<第2話>陰謀(2)
セルニダは、神聖帝国の首都であると同時にアヤルカス王国の首都でもあった。
アルメニア帝国の宮殿であった紫芳宮は、そのまま両国の宮殿として現在も利用されている。一人の皇帝と一人の国王が同じ建物内に存在し、それぞれの国の政務を行うという異常事態はそれほど長くは続かぬであろうというのが、大方の見解あった。
事実、神聖帝国もしくはアヤルカス王国のどちらかが新首都の建設に乗り出しているとまことしやかにささやかれている。候補地として挙げられた土地のいくつかを実際に皇帝の側近が見回っていると言う話に、さもあらんと頷く面々は多かった。
「ユリシエルとは、だいぶ違うな」
馬車から降り立ったシェルマリヤは、青い目を細めて紫芳宮を見上げる。広大にして壮麗、としか聞き及んでいなかったその宮殿は、噂に違わぬ威容を彼女に見せ付けていた。雪に埋もれるカルノリアの首都ユリシエル、その雪の重みに耐えられるよう、見目よりも強度に拘ったつくりである皇宮に比べ、気候温暖なアヤルカスに存在する紫芳宮は見た目の華やかさを強調しているのか、やけに眩しく映った。一分の隙もなく敷き詰められた、丁寧に磨かれた石畳。上を通過する轍に衝撃を感じさせない優れた技術にも肝を抜かれた。
「確かに、学ぶべきことはありそうだな」
建築の都、芸術の都、と呼ばれ、古くより留学遊学を求める人々が絶えなかった街。ここの暮らしを体験するのも悪い話ではない。
但し、花嫁候補として値踏みされることさえなければ。
「どうぞこちらへ」
恭しく案内をする紫芳宮の女官に従い、彼女は建物の中に足を踏み入れた。毛足の長い絨毯が敷かれているカルノリアと異なり、セルニダは床がむき出しであった。しかし、それはまるで「舐めたように」との表現が相応しいほど磨き上げられ、ぼんやりとシェルマリヤの姿をそこに映し出している。
黒い髪を高々と結い上げた、男装の姫君。
ユリシエルでは彼女を知らぬものがない故に、奇異なる目を向けられることは皆無だが、この国ではどうであろうと密かに反応を期待していたのだが。取り立てて誰も何も言わず。彼女が通っても目を丸くしたり驚いたりするものはいなかった。
(そうか)
そういえば、この国の皇帝は、男装の姫君であったのだ。既に戸籍の差し替えも行われ、誕生したときより男子であったとされた、若き皇帝―アグネイヤといったか――彼女は、シェルマリヤよりもひとつ年下だというが。どのような人物であるのか。
「会ってみたいな」
ポツリと呟く。花婿となるであろうアヤルカス国王よりも、神聖帝国皇帝に興味を持ってしまうなど。両親や伯父が知れば、苦笑するか怒るか。どちらかであろう。
「カルノリア第一将軍ご息女、シェルマリヤ姫のご到着でございます」
広間に響き渡る先触れの声に、シェルマリヤは顔を上げ背筋を正し、前方を見つめた。
◆◆◆◆◆◆◆
「お聞きになりまして?」
紫芳宮のそこここにてひそかに交わされる会話は、もっぱら国王の花嫁に関するものであった。
即位と同時に国内外から寄せられた、花嫁候補の肖像画。その中より選びすぐられた三人の姫君の中から国王自身がじかに后を指名するという。
小国エランヴィアのリーゼロッテ姫、ヒルデブラントのマリエフレド公女、カルノリア第一将軍息女シェルマリヤ、彼女らのいずれがアヤルカス国王ジェルファの花嫁にふさわしいか。宮廷のお喋り雀たる女官や貴婦人たちはもとより、普段はしかめ面をした武官文官たちまでもこの話題が出るやそれぞれに興奮して自論を展開させるのだ。
今のところ最有力とされているのは、美貌の誉れ高きリーゼロッテ王女か。
「今後のためにも、ぜひカルノリア帝室と縁を持っておきたいところですな」
文官のひとりが呟けば。
「いや、ミアルシァとの絆も重要ですからな。神聖帝国を再興した手前、ミアルシァの感情も考慮せねば」
「ミアルシァのキアラ公女は、神聖皇帝の側室に、と言われているそうですぞ」
「なんと」
潜められた会話は、巫女姫の来訪により途絶える。古来より続く巫女の正装をした彼女が、楚々とした様子で巫女たちを従えて廊下を歩けば、官僚たちは揃って左右に道を開けこうべを垂れた。
神聖帝国において、皇帝以上に高い地位を持つ巫女姫。彼女は帝国の守り神にして、支配者でもあるのだ。
「……相変わらず、騒がしいわね。またあの話?」
廊下を通り過ぎ、中庭まで歩を進めたとき。イリアは肩をすくめた。一介の占い師であったときはいざ知らず、今は帝国の象徴たる巫女姫である。人目のあるところでは砕けた仕草を見せることもできぬ――その不自由さに辟易している彼女である。しのびあう恋人たちくらいしか訪れるもののないこの中庭が唯一宮廷の中で心休まる場所であった。
「ミアルシァは、キアラ公女をアグネイヤの側室に、と言っているようだけど。彼女、いえ、彼は受けるのかしら? その話」
少女らしい嫉妬か、それとも単なる古王国に対する嫌悪か。イリアの眉がひそめられると、ロエラは小さくかぶりを振った。
「陛下はこの話、お受けにならぬでしょう。自ら進んでミアルシァの密偵を招きよせるなど、聡明なあの方がなさるはずございませんもの」
ロエラの言葉にイリアは頷く。
異国からの花嫁といえば、密偵も同然。
それは常識である。そのうえ、神聖帝国大公に最も近い存在であるアヤルカス国王は、ミアルシァの血を濃く引いている。彼にかつてのアルメニア王国の領土を継承させたとあれば、これ以上ミアルシァにへつらう必要はない。
「あたしとしては、シェルマリヤに来てもらいたいのだけど」
カルノリア皇帝の姪、シェルマリヤ。彼女がアヤルカスに、神聖帝国に縁付いてくれれば。これ以上頼もしい味方はないだろう。けれども、先日見たシェルマリヤの肖像画は、イリアの知る彼女とは違っていた。
イリアがセグにて見えたシェルマリヤ、つまりシェラは、亜麻色の髪の少女であった。しかし、肖像画に描かれたシェラは、黒髪の令嬢だったのである。顔立ちは確かにシェラと酷似していたが、やはりあのときのシェラと花嫁候補となったシェルマリヤは別人なのだろうか。
明日の夜、宴のときに嫌でも顔をあわせることになるのだが。それまで、我慢できるようなイリアではない。
「――ちょっと、出かけてきていい?」
ひそ、とロエラに囁くが、
「いけません」
あっさり却下されてしまう。
「シェルマリヤ姫のご尊顔をこっそり覗き見るつもりでしょう? いけません。あなたはもう、神聖帝国の巫女姫なのですよ。立場を考えてください」
子供をしかりつけるように窘められると、逆に気力がわいてくるのがイリアである。その性格を知らぬロエラでもないだろうが。さすがに神聖帝国正室となった今は、そこまで軽はずみなことはしないであろうと高を括っていたのであろう。部屋に戻り、侍女や巫女たちと軽い茶会を済ませた後に、
「疲れたから部屋に戻るわ」
寝ているから、起こさないでね、と。寝室に戻ったイリアはそのまま部屋を抜け出したのだ。
「だめ、といわれるとやりたくなるのよね」
世俗の姫の身に着けるような――それでも幾分質素なものを選んだつもりだが――衣裳を纏い、彼女は窓から飛び降りた。お転婆は得意である。子供の頃は、木から木へと飛び移り、守役のユリアーナに叱られたものだ。幸いなことに、口うるさい守役はここにはいない。即位の式典がすべて終了すると同時に、老婆とともにこの国を去ってしまった。イリアと、ロエラを残して。ロエラもユリアーナに負けず劣らず口うるさいが、イリアの守役としてはまだまだ修行が足らない。イリアを甘く見ているところがあるのだ。その死角を突いて、うまく立ち回るのが、イリアにとっては面白い遊びになってきている。
巫女姫、と呼ばれようが、本来は十五歳の子供である。まだ、遊びたい盛り、無茶をしたい盛りでもあるのだ。
シェルマリヤが紫芳宮に到着した旨は、先に侍女から知らせを受けて知っている。ひとり、狩りに赴いているアグネイヤにも報せを届けてはいるが。彼女の帰還はおそらく日が暮れる頃であろう。そのときまで待ってはいられない。
なんとしても、確かめたいのだ。
シェルキスの姪、シェルマリヤ――同名の別人なのかどうか。
(確か)
異国の姫たちは、それぞれに別の棟に宿泊させられているという。将来の花嫁候補が、一堂に会してしまっては、さすがに決まりが悪いであろう。昨日早々に到着したヒルデブラントの公女は、翠小宮に逗留しているというから。残るは、碧小宮もしくは緑小宮であろう。緑小宮は若干紫芳宮より離れているので、とりあえず手近な碧小宮から確認してみようか――そう考えて、イリアはこっそり裏口へと回った。こちらは、侍女や小間使いたち、下男が使用する門である。人通りが激しいゆえに、それほど目立たぬかと思ったが。
「どこの姫様ですか?」
当たり前のことであるが。衣裳が目立つばかりに、小間使いの一人に声をかけられてしまった。
「あれ、そこにどこかのお姫様がお迷いになられて」
小間使いは親切のつもりであったのだろう。声を張り上げて仲間を呼んだ。まだ幼い姫君が、侍女とはぐれて途方にくれていると思われたのだろう。
「ち、違いますっ。大丈夫ですから!」
慌てて手を振り、その場を逃れようとイリアが踵を返したとき。どん、と鼻先に何かが当たった。
「……っ?」
鼻を押さえて顔を上げれば、
「――おまえは」
そこには、亜麻色の髪の美少年が佇んでいた。 |