星海の追憶1 ≪1:1~1:3 新人時代≫
≪1:1 ギャングスター 悪徳の星≫
『……ナァ、【罪人喰い】を、知ってイるカ?』
耳に取り付けられた通訳装置によって変換された、本来なら金属が擦れ合った甲高い音にしか聞こえない友人の言葉に首を傾げる。
「なんだ、【罪人喰い】って。中々物騒な名だが、新顔の【賞金稼ぎ】か何かか?」
知らない事だったので、俺は友人に聞き返した。
さっきまではココ――とある辺境星域の小惑星帯にひっそりと建造された荒くれ者共が集まる≪悪徳星≫内にある古びた酒場≪コクリアの杯≫で偶然にも友人と再会し、酒を飲みながら互いの近況や近場の【賞金稼ぎ】などについて話していた。
友人――報酬次第で惑星元首すら狙う【殺し屋】のゾット・バベル=パライソンは、高額賞金首の一人だ。
事故や自殺に見せ掛けた暗殺から、衆人観衆の中で行う派手な殺し方まで。依頼人の注文通りにそつなく仕事を熟す事から裏表両社会から何かと仕事が舞い込む凄腕である。
対して俺は十の武装星間船から成る宇宙海賊≪シャークスキン≫の海賊長であり、手広く派手にやっている事で、ゾットよりも更に高額な賞金首になっている。
今日もここに来る前、とある銀河的大企業の下請けの下請けである中小企業の物資運搬用星間船を三隻纏めて襲撃したばかりで、また賞金額が上がるだろう。
そんな互いの仕事柄、怨みは大量に買うので星域軍や数多の企業の動き、それから【賞金稼ぎ】といった命知らずの馬鹿共の情報は重要だ。
だから話の流れからその類かとも思ったのだが、ゾットは蜘蛛のような顔を左右に振って否定した。
『いや、違ウ……【賞金稼ぎ】デハない。もっとタチの悪い奴ダ。仕事先デすれ違い、アの狂気に触れタ。二度と会いたくなイカら、情報ヲ探ってイル』
ゾットはヒューマン型に進化した昆虫系宇宙人に分類されるインセトナー星人の男性だ。
インセトナー星人といっても多数の種に分類されるが、その中でも肉食で戦闘種として名の知れたスパイトル系であり、蜘蛛を彷彿とさせる黒緑色のスマートなフォルムの外骨格が特徴的だ。
身の丈は二メトルある俺よりも更に大きく、三メトルほど。かなりの大型ながら、その身のこなしは非常に軽い。
そんなゾットの蜘蛛に似た頭部にある二個の主眼は俺を見ているが、残りの六個の副眼で今も酒場中を見回しつつ、毒牙の連なる大きな口に“スピリアスモルモート”を放り込み、新鮮な血酒を飲んでいる。
赤い無毛のネズミのような“スピリアスモルモート”は、インセントナー星人のような昆虫系星人に好まれるよう調整された小動物だ。
食性の違いで俺自身が味見する気には全くならないが、血肉が高純度の酒のように感じるらしく、ゾットは“スピリアスモルモート”を好んで食す。
それだけなら普段と変わりないが、今日ばかりは背中から伸びる細く長い鉤爪の生えた三対の副腕は何が起きても瞬時に反応できるように脱力され、装備している軍でも使われる高性能の熱線銃や細身の高周波振動刀を構えられるようにしている。
また手首と臀部にある頑丈な生体糸が飛び出す噴出門は、静かに開閉が繰り返されていた。噴出門の開閉は生体糸を噴出する為の準備だ。
その他にも見受けられる仕草の全てが、明らかに戦闘態勢である事を示していた。
先ほどまではそれなりにリラックスしていたように思えたのだが、今は仕草から見て分かる程度には気を張っている。
自然体から瞬時に戦闘態勢に移り、敵を即座に屠るゾットの芸術的ともいえる本来の暗殺術からすれば何とも稚拙で、力が入りすぎているように感じた。
よく見れば顔色もどことなく優れない。
警戒感が所作の細部に表れ、三十はある酒場の席の殆どを俺の部下が抑えているのに安心の一欠片も無い。
ゾットほどではないにしろ、俺の部下は相応の実力があり、軍隊上がりの強者も多い。
全員裏社会の技術者によって生体強化手術によって強化兵となり、更に薄くても高性能なパワーアシスト機能付きの強化装甲服を装備するか、もしくはさらに機械化兵となる事で戦闘能力を向上させている。
例え政府軍の精鋭部隊が今まさに突入してきても即座に反撃するだけの戦力はあるというのに。
――【罪人喰い】。
話題に出したのはゾットだが、それを話題にするのにも勇気が必要な案件という事だ。
長年死線をくぐり抜けた宇宙海賊としての勘が、嫌な気配を感じていた。
まるで見通せぬ深い闇が広がる孔を覗き込もうとしているような、そんな気配だ。
『宇宙海賊の繋がりのあるガルバドなら知ってイるカと思ったノだガ、ガルバドが知らなイトなると……仕方ない。マスターは、何か知らなイカ?』
ゾットは俺が知らないと理解したのか、俺達の話をカウンター越しに聞いていた酒場のマスターに問いかけた。
『知って~るよ~。んまぁ、今回の情報提供でオマケしても、五億ゴルバだ~ねぇ~。もちろん、一人でぇ~だよぉ~』
マスターは甘ったるく間延びした声で、八本ある太く長い触腕を蠢かしてグラスを洗い続けながら、事も無げにそう言った。
知っているだろうとは予想していたが、当然のように知っている事にやや苦笑いが漏れる。
「値段は馬鹿みたいに高いが、しかし流石マスター。耳の広さは辺境星域随一だな」
酒場≪コクリアの杯≫のマスターの本名は誰も知らない。
ただ美味い酒とツマミを用意してくれる最高のマスターであると同時に、客から仕入れた膨大な情報を全て完璧に記録して、金次第で知っている情報を客に教えてくれる凄腕の【情報屋】として有名だ。
マスターは一メトル程もある巨大な赤い脳に接続した数十センチメトルの巨大な単眼、それから栄養補給用の摂取管が半透明の頭蓋骨皮で包まれた頭部とそこから伸びる八本の触腕を持つ、巨大な蛸のような外見のブレンナーブ星人である。
様々な裏稼業者が集まる≪悪徳星≫には、裏の情報だけでなく表の情報も集まる。
そこで最も扱う情報が多いマスターの情報の精度は非常に良い。
収集した無数の情報を統合し、完璧な事実かそれに等しい情報だけを取り扱うので信用できる。
マスターが知らないのなら、それはもう銀河帝国の中枢関係など、ヤバ過ぎる案件だけだろう。
もしかしたらそれすら知っているのかもしれないが、知っている事を知ると、流石にコチラの身が危ない。
帝王家直属の秘密精鋭部隊が出張ってくると、俺程度では何も出来ないのだから。
知りすぎない事は、ある意味で長生きの秘訣だ。
『では、これで頼ム。それでガルバドは、どうすル?』
ゾットは副腕の一つを使って、カウンターに長さ五センチメトルほどの長方形の金の電子チップを五個置いた。
一つの金の電子チップにチャージできるのは最大で一億ゴルバ。中型の星間船なら買えてしまうほどには高額な電子チップである。
それが五個。大型の星間船を武装したり色々とカスタマイズするのに十分すぎる金額である。
「高い。高すぎる。が、俺も欲しいからな。これで頼む」
情報の値段は五億ゴルバ。先に会話による情報提供をして値下げしてもらってそれだ。
五億ゴルバを払うとなると、先の仕事で得た利益の全てと、貯蓄の一部が無くなることになる。
しかし、マスターがこれほどの高額を提示する事は少ない。それだけ貴重な情報という事だろう。
それに、ここで知っておく必要があると、本能が囁いている。
知らなければ後悔すると。
幸い、今ならまだ先の仕事で得た金は手元にある。金はまた仕事で稼げば良い。
俺も金の電子チップを五個カウンターに乗せた。
マスターはさっと十個の電子チップを回収し、情報端末に繋げてチャージされた残高を確認していく。
今時の売買は、誰もが持つ情報端末で数千光年以上離れた場所にいる相手とも繋がれるエレメンタルネットワークに接続し、そこでやり取りする。
しかし俺達はどこかで足がつく事もある。
相手に振り込む事は手軽で簡単だが、あえて手渡しする事で色々便利な事もある。今回がその場合だ。
その分詐欺によって報酬を回収できずに終わる場合もあるので、マスターはしっかりと金額を確認して、確認を終えると改めてこちらを向いた。
巨大な単眼が俺達を見据える。
『確か~に確認し~たよ~』
マスターは一旦触腕を動かすのを止め、情報端末を軽快に弄る。
すると俺とゾット、そしてマスターを囲うように防音フィールドが展開した。空気の振動や光、電波などを歪める事で、情報を漏らさないようにしているのだ。
そして普段の酒場のマスターとは違う、【情報屋】としての性格に切り替えたマスターの声が静かに響く。
『さて、欲する【罪人喰い】の情報だが、まず悪い知らせだ』
口調も声音も変わったマスターは一旦そこで止めて、触腕の一つで俺を指した。
『ガルバド、お前、その【罪人喰い】に狙われとるぞ』
何を言っているのか、理解するのに僅かに時間を必要とした。
≪1:2 ニアミスアサシン 蜘蛛の目≫
【罪人喰い】について、行きつけの古びた酒場≪コクリアの杯≫で偶然出会った友人――青い鮫のような頭部や背中のヒレ、手足の水掻きなどが特徴的なホーシロ系シャーブル星人――のガルバドに聞いたのは、どうしても知りたかったからだ。
その欲求の源泉が恐怖かあるいは好奇心か、何であるにしろ、知りたい事には変わりない。
宇宙海賊として様々な宙域に出向き、宇宙海賊のネットワークや広大な人脈で多くの情報を得るガルバドなら、私が知らないような情報を持っている可能性は高い事と。
個人的な親交から、聞きやすい相手だった事も大きな要因の一つだった。
私が【罪人喰い】の存在を知ったのは、とある仕事で見つけたからだ。
あれは、とある大富豪が娯楽衛星を丸々一つ買い上げて開いた、数千もの大企業や有力企業の代表や役員、あるいは著名人や芸能人などが集うパーティの時である。
数天間にも及んで続くこのパーティでは各々が人脈を広げるために活動し、表と裏まで幅広い取引が行われる。
かなりの規模のパーティであり、その様子はエレメントネットワークによって配信されるほどのイベントである。
このパーティの参加者の一人が私の標的だった。
私は計画通りに標的だけを病死に見せかけて静かに暗殺し、帰還しようとした。
しかしその間際、建物の影から怒声が聞こえた。
やや離れていたが、周囲に人気が無いので思ったよりも声は届く。
不確定要素かどうかの確認のために気配を隠して見れば、恐らくはモンゴロイド系アース星人だろう黒髪の青年が、幾つかの宇宙海賊と強いコネを持つとある富豪の有名な猫頭の馬鹿息子とその取り巻き四名、それからそれぞれの護衛達合わせて二十五名、総数にして三十名を相手に真正面から口論していた。
そんな青年の後ろには、青年と同じアース星人だろう見目麗しい女性の姿がある。
私は星人すら違っていながら、その女性の美しさにしばし言葉を失った。
溢れ出るような生命の力強さ。バランスの良いメリハリの効いた肢体。鍛えられた筋肉と共存する瑞々しい柔肌。
そして魅力ある美貌。計算されたようなそれを見てしまえば、視線を逸らす事は難しい。
思わず手を伸ばしてしまいそうになるほどの魅力を秘めた女性だ。
それを見て、最初は色々と非合法な事をしている馬鹿息子が青年のパートナーに手を出し、それがきっかけで口論になったのだろうと予想した。
それと同時に、青年と女性も運がない、と呆れた。
馬鹿息子と似たような境遇の取り巻き達はともかく、それぞれの親がつけた総数二十五名の護衛達はその道のプロ。
生体強化手術により強化兵になっているのは当然で、装備も高価で高性能なモノばかりだ。重心の偏りから機械化兵も何人かいる。
見るからに財力がありそうな馬鹿息子達に対し、黒髪の青年は見劣りする格好だ。
色合いから安物と分かる礼服、気丈に振る舞うがやや青ざめた顔色や僅かに震える声音と仕草、纏う弱々しい気配。
背後の女性も怯えたように顔を伏せている。
明らかに獲物の気配を漂わせる青年達に対し、肉食の動物系星人の馬鹿息子達は獲物を見つけたように舌舐めずりをしていた。
また宇宙に進出してまだ五百周期程度の新参者であるアース星人というのも大きいだろう。
『アヴァロン社』という、恐るべき短期間で銀河的大企業の一つにまで発展した企業がある。
その発祥の地であり、主な社員を構成するアース星人は一部の星人にとっては気に食わない相手である。
長い時によって構築された強固な利権、そこから得る富で肥え太った大企業とそれにあやかる中小企業は、しかしこの『アヴァロン社』の台頭で多くが食い潰された。
物理的な交渉で利益分配や吸収合併などを決める企業戦争を仕掛けた企業連合は、逆に壊滅させられて利益や利権や良質な社員や機材などを選別して吸収され、呆気なく倒産した。
逆恨みからテロを仕掛けようとして捕まり、裏世界で一族郎党にいたるまで全てを搾取された元大企業の社長や役員もいたという。
企業戦争に参加せずとも技術力で負け、宣伝力で負け、商品の質や価格で負けて利益が激減し、結局買収された企業もある。
語れば長くなるだけの余波を発生させた『アヴァロン社』
その主な構成員であるアース星人を目の敵にする者も多い。
馬鹿息子達もその類だ。
元々違法行為に手を出していたと言うが、最近は傭兵を使い、『アヴァロン社』の工場の破壊工作や職員の拉致・殺害などの計画を企るなど派手にしている。
そんな輩と、周囲に他の人気の無い場所で争う事になる。
普通でも面倒なのに戦力すら著しく負けているとなれば、それは処理される事を志願したようなものだろう。
罵倒され限界に達した馬鹿息子が指示し、青年を護衛達が処理しようとするのに大した時間は必要なかった。
青年は処理され、女性は連れ去られて終わりだろうか。
私はそれを隠れて見ていた。助ける義理はないが、何故か本能的に見届けねばと思ったからだ。
正面から近づいた護衛の一人が溶断短剣を懐から取り出し、自然な動作で青年に突き出した。穂先は心臓を捉え、音速で迫る。
金属を焼き切る溶断短剣を生身で受ければ生体強化兵でも致命的である。多少肉の焼けた臭いが漂うだろうがそれだけで青年の死体が出来上がる。
そんな光景を予想し、しかし裏切られた。
護衛よりも速く、青年が動いた。
溶断短剣を持つ護衛の手首を左手で握り、そのまま圧壊。生体強化手術によって得た強くしなやかな強化筋肉と、生体金属に交換された骨がまるでゼリーのように変形する。
握力だけで護衛の手を壊した青年は溶断短剣をもぎ取り、手にすると同時に腕が霞む。悲鳴を上げるために口を開けた護衛は、しかし眼球、喉、両肩、腹部に赤い線が走り、永遠に沈黙。
何が起きたのか理解するよりも速く、青年は次なる獲物/護衛へと跳んだ。
手には既に溶断短剣はない。
最初の護衛を刻んだのと同時に投擲し、運の悪い護衛の頭部を貫通して孔を開け、その後ろにいた他の護衛の頭部に突き刺さっている。
柄まで突き刺さった剣身が内部から燃やしているのか、頭に突き刺さった護衛の口や鼻からは煙が上っていた。
瞬き一つ間に護衛が三名殺された。馬鹿息子の護衛長を務めているのだろう一際屈強な獅子頭の男は即座に指示するために口を開いたが、その時にはまるで嵐のように猛威を振るう青年によって更に五名の護衛が死んでいた。
青年の両手の指が白熱を帯びる。強化兵すら反応できない速度で動く青年の指が護衛を撫でれば、ただそれだけで溶断される。
まるで青年の指が溶断短剣のようになったようだ。機械化兵も中には混じっていたようだが、青年の指はそれ等も問答無用で溶断している。
その危険性を理解し、獅子頭の護衛長は懐から光力剣を取り出した。普段は柄だけだが、スイッチを入れると高威力の光剣身が展開される。
柄の重さしかないために速く振るう事ができ、触れれば必殺の攻撃は、危険な小型から中型までの宇宙怪獣討伐に使われる事もある。
他の護衛達も同じように構えるが、構えた瞬間護衛達の手から光剣身が展開済みの光力剣が抜け出した。まるで何かの力が働いたかのような抜け方で、護衛達は惚けた表情を浮かべた。
残る十七名の護衛達の内、光力剣を失ったのは十名。それは不可解な力で抜け出した光力剣によって解体された数と同じである。
縦に横にと刻まれながら、しかし断面は焼塞がれているため体液は殆ど出ていない。ただ肉が焼ける臭いだけが、極めて短時間で死者を量産した場に広がった。
僅かな沈黙があった。
馬鹿息子達は突然の凶行に反応すら出来ていない。狩る側だと思っていただろう状況から一転して狩られる側となった現状を理解できず、ただ間抜けに惚けている。
残る七名の護衛達は死を覚悟したような表情を浮かべ、青年を見ている。
刺し違える覚悟なのかジリジリと距離を詰め、青年と馬鹿息子達の間に立つ。
僅かな睨み合い。先に動いたのは青年だった。
青年の手に合わせ、宙に浮かんだ十の光力剣が猟犬のように飛んだ。護衛達はそれを自身の光力剣で難無く迎撃するも、突如としてゴプリと吐血し倒れた。
胸を押さえる護衛の姿に注視すれば、装甲服に突き刺さった太い杭のような黒いモノが見える。
青年を見れば、何かを投げたような姿勢だった。青年は光力剣で視線を誘導し、杭のようなモノを投擲したのだろう。
装甲服を貫通する杭のようなモノが何なのか気になるが、護衛達を壊滅させた青年が、軽い足取りで馬鹿息子達に近付いていく。
この段階になって現状を理解したのか、馬鹿息子は言い訳を始めた。情けなく、聞くに値しない戯れ言の羅列だ。
慈愛すら感じられる上位者の笑みを浮かべて青年は近づき、足が止まる。
獅子頭の護衛長が青年の足を掴んだのだ。死に瀕した護衛長は死力を振り絞って青年を掴んでいるようだが、既に力が無いのか、あるいは青年の肉体強度が強すぎるのか。
ともあれ、護衛長の抵抗は僅かに歩みを遅らせる事だけ。
邪魔された青年は、しかし満面の笑みを浮かべて護衛長を見た。その間に、馬鹿息子は懐から熱線銃を取り出し、引き金を引く。
頭部に迫る熱線。それを青年は何でもないように手で弾き、余韻を残す中で手が再び霞む。
次に見えた時は馬鹿息子とその取り巻き達の首が溶断され、転がり落ちた時だった。
理屈に合わなかった。
青年の腕の長さと、馬鹿息子達との距離。護衛を排除するために動いた為、腕の長さの十倍以上は離れていたというのに届くのは如何なる術理があるのか。
数度呼吸する程度の時間で、青年は馬鹿息子達を全て抹殺した。
痕跡も肢体以外には僅かな血液と肉の焼けた臭いだけ。
その早業に戦慄する。私自身がそれなりの術理を身に着けているだけに、力の一端を僅かながらにも理解し、しかし理解できない部分が多すぎるからだ。
職業柄凄まじい戦闘能力を持つ武人や、超技術で作られた機械生命体、生物としてそもそも次元が異なる存在を知っているが、青年はこれまでにない、どこか異質な存在にしか感じられなかった。
物陰に隠れ、戦々恐々していると、まだ僅かに生き残っていた護衛長を青年が見下ろしている。
何かを語っていたが距離が離れすぎていてあまり聞こえなかったが、情報端末が護衛長と青年の唇の動きを読み取り言語変換していく。『貴様は、いった、い……何者、だ』『邪魔な蟲を駆除しに来たただの掃除人だ』『なに、を……言って』『今までやって来た事を思い返せばすぐ分かるだろう? まあ、アンタは中々よかった。有難く喰わせて貰おうか』などと表示され、何を言っているのかと訝しんでいると。
青年は護衛長の首を掴んで持ち上げ、そのまま頭から喰った。
まるで何かの冗談のように、一瞬で巨大化した青年の頭が護衛長の頭部を噛み千切り、胴体を、手を、足を、まさに喰った。
形状変化する星人は存在する。しかし私が知る限り、アース星人があのように身体の一部だけを巨大化させ、それどころか装備も丸ごと喰うなど聞いた事はなかった。
理解不能な現実に困惑していると、弱々しい気配など微塵もなく、堂々とした態度で青年の横に並んだ女性が『お疲れ様、【罪人喰い】。まあ、及第点ね』と言っているのを見た。
そして『それで、覗き魔の処理はどうする? 潰して食べる?』というのも同時に。
私は即座に逃げ出した。私の事を言っているに違いないからだ。
背後から『ああ、同じ仕事終わりみたいですから吹聴はしないでしょうし、今回は見逃しましょう。何かあった時は責任をとりますよ』と聞こえた気がしつつも、全力で逃げて逃げて、逃走用の高速小型星間船に乗り込んで、しばらくの間誰にも会わないように秘密基地で数十天間の時を過ごし、現在に至る。
引きこもっているだけでは埒が明かない為、外に出るしかなかったのだ。
こびりつく恐怖を紛らわせるように酒を飲み、【罪人喰い】について知る為にガルバドに話を聞き、そしてマスターに聞いた。
すると、ガルバドが狙われているとマスターが言う。
その時点で、私は情報だけを受け取って友人から離れる事を決めた。
あのような得体のしれない何かに狙われるなど、絶対に御免だからである。
≪1:3 サプライズ・シャークハント 彼方の足音≫
情報を漏らさないように展開された防音フィールドの中で、マスターが伝えた情報に最初に反応したのは宇宙海賊のガルバドである。
鮫に似た頭部は狙われていると言われた事で警戒感を露にし、普段から獲物を萎縮させる鋭い眼光はより鋭く、無数の鋭利な牙の生えた口は獰猛な笑みを浮かべている。
宇宙海賊として無数の死線を潜り抜けてきた凄みがそこにはあった。
「そりゃ、どういう事だ?」
ガルバドは懐に手を伸ばす。ガルバドの懐には金属感知器などに引っかからないように製造された違法の生体銃がある。
体内に発電器官を持つ小動物を核にして作られたガルバドの生体銃は、小型ながら電磁砲のような仕組みで尖骨弾を射出する。
弾数こそ少ないが一撃の威力は高い。
そのような物騒な物に手を伸ばしながら、ガルバドは事前に用意していた対策に意識を向けていた。
周囲に視線を巡らせる。
酒場内ではガルバドの部下達が警戒中であり、他に客はいない。新しい客も来てはいない。
店に入る前に周囲に仕掛けた警戒装置にも特に気になる反応は無く、異変は見当たらない。
一先ず、即座に襲撃される事はないと判断はしているようだが、ガルバドの警戒心は大幅に上昇していた。それこそ、仕事/襲撃している時のようだ。
『焦るな、焦るな。個人的には今すぐ逃げ出した方が生き残れると思うが、金の分だけは伝えよう』
宇宙海賊として生きてきた事で培われたガルバドの威圧を至近距離で受けながらも、マスターは気圧された様子はない。
その程度では問題にしない程度にはマスターの経験は豊富である。
隣にいるゾットもまたそれを軽く受け流しながら、マスターは話を続けた。
『まず【罪人喰い】だが、本名は不明。【罪人喰い】というコードネームだけが最近広がっている』
「そりゃ、本名じゃないだろうさ。で、何処に所属してるんだ? 名のある組織か? それか個人的に活動してるのか?」
『残念な知らせだが、コイツはあの銀河的大企業『アヴァロン社』本部の一部門、荒事やら裏工作やら未開拓惑星を調査したりする特務精鋭部隊【メドラウド】に所属している。あそこは常識外れな化物達だけで構成されているが、【罪人喰い】は配属されて僅か半周期程度の新人だ』
「おい、おい……『アヴァロン社』ってのは、本当かよ……最悪じゃねーか!」
『やハリ、『アヴァロン社』、か……』
マスターが齎した情報に、納得する部分もあったのだろう。
ゾットは蜘蛛顔を歪ませながら、吐き出すようにそう言った。
ゾットが知る【罪人喰い】はアース星人の男性であり、様々な意味で通常とはかけ離れた存在である。
銀河帝国の帝王室に仕える精鋭部隊と正面から衝突し、政治的な駆け引きによって勝ちを譲った、なんて裏では囁かれている特務精鋭部隊【メドラウド】所属ともなれば、納得できるのだろうか。
『ちなみに新人の【罪人喰い】の教育役は【メドラウド】の隊長であり、最も戦闘能力に秀で、最近では数年前に大海賊船団≪ガド・ヴェランサ≫を単独で百近い武装星間船も纏めて全て捻り潰したりと多くの伝説的記録を持つ【殲滅女帝】だ。相当お気に入りなんだろうな、あの女帝様がご寵愛しているそうだ』
やれやれ、とでもいうようにマスターは触腕を竦めた。
そしてそんな存在に狙われるガルバドに、同情した視線も同時に向けている。
「……はぁ? あ、あの【殲滅女帝】の弟子だぁ? つか、『アヴァロン社』本部の社員となると、まさか……」
マスターによって【罪人喰い】の情報を知り、ガルバドは自身が狙われているという意味を理解する。
ここに来る前の一仕事は、この『アヴァロン社』の下請けの下請けである中小企業の物資運搬用星間船を三隻ほど襲った事だ。
つまり『アヴァロン社』がガルバドを狙うのは末端組織を襲われた報復か。
とガルバドは考えたが、冷静に考えてわざわざ精鋭中の精鋭、銀河的に見ても互角の戦力を探す方が難しいとも言われる特務精鋭部隊【メドラウド】の一員を新人とはいえ派遣する程ではない。
『アヴァロン社』程の企業になればその規模は桁外れであり、三隻程度は誤差である。
どこかで超古代先史文明の遺産を手に入れたのだろう、辺境星域の一つである太陽系の中の母星から宇宙に進出して僅か五百周期程度の歴史しかないというのに、現在では様々な面で強い影響力を持ち、銀河的大企業の一つとなった常識外れの怪物企業の『アヴァロン社』なら、保有する戦力は軍隊のそれだ。
企業が揉め事の解決や自衛のために戦力を保有するのは当たり前であり、企業同士の戦争が起こるなどは利益で折り合わなければ珍しい事でもない。
多数の知的生命体が進出した宇宙では闘争が絶える事はないのだから。
だからこそ、下請けの下請けを中小企業が襲われた程度で精鋭を送るのは異常である。
冷静に考えても、宇宙海賊達を消そうと『アヴァロン社』が考えるなら保有する武装船団を幾つか纏めて派遣すれば事足りるだろう。
わざわざ有力な社員を派遣する必要は無い。
「なんだぁ、何が原因だぁ?」
しかしマスターが言うにはガルバドは狙われている。ならば襲ったくらいしか原因が思い浮かばない。
高額賞金首だから、というのも考えられるが、だからと言ってわざわざ辺境星域にまでやって来て狙うような相手でもない。他の高額賞金首は『アヴァロン社』の本社がある惑星から辺境星域に来るまでに多く存在する。
理解できずにマスターに聞くと、気の毒そうにして。
『なんでも、『アヴァロン社』の会長が孫の為に取り寄せた商品を運んでいたらしい。それを奪われて、即座に【罪人喰い】が派遣されたそうだ。遅くても三天間の間には辺境星域にやって来るだろうな』
「そんな、そんな理由で……ああぁぁぁぁぁ。確かに、やたらと豪華な品があったなぁ、あったわぁ。あれが無ければ、って事かぁぁぁぁぁぁぁ」
まるで地獄から響く声のような後悔の叫びである。
明確な理由が分かりガルバドは頭を抱えているが、どちらにしろ破滅が近付いていると意識を切り替えたのか頭を上げた。
ガルバドには選択肢は逃げの一手しか残されてはいない。
だから今は少しでも情報が必要だった。
「そ、それで、他の情報はどうだなんだ? 性格とか、戦い方とか、追跡能力とか……」
『相手にするとしたら、最悪、と言えるだろうな。性格はまだ分からんが、一つハッキリしている事がある。それは、とにかくコイツは標的を喰らう。残骸一つ残さず、装備も纏めて全てな』
「……はぁ? く、喰うって、何だよそれ。装備もって、生体部分はともかく、武器もか? というか、武器まで喰うなんて、どんな内部構造してんだよ。頑強な星人も多いが、悪食の星人だってわざわざ喰うなんてのは聞いた事もない。有害物質で中から死滅するぞ、普通」
ガルバドが声を荒げるが、ゾットは諦めるように首を左右に振る。
『それハ、事実ダ。実際、私はそれヲ見てイル。【罪人喰い】は、星人を喰らウ。そレも、とてモ美味しソウニな……』
『なるほど。嘘の可能性も考慮していたんだが、事実なのか……。まあ、それはいい。それで戦法だが、よくわからん。空を飛ぶ、ブラスターの攻撃を手で弾く、分厚い装甲を素手でぶち抜くなんてのから、戦車の砲撃を指先で止めた、マイクロブラックホール弾の直撃を受けて無傷だった、何て与太話もある』
「はぁ、え? いや、何を言っているんだ? も、もう少し理解できるように言ってくれ」
ガルバドはマスターの話を一旦止めて情報を整理しようとするが、マスターは何か諦めたように頭を振り、語りを続けた。
『追跡能力は、ハッキリ言って追われたら逃げられんレベルだろうな。とある武器商人が居ったんだが、そいつは運が悪い事に『アヴァロン社』の極秘に触れてしまった。意図したことではないが、目をつけられるのには十分だろう。武器商人は即座に超光速星間船で逃亡を図った。次元跳躍航法も駆使して銀河を超え、別の銀河にまで最短で逃げ込んだ。しかし、すぐに発見されて喰われたよ。それもどういう冗談か、超光速星間船と一緒にな……』
そこまで言い、マスターはガルバドを哀れむように見る。
まるで直ぐ死ぬ小動物を見ているような眼だった。
超光速星間船の航行速度は現在の星間船の中では最速だ。
その上超長距離をあっという間に飛び、広大な宇宙の行き来では欠かせないワープを使っても逃げられない。
そんな馬鹿な話があるかとガルバドは言いかけるモノの、口を噤んだ。
「そんな事政府軍だって出来る訳が……いや、まさか【罪人喰い】は、【宇宙怪獣】か【航界者】の類、あるいは……【超越者】の類なのか? いや、馬鹿な話だ。流石に【超越者】はないだろう。ヒューマン系を主に使うという『アヴァロン社』だから【宇宙怪獣】の類でもないだろう。となると、【航界者】か?」
『それは分からん。一応、モンゴロイド系アース星人という情報はある。少なくとも【宇宙怪獣】の類ではない。【航界者】の可能性はあるな。【超越者】の場合は、可能性は低いと思う。が、何であるにしろさっさと逃げた方がいい相手だ』
そこまでマスターが言うと、沈黙が場に生まれた。
マスターは常連客が居なくなるだろう未来に僅かな寂しさから。
ゾットは友人を狙い、いつか自身を狙ってくるかもしれない相手への畏怖から。
ガルバドは迫る脅威への救いのなさに、どう切り抜けるか思考を巡らせて。
「……マスター。他に情報は?」
『これで終わりだ。『アヴァロン社』関係の情報規制は厳重で、【メドラウド】関係はその中でもさらに厳重だ。今回この情報を掴めたのも、特別な伝手があったからだ』
「そうか……おう、じゃあまたな、マスター、ゾット。俺達はさっさと逃げさせてもらうぜ。逃げ足の速さは俺達の自慢でもあるからな!」
ガルバドは得るモノは得たとして立ち上がり、手を数回動かして酒代などの会計を済ませる。
支払いを確認したマスターは防音フィールドを解除し、『元気でな』と触腕の一本を振った。
ゾットは赤い無毛のネズミのような“スピリアスモルモート”を掲げ、別れの挨拶を済ませる。
「っし、お前ら! さっさと帰る準備、を……おお?」
別れを済ませたガルバドは部下に指示を飛ばすべく声を出し、即座に母船へと戻るつもりだった。
しかし立ち上がり、振り返ったところで言葉に詰まる。
酒場にはマスターとゾット、そしてガルバドとその部下以外の姿はない。
他の客はおらず、貸し切りのような状態だった。だから他にいるのは部下達だけで、それも宇宙海賊≪シャークスキン≫の海賊長のガルバドの護衛を任されるほどの精鋭だ。
日々鍛えられた荒くれ者である部下は、しかしガルバドの声に反応する事はなかった。
部下達の身体は動かない。
警戒したように周囲を鋭く観察するような表情で止まっている。まるで人形のように固まっている。
その異常な光景にガルバドは目を見開き、思わず最も近い場所で椅子に座っている最も信頼できる腹心の肩を掴んだ。
「おい! どうし……なんだ、これは! 何が起きているッ!!」
肩を掴まれた腹心が椅子から転がり落ちた。
ガルバドもまた生体強化手術によって強化兵となっている。その身体能力は星人的に元々高い能力をさらに引き上げるように調整され、素体の良さからガルバドは部下達よりも遥かに強い。
その為強引に引っ張れば腹心を転がす事も十分可能なのだが、本来あるはずの抵抗も無く、引っ張られる勢いのまま倒れ込んだ。
生体強化手術だけでなく、更に手術して機械化兵となっていた腹心の重量は重い。
床が僅かに揺れるほどの衝撃が発生しながら、それでも他の部下達の反応は無かった。
しかしそれも仕方がない事ではある。
「生命反応……嘘だろッ、全員死んでやがるッ」
何故なら、ガルバドの部下達は全員死んでいたからだ。
明らかな異常事態にガルバドは懐から生体銃を取り出して周囲に銃口を向けたが、誰もいない。
ゾットもまた高性能の熱線銃や細身の高周波振動刀を取り出して構え、周囲を見回す。
それでも誰もいなかった。
『まさカ、これハ【罪人喰い】のせいカ?』
思わずゾットがそう漏らす。
生存している三名は、等しく得体のしれない存在に戦慄した。
ガルバドとゾットは迎撃するために行動し、マスターだけはそっと積層構造の防御フィールドを展開して守りに入った。
ある程度予想していたが、自身の情報を上回る手際に仰天しながらである。
「オルッウアアアアアアアア! 舐め真似しくさりおって、出て来いボケがッ! 孔だらけにしてヤラァアアアア!」
海賊スラングで吠え猛る。怖い。
血走った眼で周囲を見回し、僅かな物音や妖しい気配があればガルバドは即座に生体銃を弾いた。
僅かな雷光と共に射出された尖骨弾がテーブルや壁を穿つ。テーブルは一瞬で爆散し、頑丈な補強プレートの入った壁は貫通こそしないが食い込んでいる。
理解不能な何かによって部下を殺されたガルバドは血に荒れ狂う鮫のようで、僅かな気配にでも敏感に反応する。
また一見すると本能のまま暴れている風だが、微弱な生体電流も感知できる電気感覚受容器官を活用して索敵するだけの冷静さを備えていた。
『電磁波、空間振動、質量変化、反響音波、いずレモ反応ナシ。何だ、コレは、何が起きテイる?』
対して、ゾットはありとあらゆる感覚による索敵を行った。目まぐるしく眼が動く。
【殺し屋】として活動するには厳重な警備の敷かれた標的の下まで潜入する事など日常茶飯事だ。
その為ゾットは感知系の生体強化手術も受けているし、各種装備も高度な感知系のモノは充実している。だがそれにすら何も引っかからない。
しかしガルバドの部下の死体が明確な襲撃を教えている。なのに何も感じられない現状は酷く気持ちが悪く、得体のしれない恐怖が足元から忍び寄っていた。
「ザッケンナコラー! スッゾコラー! ザッ、グフッ!」
怪しければ手当たり次第。何かが居そうな場所には躊躇なく発砲する。
海賊スラングと共にそんな事を繰り返していたガルバドだが、その動きが急に止まった。そして聞こえる液体が溢れ落ちるような音。血を吐き出す音である。
ゾットとマスターが即座にガルバドを見ると、ガルバドの胸元に一本の杭が生えている。
黒く禍々しい杭はガルバトの分厚い胸筋と生体金属に置換された肋骨を穿ち、肺とその後ろに隠れていた心臓を貫いていた。
明かな致命傷である。
周囲には変わらず何の変化もなく、まるで過程が消失して起こったような事態に誰も何も言えなかった。
ガツンゴトン、とガルバトの体躯が力を失って崩れ落ちた。
杭が内部から高熱で焼き塞いだのか、杭の周囲の肉は焼け、出血も最小限に抑えられている。
『間違いナい。【罪人喰い】ガ、ココにイる』
ゾットは杭に見覚えがあった。
初めて【罪人喰い】を見た時、護衛の命を奪った杭だ。
ゾットがより一層警戒態勢をとり、マスターが興味深そうに店内の詳細情報に目を通す中、ガルバトと部下達の死体が宙に浮いた。
かと思えばどこからともなく出現した白い布がガルバト達を梱包していく。死体を持ち運びやすくするため、手足が動かないよう一つに纏めているのだ。
僅かな間に梱包は済み、死体は出入り口に積み重なっていく。
『あれは『アヴァロン社』製の多目的自動梱包布【包むんです】か。なるほど、こんな使い方もあるのか。確かに死体処理には最適だな。それで、床の汚れはどうしてくれるのかな?』
感心したように言うマスターは、【包むんです】が出現してすぐに姿を現した存在に問いかけた。
「最優先任務だったので手荒な真似をして申し訳ない。荒らしたのはコチラですからね、もちろん迷惑料と掃除はさせていただきますよ」
姿の現したのは一人の星人だった。
黒を基調として紫色のラインが走る軽装甲型の強化外骨格で全身を包み、フード型の拡張装甲と装甲ガスマスクを装備し顔を隠している。
手には何も持っていないが、腰には電熱ナイフや伸縮自在電撃棒、衝撃鎮圧爆弾など幾つかの武器が備え付けられていた。
全員をほぼ包む強化外骨格によってヒューマンタイプの星人である事以外はよく分からないが、ただアース星人だろうと思う体形であり、身に纏う存在感はゾットが知る【罪人喰い】そのものであった。
『それなら、さっさと済ませて出て行ってくれるかな。客が入らないと商売にならない』
「以後気を付けます。では、失礼」
【罪人喰い】は杭を撃ち込まれた事で床を濡らすガルバドの吐血に何かの液体を振りかける。青色の液体であり、それが軽く広がると血液は即座に凝固し、更に何かの液体をかけると今度は溶けて消えた。
その後には何も残らない。
薬品による血液の掃除と痕跡の隠蔽はゾット達のような裏世界の住人には慣れ親しんでいる作業だ。それでも普通のやり方よりも速く簡単だった事で、マスターは新しい情報を得たと感じ、ゾットは自身も使いたいと思う。
床は既に濡れてもおらず、汚れる前と同じ状態に戻っていた。
手早く血の後始末を終えると、【罪人喰い】は電子チップを奇跡的に残っていたテーブルに乗せ、軽く会釈して出入り口に足を進めた。
その背後からは浮遊する梱包された死体が追随していた。その奇妙な光景にゾットの意識が偏り、張りつめていた意識が僅かに緩み。
「ああ、そうそう。そこのゾット・バベル=パライソンさん。アナタの引き締まった肉体、アナタが覗き見した時にも思ったんですけど、美味しそうですね。できれば次に会う時は明確な敵として出会いたいですね」
その油断からスルリと心臓を突き刺すナイフのように。
装甲ガスマスクを僅かにずらし、見えた口元は歪な笑みを浮かべて舌舐めずりし。
耳元でそっと、『アナタを喰う為に』と囁かれた。
ゾットは思わず声がした右横を即座に振り向き、しかしそこには誰もいない。慌てて出入り口を見れば、そこには既に何もなかった。
【罪人喰い】も、ガルバド達の梱包された死体も、既に無くなっていた。
目を離したのは一瞬の事。マスターにどうやって消えたのかを聞けば、『まるで虚空に溶けるようだった』と言う。
『再びハ、出会いたクナいな……』
まるで荒らしては直ぐ何処かに向かう嵐の幻影でも見ていたようで、しかし現実であると壊された店内が教えてくれる。
ゾットは何かが違えば自分も殺されていた『かもしれない』未来を想像し、今後の方針をどうするのか決めかねた。
聴覚に残る【罪人喰い】の声は、選ぶ道を間違えればガルバドと同じ結末を迎えるのだろうと想像するのに十分過ぎる程の説得力があった。
今回はたまたまガルバドという優先対象が居たから、前回は気紛れで、助かった。
しかし次会えばどうなるかは分からない。
僅かなやり取りで、ゾットは【罪人喰い】は獲物として自身を見ている事を理解していた。
最後に見えた口元は美味しそうな料理を前にした捕食者のそれである。
『引退、するカ?』
真剣に引退を考え始めたゾットだが、いかな運命神の悪戯か。
ゾットはこれから幾度となく【罪人喰い】と関わる事になる。
しかしそんな未来を知るよしもないゾットは悩み、苦悩するのだった。