月の光に恋歌を 番外編5 『初恋 から騒ぎ』PDFで表示縦書き表示RDF


月の光に恋歌を 番外編5 『初恋 から騒ぎ』
作:きつねこぶた


 項貴国に静かな春の宵が訪れた。
 都でも一、二の規模を誇る翠家の本邸。
 若い新婚の夫婦は一日の仕事を終え、就寝までのくつろぎを楽しんでいた。
 甘い蜜月を楽しむ二人には、どんなことでも薔薇色に見えるほど。
 でも時にはちょっとした棘によって、心傷つけられることもあったのだが――。



「麗華様の初恋の人って、どんな方なんですか」
 ことの起こりは、その無邪気な質問から始まった。
 つい最近麗華のところに仕えることになった――というか、お仕えしたいと押しかけてきた下女 美耶が、単なる好奇心で問いかけてきたのだ。
 首をかしげる翠家の若奥方 麗華に、美耶は続ける。
「今、けっこうみんなの間で、そんな話題が出るんですよ。初恋の人ってどんな人だったのかって」
 みんなとは、使用人たちの間で、ということだろう。
 わたしも聞かれちゃったんですよ、とはしゃぐ彼女に、うーんと麗華は考え込んだ。
「やあね、美耶。そんなのに興味あるわけ?」
 横でくつろいでいた麗華の夫 凰 龍焔が茶化す。
「この子の初恋なんて、決ってるじゃない、あたしに」
「え?」
「あら、そうなんですか、麗華様」
「……」
 何て言うべきか、麗華は困った。
(ちゃんと結婚を意識したのは、もちろん龍焔様が初めてだけど……)
 美耶の聞いているのは、初恋。
 彼に会うまでの十五年間、一度もそういうときめきを持ったことがないように思われるのは、ちょっと悔しいものがあった。
 龍焔は、余裕の笑みを浮かべて続ける。
「そうよ。大体この子が、あたし以外の誰に心を奪われるっていうわけ? あたしと出会ったときなんて、ほんと女の子なの、あんた、って言いたくなるぐらいの格好だったしね。恋を経験した女の子っていうのは、もっとこう綺麗になってるものよ」
 麗華の顔色が、少し変わった。
 二人とも彼女の変化には気付かずに盛り上がってしまう。
「えー、それ、ほんとですか、龍焔様」
「そうよ、あんたにも見せたかったわ」
 にやりと笑う龍焔に、麗華はそばにある水差しをぶっかけてやりたい気になった。
(何よ何よ何よっ! そこまで言わなくたっていいじゃないっ)
 確かに彼と出会ったとき、自分はとんでもない格好だった。
 でもしかたなかったのだ。
 山賊と一戦交えて、道にも迷い、やっと見つけた小さな泉には落っこちるし――。
「そんな子が、どこの誰に恋をするっていうわけ? 恋する乙女ってのはね、いくら普段はお転婆でも、その時だけは可愛くなるものよ。それなのにこの子ったら――あたしと出会って、やっと少しは女の子らしくなったってとこかしらね」
「そういう龍焔様の初恋は、どんな方だったんですか」
 美耶の罪のない質問に、麗華の心は突然ズキンとなった。
(龍焔様の、初恋の人……)
 くすくす笑いながら、龍焔は答える。
「美耶ったら、そんなの知りたいわけ?」
「だあって興味ありますよ。龍焔様、かっこいいもの。さぞ素敵な姫君と恋を経験されたんじゃないかしらって――ね、麗華様」
「え? え、ええ」
 複雑な顔で、麗華は答えた。
 胸の奥がずきずきと疼いて、声を出すのも何故か苦しくなる。
「ね、初めて接吻された姫は? どんな方だったんですか?」
「え? 初めての接吻って……」
 今度は龍焔の顔が、さっと変わる。
 なにやら難しい表情で、彼は一瞬瞳を閉じた。
(龍焔様?)
「どうされました、龍焔様?」
 麗華も美耶も、突然の彼の表情に首をかしげる。
 なにやら考え込んでいた龍焔は、はっと顔をあげた。
「え? ああ、別になんでもないって。それよりそうねえ、あたしの初恋かあ。一体どれかしらね」
「そんなにたくさんの方と、恋に落ちられたのですか」
「ま、まあね」
 わざとらしく微笑み、彼は曖昧に答える。
「ぜひ聞かせてくださいな。いいでしょう?」
「……」
 無言で答えない彼に、麗華もあることを思い出し、背筋が寒くなった。
(まさか龍焔様の今までの恋のお相手って――)
 想像したら、思わず頭はくらくらと眩暈を起こす。
 自分が龍焔と会ったときにも、彼は恋の真っ最中。
 しかしその相手というのは――女の子ではなかった……。
 さすがの龍焔も具体的な答えは返さず、笑って、教えない、と舌を出す。
「えーっ、ひどいですよ、龍焔様、教えてくださいよ」
「駄目。こういうのはね、自分の心の奥深くに、思い出としてきちんとしまっておくものなのよ」
「そうなんですかあ」
 納得いかなげな美耶の矛先が、麗華に向いた。
「じゃあ、麗華様は? やっぱり龍焔様が初恋の方だったんですか」
 麗華は、さっきぼろぼろに言われた仕返しを仕返しをしてやりたくなる。
(何よ、あたしだって、恋の一つぐらいあるわ)
「ううん、あたしの初恋は、龍焔様と会う前よ」
「ええっ、本当に? じゃあ初めての接吻も、その方と?」
「え……うん」
 龍焔がどんな顔をしてるかしら、と麗華は気になりながらも答えた。
 彼の方を伺い見ると、さっと読みかけの書に顔を隠している。
(ちょっとは妬いてくれたかな)
 彼は、実はかなり嫉妬深いことを、麗華はよく知っていた。
 でも龍焔の表情からは、何もわからない。
 少しがっかりしながら、彼女は明るく、もう下に戻りなさいな、と美耶に言い、話を終わりにした。



 二人きりになると、沈黙が続いた。
 麗華はため息をつき、鏡の前に座る。
 今日も一日が終わり、あとはもう少ししたら寝るだけだ。
 髪をほぐして梳かすと、着替えようと寝室に入る。
(ちょっと早いけど、もう休もうかな)
 麗華は、彼が気に入ってる薄桃色の寝衣を手に取った。
 着替えようと帯をほどくと、背後から突然ぎゅっと抱きしめられる。
 いつの間にか、彼が入ってきていたのだ。
「龍焔様」
「……怒ったの?」
「え?」
「さっきあたしが、あんなこと言ったから――あんた怒ったわけ? そうでしょ?」
「……」
「だからあんな嘘、言ったんでしょ?」
「嘘?」
「あたしの前に、あんたが好きになった人がいるって――」
 彼の声が震えているのを感じ、麗華は胸がどきどきした。
(やだ、龍焔様ったら)
 やっぱり気にしてくれてるんだ。
 そう思うと、体中が熱くなった。
「ねえ、そうなんでしょ?」
「……」
「それとも、本当にいたの?」
「……うん」
 麗華は迷ったが、嘘をつけなくて、うなずいた。
「そう」
 悲しそうにつぶやくと、龍焔は手を離す。
「龍焔様?」
「今日は、あっちで寝るわ。目を通したい書がたまってるし」
(ええっ)
 彼の拒否反応に、今度は麗華の方があせった。
「ちょっとっ、龍焔様、あの、その、あたしのこと、嫌いになっちゃったの?」
「馬鹿ね、そんなわけないでしょ」
 彼は笑って、彼女をこずく。
「あんたにもそんな過去があったって当たり前じゃない。世の中には、男はあたしだけじゃないんだし」
「……」
「ましてあんたは後宮に上がってて、たくさん素敵な若君と交流してたわけだしね。気になる男の一人や二人、いたっておかしくないでしょ」
(後宮では、男の人なんかと会えるわけないんだけど……)
 思わず突っ込みそうになったが、彼女は言葉を引っ込めた。
 寂しそうな彼の笑顔に、麗華は胸が痛くなる。
(傷つけちゃったかな。どうしよう)
 龍焔が背を向けて、去っていこうとしたとき、彼女は背後からぎゅっと抱きついた。
「やだ」
「……麗華」
「行かないで、行っちゃ嫌っ」
「あんたねえ」
「お願い、あたしの言葉は取り消すから――ね、行かないで、今夜も一緒に休んで」
「それじゃあ、どっちが嘘か、わからないじゃない」
「……」
「そんな顔しない。とにかく今日は、一人で休むわ。考えたいこともあるし」
 いいわね、と強い口調で言われ、すがりついた麗華の手は宙に留まった。
 龍焔は彼女を残し、寝室の扉を閉めて、出て行ってしまった。



 一人寝台に横になりながら、麗華の心は揺れていた。
 龍焔の態度がどうしても気になる。
(龍焔様、やっぱり怒っちゃったんだわ)
 自分だけを愛していると思っていた姫に、忘れられない男がいるなんて――。
(そういえば龍焔様、初めて接吻した姫のこと聞かれて、変な顔してたわね)
 眠れずに、麗華は寝台から起き上がる。
(きっと男の人じゃない。女の子だわ)
 直感でそう感じ、麗華も胸が苦しくなった。
 どんな少女だったのだろう。
 彼が初めての想いを捧げた姫は――。
 相手に、そういう思い人がいたと感じるほど、心の中はせつない感情で満ちていく。
 過去のことだと――気にする必要はないと思っても、どうしてもこのもやもやは止まらない。
(そんなの、あたしだって良い気持ちじゃないわ)
 彼だってきっとそうだろう。
 今頃、枕に顔をうずめ、何を考えているのだろうか。
 こんな気持ちのまま、二人別々に夜を過ごして、明日の朝、笑って挨拶が出来るのか――いつものように。
(どうしよう。このままじゃきっと……)
 このまま休んではいけないと感じ、麗華は寝台を降りて、寝室を出て行った。



 麗華の寝室から自分の寝所に戻った龍焔は、そのまま寝台に寝転ぶ。
 心は当然のごとく嵐が吹き荒れ、おだやかではなかった。
(わかってる。あの子だって、過去に好きな男の一人や二人、いたっておかしくないわよ。候家の姫だし、まして後宮に――)
 彼はよく知っていた。
 麗華が、皇帝陛下に想われていたことを。
 都に来て、翠家の跡取りとして彼は殿上し、陛下にお目通りした。
 そのとき皇帝陛下が、自分に向けた視線がどんなものだったのか、痛いほどよくわかっている。
(まだ陛下は麗華のことを――)
 本当なら、自らの手で幸せにしたかった姫なのに。
 自分には出来ないことを成してしまった――愛する姫の心を奪い取った男に対する多少の嫉妬、そして寂しい心情を、ひしひしと感じたのだ。
 陛下には剣の試合も挑まれた。
 お相手したときの陛下は、いつものおだやかな陛下とは、まるで違っていた。
「龍焔、わたしを負かせ! いいな!」
 そう言うなり、皇帝は彼に本気で挑んできた。
 何度か打ち合い、戸惑う彼に、斎陽帝は震える声で叫ぶ。
「本気で来い。わたしを皇帝と思うな。手加減などしたら許さん」
「陛下」
「お前が本当に、わたしよりあれを幸せに出来る男か証明してみせろ。さもなくばわたしは――」
 その言葉に、龍焔はこの勝負の意味を知った。
 男と男の、愛する姫への想いをかけた真剣勝負。
 斎陽帝にとっては、今だに恋慕う姫を思い切るためのもの。
 さもなくば、の後の言葉を考え、彼は背筋がぞっとした。
 麗華の夫としてふさわしくないと判断されたら、二人は引き離されるかもしれない。
 皇帝には、それだけの権がある。
(嫌! 絶対にあの子は譲らないわ!)
 龍焔の瞳に、激しい闘志がみなぎった。
 彼は凄まじい反撃に出て、あっという間に斎陽帝の剣を弾き飛ばしてしまう。
 後半の龍焔の勢いに、斎陽帝は驚き、油断した。
 膝をつき、肩で息をしながら一礼する龍焔に、心静まった瞳を向ける。
「立ってくれ。この勝負、わたしの負けだな」
「陛下」
 手を差し出され、龍焔は戸惑いながらも、その手を取った。
「見事だったぞ。お前とは、良い友になれそうだ」
「そんな陛下……友などと」
「麗華がそうだったよ。あれは後宮において、身分などというものは、まったくこだわる性格じゃなかった。今でもそうなのだろう?」
「はい」
「わたしも彼女の考え方には賛同するよ。まして今、宮中には、わたしと同い年の貴族の若君などいないからな」
「……」
「わたしの友になってくれるな、龍焔。そしてあれを――幸せにしてやってくれ」
「陛下」
「わたしは何度も麗華に救われたのだ。彼女だけは、どうしても幸せになってもらいたい。約束してくれ、龍焔。彼女を幸せにすると」
「……」
「君になら、彼女を託せる。どうだ? わたしに誓ってくれるか」
「はい」
 龍焔は真剣に答えた。
「わが名にかけて、お誓い申し上げます。麗華姫は、わたしが生涯かけて、幸せにしてみせます」
「ありがとう」
 澄んだ笑顔で、斎陽帝は彼の手を強く握る。
 龍焔も艶やかな微笑みを返し――その時から二人は国の主と臣下の域を超え、心通わせる仲になった。
 今では龍焔は、殿上人の中で一番陛下に近く、政もそうだが皇帝の私生活においても、強い支えとなっている。
 彼自身も、皇帝陛下は命を賭して仕えるに値する君主として、心から慕う存在になっていた。
 その人柄を知れば知るほど、思いは高まっていく。
 己の主が深い優しさと強い意志を持つことを感じ、とても惹かれていくのだ。
 男として十分認めるに値する人――そう思うがゆえに、今、激しく心が騒ぐ。
(後宮は男子禁制の場所。そんなところに幼い頃からいた麗華だもの。男と接する機会なんて――皇帝陛下だけか)
 だとしたら、やはりそうなのだろうか。
 彼女も皇帝陛下のことを――。
(以前聞いたときには、違うって言ったけど)
 兄のようにしか思えなかったと、彼女は自分の腕の中で話してくれた。
 でも。
(あの子……本当は、あのとき一緒に後宮にいた親友の姫に、陛下を譲って遠慮して――)
 麗華の過去を、龍焔は知っていた。
 都に来てからは、更にあちこちから情報も入る。
(あんたの初めての接吻も、皇帝陛下が……?)
 胸が痛い。
 そんなことは、あってもおかしくないこと。
 自分の胸の痛みは、皇帝陛下に対する嫉妬だと彼にはわかっていた。
(馬鹿ね。今、麗華の心はあたしのものなのよ。さっきだって――)
 行かないでと言った麗華のことを思い出し、龍焔はため息をつく。
(あたしって本当に駄目なのよね。こんなことで動揺しちゃって)
 きっと麗華は、かなり傷ついただろう。
 些細な事で動揺し、小さな嫉妬で彼女を傷つけてしまった。
 ますます自分に嫌気がさし、龍焔は他のことに考えを向ける。
(そういえば――)
 自分が初めて接吻した相手の事を思い出した。
(まあったく、不意打ちだったわよね。避ける隙もなかったわ)
 まさか彼女が、あそこでああ出るとは思いもしなかったのだ。
(あたしも子どもだったし、油断したわ。といっても、あっちの方が、あたしより年下だったけどさ)
 淡い思い出を脳裏によみがえらせ、ふふっと笑みを漏らした彼は、静かに開いた扉に、はっと身構えた。
「誰っ」
 横に潜ませた剣をつかんで、扉の方を睨む。
「……龍焔様」
 か細い声に、彼はふっと腕の力を緩めた。
「あんたなの?」
 愛しい少女の声にほっとして、彼は剣を横に置く。
「まったくなあに? 寝こみを襲うなんてあぶないわよ」
 わざと茶化すと、麗華は寝台に近づいてきて、しょんぼりとつぶやく。
「龍焔様、やっぱり……一緒に寝ちゃ駄目?」
「……」
「眠れないの。気になって――さっきはごめんなさい」
「何がよ。あんたがあやまることじゃないでしょ」
 龍焔は息を吐き、しょうがないわねえ、と笑ってみせた。
「ほら、来なさい」
 寝台の右端を空けてやると、麗華はそっと滑り込む。
 少女の震える体を抱きしめると、優しく接吻した。
 彼女の甘い息遣いが、先ほどまでの彼の心の苛立ちを静めていく。
(たとえ過去がどうあれ、あんたは今、あたしのものだわ)
 体中に愛しさがみなぎり、龍焔は麗華抱く腕に力を込めた。
「あのね、龍焔様」
「なあに」
「あたし――あたしもね、あれから考えたの」
「何を?」
「あなたの初恋の姫のこと」
 龍焔は愛撫をやめ、目を丸くする。
「あたしの初恋の相手?」
「うん、さっき美耶に聞かれたとき、龍焔様、ちょっと考え込んだでしょ。それを思い出して――」
(あんたもあたしのように、心揺らして悩んでいたの?)
 龍焔は腕の中で目を潤ませている少女を、十分に愛らしいと感じた。
(可愛いこと。あたしの事、こんな風に気にしてくれるなんて)
 くすっと満足そうに笑みをこぼし、彼は返事を返す。
「あんたが正直に言ったから、あたしも白状してあげようかしら。初恋の姫のこと」
 苦しそうに瞳を揺らす麗華の髪を撫でながら、彼は話を続けた。
「でも、今思えば複雑よねえ。あれを初恋というのかどうなのか――初めて接吻をかわした相手ではあるけどさ。あの時彼女を好きだったから、そうなったんじゃないしね」
「え?」
「向こうから突然されちゃったのよ。もう驚いたのなんのって」
 ふふっと笑いながら、龍焔は言った。
「ねえ、こうなったらいっそ秘密にしないで、お互いの初恋のこと、話してしまわない?」
 その方がすっきりすると思うし、とつぶやく麗華に、龍焔はうなずく。
「いいわよ、じゃ、あんたから」
「あのね、あたしのは、確か六歳のとき」
「六歳? あんたって、随分ませてたのね」
 あきれて龍焔は、声をあげる。
「うん。それでね、あたし後宮に入ってたんだけど、お母様が病気って聞いて、どうしても会いたくて、後宮を飛び出しちゃったの」
「あんたらしいわね。そんな小さい頃からとんでもないことしでかすなんて」
「もう、いいじゃない。それでね、後宮を出たのはいいけど、あたし、町の道なんてわかんなくて……迷っちゃったの。たくさん歩いたら疲れちゃって――ほら、龍焔様も知ってるでしょ。あの真っ直ぐ行ったら、市場に続く道。あそこの曲がり角のところで、座り込んじゃったのよ」
「あの角で、ですって?」
 龍焔の顔色が瞬時に変わる。
 麗華は不思議そうに小首をかしげながら続けた。
「そしたらね、がらの悪そうな男たちに囲まれちゃって――危機一発ってときに、とっても素敵な若君が現れて助けてくれたの。男たちを、あっという間になぎ倒して」
「……」
「それから若君は、家に帰りたくて困ってるあたしに、とっても親切にしてくれたの。あたし、本当の名前も何にも教えられなかったけど――もしかして、警邏に連れて行かれて、また後宮に戻されちゃうかもしれないと思ったから――あたしのこと守ってくれて、お家に帰る道まで探して、送ってくれたの。あたし、とても嬉しかった。その若君に何かお礼をしたいって思ったんだけど、子どもだし何にも持ってないし、それでね」
 恥ずかしそうにしながら、麗華は告白する。
「大好きです、って言って……接吻しちゃったの。若君はびっくりしてたけど――あたし、お母様にね、好きな男の人に大好きですってするものなんだって聞いてたから」
「……」
「でもね、あたし、すごく恥ずかしくなって、そのままお家に走っていっちゃって――それきり彼とは、もう会えなかった。でもあたしの心の中では、とっても素敵な思い出なのよ――って、ごめんなさい。もちろん龍焔様の方がずっとずっと好きなんだけど」
 あわてて言い繕う彼女の言葉に、龍焔は噴出した。
「もうあんたったら。いいわよ、余計な気を使わなくても」
 それにしても驚いたわ、と彼はつぶやく。
「え? 何が?」
「――そうよね、そういうことだったのね。あーあ、あたしも全然気付かなかったわ」
 そう言うと、龍焔は麗華の髪に触れる。
「この髪、そして蒼い瞳――そうよ、同じだわ」
「龍焔様?」
「ましてあんなことしでかすなんて、あんたぐらいのもんでしょうね。貴族の姫君の中では」
 くすくす笑いながら、一人納得している彼に、麗華は憮然とした。
(もう、何かそんなに可笑しいのよ)
「さ、今度は龍焔様の番よ」
 早く、と催促する彼女に、龍焔はいたずらっぽく聞き返す。
「ねえ、一つ聞くけど、その若君の容姿って覚えてる?」
「もちろん覚えてるわよ。黒い髪に、綺麗な紫の目をしてたわ。それにとっても顔立ちも整ってて――龍焔様みたいに」
「あたしみたいに?」
「……もう、何笑ってるのよ!」
 麗華がぷっとふくれると、龍焔はますます可笑しそうに笑いながら言った。
「あーあ、あたし、自分で自分に嫉妬してたんだわ。馬鹿みたい」
「え?」
 けげんそうな表情の麗華を、優しい彼のまなざしが包む。
 龍焔は、彼女の髪を撫でながら、甘い声でささやいた。
「あたしが初めて接吻した相手のこと、聞きたい?」
「……うん」
「あれはね、あたしが九歳のときだったわ。父上に連れられて、都に来たのよ」
「龍焔様が都に?」
「そうよ、あちこちめずらしいでしょ。だから宿から出て、散策してたら――」
 思わせぶりな彼の口調に、麗華は目を瞬かせる。
「どこかの小さな姫がね、いかにも人買いみたいな奴らに捕まってるじゃない。見捨てられなくて、思わず助けちゃったのよ」
 彼の言葉が耳に入るや否や、麗華は驚きで、目を大きく見開いた。
(まさか……それって……)
「その子、いくら聞いても行きたいとこがあるってだけで、名前も言わなきゃ、家の名も言わない。警邏になんて行きたくないって駄々こねるしね、ほんと困ったわ」
「……」
「拾っちゃったものは仕方ないし、一人でほっとくわけにもいかないでしょ。で、なんとか彼女の行きたいとこを探してあげて、これで別れられると思ったら――いきなり抱きついてきて、好きですって言われて、接吻されちゃったのよね」
「……迷惑だった? そのとき」
 震えながらの質問に、龍焔は軽く微笑む。
「さあね。突然だったから――でも最初は確かに嫌だったわよ。だって初めての接吻だったもの。あんなふうに奪われるなんて、思ってなかったし」
「……」
「散々こっちを引っかき回して、唇まで奪われて――あたしも子どもだったから、しばらく腹立ててたわ。その姫にね」
「そうだったの」
「でも不思議よね。いくつになっても、あのときのことだけは頭から消えなかったわ。そのあと女装を始めて、他の若君に心惹かれるようになっても、あの時のことだけは、何故が忘れられなくて――子どものころの甘い思い出の一つとして、あたしの心の奥に大事にしまってあったのよ」
 まさかあんただったとはね、と彼はくすくす笑いながら、彼女を優しく抱き寄せる。
「運命って不思議よね。こんなところでつながるなんて」
「そうかも。あたしも、ずっとその若君のこと忘れられなくて――綺羅にも告白されたんだけど、お兄様みたいにしか思ってないことがすぐにわかったの」
「そうだったの?」
「あの若君への思いと、綺羅への思いは違ってて、それで……」
 恥じらいながらつぶやく麗華に、愛しい想いを込めて、龍焔は接吻を贈った。
「今度はあたしが、あんたにしてあげるわ。あのときのお返しよ」
 何倍にでもして返すからね、とささやくと、彼は頬を染めた麗華に覆いかぶさり、愛撫を再開させた。
 先ほどまでとは違う愛しさが高まっていく。
「愛してるわ、麗華」
「あたしも……大好き」
 麗華は甘い声で答えると、彼の愛撫に身をまかせた。
「あのね、あたし、今、すごく嬉しいわ。あのときの若君が龍焔様で」
「可愛いこと言ってくれるわね。あたしもあんたで良かったわ、あのお姫様が」
(たまにはこんなすれ違いもいいかも。あとでこうやって、もっと近づけるんなら――)
 頭の片隅でそう思いながら、麗華は彼の優しい腕に溺れ、我を忘れる。
 ――二人の甘い夜が、始まろうとしていた。


                  ――終わり――


 《後書き》

 こんにちは。きつねこぶたです。
 この短編は、ムーンライトノベルズに投稿しています『月の光に恋歌を』の番外編です。
 本編をお読みでない方には、何がなんだかわからないと思いますが、番外編なのでご容赦くださいませ。

 それにしても――美耶ちゃんを殴り倒したいと思ったのは、わたしだけではないはずだ!
 いや現実、甘い新婚初期の夫婦に面とむかって、こんな爆弾質問をする使用人なんて、そういないことでしょう。
 ありえない展開ですが、二人の心に波をたてるため、美耶ちゃんにちょっかいを出してもらいました。(そうしないとお話になりませんし)
 書きたかったのは、二人が過去、出会っていたのだという事と、龍焔様と皇帝陛下の麗華姫をかけた勝負です。
 二人の出会いは、番外編『初恋』に書いてあります。
 当初の予定では、この二人は生涯、互いに幼い頃の出会いを知らないままでいるつもりでおりました。(読者の方だけ知ってるぞ、という方が面白いかと思いまして)
 でも二人がこのことを知ったときのエピソードが読みたいというご意見もありまして、創り上げた作品です。
 元々新婚さんだから、最後は結局甘く終わりました。(これって許容範囲ですよね。18禁に触れないぐらいの……大丈夫かな)
 最後までご一読、どうもありがとうございました。


                 きつねこぶた拝
 













ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




◆BACK
小説家になろう