うるさいイズムの小言がない分、自由に手にとって思うままに振るったりと、常より余分に楽しんでいる状況だった。


 さて、そんな風にルナスとホーリィの二人に関しては割と優雅で有意義な午後を過ごしていたりするが、この物語の中心であるべき鉄兵が現在何をしているかといえば、それは壁に目を向けてイズムの作品を楽しむルナスの背中越しに確認ができた。


 そこには、作業場に築かれた土間の上で熱弁を振るう鉄兵とイズム。それと二人の話を面白そうに聞いているミスラルの姿があった。そこで何が行われているかと言えば、端的に言ってしまえば講義である。鉄兵がどこぞから作り出した巨大な黒板もどきを前に、チョークを手にして突発的に簡単な電気回路の講義を催していた。


 熱意を帯びた講師(てっぺい)受講生(イズム)の図は、見た目を考えれば真逆であるのが正常であり、傍から見れば滑稽に見えるかもしれない。


 しかし当事者である二人は互いに至極真剣であり、そこに余人の入り込む余地はなかった。


 教授の代理講義で鍛えた講義の術は丁寧で理路整然としており、それでいて叩きつけるような容赦の無い切れ味がある。対してイズムはこの世界の誰も知らぬ未知かつ稀有なその言葉を瞬時に精査し、理解するどころか講義内容に穴があれば果敢に質疑し、鉄兵もそれに磐石に応答する。


 その様は端から見れば口げんかをしているような荒々しさがあり、まるで理屈の闘技場で剣を交える剣闘士のような趣がある。だが、当人達の立場に立てば、それは一つの理解に達するために互いに協力して熱く激しい言葉の舞踏を演技しているかのような充実した心地があった。


 さてなぜこのような状況に陥っているのかといえば、事の起こりはイズムの暴走であり、承けては鉄兵の暴走が原因である。


 恐らく今までも夢想していたのであろう。ミスラルの有効利用方法の確立を現実的な夢と見て取ったイズムは、溢れんばかりの情熱でその溜まりに溜まっていたであろうアイデアを吐き出し始めた。そんなイズムの様子に、鉄兵が感化され思わず暴走してしまったのだ。


 自身からみても未知の技術大系に到る可能性があるミスラルと言う物質に対し鉄兵は、イズムの情熱に侵され、ついうっかりと自重を忘れて現代科学の見地からイズムのミスラル有効活用法の穴を突っ込みまくり、実用化に必要な修正のアイデアを出しまくった。


 その結果、機能には制御が必要だとか制御とはON・OFFだとかつまりスイッチだとかスイッチとはなんぞやとか喧々轟々の議論があり、暴走した鉄兵が現代の定義を取り出して、果てにはどこぞから作り出した巨大な黒板もどきを前にチョークを手にし、とうとう突発的に簡単な電気回路の講義を始めたというわけである。


 暴走した鉄兵が始めた講義は、元の世界では基礎であるものの、この世界では最先端をぶっちぎったような代物である。そしてそれがこの世界の住人では並大抵の理解力でついてこれるものではないと鉄兵が気が付いたのは、駄目な講師のように周囲の空気を忘れて叩きつけるように持論をぶちかました後の事だったのだが、しかし意外な事に一介の鍛冶師でしかないはずのイズムは、どうした事か鉄兵の話を間違うことなく理解した。


 それを悟ってつい嬉しくなった鉄兵は、周囲を置いてけぼりにして今の光景であるイズムとの切磋琢磨な講義を始めたというわけである。ミスラルはその横で興味深そうに二人の話を聞いていたが、ルナスとホーリィはその輪に加わる事を早々に諦め、そして今に至ると言うわけである。


 さて、物語には起承転結と言うものがある。イズムにより『起』が生まれ、鉄兵により『承』が成ったなら、次には当然『転』が降りかかるのが道理であろう。


 そんな訳で時は流れて今現在。優雅な一時を過ごしていたルナスが『腹の虫が動き始めたな』などとのん気に考え始めた頃に、『転』の始まりであるその音は突然鳴り響いた。


 ゴンゴンゴンッ!!


 議論がヒートアップする作業場に、一際大きくそのドアのノック音は響いた。


「なんだよ良いところで……どこのどいつだ?」


 鉄兵の講義も佳境に入っていたところで水を差されたイズムは舌打ちをする。


「おぉ、忘れておった。すまぬな、これはわしが呼んだ客じゃ」


 イズムの舌打ちに、ミスラルが思い出したように手を打った。


「あんたが?」


 イズムが訝しげに眉を八の字に吊り上げる。鉄兵にはそのイズムの心象がなんとなく想像ができた。


 ミスラルに客が来たと聞いてまず心に浮かんだのはミスラルの呼んだ客がミスラルと同等の存在ではないかと言う恐怖である。今のところミスラルは人畜無害だが、生きとし生けるもの全ての存在にとって脅威となりうる存在なのである。正直なところ世界標準から見て割とチートしている鉄兵から見ても、ミスラルが二人いたら怖いどころの騒ぎではない。


 次いで思い立ったのはミスラルがこの世に生じたのはつい先程の事であるという事実である。それからずっとここにいたのに、いつの間に人を呼んだのだろう? というのは素直な疑問である。


「うむ。この世に顕現してわしも欲が生まれてのう。是非試したい事があって頼んできてもらったのじゃ」


「ほう?」


 顕現したばかりのミスラルが先方を呼び出してまで果たしたい欲とはどんなものであろうか? 同じ技術者という共通点があるせいか、恐らく同じ興味を感じたイズムが鉄兵に変わって前のめりになる。


 そんな二人の態度を見てか、迎えても問題ないと判断したのであろうホーリィがとことことドアに駆け寄って戸を開ける。


 すると、そこにはものすごく怪しい人物が突っ立っていた。


 黒頭巾に黒マスクの男。その男の特徴を一言で書けばこうである。


 こう書けばものすごく怪しい人物に思えるだろう。そしてそれが怪しいだけならどうでも良かったのだが、しかし困った事にその怪しい人物は鉄兵の知り合いであった。


「あれ、シロ?」


 黒い着流しに頭巾とマスクに覆われた顔から覗く緑の目は、シロのそれであった。


「ようテツよ。やはりお前さんが関わってやがったか」


 マスクをずり下げシロが軽口を叩く。その台詞を聞けばどうしてかシロはすでにミスラルの件を知っているようなそぶりである。それにしても『やはり』とはなんだといいたいところであるが、反論するにしても事実、関わっているため何も言えやしない。


「それはともかく、その格好はなに?」


 自業自得で反論の出来ぬ鉄兵は、せめてもの反撃とばかりにシロの姿を揶揄してみる。


 だが、しかし軽いジャブ程度の軽口であったその言葉には、想像よりもきつい、因果応報な回答が待っていた。


「俺は肌が弱いからな。傘が壊れちまったから応急処置ってやつさ」


「あー……ごめん。帰ったら直す」


 そういえばシロの傘を破壊したのは鉄兵である。半ば芝居であったとはいえ本気の勝負の結果なのだが、直せるにも関わらず日光に弱いシロの必需品である傘を壊したままだった。その事実に今更ながら気が咎めてシュンとなる。


「そうしてくれるとありがたいねぇ」


 対して黒頭巾とマスクを外しつつ言うシロの言葉には、一欠けらの非難も含まれていない。カラカラと笑っていつものニッとした笑顔を見せるそのシロの姿に、鉄兵は救われる思いを感じた。とりあえず城に帰ったら即行でシロの傘を直そうと心に決める。


「あんたがミスラルの客人かい?」


 そんな身内感漂う会話をする二人に、見えぬ状況に耐え切れなくなったらしいイズムが横から口を挟む。


「ミスラル?」


 シロがイズムの言葉に首を傾げる。その表情から察するに、どうやらシロはミスラルの存在を知らないようである。ミスラルは自分の客が来たと言っていたが実は無関係なのだろうか?


「シロはミスラルの事を知ってここに来たんじゃないの?」


 事の正否を見極めるために鉄兵が話題を差し向けると、シロはそれを察したらしく、自身の目的を素直に語る。


「さてな。俺はこの子の話を聞いてここに来たまでさ」


「この子?」


「そう、この子さ」


 何の事やらと首を傾げる鉄兵に、シロは着流しの胸元からひょいと何かを摘み出し、そっと腕の中に収めた。短く触り心地のよさそうな灰茶の毛に覆われたアーモンド形の目を持つその小動物は、見紛う事なく猫という生物であった。正確に言えばアビシニアンという種の猫である。


 さらに言えば、鉄兵にはなんとなく見覚えがある猫である。確か元の世界で実家のはす向かいで飼われていた猫がこんな姿だった気がする。


「なんだその生き物は?」


 今はリルの影響で犬派に転んだとはいえ鉄兵は元は大の猫派である。久々に見るその愛らしい姿に鉄兵は思わず前後不覚に和んだりしたのだが、しかしイズムのその言葉に「んっ?」となる。


 イズムの言い方から察するに、少なくともこの地にはアビシニアン種の猫はいないようである。いるはずの無い生物で、なおかつ鉄兵に見覚えのあるという事は……


『ミスラルとはわしの事じゃよ』


 シロの胸元で寛ぐ猫が、すっと首を伸ばしてそんな言葉を口にした。ミスラルとシロ、それに鉄兵の三人は冷静なものだったが、言葉を喋る猫を見て他の面々がぎょっとした態度を見せる。


「ああ、なるほどな。するってえと俺はお前さんの客人って事にここではなっているって訳か」


『うむ。その通りじゃ』


 あたかも当然の事のようにシロと猫が会話する。かなり非常識な光景にくらくらと意識が揺れたが、それでも働いた頭が今まで情報をまとめ、推察の結果を告げる。つまり、あの猫は鉄兵の記憶から創り上げたミスラルの郡体の一つなのだろう。鉄兵はリルやハルコさんとの会話で慣れているが、やはり人型以外の生物が言葉を喋るのは一般的には刺激が強いようだ。他の面子は物理的に開いた口が塞がらない様子である。


「驚かせたかの?」


 と、この台詞はお子様鉄兵バージョンのミスラルから出た言葉である。


「つまり、あの猫も?」


 いち早く衝撃から戻ったルナスが問う。


『「さよう。どちらもわしじゃよ」』


 猫の口とお子様バージョン鉄兵の口から、完璧なステレオで言葉が紡がれる。リアルで完全に一致した意味のある波長は意外な事に想像以上に気持ちが悪い。同じ存在が別々に二つ存在すると言うのは奇妙な感覚だが、それは常人であるが故の反応であろう。いうなれば、彼らは二つは親指と人差し指くらいの関係なのだろう。別の姿をしているが、操っているのは一つの意識である。ならば、二つがステレオで喋ろうが自然の事なのだろうが、しかしそれでも人の常識から外れた生態には少し戸惑ってしまう。


 少しばかり辟易した鉄兵がシロに説明を求める視線を送ると、シロは困ったように肩をすくめた。


「俺は呼ばれただけだぜ。さっき奇妙な違和感を覚えただろ? そしたらそいつが現れて茶道具持ってついて来いって言われたからここに来ただけさ」


「茶道具? なんでまた」


 と思わず突っ込んでしまったが、ミスラルがそう言って呼び出したと言う事は、理由は一つしかないだろう。


「無論、茶が飲みたいからじゃ! 茶と言うものは至極うまいものと知識にあるでのう」


 身体を弾ませ、明らかにうきうきと好奇心に満ちた表情を浮かべるミスラルを見る限り、その言葉には嘘は無いのだろう。


 だが、それにしても……


「そっか、茶が飲みたかったからシロを呼んだのか」


 納得はしたが、鉄兵は少し気が抜ける思いだった。なんだかんだ言って今まではミスラルの動向に気を配って緊張していたのだが、そのあまりに近視的でお手軽な欲望とそれを成就させるためのせせこましい手段を目の当たりにして、どっと力が抜けてしまったのだ。


「うむ! あ、いや、それだけではないぞ! ほんとだぞ!?」


 威厳の欠片も無く子供のように素直にコクリと頷いたミスラルだが、なぜか慌ててそれだけではないと否定する。なにやら他に思惑もあるようだったが、どう考えても本命は茶のようである。なんというか、緊張していただけ馬鹿を見たような気がする。


「まあ理由はなんだっていいさ。茶が飲みたいってなら一つ奢ってやろうかねぇ」


「うむ! 淹れて給れ」


 なにやら言い訳染みた事を言っていたが、結局は好奇心が勝ったらしい。シロの言葉を聞いたミスラルは、期待を身体全体で表現してはしゃぎはじめた。同時にシロの胸元にいる猫形態のミスラルの尻尾がピンと立つ。


「んじゃま、茶を淹れる間にそちらの話も聞くとするかな。そこの鍛冶炉は借りていいのか?」


「あーなんだ……好きに使いな」


 鉄兵の講義にはついてきたイズムだったが、どうやら今の会話は理解の外だったらしく、やや混乱気味のイズムは好きにしろと言わんばかりに苦笑する。


 そんなわけで、シロが手持ちの荷物からポットを取り出して湯を沸かしはじめる。シロが茶を点てている間、鉄兵は今までにあった事を要点良くシロに話して聞かせた。その間、ミスラルが「シロを呼んだのはこの地の治安維持者の一人に話をつけておくためじゃぞ! ほんとじゃぞ!」と顔を赤くして何度も言い訳をしていたが、微笑ましくスルーする。


 やがて、シロへの説明が済んだ頃に、丁度シロが茶を点て終えた。


「苦いのじゃ……」


 そして、茶を飲んだミスラルの第一声がこれである。


 ミスラルはシロが点てたお茶を礼を失しない程度に興奮しながら喜び勇んで口にしたわけだが、子供舌にとって本格的な茶は凶器以外のなにものでもない。ましてやミスラルがこの世に顕現して以来、初めて食物を口にしたのだ。穢れを知らぬ新品の舌先には大人の味は刺激が強すぎたようで、よほど苦かったのだろう、ミスラルは舌を暑さに耐える犬のように口から出して、泣きそうなほどに目を潤ませていた。


「あっはっは。まあお子様の舌にはちょいと合わん代物かもな」


 こうなる事をシロは予想していたのだろう。無垢な子供に無垢ゆえ嵌る冗談染みた悪戯をして成功したおっさんのように豪快に笑う。シロも割と性質が悪いところがあるよなぁと思いつつも、実はこの展開は鉄兵も予想していた事態だったため強くは言えない。


 大学に入って酒を飲み始めた頃から舌が大人になり、今では渋いお茶もそこそこ楽しめる鉄兵だが、子供の頃は年相応に甘いジュースが大好きで、お茶はそれほど好きではなかった。そんな子供形態の鉄兵を模したミスラルが本格的に点てた抹茶など飲めばこうなる事は想定の範囲内だったのだが、それなのになぜ黙っていたのかと言えば、偏にミスラルが茶を物凄く楽しみにしていたようなので水を差しちゃ悪いかなーと考えての事である。だが、今回はその余計な遠慮が仇となったようだ。


「……大丈夫か?」


「駄目じゃ……」


 しょげ返るミスラルの様子に、我が幼少の頃の姿ながら気の毒になった鉄兵が問いかける。それに対してミスラルは息も絶え絶えと言った感じで、その姿を文字で表すならorzだろう。見てるだけで気の毒で、どんよりとしたオーラをまとっているその姿は、同じ姿を持ちながら見ているだけで罪悪感を感じてしまう。


「ほら! 今度、俺が子供の頃に好きだったもの作ってあげるからさ」


「本当か!!」


 余りに気の毒すぎて咄嗟に出てきた言葉だったが、ミスラルは鉄兵も驚くほどにその言葉に食いついた。


 その反応に、鉄兵は墓穴を掘った気分になった。この世界で元の世界と同じ料理が出来るとは限らない。少し不味い事になったかなぁと思いはしたが、しかし希望に満ちたミスラルのキラキラとした目を見ると「やっぱ無理です」とは言い出せない。


 自分の幼少の頃の好物を思い出す。確か、ハンバーグとかポテトとかグラタンとかだったか。恐らく同じ記憶を共有しているらしいミスラルの脳裏には同じような光景がぐるぐると回っているだろう。残念ながら鉄兵に料理経験は無いが、舌が良いため食べたものの内容物と調理方法についての推測は出来る。


 そのデータを元にお城の料理人の人に頼み込めば作ってもらえるかな……などと考え、内心一滴二滴冷や汗を流しつつもちらりとミスラルの様子を見てみると、ミスラルはまだ食した事も無い好物に胸膨らませている様子で涎を垂らさんばかりの表情で宙に目をさ迷わせていた。


 こうして生物としての存在を始めたばかりのミスラルを客観的に見ていると、食欲は生物の三大欲求の一つだと言う事実が深く理解できる。幸せな空想をする子供の姿はかわいらしいのだが、なんというか、はしたないのだ。言ってしまえば野生そのものである。


「さて、話は聞かせてもらったが……」


 茶を点て終えたシロは、いつの間にか煙管を吹かしていた。旨そうに煙を肺に吸い込み、口から煙の輪っかを噴出しつつ、話を前に進めていく。


「相変わらず、お前さんは忙しいな」


 笑顔ならがらも多分に皮肉がこもったその言葉は、恐らくシロの本心だろう。諧謔染みた雰囲気を発しながらカラッカラッと笑うシロなのだが、目が笑っていないのだ。


「しかしなんだ。お前さんたち、一番大事なことを聞いてないんだな」


「一番大事なこと?」


 シロの言葉に鉄兵は首を傾げる。周りに目を向けると、他の面々もピンとこないようでお互いに何の事だろうと目で語り合う。だいたい状況は理解しているはずだが、自分達は一体何を忘れているのだろう? と素で考える。


 イズムも煙管をやるらしく、土間には灰皿が置かれている。


「そう、大事な事さ」


 その灰皿に、カーンと煙管を打ち据えて灰を落としたシロは、畳み掛けるように言葉を紡いでいった。


「さて、お前さんがあのミスラルの化身らしいってのはわかったが、なんでまたこの世界に現れる気になったんだい?」


「ん、理由など無いぞ? 鉄兵に突付かれて出てきただけじゃ」


「そう考えるとわしも虫と同じように単純なものじゃな」などとミスラルは笑ったが、その言葉にピクリとも反応せず、シロは矢継ぎ早に質問を投げかる。


「なら、用が済んだお前さんは直ぐに帰るのかい?」


「そうだの。いや、特に考えてなかったが、せっかく肉の身体を作ったのじゃ。しばらく現し世にとどまろうと思っておる」


「それなら、お前さんはここで何をする気なんだい?」


「それは……そうじゃな……」


 シロが発言をするたびに流れるようにミスラルの今後の方針が決まっていく。様子はいつもの通りだが、なにか少し違う気がする。何が違うのかと言えば、少し冷たい感じがするのだ。


 無邪気な子供の顔をしていたミスラルが、シロの言葉に戸惑いを見せる。


 ミスラルの記憶は今のところ鉄兵の脳に刻まれていた記憶がほとんどである。なのでミスラルは今の時点では鉄兵とほぼ同一の存在としてみていいだろう。故にシロの態度の違いに気が付いたミスラルは、やがてその表情に俄かに真剣みを帯びさせた。


「わしはな、お主等が大好きなのじゃ」


 そうしてミスラルの口から出た言葉は、シロの質問に対してまるで答えにもなっていないような一言だった。


 その言葉に対してシロがどう思ったのかは鉄兵には悟り得ぬところではあったが、シロはやはりピクリとも反応しない。


「わしは、お主らで言うところの現象というものじゃ。故にわしには意思はなく、ただそこにあり、作用していたに過ぎぬ」


 鉄兵の姿を模した存在から出た言葉は、非常に抽象的なものだった。予想の付かぬ言動に、何が始まるのかと緊張を見せる鉄兵を脇に置いて、ミスラルが言葉を重ねる。


「だがな、わしには今、肉の身体があり、現象という自己の枠から解き放たれておる。

 今、わしが寄る辺にしておるのは、鉄兵の記憶じゃ。そしてその心が欲しておるものは、お主にはなかなか信じきれぬほどにお主等にとって都合の良いものじゃよ。

 つまり、わしはただ、お主等の役に立ちたいと思っておるだけじゃ」


 その言葉を聞く限り、本人が言うとおりにミスラルはなんとも都合の良い存在のようである。


 だが、それが欲望により生まれた衝動であるならば、それは利に基づく感情だろう。


 利がある以上、それは決して無償の愛などではない。


 しかし、利がある故にその言葉はリアルであり、だからこそすっと胸に入りこむ。


「わしは今、わしとしてここに在る。故にわしはわしの欲するまま行動するが、さて、お主に答えを返すとしよう」


 禅問答のような抽象的なやり取り。その最後にミスラルはやはり抽象的ながらもシロにとっては直接的な回答を差し出した。


「わしは、わしが知る限りの悪を悲しいと思う。そしてわしが許せぬ悪というのはおぬしより狭量であるかも知れぬが、しかし聞く耳は持っておる。

 答えはこれでいいかの」


 ミスラルの言葉を聞いたシロは、やはりしばし無言であった。しばし間を隔て、ふっと噴出すように苦笑を見せる。


「人の役に立ちたいか。そいつはなんとも素敵な事だな」


 からかっているようにも聞こえる言葉。が、しかし奇妙な冷たさは未だ健在で、その言葉には一つの温かみも無い。


「んじゃま、一つだけ頼まれてくれないか?」


「なにをじゃ?」


「そうだな。皆仲良く……かな?」


 相好を崩して悪戯っぽく微笑んだ。


 ニッと笑うシロを見て、鉄兵はシロの姿に冷たいなどと思った事を忘れてしまった。


 今更の話だが、シロのその笑顔を見て鉄兵は敵わないなぁと思ってしまった。


 考えてみれば、シロは鉄兵が現れるまで絶対強者として君臨していた竜人である。恐らくは、その竜人を上回る力を持つ鉄兵に、ミスラルが現れた時に鉄兵が感じたような恐怖をシロも感じただろう。


 それなのに、今日の朝、シロは城の中庭で選択を間違えそうになった自分に立ち向かってきた。それも、ただの他人である自分の事を考えてだ。


 そう考えると、なんでシロにそんな事が出来るのか鉄兵には理解できなかった。自分には、ミスラルが道を誤った時に目の前に立ちはだかり、ぶん殴るように行いを正すような行動は起こせないだろう。


 単純な力なら、鉄兵もミスラルも、シロの遥か上を行くだろう。


 だが、シロと同じ威厳を持てるかといえば、それは否である。


 力には色々な種類がある。それこそ単純な腕っ節から鉄兵が得意とする知力まで、種々様々に存在している。


 もう一度言うが、単純な力なら、鉄兵もミスラルもシロの遥か上を行くだろう。


 だが、今の鉄兵はシロに全く勝てる気がしなかった。


 永遠に追いつけそうに無いその面差しに、仄か以上に憧れた鉄兵は、同時に嫉妬の感情が芽生えた事も自覚する。


 そして、それとは別に、鉄兵はシロの笑顔に一つの事象を想起した。


 一つ、想像する。


 もしもミスラルが邪悪な存在だったとしたら、シロは躊躇う事もなくミスラルと敵対していただろう。それが例えそれが物理的な力という単純だが絶対的な一点に関して万に一つの勝ち目など無い存在だとしてもである。


 そして、どちらが最後に立っているかを想像した時、鉄兵にはシロが立っている姿しか想像できなかった。理論的に考えればそれは有り得ないと分かっていてさえもだ。そんな強さがシロにはある。


 ぶれない我を持つと言う事は、他人にとって頼もしいと同時に恐ろしくもある。


 その背反する二つを併せ持つ笑顔に凄みを感じて、鉄兵は本能的に身震いする肉体を抑え切れなかった。


「心得て置こう」


 甲高い子供の声だというのに、その言葉は重々しく響いた。


 独自の進化を始めたものの、未だ鉄兵であると言って良いミスラルは、自分と同じ畏敬の念を感じ取ったのかもしれない。


 ミスラルはシロの笑顔に何かを感じ取っただろう。無遠慮なほど真面目な顔で、シロの言葉に神妙に頷いた。


 そしてこれが、鉄兵の物語に大きく影響する一連のミスラル騒動の終わりであった。




 さて、区切りが良いところではあろうが、話はもう少しだけ続く。


 その後も悲喜交々、大なり小なり騒動はあったが敢えて省くとし、皆が皆それぞれに有意義な時間を過ごして日が暮れ始めた夕焼け頃。イズムの作業場を後にした鉄兵達は、揃って帰宅の路についていた。


 城を出た時は三人であったものの、今では二人と一匹が増えて五人と一匹になっていた。さらにそれぞれの素性を挙げていけば、竜人に公子に鉱物と、客観的に見ればなんとも奇妙な一行である。夕焼け空に誰が誰かもわからぬほどに皆が等しく赤く染まる中、のんびりと歩く自分達の姿を鑑みて、ふとそんな事実に気が付いた鉄兵は、思わず可笑しみを感じてしまい、伸びた影法師に紛れて一人そっと誰にも気がつかれないまま穏やかに笑ってしまった。


 やがて道の途中で城に帰らぬシロが別れる事となり、シロが身を寄せている宿を確認するために鉄兵は他の面々と別れてシロと二人で歩き始めた。他の面々も付いてきたがっていたが、たまにはこの世界に来た時と同じようにシロと二人で歩きたかった鉄兵はそれとなくその申し出を断った。


 久々にシロと二人で町を歩く。


 どこからか、子供の笑い声が聞こえてきた。


 帰路に着く人々の顔は穏やかで、町はどこか暖かな雰囲気のある喧騒に包まれている。


 良い町だなぁと鉄兵は思った。何を考えるまでもなく、自然と心の内に生まれてきた言葉は、だからこそ本当の事なんだなと実感できた。そして今、自分もその町を構成する一つなのだなぁなどと、なんの衒いもなくそんな思いが湧き上がってきて、鉄兵は少し嬉しい気分になった。


「しかしテツよ。この前も言った気がするが、お前さんと出会ってからまだ二ヶ月足らずなのに、随分と仲間が増えちまったものだなぁ」


 鉄兵がそんなほのぼのとした空気を味わっていると、シロがそんな話を振ってきた。それは、確かに聞き覚えのある言葉である。


 そんな事を話したのは、確かリードと出会ったあの町での事だったろうか。あの頃でさえ三日と立たずにアリスが加わり、イスマイルが付き、リードが行動を共にするようになったりと、随分慌しく人が増えた気がしてたが、今ではアルテナと17人の騎士達。それにシロの中には含まれていないかもしれないが、自分にはさらにシリウス、オスマンタス、二人の王子に王妃様、ホーリィ、ルナス、イズム、ミスラルと、両手両足でも数え切れないほどの知り合いが出来てしまった。


「そうだな」


 ここに来なければ会わなかったであろう出会いの多さに、改めて考えると気が眩みそうになる。じっくりと考えれば、実に不思議なものである。そんな事実を深々と噛み締めて、鉄兵はしみじみと頷いた。


「そろそろ、俺がいなくても大丈夫かね」


 何気ない一言。だが、それは巣立ちを計る親鳥の一鳴きを思わせた。


 この世の誰にも負けないほどの力を持ちながらも、シロは未だ絶対的な鉄兵の保護者である。


 不意に告げられた言葉で自覚したが、鉄兵にとって、シロはその手の中にいるだけで安心できてしまう存在であった。


 元の世界でも親の加護の元に暮らしていたが、異世界に来てまでモラトリアムをしている自分の環境の良さには絶句してしまう。


 だが、それは最初から期限付きと宣告されていたもので、いつまでも甘えていいものではないし、引き伸ばす行為はお互いのためにならないだろう。


 雛鳥は、いつか一人で羽ばたかねばならぬものである。


 そして鉄兵は、シロは一人が好きだと言う事を知っている。それにシロは竜人で、いつまでも一人の人間の加護に携わっているわけにはいかないのだ。


 故にシロを思うなら、ここでシロを開放するのが最良であろう。


 けれども、鉄兵にはまだその覚悟ができていなかった。シロと別れるのはまだ不安で、まだ惜しかった。


 だから、鉄兵は自分の心の思うままに、素直な言葉を口にする事にした。


「まだ、いて欲しいかな」


「そうかい」


 それっきり、言葉は無い。


 前を行く影法師だけが、静かに二人に付き従う。


 鮮やかな橙色を映し出す夕暮れの下では心が穏やかになり過ぎて、なにも考えずに過ごしたくなる。


 しかし鉄兵には一つだけシロに聞くべき問いを持っていて、それは今を逃すと永遠に聞けない気がしていた。


 しばしの沈黙の後、名残惜しく夕焼け空を眺めた鉄兵は、シロに話しかけた。


「ねえ、シロ」


「ん? なんだ?」


「シロがルナスを無視するのは、例の噂が原因なのか?」


 それは、イズムの作業場で過ごす午後の間中、ずっと気になっていたことだった。


 シロは、ルナスが目の前にいるのにも関わらず、誰もそこにいないかのように扱っていたのだ。


 思えば、城の中庭でルナスが現れた時も、シロはルナスに対して興味がなさそうな態度を取っていた。その時はあまり気に留めていなかったのだが、今にして思えばそれも不自然なものであった。


 実のところを言えば、鉄兵はルナスの事情に関して、どうでも良い事だと思っている。なにやら事情がありそうだが、今のところ鉄兵にとってルナスはただの常識的な奇人としてカテゴライズされており、割と話しやすい奴という認識でしかない。


 なので、知りもしない噂の影響で町の人達がルナスにどんな態度を取ろうとも、少ないながらも彼の苦悩を垣間見た鉄兵としては惑わされずにいようと思っていた。シロがあんな態度を取らなければ。


 シロまでもが町の人達に準ずる態度を取る事に、鉄兵は非常に強い違和感を感じていた。シロも人の子である以上、偏見により差別する事はあるだろう。だが、シロの態度は、非常にシロらしくないと鉄兵には感じられたのだ。だからこそ、鉄兵はシロに直接問う事にしたのだ。


「いや、違うぜ」


 そして返ってきた答えは、非常にあっけらかんとしたものだった。その余りのあっさり感に、割と覚悟をして訊ねた鉄兵は拍子抜けを通り越し、昭和ギャグのようにズッコケてしまいそうになった。


「ようテツよ」


 そんな鉄兵に、シロがニッと笑いかける。その笑顔は


「情けは人のためならずってな。人が困ってたら助けてやれよ」


 後は背を向け先を進むばかりであった。


 背を向けたシロから伸びる影法師は大きく、その背中はさらに大きく感じた。


 結局何も分からなかった。だが、それで良いのだろう。


 訊ねれば答えが返ってくるものでもない。それが人と人との関わりというものだ。


 しかし直接的な答えが無くともそれはそれで答えである。


 少なくとも、シロの大きな背中を見て、鉄兵はそう思えた。

今回の話についての詳細は明日辺りに活動報告にて。


次回ようやく一日の終わり。早く遊びパート書きたいなぁ……。ってとこで酒宴でのなんちゃって政治話です。それなりにご期待を~。



お詫び:

感想の返事が滞ってしまって申し訳ございません。作者の都合により今回から更新の次の日にまとめて返事させていただこうと思います。


お知らせ:

web拍手を目次限定で常設しようと思います。こちらに関しては基本返事を返しませんので些事やら匿名意見やらあればこちらまで。


告知:

「作業部屋」始めました。

少し前から自分の作業状況を「作業部屋」と称して作品として晒しています。ネタバレになりますので閲覧は推奨しませんが、あらすじ部分で更新状況を告知してますので「更新遅いんじゃね?」と思ったらそちらにてチェックしてくださいませ。

あと暇なら校正作業にお付き合いを。突発的に始めましたが感想にて指摘いただき今回は非常に助かりました。ありがと~!

なお、校正作業にお付き合い頂いた方について前書きにてSpecial Thanksとして紹介させていただきましたが嫌でしたら速攻で消しますのでなにがしらかの手段でご連絡を!(感想とかメッセージとかweb拍手とかでお願いします。


2011/12/16:指摘頂いた誤字修正

鉄兵は[城]の笑顔に一つの事象を想起した

→鉄兵は[シロ]の笑顔に一つの事象を想起した


2011/12/18:指摘頂いた誤字修正

だが、しかし軽い[ジョブ]程度の軽口であったその言葉には

→だが、しかし軽い[ジャブ]程度の軽口であったその言葉には


確か元の世界で[確か]実家の

→ 確か元の世界で[]実家の


少し[]惑ってしまう。

→ 少し[戸惑って]しまう。


好奇心に満ちた表情を浮かべるミスラルを[]限り

→好奇心に満ちた表情を浮かべるミスラルを[見る]限り


茶が飲みたかったからシロを[よんだ]のか

→ 茶が飲みたかったからシロを[呼んだ]のか


2012/01/31:指摘いただいた誤字修正

[城]の言葉

→[シロ]の言葉


2012/7/17:指摘いただいた誤字・表現修正

紅茶の[匂い]

→紅茶の[香り]


貯まりに貯まって

→溜まりに溜まって


お[前]らで言うところの

→お[主]らで言うところの


信じきぬほどに

→信じき[れ]ぬほどに


[ゆえ]にわしには意思はなく

→[故]にわしには意思はなく


お主等の役に立ちたいと思っておる[]

→お主等の役に立ちたいと思っておる[だけじゃ]


[ゆえ]にわしはわしの欲するまま

→[故]にわしはわしの欲するまま

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