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abhor and forbid

作者: 橘ツカサ

 正午過ぎの日差しが燦々と差し込む教室。そこは現在、午前の授業を終え、ひと時の休息を謳歌する生徒たちの社交場と化していた。

 その交わされている言葉はグループ単位で幾重にも重なり、意味の失われた音声と抑揚とが不協和音を奏でていた。

 その喧騒の中、ひとりの男子生徒が本へと目を落としていた。しかし、彼の視線は確かに開かれたページを捉えているが、眼球は文字を追うでもなくただ一点を注視しているのみであった。外界との接点を遮断しているかのような雰囲気をかもし出しているその少年の背後から、別の男子生徒がしのび足で近づきつつあった。彼は席に座る少年の顔を覗き込み薄ら笑いをうかべる。

「よお、フヒト。難しい顔して何読んでんだ?」

 そう言うと硬直していた少年の手から持っていた本を掠め取る。

「あ! 返せ。おい、やめろって、リカルド!」

 フヒトと呼ばれた少年は、我に返えると、本を取り返そうと腕を伸ばした。リカルドと呼ばれた男子生徒はそれを巧みにかわしながら本の表紙を確認する。

「なんだ、小説かよ。しかも昔の大衆小説。こんなの読んで何でさっきみたいな顔ができるんだ?」

 リカルドはいかにも腑に落ちないといった様子で眉をしかめ、フヒトに向かって本を放った。

「人がどんな顔で本を読もうと勝手だろうが! おまえに関係ないだろ」

 フヒトは不機嫌そうに眉根を上げ、その本をキャッチした。

「関係ないことはないだろう。俺とおまえの仲じゃないか」

「うるさい、気色悪いこと言うな。邪魔だから向こう行ってろ」

 にやけ顔で迫るリカルドに、フヒトはおざなり気味に追い払う手振りを向けた。

「つれないこと言うなよ。何か訳ありか? それなら話してみろよ。どんな些細なことでも共有しあおうぜ」

 さらに付きまとうリカルドに対し、フヒトはうっとうしそうな視線を向ける。

「フヒトのことですもの。おおかたストーリーとは関係のないところに引っかかりを覚えて考えごとでもしてたんでしょう」

 不意に隣接する席から落ち着き払った声が発せられた。それに反応した二人の視線の先には、気品に満ち溢れ、少々大人びた雰囲気の女子生徒が座っていた。

「そうなのか?」

 リカルドが再びフヒトに向き直る。

「まぁな。だけど、わざわざ話題にすることじゃないよ」

「それは内容を聞いてから判断すればいいこと。まずは話して御覧なさい」

 女子生徒は、肩にかかる亜麻色の髪をかきあげながら、澄ました態度と口調でフヒトを促す。

「ほら、クリスもああ言ってることだし話してみろよ」

 リカルドも尻馬に乗ってせっつく。

 フヒトはクリスと呼ばれた女子生徒の様子をチラッと伺う。自分に向けられているその凛とした瞳を見て、観念したかのようにため息をついた。

「わかった、話すよ。だけど、くだらないことだぞ」

 フヒトの前置きに対し、リカルドはフンフンとうなずきながら身を乗り出した。

「ただな、フィクションの中での天才と冠せられている人物に、本当に天才だと思えるような描写はないなと漠然と思ってたんだ。それで今まで読んだ本の記憶をさらってたんだよ」

「なんだ、そんなことかよ。ホントくだらないな」

 リカルドは大袈裟なリアクションで期待はずれを表現した。

「だから最初に言っただろうが」

 フヒトはそのリカルドの態度を不満げに睨んだ。

「あのな、登場人物の設定に疑問を持つなんてどうかしてるぞ。そもそもそれは、お話を成立させるための大前提なんだからな。それともあれか? おまえはファンタジーの魔法とか特殊な能力について『これはどういう原理でこうなるんだ?』とか本気で考えるタイプか? だったらフィクションなんて読む資格ないぞ」

「ああそうだ! それが悪いか! でもな、もし読み手側が設定に納得するだけのものを作り手が提供できてなければ、読者は興ざめするだけだろう、違うか?」

「生真面目と言うかなんと言うか……。とにかくフヒトらしいわね」

 クリスは上品に笑った。

「まったく。そう思うんなら最初から読まなければいいじゃないか、そういう小説なんてよ」

 リカルドは呆れたようにため息つく。

「でも、読んでみたくなるだろう? 他人が評価しているものなんかはさ」

「おまえ、意外と流されやすいのな」

「悪かったな。なんとなく気になるんだよ、もしかしたら自分の知らない知識が語られているんじゃないかって」

「その知識欲の結果、今みたいにくだらない疑問でほうけてりゃ世話ないぜ……。はは~ん、さてはおまえ、暗に自分が賢いってほのめかしてるんだろ。『他人の非凡は俺の凡庸』ってか、この優等生野郎!」

 リカルドはフヒトにヘッドロックを掛け、揺さぶった。 

「違う! 俺はちゃんと自分が何も知らないってことを知っている!」

「おまえはどこぞのダイモンにとりつかれた石工か!」

 リカルドは苦しそうにもがくフヒトをさらに締め付けた。

「人物の言論で天才を描写するなら、少なくても作者のほうもそれなりでなくてはいけないというのはわかるけれども、確かにフィクションの天才~という存在は、『天才』という語から受けるインパクトから比べると遥に常人的よね」

 ふざける二人を尻目に、クリスは思案するように中空を眺めた。

「それはあれですね。信仰上の神様が人間味を帯びるのと同じ事情ですね」

 その声に振り向いたクリスの目の前に、ひとりの少女が立っていた。長くてふわふわなノルディク・ブロンドの髪に緑色の瞳、ビスクドールを髣髴とさせる愛らしい容姿。ニコニコと微笑えんでいるその少女は、周りの生徒たちと比べて確実に年下である。

「あら、リズ。食堂から帰ってきたのね。べスはどうしたの?」

 クリスがその少女に笑いかけ、リカルドはフヒトにかけていたヘッドロックを解除し、片手をあげて挨拶をした。

「べスちゃんはお昼寝の真っ最中なのです」

 リズと呼ばれた少女が指し示した先には、机に突っ伏している少女がいた。

「昼寝だなんて、べスもまだまだ子どもだな」

 リカルドが呆れ顔で、すやすやと気持ち良さそうに寝息をたてている少女を見やる。

「そんなこと本人の前で言ってはダメですよ。べスちゃん、子ども扱いされると怒りますから」

 笑顔で注意するリズに、リカルドは手振りで承諾の意を表した。

「ところでリズ、今の話、詳しく聞かせてくれよ」

 痛みで顔を歪ませたフヒトが頭をさすりながら話しかける。

「はい、いいですよ」

 リズは笑顔でそれに応じた。

「人間の認識には限界があるということです。例えば主観的・客観的というお話。よく主観的というと多くは自分というものに根ざした立場、それに対して客観的というとそれ以外の何か特別な立場に立脚していると考えられています。ですが、その客観的という立場も人間の認識に深く依存し、それ無しには成立しないものなのです。その証拠に、客観的視点で語れるのは人間として認識できる範囲内のことだけです。ですから、人間は自分たちの認識を超えたものについては語りえないし想定もできないのです。そのため、神様のような超越的存在に対しては多くの場合、人間的なものが反映されてしまうというわけなのです」

「つまり人間が神の属性について語れないように、常人は天才について語れない。ゆえに常人の語る天才は常人らしさが反映されてしまうというわけね」

 リズはクリスの言葉を笑顔で肯定する。

「そうか! だからフィクションの天才はちょくちょく奇人的描写がなされることが多いんだな。その常人振りをカモフラージュするために。それにしても、さすがにリズ。『アーティフィカル』なだけのことはある。そんな難しいこと、よく知ってるな」

 顔に手を当て何かを思案するフヒトの脇で、リカルドがウンウンとうなずく。

「いや、『アーティフィカル』どうこうじゃなくて、それは単にリズが賢いからだろ」

 フヒトはすかさずそれを訂正した。

「ああ、そうだよな。すまんすまん。リズは本当に賢いな」

「うふふふ、褒められちゃいました」

 少し照れくささを滲ませた屈託のない笑顔につられ、他の三人も笑顔になった。

「お~い、授業を始めるぞ。席に着け~」

 間延びした声とともに、ひとりの老教師が入室してくる。その老教師がドアを閉めるのと同時に始業を告げるベルが鳴り出した。

「まったく……。スミスのじいさま、来るの早すぎなんだよ」

 リカルドはベルの音で相殺されるほどの音量で文句を言うと、他の生徒たち同様、自分の席へと戻っていった。

 スミス教諭は出欠確認を済ませると、教科書を開く。

「え~、では授業を始める。今日は君たちにも関わりの深いところだからしっかり聞くように」

 教壇脇に置いてあたった椅子を教卓のところまで運ぶと、スミス教諭はゆったりとした動作でそれに腰掛けかた。

「かつて人類が抱えていた諸問題、資源枯渇・環境破壊・食糧危機などが解決不能な段階まで進行し、それが契機とりなり人類の人口は激減しました。その人類の危機を回避するために様々な技術が次々と開発され飛躍的な技術革新がもたらされたというのが前回まで。さて、滅亡の危機を脱した人類ですが、人口激減による文化の担い手の不足は、現在もなお、深刻な問題として続いています。そこで連合政府はその状況を打開する対策として『ヒト遺伝子への人為的介入の規制及び適正化に関する法』通称『優生推進法』を制定したのです。この法律は優秀な人類を故意的に生み出すことを目的として制定され、以後その指針に準拠した施策により新たな人類の種別を生むことになりました。具体的には、優秀な遺伝子同士を掛け合わせる体外受精と代理出産により誕生する『デリバレート』、それと同様の過程で生まれた受精卵にさらに遺伝子操作を施し、人工子宮で育成・誕生する『アーティフィカル』です。ですが、もちろん優秀な遺伝子を持つ者が即優秀な人材となるわけではありません。神童も二十歳過ぎればなんとやらという言葉もあるように、人の能力というものは環境などの後天的な要因が大きく関係してくるからです。そこでその大きな可能性を秘めた子どもたちに理想的な学習環境を提供するために建設されたのが当学院『ネオ・アカデメイア』です。もちろん、前述の『デリバレート』『アーティフィカル』だけでなく、従来通りの過程で誕生した人類、いわゆる『ナチュラル』の中にも当然、大きな可能性を秘めた子どもたちが数多く存在します。そのため、この学院には全世界から多くの優秀な子女が集まることとなりました。これには三者を同一環境に置くことにより、愚かしい選民感情が芽生えないようにするという目的も含まれています。この新たな試みは我々人類の希望となることでしょう。え~、このように君たちはまさに新たな歴史の中心にいるわけであるからして、そのことを自覚し勉学に励むように。続いて、この他に政府が打ち出した新たな政策として重要なものに……」

 スミス教諭は老眼鏡越しに生徒たちを見回した後、さらに講義を続行させる。

 フヒトは窓の外に広がる昼下がりの光景をぼんやり眺めながら、それを聞き続けていた。


「おーい、フヒト。帰ろうぜ」

 放課後、リカルドが鞄を抱えながらフヒトの席までやって来た。

「ん? ああ、そうだな……」

「なんだ、その気のない返事は」

 リカルドは眉をしかめてフヒトを見やる。

「何か考え事をしてたみたいよ、授業中からずっと」

 隣の席から笑いを滲ませたクリスが口を出す。

「またか? おまえも飽きないヤツだなぁ」

「余計なお世話だ」

 呆れ顔のリカルドをフヒトは不愉快そうに睨んだ。

「思い悩むことは青少年の特権なのです」

 三人の傍にリズがとてとてとやって来る。その隣には、昼休みに眠っていた少女べスの姿もあった。年の頃・背丈はリズと同じ、ストレートのダーク・ブロンドにグレーの瞳。リズ同様、素材としての愛らしさは備えているものの、その表情は無愛想と言えるものだった。

「おい、リズ。おまえ一体いくつだよ? 頼むからそういう年寄りくさいことを平然と言うのはやめてくれ……」

 リカルドは懇願するようにリズを見つめた。

「ところでフヒトさん、何を考えていたんですか?」

 リズはリカルドへ笑顔を向けた後、フヒトへ向き直った。

「よせよせ、きっと昼間同様くだらないことなんだろ。それより、早く帰ろうぜ」

「さよならリカルド、また明日」

 出入り口に向かおうとするリカルドへ、クリスがさめた態度で別れを告げた。リカルドはハッとして周りを見回す。

「なんだよ、マイノリティーは俺のほうかよ」

 しぶしぶリカルドはフヒトの前の席に腰を掛け、面倒くさそうに手振りで話の進行を促した。

「別に俺は話すともなんとも言ってな……」

 そう言いかけたフヒトであったが、周りの視線を感じて押し黙った。

「あのな、今日の政経の時間、優生促進法のことやっただろう。あれって今では当たり前のことだからさらりと受け流せるけど、昔ならその手のことをしようものなら猛反発をくらってたらしいじゃないか」

「ああ、そうらしいな」

「今だって少数ながら反対している人もいるわ。そのほとんどが『ナチュラル』だけど」

 リカルドとクリスがフヒトの話を受ける。

「だが、それって本当に批判されることなのかって考えていたんだよ。もちろん俺自身が『デリバレート』だからそう言うわけじゃないけど」

「う~ん、どうなんだ?」

 リカルドが腕を組んで唸る。

「難しい問題ね。特に受け入れることが当たり前の時代で育った私たちにとっては……。そもそも、昔の人たちは何で反対してたの?」

「主に宗教上の理由と倫理的な理由からですね」

 クリスの疑問にリズが答えた。

「そうか。まあ、宗教上の理由は議論する必要もないだろうけど、倫理的な理由って何だ?」

「例えば生命の尊厳とかですね」

 リカルドの疑問にまたリズが答える。

「生命の尊厳……。それもまた漠然としてるな。それって具体的に言うとどうなる?」

「生死を軽々しく扱ってはならないということかしら……」

「そりゃ確かにそうだよな。今でもその考えは通用するぜ。だから故意的に生命を誕生させるってことに反対したっていうことか。まあ、それならわからなくもないな……」

「いや、それは違うんじゃないか?」

 フヒトがおもむろに口を開いた。

「もしその主張が妥当なものなら、生命の『生』に向けられるのと同程度の配慮が『死』のほうにも向けれれていなければならないことになる。だが、その時代、胎児の人工妊娠中絶は社会的に広く認知されていた。さっきネットで調べたんだが、その手法は成長しつつある胎児の体をバラバラにして母体外に掻き出すというものだったらしい。しかも、その中絶理由は、やむにやまれぬ事情からというのはごくわずかで、そのほとんどが親の都合によるものだったそうだ」

 一同の顔に嫌悪感がはしる。

「そんな社会で語られる生死の軽重なんて説得力の欠片もないわね」

 クリスは一際険しい表情をうかべた。

「まぁ、なんだ……。生命の尊厳というのが建前だと仮定すると、他にどんな理由が考えられる?」

 クリスの表情に気おされたリカルドは、おずおずとリズに話を振った。

「そうですね~。人為的介入によって誕生する『ヒト』への無意識的な嫌悪の念でしょうか?」

「なに? それってつまりどういうことだ? しかも、なんで『ヒト』限定なんだ?」

「つまりだな……」

 フヒトがその疑問に答えようとし、一瞬思案のために間を開けた。

「おまえ、馬とロバの間に子どもができること知ってるか?」

「おいおい、馬鹿にするなよ。それぐらい知ってるって。ラバのことだろ」

「そうだ。同じようにヒトとチンパンジーの間にも子どもが生まれる」

「うぅ……、それ本当かよ!?」

「今のおまえの感情がそれに近いんじゃないか? 他の動物の場合と、『ヒト』が関わってる場合とでは明らかに反応が違うだろう」

 フヒトはリカルドの歪んだ表情を見て笑みをうかべた。

「ああ、確かに……。同じ異種交配なのにな……。それが『ヒト』限定っていうことか……」

「まぁ、今のは極端だが、人間は『ヒト』が関わる問題に過剰に反応するものなんだよ」

「そうね。それはあながち間違いではないかもしれないわね。事実、『ヒト』以外への遺伝子操作は結構早い段階で実施されているわ。それに、家畜やペット、食用・観賞用植物に対しての異種交配なんていったらさらに歴史が古くなるし。実際上、人類は自分たちの都合で様々な生命の営みに介入してきたのよね。これでまた、生命の尊厳というのが建前だってことに信憑性がでてきたのかしら」

 クリスのつぶやきに、フヒトは黙って首肯した。

「人間は同属と認識しているものの差異には敏感に反応する。そして、ときにその差異へ拒否感を感じる場合がある。だから、人為的介入によって誕生する『ヒト』に、いわゆる自然に誕生した『ヒト』は嫌悪を抱くというんだ。な、リズ」

 リズはそれに笑顔でもって答えた。

「宗教、文化、主義、主張、人種、民族、果ては男女間まで……。その手の差異からくる軋轢と問題は尽きることなかったというのは事実ですものね」

「一般に争いというものは立場の全く異なるものの間で起こると考えられているが、実際は近い間柄であるほど、つまり同属であるほど、争いという行為は発生し、苛烈化するものなんだ。事実、民事訴訟なんかは、肉親身内同士ほど醜い争いになるそうだ。そして、歴史的な問題、キリスト教とイスラム教の反目、そのふたつの宗教は元をただせば同じものだしな」

「元は同じという思いがあるから、その同属の差異に不寛容になるのかしら。そんなこと放っておけばいいのに」

 クリスが眉をしかめて嘆息する。

「そうは言うが、なかなか受け入れられないものだぜ、実際の心情としては。例えば、うちの親は妹を溺愛してる。それで妹はしょっちゅういい目を見てるんだが、ときどき俺はなんでこいつばっかりと思うことがあるしな」

 リカルドは真情味たっぷりにうなずいてみせた。

「あら、嫉妬? リカルドらしい。でも、嫉妬は人間の感情の中で最低のものだって言うわよ」

 クリスがからかうようにリカルドを見やる。

「俺らしいってどういうことだよ! 人を最低人間みたいに言うな!」

 リカルドの立腹ぶりを一同は笑顔で眺めた。

「リカルドの場合はともかく。その手の感情がある種の行動を駆り立て、人類の歴史に深く影響しているってことは事実だ。いわゆる『ルサンチマン』だな」

「ルサンチマン? それって強者への弱者の鬱屈した感情とかそういう意味だっけ?」

「まあ、そんなものだ。本来的にはキリスト教的道徳に用いられるものだが、同じような作用は他にも当てはまる。例えば革命とか」

「革命か……。だが、確かにそれは虐げられたものが反旗を翻す契機になったんだろうが、それって真っ当な行為じゃないか? 俺には嫉妬とかは無縁に思えるが……」

「いやいや、俺が言いたいのはそっちじゃなくて、主に共産革命みたいなもののほうだ」

「確かにそうね。封建体制下での革命ならいざ知らず、それ以外の革命なんて、所詮、お金持ちへのやっかみの産物でしかないわ。結局、既得権益者を引き摺り下ろして、それに自分たちが取って代わろうってことだけですものね。自分より裕福な人がいるっていうことが欲深い人には許せないのね、同じ人間として。他人がどれだけ財産を持っていたとしても関係ないでしょうに。それをなんだかんだともっともらしい理屈を並べて……。本当に心根の卑しい人間の心情ってわからないわ」

「うわっ、でたよクリスの高飛車発言。これだからお嬢様ってやつはよぉ」

「何か仰って?」

 リカルドはさっきのお返しとばかりにはやしたてたが、クリスにきつく睨まれるとふるふるとせわしなく首を横に振った。

「人類という同属でありながら、異なる資質を持つ者への畏怖の念。それがかつて人々が『ヒト』へのバイオテクノロジーの適用を忌避した理由か……」

 二人の掛け合いを尻目に、フヒトはひとりつぶやいた。

「でもよぉ、だったら今の俺たちはなんで平気なんだ? 俺とクリスは『ナチュラル』だし、フヒトは『デリバレート』、そして、リズとべスは『アーティフィカル』だ。だけど、俺たちの間にお互いに対する嫌悪感なんてないぞ。な、そうだろう?」

 一同は、笑顔やうなずきで、それぞれの意を表した。

「それはですね~。差異の感覚を生む、分類の認識というものが先天的なものではなく、後天的に構築されるものだからだと思うのです」

「すまんが、リズ。もう少しわかりやすく説明してくれ……」

 リカルドが申し訳なさそうにリズを見つめる。

「はい。例えばこんな実験があるそうです。大人の人と赤ちゃんに、複数の人間の顔とお猿さんの顔の映像を見せます。被験者の頭には脳波を計測する装置が付けられていて、見た映像をどう認識しているかわかるという仕組みです」

「ほうほう、それでどうなったんだ」

 リカルドが興味深げにうなずく。

「はい。実験の結果、大人の人は人間の顔については個体を識別している反応が現れましたが、お猿さんについては、みな一様の認識を示す反応が出たそうです。それに対し赤ちゃんの場合、人間の顔についてもお猿さんの顔についても、それぞれ個体を識別している反応が現れたそうなんです」

「それは面白い結果ね。それで、そこから導き出される結論は?」

 クリスも興味深げに話を促す。

「はい。この実験からわかることは、赤ちゃんのうちは誰もがみな、人であろうと何であろうとあらゆる存在者をそれぞれ個物として認識しているということです。そして、成長していく過程でのカテゴライズの結果として、その個物を色々な分類に振り分けていくということです。その分類化作業は後天的なもの、つまり環境に左右されるので、その出来上がる分類も環境次第で多種多様となります。ですから、ある人の中では全くの同属のものと認識されるものでも、他の人にとっては差異ある存在と認識されるということがありえるのです。例えば、人種の問題です。単一人種で構成される社会で育った人にとって、違う人種の人は異質な存在として自分たちとは別の括りとなったりします。それに対し、多人種社会で育った人は、違う人種の人たちでも自分と同じ括りとなることが多いのです。その証拠に、単一人種社会の人は、違う人種の人たちの顔を判別するのが苦手という傾向があります。さっきの実験の例、赤ちゃんはお猿さんの個体差も識別していたのに対し、大人の人は、『お猿さん』という分類の括りで捉えているため、その個体差が識別できないのと同じです」

「そうか! 俺たちは物心つく前から三者とも同じ環境にいる。それで、それぞれを受け入れ、結果、嫌悪感を生む差異の感覚がないんだな!」

 リカルドが晴々とした顔で声を上げ、リズはそれを笑顔で肯定した。

「宗教、主義、主張はもとより、人種、民族、性別のような生来的な違いも、その差異の感覚は後天的なものだ。つまり、人類の抱えてきた問題はすべて最初から解決不可能な根源的問題というわけじゃないんだよな。人の意識次第でそれらの問題はなんとでもなるはずなんだ」

 フヒトの発言にみな真剣な表情になる。

「上手いことまとめたな! 最後においしいとこ持って行きやがって!」

 にやけ顔のリカルドが、勢い良くフヒトの背中を叩いた。

「いたっ! なにすんだ!」

 非難の眼差しのフヒトに対し、リカルドが強引に肩を組む。 

「なんだかんだ言っても、やっぱりおまえたちはすごいよ。他の同世代の連中とは考えてることがが違うもんなぁ。なあ、クリス」

「そこで一緒にされるのはちょっと心外ね」

 振られたクリスは苦笑した。

 フヒトは困惑の表情でそのリカルドの言葉を受け止めた。

「全然すごくない。むしろそれは当然のこと。ボクたちはそうであることを常に要求されているから」

 それまで黙っていたべスが突如口を開く。一同は彼女に注目した。

「どういうことだ? べス」

 リカルドが怪訝の表情をうかべる。

「ボクたちは受精卵の段階から選別を受けてる。そして、その選別作業は今も続行中。ここにいるということは結果を出せている証拠。人より優れていて当然。だからそれは全然すごいことじゃない」

 リズは無表情で淡々と話す。

「身も蓋もないこと言うなよな、ベス。ところで、選別が続行中ってどういうことだ? なぁ、フヒト」

「文字通りだよ。政府の意図は優秀な人類を造り出すということ。いわば人工的に天才を生み出すってことだ。しかし、人が関与できる範囲はせいぜい優秀な器、より大きな可能性を持つであろう素材を造り出すまで。昼休みの話、覚えているか。常人に天才のことはわからないって話。ある技術を教えられるのはその技術について熟知しているものだけだ。仮に天才という存在が、何かの技術のように教えることで育成できるものだとしても、天才を育成できるのは天才が何なのかということを知っている者だけということになる。しかし、常人は天才について何も知りえない。その常人がどうやって天才を育成できるんだ? つまり、天才を故意的に造り出すなんて最初から無理な話なんだよ。そうなると採られる手段は限られてくる。そのひとつはより多くの者に様々なことを教え込んで、その中で頭角を現した者をピックアップしていくという方法だ。この学院で行われていることはまさにそれだ。ベスの言ってる選別とはそういうことだよ」

「ということは、この学院にいる生徒全員が選別対象というわけか? 俺も含めて」

「当然そうなるな」

「なんだよ、それ……。俺はてっきり、この学院は宣伝通り理想的な学習環境を提供するところだと思ってたのによ……」

「いや、そのことに間違いはないだろう。事実、ここは最高の学習環境を提供している。学校としては申し分ないところだ」

「けど、何か違うだろう? 学校っていうともっとこう、人を育てるとかそういうものがよぉ……」

「リカルドは何か勘違いしているようね。学校というところは本来こういう場所なのよ。でも中には、学校は社会教育も行う修身塾的役割も担うべきという勘違いした学校観を持っている人もいるみたいね、大昔の私塾のイメージが強いせいか。確かに学校は先生という大人がいて、同年代の生徒たちがいるというある種の社会が形成されている場だから、社会教育の場と言えなくもないけど、それはあくまで付随的なもの。本来的な学校の存在意義とは違うものなのよ」

「そうか、学校というところは純粋に知識を教える場なんだな。そして、それ以上でもそれ以下でもないということか……」

 クリスの説明をリカルドは感慨深げに受け止めた。

「だから、学校制度が上手く機能している社会では、学歴というものがひとつのステータスとなりえるの。人格や、総合的な能力とはまた別の判断材料として」

「教育と簡単に言っても、それには人格形成から、知識を教えるという行為までいろいろ含まれている。それを全部学校が担えるわけないだろう。前者を担うのは主に家庭であったりするんだ。教育にはそれぞれその担い手が存在するんだよ。それらが正常に機能して、はじめて人が育つんだ。わかったか、リカルド」

「ああ、わかった……」

「そうか」

 フヒトが満足そうにうなずく。

「おまえらはすごいんじゃなくて、周りと比べて変だってことがわかった!」

 リカルドはフヒトの頭を両手で掴んで振り回した。

「や、やめろ! 脳震盪が起きる、脳震盪が!」

「アホか! こんなことぐらいで起きるか!」

 リカルドは笑いながらフヒトの頭を解放した。

「しかし、おまえたちといるとホント飽きないぜ」

 ぐったりするフヒトを横目にリカルドが言い放つ。

「それはお互い様なのです。リズたちも、リカルドさんといると退屈しませんから。ね、ベスちゃん」

 リズはベスに微笑みかけると、ベスは無言でうなずいた。リカルドはうれしそうな笑顔をうかべた。

「それにしてもベス。おまえは口を開くといっつも可愛げのないことばっかりだよな。そんなんじゃ、せっかくのかわいい顔が台無しだぜ」

 言ったリカルドは笑顔だが、言われたベスは途端に不機嫌そうに頬を膨らませた。

「リカルド……。それってセクハラ発言よ」

 クリスが呆れた眼差しでリカルドを見る。

「なんでだよ! 俺はそんなつもりで言ったんじゃないって!」

 リカルドは座っていた椅子から腰を浮かせ、あたふたと弁解する。

「大丈夫です。ベスちゃんは照れてるだけなのです」

 リズがベスの膨らんだほっぺをぷにぷにと突っつくと、ベスはついとそっぽを向いた。

「そうか、それなれらいいんだ」

 リカルドは安堵のため息をつきながら椅子の上にへたりこんだ。その視界へ机にうつぶすフヒトの後頭部が映る。

「おい、フヒト。いつまで寝てる気だ。今度こそ帰るぞ」

 首根っこを引っ張ってリカルドはフヒトの体を起こした。

「うわっ、やめろ! セクハラだぞ!」

 フヒトが叫ぶ。

「この野郎! 便乗すんな!」

 リカルドがフヒトの胸の辺りをポンと叩くと、一同から笑みがこぼれた。


「よし! これからどこ行く。いつものところでいいか?」

 校舎を出たところで、先頭を歩いていたリカルドが振り返る。

「そうね。私は構わないわよ」

 クリスが澄まして応える。

「……ミルフィーユ」

 ベスが無愛想につぶやく。

「ベスちゃんもいいみたいですよ。もちろんリズもです」

 リズがニコニコしながら応える。

「ベスの分は当然おまえもちだよな。さっきのセクハラの慰謝料として」

 フヒトがリカルドにいわくありげに笑いかける。

「冗談言うな! なんでそうなるんだよ!」

 眉を怒らせるリカルドをベスが無言でジッと見つめる。

「うっ……。わかった、わかったよ。しょうがないな、今日は特別だぞ」

 ため息をつくリカルドに向かって、ベスはコクッとうなずいた。

「それじゃあ、俺もさっきの慰謝料として……」

 フヒトが口角を上げる。

「ふざけるな! もういい、おまえは帰れ!」

 リカルドが手に持っていた鞄をフヒトに当てる。

「おいおい、今度は暴行罪か? え~、これはさっきのと量刑加算で……」

「いい加減にしろ! 調子に乗りやがって!」

 リカルドが飛び掛る姿勢を見せると、フヒトは一目散に逃げ出した。

「待て!」

「逃げてるヤツに『待て』なんて言わないだろ、普通。ドラマの見すぎじゃないのか、おまえ?」

「この野郎! もう許さねぇ」

 追いつ追われつの追いかけっこをはじめる二人。

「男の人ってなんでこう幼いのかしら……」

 その様子を見つめるクリスが呆れたようにため息をつく。それに応えてリズは笑顔で、ベスは無表情でうなずいた。

 やや赤みを帯びてきた日差しの下、それぞれ異なる背景を背負う五人の影は、みな同じ方向に向かって伸びていた。


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