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とある攻略者と団員の関係


 【攻略者ルーキー・ベルルフの奮闘/仕事熱心な迷宮運送業者ホブ雷の営業】

 [時間軸:二百二十日~くらいの話]



 薄暗くかび臭い湿気た洞窟の中に、まだ十代半ばだろう一人の少年が居た。

 身に纏うのは質素な麻の衣服と、その上から装備している草臥れた革鎧と革のブーツ。

 腰には細々とした物を入れる革のウエストポーチがあり、その手にはやや刃毀れしたショートソードが握られている。


 武装した姿から、少年は戦いを生業とする冒険者かそれに類する職業についていると分かるだろう。

 そしてそういった職業について間もない事も、一目でよく分かったに違いない。


 そんな少年の眼前には、一体の敵がいた。

 敵は薄暗い洞窟を好んで棲家とする習性から、一般的に“洞窟小鬼マインゴブリン”と呼ばれるゴブリンの一種だ。

 黄色く汚れた乱杭歯をむき出しにし、少年を威嚇しているマインゴブリンの手には、木の柄に鋭利な石を括りつけた不格好な斧のようなモノが握られている。

 もし少年が油断すれば、マインゴブリンは即座にそれで殺そうとしてくるだろう。

 向けられる殺意と怒気に気圧されながらも、少年は歯を食いしばり、身体を動かした。


「セヤッ!」


 少年は平坦ではない洞窟を出来る限り全力で走り、マインゴブリンに向けてショートソードを振り下ろした。

 袈裟懸けに振り下ろされたショートソードの斬撃は、非常に拙いモノだった。

 単純な筋力不足によるものか、あるいは鍛錬不足によるものかはさておき、何処かギコチなく、速度も威力も大した事はない。

 もちろん素人とは比べモノにならないとは言え、戦いを職業としているモノからすれば児戯に等しいだろう。

 だが我流ではなく誰かに教わっていると分かるだけの型にはなっており、それなりに理にかなった動きをしていた。

 その為目の前にいる、集団ではなく単体として対峙したマインゴブリン程度ならば、十分通じる一撃だった。


「ギキャキャッ」


 マインゴブリンは斧を使って防ごうとするが、勢いを完全に止める事はできず、押し込まれて肩を切られた。

 傷口からは鮮血が散り、苦悶の声が響く。

 致命傷になるような怪我ではないが、どうしても動きは鈍り、即座に繰り出された少年の追撃によって頸部を切断され、息絶える。

 僅かの間だけ肉体は立ったままだったが、それもゆっくりと倒れていった。

 しばらく残心して周囲の安全を確認した少年――ベルルフは、そこでようやくほっと息を吐きだした。


「ふぅー……緊張したぁ」


「お疲れ様です、ベルルフ様。だいぶ戦い慣れてきたようですね。最初の頃のようなヘタレっぷりとは、雲泥の差ですよ」


 緊張を解いたベルルフは、背後から声をかけられた。

 それは知っている人物の声である為、ベルルフはやや複雑そうな表情を浮かべながら振り返る。


「そう言ってもらえると嬉しいですけど、ホブ雷さんみたいになるには、まだまだ遠そうですよ。男として、情けない話ですけどね」


 ベルルフの視線の先には、先端部に分厚いナイフを取り付けた大型のクロスボウのような何かと大量に物を入れられる“収納のバックパック”を背負い、数本のナイフを腰に装着し、黒骨で造られた特徴的な外装鎧を装備した中鬼ホブゴブリンが居た。

 性別は女。比較的整った容姿をしており、美人というよりは可愛らしいと表現するのが的確だろう。

 そんなホブゴブリンは柔和な笑みを浮かべ、周囲の空気を和ませる独特な魅力を持っているが、その戦闘能力はベルルフとは比べモノにならないほど高い。

 先ほどベルルフが倒したマインゴブリンも、本来は数体の群れを形成していたのだが、その大半はホブ雷が狩猟した程である。

 まだまだ自身は未熟であると自覚していても、やはり男であるベルルフは種族は違えど女であるホブ雷に大きく負けている事に悔しさと、少し違った感情を抱いているようだが、それはさて置き。


 ベルルフと比べて明らかに実力差のあるホブ雷だが、ベルルフの同行人ではあるものの苦楽を共にしていくパーティメンバーという訳では無いし、同じ冒険者組合クランに所属しているから同行しているという訳でもない。


 ホブ雷はベルルフが適正な金銭を最近本格的に営業し始めた総合商会≪戦に備えよパラベラム≫二号店に支払う事で雇った、新進気鋭の【迷宮運送業者ダンジョン・シェルパ】である。

 資金に余裕のないベルルフが雇うのは少々お高い存在なのだが、しかしそのデメリットを飲んでも雇ってよかったと思うだけのメリットが存在した。

 田舎から迷宮都市≪パーガトリ≫にやって来たばかりのベルルフにとって、金で雇い雇われる関係ではあるものの、それだけにホブ雷は裏切る事の無い信頼できる仲間であり、また戦闘技術を叩き込んでくれる頼れる教官であり、何より惚れてしまった相手だからだ。

 異種族とはいえ、ベルルフにとっては故郷にいたどんな異性よりもホブ雷は魅力的だった。

 一目会った時に身体中を貫いた衝撃は、思い出すだけでベルルフの心身を震わせる。


 つまりは、一目惚れである。


「ベルルフ様は筋がいい方ですし、何より度胸とやる気がありますから、死なない限りは強くなれますよ」


「そう言ってもらえると、何だか嬉しいですね。見ててくださいよ、もっともっと強くなってみせますから!」


「ふふ、頼もしいですね。商会ウチでは戦闘訓練もやってますから、暇な時があれば受講してみるのもいいかもしれませんね。なんて話している間にドロップアイテムの回収は済みましたけど、次はどうしましょうか?」


「それじゃ、先に進みましょうか。もっと沢山殺してドロップアイテムを集めないと、ホブ雷さんを雇う資金が尽きてしまう。ホブ雷さんは同期の奴らにも人気ですから、少しでも頑張らないとですね!」


「あら、ふふふ。真っ直ぐ前を向いて頑張る男の子って、素敵だと思いますよ」


 まるで鮮やかに咲いた花のようなホブ雷の微笑を見て、ベルルフの鼓動は早くなった。

 頬には朱が浮かび、心臓は五月蝿いくらい拍動し、活発に血液を繰り出している。

 だがそんなベルルフを他所に、ホブ雷の目はすっと細まり、その表情は真剣なモノに一変した。

 それを見て、ベルルフも緩んだ精神を引き締める。


「……どうやら新手のようですね。数は五頭、足音からしてマインウルフだと思われます」


「マインウルフか……ちょっと厄介そうですが、おし、やりますかッ」


 ベルルフは自身の両頬を叩いて気合を入れると、正眼に構えた。

 先ほどの戦闘による疲れからか、手に馴染み始めているショートソードが普段よりも僅かに重く感じられた。

 しかし生死がかかっているのだから甘ったれた事は言えるはずもなく、一度ゆっくりと深呼吸する事で無駄な力みを解し、敵を殺す戦意を全身に漲らせる。


 そんなベルルフの数歩後ろで、ホブ雷は背負っていた大型のクロスボウらしきモノを前に回し、それを両手で構えた。

 長い筒状の金属に取っ手や水筒のようなモノなどを取り付けたそれはまるで大型の水鉄砲か、あるいは銃剣バヨネットを装着した小銃ライフルと酷似している。

 全長は八十センチ程とそれなりに長く、小柄なホブ雷では両手で扱う必要があった。


 ベルルフは知る由も無い事だが、ホブ雷の武器はパラべラムが製造した新装備の一つである【骨杭射小銃ボーンネイルガン】というマジックアイテムで、人造魔銃とでも言うべき代物だ。


 鹵獲された場合の技術漏洩を防ぐ為に分体という安全装置が組み込まれたボーンネイルガンは、ドワーフ達が精製した鋼鉄、ブラックスケルトン・コマンダーの黒骨、微量なミスラルなどの魔法金属、そして数種の精霊石を混ぜ合わせて出来上がった魔法合金によって構成されている。

 その為見た目通りに頑丈で、見た目よりも遥かに軽い。ある種の鈍器として扱っても滅多に壊れる事はなく、ベルルフが持つショートソード程度では傷一つ付ける事はできないだろう。


 そして人造魔銃なのだから、主な攻撃法は銃撃である。

 使用する弾丸は材料の一つであるブラックスケルトン・コマンダーの能力により銃身内で生成される黒骨の杭だが、その他にも分体コーティングを施し追尾性能を付加した骨杭、通常時は骨杭を高速で撃ち出す役割を果たす為に配合された風精石や雷精石による風雷撃弾など、色々と種類が存在している。

 団員なら誰が持ってもほとんど同じ性能を発揮し、構造的に特殊な訓練を必要としない為、生まれたてのゴブリンなどでも運用法次第で驚異的な戦果を叩き出せる兵器である。


 実際、先の王国内戦でも局地的ながら大いに活躍したシロモノだった。


 クロスボウよりも攻撃力や攻撃速度が優れているだけでも驚異的でありながら、弾幕による面制圧を可能にし、しかも数百メルトル先まで射程とするこれはこれまでに無い革命的な兵器なのだ

 無論【英勇】など一部例外や、ある程度以上の存在には通じないが、それでもある程度までの相手ならば圧倒できる、と証明済みだ。


 一部例外を除けば、これを制式採用した軍隊こそが最強として君臨できるのは間違いない。


「思ったよりも速いみたいですね」


 そう言って、ホブ雷は片膝を地面についてボーンネイルガンを構えた。

 所謂、膝撃ちニーリングと呼ばれる姿勢である。


「ですが、この程度なら問題もないですね」


 そしてボーンネイルガンに標準装備されている環孔照門ピープサイトを覗くホブ雷の瞳は暗闇を遠くまで見透し、高速で迫ってきているマインウルフ達の姿を確かに捉えた。

 カナ美ちゃんを頂点とする遠距離攻撃部隊≪リグレット≫に所属しているホブ雷からすれば、光源の乏しい洞窟の先からやって来る黒い体毛のマインウルフ達がどれ程速く走ろうとも驚異ではない。


 例え壁を走ろうとも百発百中であり、たかが五頭程度、ホブ雷からすれば一呼吸の間に殲滅する事など造作もない。


 それは血反吐を吐き、死にたくなる程厳しい地獄期間ヘルウィークを乗り越えた者達が持つ、実力に裏付けされた事実である。


 とはいえ、ホブ雷が全滅させてしまっては雇い主であるベルルフが成長する機会を奪う事になる。

 あくまでも仕事はベルルフのサポートをする事なので、狙いを急所である額から動きを封じられる四肢に変更した。


「とりあえず先制して足を削りますので、その隙に止めを刺してください」


「分かりました、お願いします」


 必要な言葉を交わし、ホブ雷はボーンネイルガンのトリガーを引いた。

 プシュプシュ、とまるで空気が抜けるような独特な音と共に高速で撃ち出された骨杭は、正確に迫ってきていた五頭全ての両前足に命中した。

 金属鎧すら穿つ骨杭はマインウルフの毛皮や筋肉を吹き飛ばし、硬い骨を貫通する。

 両前足に風穴が空くほどの痛撃を受けたマインウルフ達は走る勢いのまま転倒するしかない。

 速度が速度だけに、マインウルフ達は数回もバウンドする事になった。全身を襲う強い衝撃だけでなく、鋭角な石の地面によって裂傷を負った箇所もある。

 黒い毛皮が、血で赤く汚れた。


「キャインッ!」


「うおおおおおッ!」


 転倒した隙に、ベルルフは走る。

 走る速度はそこそこで、瞬時に近づける訳ではないが、それでも事前に動き出していた事が有利に働いた。

 両前足を穿たれたマインウルフが動き出す前に距離を詰め、ショートソードを振るう事ができたのだ。

 戦技【斬撃スラッシュ】を乗せたそれは赤い軌道を残しつつ、先頭を走っていた一頭の頭部を唐竹割りにして屠ってみせる。


 これ以上ないと言わんばかりの、会心の一撃だった。


 一撃で殺せた事は予想外だったが、そこで止まらず、次なる獲物に向けてベルルフは左から右に奔る横一閃を繰り出した。

 だが、ベルルフ達が現在潜っている洞窟――派生迷宮【仄暗い洞窟】――に生息しているマインウルフ達は、外に居る個体よりも全てが強く逞しい。

 前足が使えないと判断するや、後ろ足だけで立ち上がり、跳躍して距離をとったのだ。


「ッ! もう一体いけると思ったんだけど、なッ!」


 その予想外の行動に、ベルルフ程度の腕では追撃する事はできない。

 横一閃されたショートソードが虚しく空を斬る。

 それだけならまだいいが、この時自身の攻撃の勢いに負けて、ベルルフの身体は僅かにだが横に流れてしまった。

 それによって行動の全てが遅延し、しかも逃げられた事で出来た意識の僅かな空白も加わって、見る者が見れば致命的な隙がそこに生じた。


 本能だけで生きてきたマインウルフがそれを逃す筈もなく、ベルルフの柔らかい喉を目掛け、先の飛び退いた個体とは別の個体が飛びかかる。

 その勢いは、瞬間的とはいえ四足時のそれと大差ないモノだった。今の体勢では、ショートソードで迎撃する余裕はない。

 口内に生え揃った牙は鋭く、どう考えてもベルルフの頸など一瞬で噛み千切られるだろう。

 確実な死をもたらすそれに対し、ベルルフは咄嗟に空いた左手の拳をその奥深くに突き入れた。

 恐怖心を押し殺して突き出された左拳は、何と肘の辺りまでズブリと飲み込まれる事となる。


 これ以上ないほど密着した状態になった為、当然ながらベルルフの腕や身体は牙や爪によって怪我を負うが、ダメージで言えばマインウルフの方が大きいのは間違いない。

 口内を直接殴られ、しかも気道が拳によって完全に塞がれているので呼吸もままならず、腕を噛み千切ろうにも構造的にこの状態では満足に力を入れられないマインウルフは、窒息死するまでの間地獄の苦しみを味わう事になった。

 もがく事で牙や爪によるダメージを与えられるが、それも弱々しくてベルルフに致命傷を負わせる事はできそうにない。


「痛いし重いしッ! でも邪魔だけど外す訳にもいかないから――ッ」


 マインウルフという余分な重しのせいでベルルフの動きは目に見えて悪くなるが、マインウルフが死ぬ前に腕を引き抜く訳にもいかない。

 それを知ってか知らずか、別の個体がベルルフを襲う。

 怪我によって前足は使えないので、左腕のマインウルフと同じく噛み付き攻撃である。

 今度は先ほどのような防御はできない為、迎撃しなければ死ぬだけだった。


「ッオオオオオオオオ!!」


 高速で迫る死に対し、ベルルフはショートソードの一撃を繰り出した。

 状況が状況だけに無我夢中で繰り出されたそれは、過去最速の一撃だっただろう。

 しかしそれでも間に合わない。捨て身で突っ込むマインウルフの方が速く、ベルルフの一撃は僅かに届かない。


(クソッ! このままじゃ――え?)


「ギャインッ!」


 何とか切り殺そうとしつつも、内心で諦めかけた次の瞬間、後方から飛んできた骨杭がマインウルフの両肩に殆ど同時に撃ち込まれた。

 その衝撃は凄まじく、マインウルフの勢いの大半を削ぎ落とし、上半身は跳ね上がって無防備な腹部を晒す。

 捨て身の攻撃を止められたマインウルフの運命は、直後に終わる事となる。

 

 戦技を使用したのか赤い燐光を宿したショートソードの剣尖が喉の柔らかい部分から体内に侵入し、深く切り込む。

 そしてまるで湖面を薙ぐように腹部まで切り裂き、脇から抜け出た。

 剣身はベッタリと血で赤く染まっていた。


 空中で開腹され、内圧と勢いによってドバっと溢れ出るのは生暖かく新鮮な内臓と夥しい量の鮮血。

 特徴的な血と内蔵の生々しい臭気に、ベルルフは思わず顔を顰めた。


 しかも裂けた胃から、消化しかけの人の手らしき肉塊が出てきた。それはベルルフ達と遭遇する前に誰かを食い殺してきた証拠だ。

 それも消化具合からして、然程時間は経過していないだろう。

 下手をすれば自身がこうなっていたのか、と顔を青くしつつ、窒息死寸前で動きも緩慢になってきた左腕をくわえ込んでいるマインウルフに止めを刺し、ベルルフは周囲にいる他の個体に目を向けた。


 三頭を殺したのなら、残るは二頭の筈だった。


 だが、戦いは既に終わっていた。

 四肢の関節部だけでなく、胴体や頸部にまで無数の骨杭を打ち込まれた二頭のマインウルフは、既に動けそうにない。

 まだ死んではいないようだが、それはあえて生かされているだけに過ぎなかった。

 二頭はただ止めを刺されるのを待つ、哀れな生贄なのだ。


 それを見下ろしながら、ベルルフはショートソードを二度振るう。

 上手く頸部を切り裂かれたマインウルフ達は、断末魔を残す事なく即死した。


 敵が全滅したのを確認した後、ベルルフは冷や汗を吹き出しながら片膝をついた。

 連戦による疲労もあるが、左腕を中心とした怪我による痛みのせいだ。

 牙と爪で身体の数箇所が抉られて、真っ赤な血が流れている。革鎧によって胴体の怪我はそこまで酷くはないが、口に突っ込んだ左腕の怪我はそれなりに深く、痛みのせいで感覚が曖昧になっていた。

 放置しては握力低下や慢性的な痺れなど、非常に厄介な後遺症が出てきそうだった。


「ぶはっ! はぁ……はぁ……くそ、痛いなぁ」


 早く応急手当をしようとベルルフが思っていると、ボーンネイルガンを担ぎ直したホブ雷が赤い液体を入れたやや細長い形状の小瓶を差し出した。


「よかったらこれ、使って下さい。ウチの新商品なんですけど一般的なモノよりもよく効きますから、その程度の怪我なら直ぐに治りますよ」


 その中に入っているのは、体力回復薬ライフポーションである。

 飲めば身体の損傷を癒してくれる、荒事の際には欠かせない魔法薬だった。


「あ、ありがとうございます。でも、いいんですか? 本当に」


「いえいえ、気にしないで下さい。それは試供品ですから、気兼ねなくどうぞ」


 可愛らしいホブ雷の微笑とその気遣いに口元を緩ませたベルルフは、受け取ったライフポーションをグイっと嚥下した。


「あ、凄く美味いですね、これ」


 ホブ雷が新商品だといって渡してくれたそれはやや甘く、市販されているものよりも飲みやすかった。

 しかも飲んだ途端に痛みは薄れ、出血も弱まっていた。ふと傷口を見れば、ゆっくりとではあるが塞がっていくのが分かる。

 市販のものよりも、確かに効果は高いらしい。

 これはいざという時の為に買っておいた方が安心できそうだ、いやまて値段は幾ら位だろうか、とベルルフが悩んでいると、ホブ雷はその悩みを察したのか教えてくれた。

 市販のモノよりも僅かに高いが、しかし高過ぎるという訳ではなく、その程度の増額でこれが手に入るのなら安いな、と思う額である。

 これは帰ったら買いに行こう、とベルルフは内心で決めたのだった。


 そんな考え中の百面相が面白かったのか、ホブ雷はクスリと笑う。

 それに気がつかないベルルフは、もし後から知れば何ともったいない、と悔しがったに違いない。


「それにしても、狼系の噛みつき攻撃の対処は教えましたけど、実戦でいきなり出来るとは思いませんでした。最善ではありませんでしたが、良かったとは思いますよ」


 好いた相手にそう言われて、ベルルフは慌てた。

 左拳を口に押し込んだ一頭はともかく、もう一頭はホブ雷の援護が無ければ死んでいた。だから決して褒められるような事はしていない、と思ったからだ。


「いや、あ、あれは、事前にホブ雷さんが教えてくれていたからですよ! それにあのタイミングで援護がなかったらと思うと、あのまま喰い殺されたのは確実です。いやほんと、ホブ雷さんを雇って良かったと心底思います。命の恩人、って事ですね!」


 両手で握り拳をつくり、熱く断言しながらグイグイと全身で近づいてくるベルルフに、ホブ雷は思わず後退した。

 直前に味わった死の恐怖によるものか、普段ではしないような積極的な行動により、両者の顔がグッと近づいていたからだ。

 それには流石のホブ雷も気圧されたらしい。


 そんなホブ雷の動きを見たベルルフははたと立ち止まり、自分の行動を振り返って、我に返った。

 第三者が居れば、ホブ雷に対してベルルフが強引に迫っているように見えたに違いない、と思ったのだ。


「す、すいません! 何だかちょっと、興奮し過ぎたみたいです」


「い、いえ、気にしないで下さい」


 何だか微妙な空気となり、しばしの沈黙。

 そんな空気を一新する為、先に言葉を発したのはホブ雷だった。


「それで、ですね。先の戦いを見た個人的な意見ではありますが、今のベルルフ様には盾があったらもっと安全にできたのではないでしょうか?」


 あからさまな話題変更だったが、ベルルフはそれに乗った。


「そう、ですね。確かに、この階層で戦って、何度か自分の盾が欲しいと思いました。でも、それなりの物は高いですからね。金が貯まるまではしばらくこのままで行こうと思いますが、ダメでしょうか?」


「ダメ、という訳ではありませんよ」


 先の攻撃も、盾さえあれば左腕を怪我する事は無かったかもしれない。その場合は戦闘が長引いた事も考えられるが、やはりまだまだ弱いベルルフには盾があった方が良いのは間違いないだろう。

 しかし盾も決して安いモノではない。

 比較的安い木造の盾でもダンジョンモンスターの攻撃を防ぐにはそれなりの質が必要で、相応の金銭が飛んでいく。

 粗悪品ならば即座に買えるが、粗悪品なので壊れやすい。すると破損した盾が凶器になる可能性が高く、自身の命を預けるモノに使いたいとは流石に思えない。


 宿代や治療費、ホブ雷の雇用費など優先すべき費用を考えれば、ベルルフが盾を購入するのはもう少し先になりそうだった。


「なら、ウチが格安で貸出してますから、それを利用してみてはいかがでしょうか? ベルルフ様はまだ貸出の条件を満たしていますから、自分に合う盾の下見と思って使えばいいと思います」


「あー、あれですか。確かに、ここでこれだけ苦戦するなら、先に進む事を考えて借りた方が良さそうですね。自前の盾を買うまでの繋ぎとして考えても、悪い話でもないですし」


 思案するベルルフに、ホブ雷は一つ提案した。

 それにベルルフは頷き、また思案し始める。


 総合商会≪パラベラム≫二号店は、ピンからキリまであるがそれなりに使える品質の武具の貸出を行っている。

 貸出すのは様々な戦場で鹵獲した量産品か、破損品を回収して拠点の【鍛冶師】達が練習台にして直した修復品、あるいは習作として製造した新品だ。

 団員達はこれよりも良質なモノが支給される為、あまり使う事がない代物ばかりである。


 これらは売ればそれなりの利益になるだろうが、将来を見据えて顧客獲得の為に投資しよう、というアポ朗トップの判断によって格安で貸出している。

 一応、様々な事情から貸し出すのは初心者か低レベルの者で、それなりの金を払って会員になるなど幾つか条件が設けられているが、最近では口コミもあって、徐々に規模が拡大していたりする。


 使われだしたのも、やはり一月銀貨五枚という武具としては格安である事と、破損した場合は破損品を持ち帰れば――この時偽物と入れ替えた場合は相応の代償を支払う必要があるらしい――別のに交換してくれる事が大きいだろう。

 資金不足で装備類に不安を抱えていた農民や平民上がりの貧乏人達からすれば、まさに救いだったのだ。

 レベルが上がったり、自前の装備を買えるだけの資金が貯まれば利用できなくなるが、無知によって悪徳武器屋から高値でゴミのような装備を買わされる心配が無く、信頼できるというのも大きい。


 ちなみに、貸出品を持ち逃げしようとした輩は忽然と姿を消した、などという噂もあるが、そもそも貸出品の持ち逃げは窃盗罪に該当するので、それを事前に戒める為のモノだと思われる。

 少なくとも、ベルルフの知人で消えた者は今のところ存在しない。


 それで、そんな便利な貸出をベルルフが使わなかったのには理由があり、これまではショートソードだけでどうにかなっていたからだ。

 どうにかなっていたのだから、少しでも消費を抑える為に使わなかったのも、変な事ではないだろう。

 だが潜る階層を深くし始めた現在は、先の戦闘のように盾があればと思い始めていた。

 怪我をし続けては回復薬代も馬鹿にならないし、傷口から変な病気に感染する事も考えられる。

 それになにより、痛い事が好きだという特殊性癖の持ち主でもないのだから、無傷でいられるのならばそれにこした事はないだろう。


「そう、ですね。今は借りてもっと下に挑戦した方が、良さそうですね」


 深い階層ほど難易度は高く、強敵ばかりである。

 しかしその分だけ得られる富は多くなる。ベルルフ一人では難しいが、ホブ雷を雇えば下の階層でも何とかやっていける。

 ここで盾を借りて深く潜るのと潜らない場合を考え、どちらが多くの利益を出すか思案し、答えは出た。

 必要な金の使いどころを間違えてはいけない、と思いながら、ベルルフは今後の資金繰りについて考えた。


「盾を借りる時は、一緒に選んでくれますか?」


「はい。その程度の事なら、喜んで」


 ベルルフはホブ雷と約束を交わし、ライフポーションによって怪我が治るまでゆっくり休むと、再び攻略を開始した。

 ダンジョンモンスターの強さを考え、今日一日は焦らずじっくりと安全に攻略を続け、両名は夕方頃に外に出る事となる。



 ■ △ ■



 迷宮の外に出ると見る事ができる夕焼けに染まった都市の風景は、何処にでもありながら掛け替えのないモノのように思えた。

 夕日に照らされながら多くの人々が行き交う様は迷宮内で常に凝り固まっていた緊張を解し、周囲から漂ってくる食欲を刺激する匂いは生きる活力を沸き上がらせる。


 グギュルルル、と腹が鳴った。

 ジュルリ、と涎が垂れそうになる。

 クワッ、と焼かれる肉を目が追った。

 スゥーーー、と鼻が広がって匂いを嗅ぎとる。


 疲れた身体は栄養を欲するが、しかし今は我慢の時だった。

 ベルルフはありとあらゆる誘惑に抗い続け、目的地である≪総合統括機関ギルド≫に到着した時には精神的な疲労によって身体が非常に重かった。

 それに苦笑いしつつホブ雷が精算所に今日一日で集めたドロップアイテムを出し、受付の男性職員に精算してもらう。


 しばしの待ち時間が過ぎ、男性職員によって総額が提示される。


 今回の総額は、収納系のマジックアイテムが無ければ到底持ち帰れなかっただろう大量のドロップアイテムの単価が潜る階層が深くなった事で上昇し、しかも今回は運良く宝箱を発見出来た事もあって、過去最高のモノとなった


 ただし、満額が手に入る訳ではない。


 ホブ雷を雇う基本料金は銀貨十枚――もしくは銀板一枚――だが、これは前払いする必要があり、既に支払いは終わっている。


 しかし今回のように戦闘レクチャーなどのオプション代で、総額の三割を支払わなければならない。

 痛いと言えば確かに痛い額だが、普通のパーティを組んでいる時よりも利益はあるので文句は言えない。


 というのも、パーティが二人組ペアなら取り分は一人四割で、残る二割はパーティで使う備品を購入する資金となる場合が多い。

 それが今回は、七割がベルルフの取り分として残る事になる。

 ホブ雷を雇う基本料金の事を考えれば多すぎるという訳では無いが、それでも今回の攻略により、ギリギリだった生活に多少の余裕が出る纏まった金が手元に入った。


 これならば、という事でギルドを出たベルルフはパラべラム二号店に向かい、そこで今回の追加料金を支払い終え、そのまま約束通りにホブ雷と一緒に盾を選んで借りた。

 借りた盾は、所々を鋼鉄で補強した一般的な木のラウンドシールドである。

 取り回しが比較的簡単であり、多少乱暴に扱っても壊れないらしいので、今のベルルフには最適だ。

 その他にも、新商品だというライフポーションを一瓶購入した。本当は数本買いたかったのだが、残っていたのは最後の一瓶だったのだ。

 あとは雑貨類を購入した。他の店に行かなくても、ある程度の商品が揃っているここは非常に便利なのだ。

 買い物が終わった後には重かった財布もかなり軽くなっていたが、いい買い物だったと満足そうに笑みを浮かべている。

 また金を貯めて来ようと思いつつ、必要な買い物は終わったので出入り口に向かった。

 そしてドアを開けたホブ雷が、ベルルフに頭を下げた。


「ベルルフ様、今日もお疲れ様でした。ではまた四日後の早朝、お待ちしております」


「はい、お疲れ様でした。次回はもう少し奥に進みたいので、今回のようにお願いしますね」


 ベルルフとしては連日ホブ雷と一緒に潜りたいと思っているが、既に予約が入っていたので断念するしかなかった。資金面での問題もあるが、それはともかく。

 仕方なく最短で入れる日付に予約し、それまでは一人で迷宮に挑戦したり、同期の攻略者から気のあうパーティメンバーを探すなどして時間を使う予定だ。

 

 男子三日会わざれば刮目して見よ、という言葉もある。

 成長した姿をホブ雷に見てもらうため、ベルルフは涙ぐましい努力をするつもりだったのだ。


 それが報われるかどうかはともかく、ベルルフはホブ雷に見送られ、長期宿泊している宿に向かって帰っていった。



 ■ ◇ ■



 そして日は過ぎ、予約当日の早朝。

 やって来た総合商会≪パラベラム≫二号店内にて、以前よりも多少は良くなった武具を身に纏ったベルルフは、呆気にとられていた。


「あ……あれ? え?」


「おはようございます、ベルルフ様。今日もいい攻略日和ですね」


 ベルルフの目の前には、ホブ雷が使用していたボーンネイルガンを大型化した重厚で独特な形状のマジックアイテム――銃身内に施条ライフリングを施すなど多くの手が加えられた、正式名称【骨杭射突撃銃ボーンネイルアサルトライフル】というボーンネイルガンの強化版――を背負い、非常に高級でいて実用性とデザイン性を兼ね備えた強化外装鎧を装備した、笑みを浮かべる半鬼人ハーフロードの女性が居た。


 スラリと伸びた四肢は女としての柔らかさを残しつつも鍛えられた美しい筋肉を備え、力強さと同時に健全な生物としての美が感じられる。

 身長は百七十程のベルルフよりも僅かに高く、聴く者を甘く蕩けさせる美声の持ち主だ。

 金糸のような髪は風に吹かれると、光を反射して美しく煌く。小麦色のムチムチとした柔肌は活発さと共に雌としての色香を漂わせ、胸の豊かな双丘は息を飲むほど魅力的である。

 額に埋まった青色の鬼珠オーブは蠱惑的な双眸と同じ色で、まるで第三の眼のようだ。その横に生える双角はやや小ぶりで、何だか可愛らしくすらある。

 その容姿はホブ雷の面影が伺えるものの、一目では全くの別人にしか見えなかった。


「え、と。ホブ雷さん、ですよ、ね?」


「はい、そうです。……ああ、この姿では初めて会いますね」


 赤面しながら自身に見惚れるベルルフに、照れくさそうに微笑みながらそう言う半鬼人は、短く何があったのか説明した。


「では、改めまして。以前の名はホブ雷、現在の名はクレ雷と申します。

 改名の理由は、ベルルフ様と攻略を終えたあの夜、運が良い事に【存在進化ランクアップ】して“半天眼鬼ハーフ・クレイアロード”となったからです」


 そう言われ、ベルルフは「な、なるほど」と納得しつつも、驚愕を隠せないでいた。

 人間以外の種族はレベルが上限に達すると、【存在進化】する事がある、というのはこの世界の常識だ。


 だが、実際に【存在進化】する個体は非常に稀である。

 ベルルフも十数年生きてきたが、実際に【存在進化】した存在を見るのはこれが初めてだ。

 もちろんベルルフが知らないだけで【存在進化】した個体を見ている可能性は迷宮都市という場所の関係上、大いにあるだろう。

 しかしその数は決して多くないはずだ。


 だがそんな稀な存在が目の前に居て、それも好意を寄せるヒトがそうなのだと知れば、まだまだ未熟なベルルフが驚く事も仕方ないといえるだろう。

 そして一通り驚いた後、元ホブ雷で現クレ雷の戦闘能力を思い出せば、やはり【存在進化】できるような存在は凄いのだな、という感想しか思い浮かばなかった。


「では、本日もよろしくお願いいたします」


「あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」


 攻略前に色々と衝撃を受けたベルルフだったが、その日の攻略はこれまでよりも深い階層に挑戦し、多額の収入を得る事となる。

 少しずつではあるが着実に、田舎者で何処にでもいるただの青年だったベルルフは一人前の攻略者へと成長していた。


 ベルルフの戦いは、これからもまだまだ続いていく事だろう。


 彼が今後どうなるかは、また別の話である。

 





 ■ 蛇足 ■




 攻略に向かったベルルフとクレ雷を見送る者がいた。

 パラべラムの従業員である、エルフの男女だ。


「流石クレ雷さん、あの客の心、ガッチリ掴んでるぜ」


 そう言うのはエルフの男だ。

 女性ならば目が離せない程の美形であるが、その顔には戦慄の感情が浮かんでいた。

 カタカタと僅かに震えるのは、決して寒さによるものではない。


「ですわね。流石は人気ナンバー1のクレ雷さん、客を掌で見事に転がしてますわ」


 両腕で自分を抱きながらそう言ったのは、エルフの女だ。

 コチラも男性なら目が離せない程の美形であるが、エルフの男と同じく、美貌に戦慄の感情を浮かべている。


 両者が何を意図し、何について戦慄しているかは、まあ、正確に語らない方がいいだろう。

 敢えて言うのならば、ベルルフにとって、知らなくてもいい事実というのは、多々あるという事だ。






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