子供達の戦い
【アルジェントは苦労する/オーロは鬼生を謳歌する】
[時間軸:二百三十日~くらいの話]
普段の習慣から、太陽が昇るよりもやや早い時間に自然と目が覚めた。
普段は清々しい目覚めになるのだが、昨夜は遅くまで訓練していたからか完全に疲労はとれていないらしく、やや身体が重い。それに頭もぼんやりと眠気に覆われている。
そのまま惚けていればまた眠ってしまいそうなので、一度大きく深呼吸すると共に身体を伸ばす事で眠気を飛ばし、その後にゆっくりと上体を起こした。
軽くて温かい羽毛毛布をのけると、途端に感じるのは寒さだった。吐く息は白く、今日も朝から冷え込んでいるのが分かる。
ぶるりと寒さに震え、まだ寝ていたいという思いが急速に強まるが、それに何とか抗い、かなり名残惜しいが暖かく柔らかいベッドから降りる。
簡単な構造で脱ぐのも履くのも簡単なスリッパを引っ掛け、冷えた空気に晒されながら部屋の中心にある机に向かった。
机の上には寝る前に用意していた各種装備が、分類ごとに整然と並んでいる。
今日着る衣服は、上下ともお父さんの糸から造られている。
デザインはシンプルで色も地味だが、素材が素材だけにかなり乱暴に扱ってもほとんど破れる事がないし、汗をかいても蒸れ難いので訓練や実戦の時には最適な衣服である。
寝巻きからそれに着替えた後は、胴体や膝や肘などの部位を護る軽金属鎧を装着していく。
これは【鍛冶師】であるエメリー義母さんが丹誠込めて造ってくれた防具で、ミスラルなど貴重な魔法金属の合金を大量に使って造られている。
魔法金属合金製なので非常に堅牢なのだが、素材の特性もあってその重量は革鎧よりも軽量かつ動きやすく、付加術との相性が抜群に優れている。
裏地には特殊な液体に漬けたお父さんの糸を丹念に丹念に編んだ特殊布が張り付けられているのだが、これによって激しく動いてもズレにくく、受けた衝撃もある程度なら吸収するように工夫が施されている逸品だ。
装着する度に家族の愛情を感じられて、どことなく落ち着くのは僕だけの秘密だ。
装着し終えたら爪先や靴底に金属を使って補強した戦闘用ブーツを履き、シッカリと解けないように靴紐を結ぶ。
ギュッ、と多少キツいぐらいが丁度いい。
これで多少激しく動いても解ける事はないだろう。
戦闘時には行動が少し遅延するだけで生死に関わるので、こういった些細な油断も普段から無くしておいた方がいい、と言われている。
一つ一つ確認しつつ、家族の愛情が詰まった防具を装備した後は、数は少ないが大切な副武装を身に付ける。
雷精石とミスラルの合金で出来た肉厚で大型の山刀の柄を握り、鞘から抜いて刃毀れが無いかを確認する。
普段から手入れは怠っていないので、刃毀れは見られない。綺麗なモノだ。これならモンスターの骨肉も纏めて両断できるだろう。
その次はお父さんから貰ったマジックアイテムの戦斧の状態を確認した。これも手入れを怠ってはいないので、問題は無さそうだった。
マチェットとタバルジンを鞘に納めた後は、マチェットの柄は右手が、タバルジンの柄は左手が握れるように、交差する形で腰に装着。
次いでナイトバイパーの皮を柄に巻いたボウィー・ナイフの状態を確認し、色々と役に立つ道具を入れた布袋と共に腰に吊るす。
身体を揺すって動きを確認したが、多少擦れたりして音はするものの、特に問題は無さそうだ。
その後は、派生迷宮のダンジョンボスを倒して手に入れたマジックアイテム【火力の腕輪】を左手に嵌める。
【火力の腕輪】はダンジョンボスを倒して入手した物だが、そこまで強力なマジックアイテムではない。装備すると多少攻撃力が上昇するという、有用ではあるが平凡な能力しか秘めていない。
お父さん達が所持し、扱うようなモノと比べれば宝石と石ころ程に違うだろう。
だけど、やはり自力で獲得したという事もあって、思い入れが強い。
これを装着するだけで、改めて心に決めた夢を再確認できる。
――憧れているお父さんに、少しでも追いつくのが僕の夢だ。
――それは果てしない夢だけど、何事も願い行動しなければ実現できない。
着替えと武装の装着が終わったら、脱いだ寝巻きを横にある洗濯物籠に入れていく。
こうしていれば、後でメイドさん達が回収して綺麗に洗濯してくれるからだ。
屋敷で働いてもらっているメイドさん達は優秀なので、今晩にはもう綺麗な状態になっているだろう。
さて、目的である朝の訓練をしに行くかとドアノブに手を伸ばしかけ、部屋の外から誰かが走ってくる音が聞こえた。
ドタドタと、まるで猛牛の突進のようにかなり慌ただしい。
それは止まる事なく、真っ直ぐコチラに向かってきているようだ。
経験に従い、ドアを開ける事は止めて速やかに二歩下がる。
その直後、誰かが走る音はドアを勢い良く開くモノに変わった。
バンッ! と高速で開かれたドアは鼻先を掠め、巻き起こした風で髪が揺れる。
もし下がらなかったら、ドアは鈍器となって僕を殴打したに違いない。
危なかった。
「おっはよーアルッ! 今日もいい日ねッ」
ドアを開けて部屋に入ってきたのは、やはりというかなんというか、オーロ姉だった。
相変わらず今日も元気一杯らしい。浮かべるのは非常にいい笑顔で、まるで太陽のように明るかった。
僕とオーロ姉は異母姉弟の関係だが、母親同士が姉妹という事もあり、普段から仲は良好だ。
身贔屓は多少あるものの、オーロ姉が笑っている姿は、素直に可愛いと思う。
だけど、僕は知っている。
こういう時のオーロ姉は、大概ろくな事を考えていないのだ。
「早速だけど、今日、私達で派生迷宮を攻略する事にしたからね! 朝ご飯を食べたらすぐに行くわよッ」
ほら、やっぱりだ。
いや、別に派生迷宮に挑戦するのは構わない。むしろ、望むところだ。
夢を叶える為には、弛まぬ努力と実戦が必要であると十二分に理解はしている。
だけど、挑むなら挑むで事前に言って欲しいと切に願う。
思いつきで行動するオーロ姉は計画に穴が多すぎるので、その穴埋めをするのは大抵僕だ。
穴埋めをするには相応の時間が必要なのに、こうも唐突に宣言され、行動に移されるとどうしても後手後手に回って忙しすぎる。
確か前回の思いつき行動時には食料が足らなくなったし、その前は回復薬や解毒薬が枯渇するという事もあった。
何とか乗り越えてきたが、それは十分な準備が出来ていれば回避できた問題ばかりだ。
ウチはかなり裕福なのだから準備は入念に行って欲しい、と事あるごとに僕が言ったとしても、それは仕方の無い事ではないだろうか。
まあ、我が道を行くオーロ姉にはいくら言ってもあまり意味はないんだけども。
「いいけど、そういうのはもう少し早めに言ってほしいな。準備とか、色々あるんだよ? オーロ姉の思いつきは、穴が多くて後々困るじゃないか。そうならないように、シッカリと準備する習慣をつけようよ」
「アル、お父さんも言ってたじゃない。臨機応変に対処できるだけの力を身につけろ、ってね! つまりはそういう事よッ。ほらほら、早くご飯に行くわよッ。時間は限られているんだからねッ」
だけど、意味が無いとは知りつつも言わねばならない事もある。
当然のようにサラッと流されてしまったが、まあ、言うのと言わないのでは多少何かが違うだろう、と思う事にして。
僕はオーロ姉によって手を引かれ、食堂に連行された。
あまりの勢いに半分以上身体が浮くような形で、僕は連行されたのだ。
僕と同じ【半人大鬼】であるオーロ姉は、外見からは想像できない程の怪力の持ち主だ。
一応抵抗できない事もないのだが、抵抗するとムキになるので大人しく従った。
本能で動く姉を持つ弟は、本当に苦労させられる宿命らしい。
そうこうして到着した食堂では、既に朝食が用意されていた。
焼きたてのふっくらとした柔らかいパン。
大きな肉や新鮮な野菜が沢山入った熱々のスープ。
外はこんがりと焼き、中は赤みを残したバロン牛のローストビーフ。
チーズや黒胡椒や塩漬けの肉などを絡ませたカルボナーラ。
ビッグコッコの産みたて卵を使ったスクランブルエッグ。
濃厚な味わいで人気なシャロン乳牛の搾りたて牛乳など。
どれもこれもオーロ姉自身が作ってくれたものだった。
というのも、オーロ姉と僕の母は【料理長】として現在も大森林の厨房で活躍している程の料理上手だ。
そんなフェリシア義母さんとアルマ母さんに仕込まれた僕とオーロ姉はそれなり以上に料理ができるのだが、特に適性があったのだろう、オーロ姉は暇な時にもよく作っているのでかなり料理が上手い。
いや、オーロ姉の数少ないまっとうな趣味と言っても過言ではない。
料理を作っている時は大人しいので、個人的には歓迎している。
それに、オーロ姉の料理はどれも美味しいのだ。
盛り付けも食欲をそそるし、食材の力が堪能出来るように工夫が凝らされている。
そんな朝食を食べているのは、僕とオーロ姉以外に何人か居たりする。
「うんめーなァッ姉鬼の飯はッ! 喰うのが止まんねーぜッ」
そう言い、パンをスープに浸したり、ローストビーフを一度に沢山食べているのは鬼若だ。
異母兄弟にして、元気一杯過ぎる可愛い弟。
最近はミノ吉叔父さん達について行っていたので顔を合わせるのは久しぶり――イヤーカフス経由でよく話はしているので関係は良好だ――だけど、脳筋というか実直というか、色々と本能のままにやらかしてくれるので、僕的にはオーロ姉に次ぐ悩みの種である。
いや、弟を助けるのは兄の仕事だとは思いますが、それでも自重して欲しいと思うのは仕方ないと思うのです。
「確かに、本当に美味い。一度手をつけると止まらなくなるなッ。ほら、イーラ、食わないなら俺が貰うぞ」
「あー! ダメそれ私のなのにッ。ちょ、本当に止めてよルッツ! やめ、やめて……ブチ殺すぞごらァッ!」
鬼若の言葉に頷きつつ、スプーンとフォークを用いた朝食争奪戦ガチバトルを繰り広げだしたのは今回同行する事になったガキ大将にガキ中将の二人である。
少し前は孤児として王都の裏路地を住処とし、あらゆる手段を使って生きてきた二人だけに飯に関しては容赦ない。
普段は温厚で気配り上手なイーラは、楽しみにとっておいたローストビーフをルッツに奪われた事で、一時的に凶暴化していた。
女は怒らせると怖いから気をつけろ、とお父さんにはよく言われているけど、納得の光景である。
そう一人思っている間に、ルッツの防御を掻い潜ったイーラのフォークがルッツ陣営にあるカルボナーラを高速で巻き取り、瞬時に略奪した。
その速度は感心する程で、根こそぎ持って行っている。
「あちょそれはやめ」
「ダーメ」
「のあーーーーーー!」
慌てて止めようとするルッツだが、時すでに遅し。
大きく開かれたイーラの口内に、カルボナーラは消失した。
モキュモキュ、と美味しそうに頬張る姿は大森林で見かけたリスを彷彿とさせて、可愛らしいと思う。
日々の疲れからか、僕はどうにもこうした可愛いモノが好きらしい。
「ほら、アル。イーラに見蕩れてないで、さっさと食べる! 冷えちゃうでしょッ」
「見蕩れてはいないけど、確かに、冷める前に食べないとね」
オーロ姉の言葉に促され、僕も食べる。
うん、やっぱりオーロ姉の料理は美味しいな。
満足な朝食を終えて、装備品に大きな漏れが無いかだけを確認した後、用意された骸骨蜘蛛に荷物を積み込んでいく。
これは王都を走らせているモノよりも踏破力や自衛力を強化し、内装を長時間乗っても疲れないようにした、限られた存在しか乗れない特別仕様の骸骨蜘蛛だ。
王都の外は雪が積もっているが、これさえあれば移動もあっという間に終わるだろう。
「それじゃ、気をつけてね。困った事があったら連絡してくるか、支部の皆に頼りなさい」
「ねーね、にーに、てらー」
出立しようとする僕達五名を見送るのは、ルベリア義母さんと可愛い妹のオプシーだった。
今更かもしれないが、僕やオーロ姉、鬼若には二人の可愛い妹が居る。
【錬金術師】であるスピネル義母さんを母とし、唯一【人間】である為まだ自力で歩いたりできないニコラ。
小さくプニプニとした身体は弱々しく、触れただけで壊してしまいそうだけど、だからこそ一層の愛情を注いでしまう可愛い妹。
最近は離れているので直接会っていないけど、声だけはよくかけている。
早く生身で会いたいものだ。
そしてもう一人の妹はここにいる、末っ子の【使徒鬼・亜種】であるオプシーだ。
オプシーは種族もそうだが、生まれた時から【宝石の神】と【冥獣の亜神】の【加護】を持っているので、家族の中では最もお父さんに近く、成長すれば兄弟姉妹の中で一番強くなるかもしれない力を秘めた凄い子だ。
そんなオプシーはルベリア義母さんの手を握り締め、空いた片手を振っていた。
産まれてからそれ程時間は過ぎていないけど、あのお父さんの血を受け継いでいるからか、既に一人で歩けるようにまで成長していた。
鬼人としては考えられない成長速度らしいが、それも僕達のようにある程度まで大きくなったら緩やかになっていくだろう。
それと肉体の成長にあわせて脳も発達しているのか、片言ながらも喋れるので、日々その可愛さに悶絶しているのは僕だけの秘密だ。
「はーい、行ってきますッ! 義母さんも寒いんだから、体調崩さないように気をつけてねッ。それとオプシーちゃん、ねーねがお土産もって帰ってくるから、楽しみにしててねー」
「あいー。ねーね、ぎゅー」
「ぎゅー」
ルベリア義母さんに笑顔でそう返し、オプシーを抱きしめるオーロ姉。
抱きしめられたオプシーは天使の笑みを浮かべ、抱きしめ返している。
その光景ににやけそうになり、思わず手で口元を抑えた。
ダメだ、僕の妹は凄く可愛い。
「どした、兄鬼?」
「大丈夫だ、問題ない」
心配そうに鬼若が訪ねるが、手で制し笑みを何とかして引っ込める。
兄たるもの、弟に緩みきった姿を晒す訳にはいかないだろう。
兄とは、下に頼りにされる存在であるべきだ。
「さて、それじゃ行ってきます。オプシーも、お土産楽しみに待ってるんだよ」
「あいー。にーに、まってゆ」
二度目の、天使の笑み。
思わずオーロ姉のように抱きしめたいと思ったが、グッと堪えて頭を撫でるだけに止める。
鬼若などがいなければ迷わず抱きしめていただろうが、やはり兄としての責任が、そんな軽率な行動を許してはくれないのだ。
何という事だろうか。何者にも捕らわれないオーロ姉の天然さがこんな時には羨ましい。
いや、あんな風にはとてもではないが僕には出来ないのは分かりきっている事であるが。
ともかく、名残惜しいが僕達は王都を出立した。
目標は、五名という一般的なパーティ編成で派生迷宮のダンジョンボスを駆逐する事だ。
■ □ ■
意気揚々と王都を出立し、骸骨蜘蛛によって瞬く間に迷宮都市≪パーガトリ≫に到着して、新しく作ったばかりの支部員によって諸々の手続きが省略されて、僕達が迷宮に潜ったのは既に数時間前の事になる。
今回潜ったのは【妖精の遊び場】と呼ばれる、ありふれた地下階層型の派生迷宮だ。
ここは階層毎に特性が異なり、植物が生い茂っていたり、水が流れていたり、荒野などが広がっている。
ただ極端に劣悪な環境――溶岩地帯や極寒地帯など――はないので、まあ、標準的な構造と言えるだろう。
それにここの主なダンジョンモンスターは妖精系である為、近接戦闘では比較的容易に倒せるモノが多い。
これは単純に、妖精という種族の多くが小さいからである。
もう少し難易度が高ければ上位の種族も出てくるのでそうでもないらしいが、少なくとも【妖精の遊び場】では最大でも百五十センチメルトルに届くか届かないかくらいである。
ただ肉体面が劣る分だけ発展した多種多様で強力な魔法の類は厄介だし、一度の戦闘で相手にする数が多いので油断は出来ないが、それでも今の僕達なら十分対処出来る範疇だった。
だけど、妖精は悪戯好きである為か、ここには罠の類が非常に多い。
特に現在地である、周囲に木々や植物が生い茂る森のような階層はよりその傾向が強い。
パッと探しただけでも、軽く数十は罠が設置されているようだ。
一つ一つはそこまで大した事はないのだが、気を付けないと、連鎖して発動する可能性が高い。
身動きがとれなくなった所に魔法を叩き込まれれば、流石に僕達でも危険である。
とはいえ、慎重に進めば怖くない。
イヤーカフスによって罠も感知できるので、馬鹿みたいに勢いだけで進んでいかなければどうという事もないのだが。
「ぐあっはっはっはっは! 弱い、弱い弱い弱い弱いぞぉぉぉおお!!」
身長は五十センチ程で、透き通る黄色い翅が特徴的な妖精――“電気妖精”が放った電撃を、鬼若は巨大な金砕棒の一振りで掻き消しながら吶喊した。
それを止める為に幾度も電撃が放たれるが、鬼若の進撃は止まらない。
駆け引きなど面倒だ、ただ近づいて叩き潰してやる。
そうとしか思えない行動は、味方としたら頼もしいし、敵としたら恐怖の対象だろう。
それはいい、それはいいのだが。
せめて場所を考えて欲しかった。
直進する鬼若は、案の定、草に隠されたスイッチを踏んだ。
カチリ、と小さく音が鳴った気がした。
「罠を考えろ、罠をッ」
そう大声で言いながら、鬼珠を開放。
手元に出現した白銀の弓に白銀のパルチザンを番え、即座に射出。
木の洞に内蔵されていた罠は毒矢を鬼若に向けて射出しようとしていたようだが、その前に射たパルチザンが毒矢どころか罠そのモノを粉砕し、勢い衰えずに木まで貫通した。
炸裂音と共に木片が周囲に飛び散る。
「おお、助かったぜ兄鬼! それじゃ俺も、オラァッ!」
そして吶喊した鬼若による、振り下ろしの剛打一閃。
距離を詰めた鬼若の金砕棒が、轟と唸りを上げながらサンダーフェアリーを捉えた。
小さなサンダーフェアリーが【上位大鬼】である鬼若の一撃に耐え切れるハズもなく、その肉体は一瞬で四散。
血煙が生じ、破片が散弾じみた勢いで飛散するというのは、中々衝撃的な光景である。
「さっすが鬼若ねッ。私も負けられないねッ」
鬼若の活躍に、オーロ姉が反応する。
そして担いだ魔砲の砲口を、サンダーフェアリーだけでなく、泥を操る“泥妖精”や粘土製のゴーレムを使役する“粘土妖精”などなど多数の妖精達が身を挺して隠し、守っている、遥か後方で着々と強力な魔法を練り上げているここでは数少ない大型の妖精――“森林大妖精”達に向けた。
その砲口内からは赤い燐光が溢れ出し、内部で急速に魔力が凝縮され、特定の属性に変化しているのがよく分かる。
凝縮されていく魔力は放たれる魔弾の威力を連想させ、実際にどうなるかよく知っている身からすればフォレストハイピクシー達が一撃で全滅させられる光景も目に浮かんでくる。
しかし待って欲しい。
今オーロ姉が造っている魔弾の属性はまず間違いなく炎熱系だ。
そう、炎熱である。
そして炎熱の魔弾といえば、水の中でも燃え続ける魔炎を広範囲に撒き散らす不鎮炎弾に違いない。
そして今回は一定時間魔力を過剰に込めている為、通常のそれよりも強力なモノになっているだろう。
そんな物を、現在のような周囲が森という状況で使えばどうなるか。
少し考れば思いつくはずである。
だがしかし、
「魔弾生成完了ッ、ファイヤー!!」
「うおおおおおおおお、ちょっと待てー!」
僕の制止は間に合わず、魔砲のトリガーは引かれた。
大口径な魔砲の砲口からは目も眩むような発火炎と共に耳を劈く轟音が迸り、射出された魔弾は視認できないほど高速で標的に向かう。
そして射線上にいた妖精の悉くを貫通した魔弾は標的であるフォレストハイピクシーの胴体に着弾し、フォレストハイピクシーは一瞬で広がった爆炎と共に爆発四散。
その周囲にいた妖精達も、一帯を覆った紅蓮に飲まれて死んでいく。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図である。
即死した妖精はまだ運がいい方で、運が悪かった妖精は生きたまま燃やされ続ける事となり、救いを求めてフラフラと飛んでいる。
それはまるで地獄で漂う鬼火のようだった。
そして被害は妖精達を一掃しただけに留まらず、より拡大していった。
当然のように周囲に燃え広がった紅蓮は大量にある草木に燃え移って勢いを増し、凄まじい火災となったのだ。
瑞々しい生命力に満ちた木々も、魔弾が生み出した魔炎の前には呆気なく燃えてしまうようである。
離れていても、熱で皮膚が焼けそうだ。溢れんばかりの光量は、見つめ続けていると眼球に負担をかけすぎる。
「キヒ、キヒヒヒヒヒッ! 堪らないわねこの感覚ッ。最ッ高!」
しかしオーロ姉の攻撃は止まらない。
魔砲から伝わる身体の芯を揺さぶるような反動と、眼前に広がる光景に愉悦を見出してしまったオーロ姉は、次々に魔弾を撃ち放つ。
以前からそんな兆候はあったのだが、オーロ姉はお父さんから魔砲を貰ったあの日から、時たまこうして暴走してしまうようになったのだ。
これはやはり、オーロ姉の中に非常に濃い“鬼”の血が流れているという証拠だろう。
僕も敵の血を無性に見たくなる時があるので、オーロ姉の気持ちが分からないでもない。
「キヒヒ、キヒヒ! もっと真っ赤に燃えなさいッ」
それにしても、火災という普段以上にド派手なようによるものか、今回のオーロ姉の暴走は少々ヤバそうだ。
今も次々と撃っている魔弾の多くは不鎮炎弾だが、中には風を発生させて火災を強化する錯乱風弾も数発混在しているらしく、無数の火災旋風が巻き起こり、火災はより広範囲へと拡散していた。
既に周囲一帯は、紅蓮一色に染め上げられている。
ちなみに、火災は逃げ遅れたダンジョンモンスターを大量に屠っているらしく、膨大な経験値が僕達全員に分配されているのが分かる。
経験値取得効率という面では、オーロ姉の攻撃は非常に優れていると言えるだろう。
だけどこのままでは逃げ道の全てを炎によって塞がれかねなかった。
そうなれば、流石の僕達でも生存するのは困難だ。お父さん達ならばともなく、流石にこれほどの熱量で焼かれれば焼死は免れないだろう。
こんな、馬鹿げた自爆など絶対にゴメンである。
「鬼若はオーロ姉を担ぎ上げて強制的に止めさせろ! ルッツとイーラは先行して敵の排除! 一旦下がるよッ」
『了解ッ』
打てば響くような三人の返答を聞きながら、魔弾を撃つのに夢中になり過ぎて背後の警戒が疎かになっているオーロ姉の補助に走る。
オーロ姉の背後には、ここで出没するダンジョンモンスターの中では数少ない近接戦闘を得意としている“強筋妖精”が草木に隠れながら近づいていた。
身長は一メルトルにも満たない翅を生やした子供のような外見をしているマッスルピクシーは、薄赤色の衣服の下に強靭な筋肉の鎧を備える屈強な戦士だ。
武器は持っていないので基本的に殴る蹴るしかしてこないが、その威力は頑丈な金属鎧すら歪ませる程である。しかも背面の翅を利用した飛行による立体的な動きは時として予想できないモノとなる為、近接戦では非常に厄介で初見殺しなダンジョンモンスターだ。
そんなマッスルピクシーは、無防備なオーロ姉の背後をとり、いまこそ好機と判断したのか奇襲を仕掛けてきた。
翅が激しく動き速度を上げているが、全くの無音である。
普通なら気付く前に攻撃されて、無残に死んでいたに違いない。
だが僕はそれを既に察知して行動していたので、マッスルピクシーの攻撃がオーロ姉に届くよりも早く、腰にあるタバルジンを抜き、その頭部に振り下ろした。
マッスルピクシーは咄嗟に両腕を使って防ごうとするが間に合わず、ドクシャ、とタバルジンの刃がやや硬い頭蓋骨を叩き切る。眼球は飛び出し、傷口や口からはやや青い体液が溢れ出た。
なかなか気持ちの悪いようだが、その直後、タバルジンの能力によってマッスルピクシーの肉体は爆散した。
至近での爆発である為、マッスルピクシーの残骸が服や顔を青く汚す。
汚されたのは僕だけでなく、オーロ姉の背面もだった。
「わきゃっ! ちょっとアル、殺すのならもう少し丁寧にして頂戴ッ!!」
「ごめんごめん、次は気をつけるよ」
マッスルピクシーの奇襲など、僕よりも強いオーロ姉は当然把握していただろう。
それでいて、僕がサポートすると確信していた辺りは普段からの信頼の証拠なのだろうが、流石にそんな文句を言われても困る。
取り敢えず文句を流しつつ、急いでまだ火災の手が伸びていない方向に向かって走り出す。
既にルッツとイーラが先行して安全を確認しているそちらに、僕とオーロ姉を荷物のように肩に担いだ鬼若が続いた。
「しっかし、妖精共の焼ける匂いを嗅ぐと、腹が空くなッ」
そう言いつつ、火だるまになりながらフラフラと飛んでいた一匹の妖精を捉えた鬼若は、頭からバリバリと食べ始めた。
飛んできた妖精も、火から必死で逃げようとした先で生きたまま食われるなど、夢にも思わなかったに違いない。
敵なのでどうでもいいが、流石に僅かではあるが同情した。
「なら、もっと焼かないとねッ! ファイヤー!!」
いやまてその理論は可笑しい、と担がれて後方を確認しているオーロ姉にツッコミたいが、今は一刻も早くこの場から逃げるのが先決である。
既にやり過ぎているくらいにやり過ぎている為、辺り一面火の海だ。
懸念通りというか、想像以上というか、火災の勢いは強く、巡りが早すぎる。
それは周囲の紅蓮を見れば一目瞭然だし、何より感じる経験値の量から推察できてしまうような状況である。
火災による経験値取得効率は確かにいいだろう。
いいどころか凄まじくすらあるかもしれない。
しかし、だからといって周囲を火災で包んでもいいものだろうか。
これでは、せっかくのドロップアイテムがダメになってしまう。それは、なんて勿体無い事だろうか。
もしかしたらウチの事業に使える物も多かったかもしれないのだ。
こんな風に一切合切を燃やすくらいなら、ちゃんと利用してあげるのがドロップアイテムに対しても筋が通るのではないだろうか。
などと、勿体無い精神を発揮しつつ。
半ば以上現実逃避していた僕は走り続けた。
左右の空間が炎に飲まれていく様を見ながら進んでいくのは何だか幻想的ですらあり、危険に満ちていなければもう少し見たいと思う何かがあるが、それを振り払って走り続ける。
全く、オーロ姉の後始末はいつも大変だ。
それが完全に嫌かといえば、即座に答えられないのだから、僕も僕で、こんな関係を楽しんでいるのかもしれないけど。
それは、今はあまり深く考え過ぎないようにしよう。
全く、オーロ姉達と一緒にいるのは、退屈する暇も無さそうだ。
そういう事で一旦は下がったが、しばらくして火の勢いは弱くなり、焦土と化した空間を通り抜け。
色々と苦労したりしながら進み、最下層に到着した僕達は無事にダンジョンボスを倒し、地上に帰還した。
苦戦はしたが全員大した怪我もなかったので、明日は別の派生迷宮に潜る予定である。
言い出したのはもちろんオーロ姉だったが、皆も異存はなく、これからしばらくは忙しくなりそうだ。
でもこれくらいでないと、夢を叶えるなど不可能だ。
だからこれからも頑張っていこうと、徐々に沈んでいく夕日を見ながら内心で誓う。
赤く染まった空は、非常に綺麗だった。