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衝突

 交わった武器を挟んでシロの顔が見える。いつだって余裕を残していたシロの表情は、しかし今はそこになかった。あるのはただ 射抜かんばかりの鋭い視線。今まで見せた事も無いような冷酷な表情のみである。


 走馬灯、というわけではないだろう。だが、こんな状況だと言うのに脳裏に浮かぶイメージは最初に会った時のあの川原でのニッと笑うシロの笑顔で、今目の前に見えるシロの表情との余りの違いに目が眩み、思わず萎えて崩れ落ちそうになってしまう。


 なぜ、自分は今、シロと武器を交わしているのだろう。


 なぜ、シロは今、自分をあんな目で見ているのだろう。


 そんな疑問が止め処なく溢れてくる。


 溢れるものがあれば失うものもあるもので、疑問と引き換えに喪失していったのは、目の前で起きている事態に対しての現実味であった。


 まるで現実感の無い光景。だから放心して何も感じないのかと言えばそうではなく、疑問の溢れ尽きた先に湧き上がって来たものは強い恐怖心であった。


 自分の知っているシロを失った恐怖心。確かにそれもある。だが、普段なら心のウェイトの少なからぬ割合を占めるであろうそんな恐怖心も、今はそれを上回る別種の恐怖に追いやられ、軽々と飲み干されてしまっていた。


 圧倒的な質と量で鉄兵の心を覆い尽くしている巨大な恐怖心の正体。それは、死への恐怖である。


 生存本能が身を打ち震わす。真剣に対峙して初めて理解したが、シロは人の形をしているものの、人などとはまるで異質な存在であった。まるで地震や台風のようなものであろうか。一人の人間の力で敵うはずの無い災厄。人知の及ばぬ圧倒的な暴力が人間の形を取って具現化したもの。それがシロの本質のように思えた。


 そんなものが自分に狙いを定め、刃を向けている。その事実を認識するだけで身は震え、心は凍え、ただ生きたいという生存本能のみが激しく暴れまわる。


 客観的に考えて、それでも力においてシロに勝っているだろうと鉄兵には思えた。


 だが、それと同時にそんな事実に意味が無い事を、鉄兵は今いやと言うほど思い知らされているところであった。


 例えるなら、巨象と獅子の戦いであろうか。


 圧倒的な体躯と力を持った巨像と百獣の王である獅子。その両者が本気で戦えば、最終的には巨象が勝つだろう。


 しかし、それがもし戦う意思を持たぬ巨象ならば、荒ぶる獅子に勝てる道理などないだろう。


 鉄兵は、まさに戦う意思を持たぬ巨象である。


 鉄兵は小中高校と剣道を習っていた。ゆえに戦う術も覚悟も身に着けている。だが、逆に言えば、本気を出せば人を殺してしまう技術も覚悟もあったゆえ、それゆえに理由が無い限り自らの力を振るおうなど考えもしなかったのだ。


 ましてや今の鉄兵は研究者であり、その本質は学徒なのである。理由無き争いなど考えもつかぬ事であり、知識の求道とは真逆に位置するそれは、鉄兵にとって真に忌避するものであるものでもあった。


 リルやアルテナ達の時は、それでもまだ戦う理由があり、実際に戦う事が出来た。


 だが、今目の前にいる自分に襲い掛かってきた敵はシロである。恩も義理も友情も溢れんばかりにある相手に、なぜ理由もなく戦う事など出来るだろうか。


 今の状況は、本当に殺されるかもしれないという恐怖を纏ったものである。


 だが、そんな究極の理由でさえ、本当に死を覚悟する瞬間まで戦う理由にはなりえないかったのだ。それが、平和ボケした鉄兵という存在である。それが、彼の真実の姿なのである。


 とはいえ、そんな大層な理由を付けずとも、シロはリルやアルテナ達を遥かに凌ぐ強敵である。ただその矢面に立たされただけで今まで感じた事が無いような圧迫感が鉄兵を押し込め、生への執着を根こそぎ奪っていっているのも事実である。


 鉄兵の理性は自分の死を予感させていた。


 だが、シロに襲い掛かられて自分の思考を一から確認して結論を出した理性であっても、それを上回るほどに生存本能というものは強かなものであった。


 不意に芽生えた生存本能は、そんな鉄兵の前提さえも押し込めて、生きる事に執着を見せる。ゆえに本能が思考を支配し始めた鉄兵が取った行動とは、ただひたすらに戦う理由を求める事であった。


 戦う理由さえあれば戦える、だからなぜこうなったのか、恐怖に震えながらも暴れまわる生存本能が、生存を賭けてその理由を必死に探し回る。


 だが、ここまでの事はほんのわずかな一瞬の出来事であり、その刹那の時間の中で鉄兵には解答までにたどり着く事はなかった。


「テツよ。お前さん、わかっているのかい?」


 永遠とも思えた一瞬。その先で不意にシロが口を開いた。


 その口から漏れた言葉に、ふっと鉄兵の内から恐怖心が消えた。


 その声が冗談めかしていたというわけではない。口調こそいつもと同じであるものの、シロの声は冷酷であり、過ちを攻めるような威が含まれている。


 だが、シロは言葉を喋り、口調は同じであった。それはシロが理性を失っているというわけではなく、相手は理性を失った獣ではないと言う証明である。そして話した内容は非難めいているが、その内容からシロの行動は理由があるものだと理解できる。ならば、その理由さえ知る事が出来れば、未だ武力か知力かどちらになるか定まらぬものの、解決への道があると言えるだろう。


「なにが……だよ!」


 だから、鉄兵は感情のままにシロの鉄傘を振り払った。今は、ひたすらに情報が欲しい。ゆえに鉄兵は間合いを取ってシロから情報を聞き出したかった。


 攻撃を弾かれたシロが後ずさり、間合いを取る。何の構えも無いその姿でさえシロは微塵の隙も見せてないが、すぐさま襲い掛かってくるような気配も無い。それが最初から予定されていたものなのか、それとも鉄兵の行動の結果なのかそれは分からない。だが、この小康状態は鉄兵にとって貴重なものであった。


 シロが再び口を開く。


「世間じゃ俺とお前は互角に戦えるって事になってるって事さ」


 それは、鉄兵の闘志を根こそぎ奪う言葉であった。今まで絶望と生への執着に向かっていた感情は逆方向に突き抜け、ただ申し訳無さのみが鉄兵の胸に残る。


 鉄兵の頭の回転が速い。ましてやそれまでが危機的状況であったため、その情報処理能力は最大にまで上がっている。ゆえに、それからシロが言うだろう台詞は全て見当がついたし、それは大体の意味において当たっていた。


「謙遜したいならすればいいさ。ただし、自分にしか迷惑がかからない範囲でな。

 だがな、お前さんは俺と互角に戦えるって事になっている。そんな奴に自分が弱いと言われちまえば、こいつは俺達竜人族の名誉に関わるって事さ」


 これは、いつぞやの件の焼き直しである。あの時はイスマイルの助言で回避することが出来た。だが、今回は助言は無く深い考えもせず、何も気がつかないままに自分でこの状況を招いてしまったのである。同じ間違いを二度は繰り返さないと先日誓ったばかりだというのにこの有り様だ。本当に情けなくなってしまう。


 が、そんな鉄兵の悔恨も意に介さず、シロの言葉は続く。


「俺は、俺達竜人族の誇りをかけてお前さんが俺と互角だと認めた。

 そりゃそうさ。実際にお前さんは俺と互角に戦えるんだからな。

 だがテツよ。お前さんはそんな事実はいらねぇと言った。

 なら、その看板は遠慮なく剥がさせて貰うぜ」


 そしてシロは鉄傘を構え、鉄兵に襲い掛かってきた。


 どうしていいものか分からず、鉄兵はひたすらシロの攻撃を凌ぎ続ける。さすが800年もの間、大陸を巡回して紛争を収め続けた者というべきだろう。シロの攻撃は非常に的確であり、受ける事は出来ても、決してかわす事は出来ないものであった。


 素早く重い一撃。その攻撃を受けるたびに鉄兵は地面に足を軽くめり込ませ、地響きのように地面を揺らした。これは鉄兵が相手だからその程度で済んでいるが、もしこれが普通の人間族や、例え巨人族であったとしてもその衝撃を受け流しきる事は出来ずに一撃の下に吹き飛ぶほどのものだろう。


 そんな、全てが必殺の威力を持つ攻撃を防ぎつつ、鉄兵は思考を巡らせる。


 これは、シロが持つ正当な権利を行使した結果である。意識をしていなかったとはいえ、鉄兵はシロを軽んじてしまった。それがこの現状なのだ。


 シロは、これまで大した義理も無いというのに、ただ鉄兵の立場が良くなる様に傍にいてくれた。だが、だからといってシロは鉄兵をどこまでも甘やかす保護者というわけではないのだ。


 譲れない誇りというものは誰にでもあるものだろう。


 そして鉄兵はシロの名誉。ひいては竜人族というシロが属する共同体の名誉にまでいつの間にか入り込んでしまっており、それを今、汚してしまったのだ。


 シロは、鉄兵なら大丈夫だろうと思い、自分と互角という名誉を鉄兵に分け与えた。だが、シロは判断を誤り、鉄兵は間違いを犯した。鉄兵はシロの眼鏡に叶わぬ行為をしてしまい、シロは自らの行動によってその過ちを正そうとしている。それが先ほどのシロの一言で鉄兵が導き出したこの騒動の本質である。


 竜人族はその圧倒的な強さにより大陸を半ば強制的に平和に治めている種族である。その竜人族をも凌駕する人間族が自分が弱いなどと言い出したら一体どうなる事だろうか?


 その答えは、竜人族の軽視傾向の助長であり、新たな戦いの火種である。それは竜人族にとって決して見逃す事ができぬ問題であり、その火種を潰すには強さを示すしかないのである。


 ゆえにシロは鉄兵に襲い掛かり、火消しを始めた。鉄兵はこの問題にどう収拾をつけていいかわからず、ひたすらシロの攻撃を受け続けていた。


 この問題を解決するにはどうしたらいいだろうか?


 解決の方法は、その実非常にシンプルである。すなわち、この戦いに勝つか負けるか、それとも引き分けるか。その三択しか存在しない。


 だが、どれが正解であるか今の鉄兵には判断できず、苛立ちのみが重くつのる。


「ああもう! クソ!」


 決断できぬ苛立ち紛れに鉄兵はシロを攻撃した。八つ当たりのような何気ない一撃。だがしかし、その攻撃に対するシロの反応は過敏なものだった。


 不意の鉄兵の攻撃を、シロは十分に受ける余裕があったというのに、なぜか慌てて飛びのき間合いを取った。その余りの慌てようは、この緊迫した場面だと言うのに思わず鉄兵が間抜け面を見せてしまったほどである。


 何とはなしにシロと目が合う。すると、シロは少しだけ罰の悪そうな表情を見せた。


 その表情でピンと来た。シロがどんな結末を欲しているのかを。この争いにおける正解の選択肢を。


 それはある意味、鉄兵にとって重い事実であった。だが、そうと分かればもはや迷う事は何も無かった。


「悪いシロ。シロより強いって看板、やっぱり俺にくれないか?」


 鉄兵は挑発するように構えを解き、間合いを開けたシロに向かって言い放った。


「そうかい。だが今更そう簡単にはくれてやれねえな。

 欲しいなら、力尽くで奪ってみな」


 傍目には不敵な笑顔に見える表情を浮かべたシロ。だが、その目にはいつも通りの飄々とした親しみがこもっており、鉄兵は自分の考えが間違えていない事を確信した。


「それじゃ遠慮なく」


 口元に笑みを浮かべ、胸を張って言い放つ。


 鉄兵はこの問題に終止符を打つべく剣を構えた。

2011/3/1:指摘いただいた誤字修正

「まるで自信や台風のようなものであろうか」

→「まるで地震や台風のようなものであろうか」


「今目の前に見える白の表情と」

→「今目の前に見えるシロの表情と」

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