終
「もー! いつまで寝てんのよ、このぐーたら勇者!」
「待て、ディーネ。水はヤバイ。人間を水に漬けると窒息するぞ」
「分かってやってんのよー!」
今日もタクトの部屋は騒がしい。
起こしてくると言って、水の精霊と風の精霊が部屋に入ってから、結構な時間が経っているが、果たしてタクトが起きてくる様子はない。
調理師長のツィーゲが昼餐の準備が出来たと言っているのに、早くしなければ冷めてしまう。
でもまあ、これもいつものことではある。
扉のこちらで炎の精霊や土の精霊を見下ろすと、2人もまた私を見上げ、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
最上級神官リヒトが、最近白いものが混じり始めた髪を気にするように撫で付けながら、私達の後ろを通りかかった。扉の向こうのやり取りが聞こえているのだろう。後ろから来た妹姫シャッツとひっそりと笑い合ってから、楽しそうに通り過ぎていく。
向こう側が少し静かになったところで、質素な扉をこつこつと叩いた。
「タクト? 入りますよー」
扉を開ければ、狭い部屋の中、ベッドの上で寝こけているタクトと、そのタクトに水の神術をおみまいしようとしている水の精霊、水の精霊を羽交い締めにして止めようとしている風の精霊がいる。
「うわあ、ディーネ。太もも丸出しじゃん……」
「……だよ?」
「あっ!? きゃー、ち、違うのよルイーネたん! これはわたし、ほらいつもはこんな乱暴な女じゃないの! タクトが悪いのよぉ!」
「そして、人に責任をなすりつける、と。さすが水の精霊の根性の悪さは人一倍だ」
脚線美もあらわな服の裾を直しながら、水の精霊が私の方へと駆け寄ってくる。
私は微笑みつつ、頷いて見せた。
「ええ、水の精霊。少しお転婆なところも、あなたは美しいですよ」
「ああ……っ! ルイーネたんの笑顔、癒されるぅ……!」
感激した様子で首を振る水の精霊を正面から見つめ、その額を指先で撫でる。
私の横で、炎の精霊が意地悪く唇を歪めた。
「人間の成長って、本当にあっと言う間だよねー。ディーネったら、結局ルイーネに好きなように操られちゃって」
けけけ、と笑っている炎の精霊に対し、私は膝を曲げ正面から視線を合わせる。
「え、ルイーネ……!? ちょ、待って……顔近い!」
「炎の精霊、あまり人のことを悪く言うのはいただけませんね」
「あ、わ、分かった……分かったから!」
「でも……そんな風に素直で物分りが良いところが、あなたの美徳です。そういうところが好きですよ」
慌てて顔を背けた炎の精霊の耳元に、低く囁きかけた。
炎の精霊は「ひゃんっ」と声を上げ、そのままへたりと床に座り込む。
「……恐ろしい成長、だよ」
囁く声にそちらを向いた時には、土の精霊は既に扉の向こうへと隠れていた。
どうやら、自分も標的にされ得ることを察したらしい。
茶色いローブの端っこが扉の隅から見えているが、まあ、何か悪行を行った訳ではない。見逃しておこう。
渋面を浮かべる風の精霊の傍へと足を運ぶ。
「……神官どの。初心な精霊達をからかうのも良い加減にしておいてはどうかね」
「からかう? 恐れ多いことを。私はただ、私に加護を与えてくださった偉大なる精霊達を深く敬愛しているというだけです」
「あの、めぇめぇ泣いていた少年が、5年やそこらでまさかこんなに化けるとはなぁ……」
風の精霊はますます苦虫を噛み潰したような顔になったが、私は笑うだけでそれ以上は答えなかった。下手に言葉を足して、昔の失態を掘り返されるのはゴメンだ。
「さて、タクトはまだ起きないのですか」
「我らが揺さぶった程度では無駄なようだよ。まあ、それも当然か。隣国との戦争でテントの横に砲弾を打ち込まれた時ですら、ぐーすか眠ったままだったからなぁ」
「ああ、そんなこともありましたね……」
それは、去年のことであったか。懐かしい。
今年に入り、ようやく戦況も落ち着いた今、この国に戦争を仕掛けてくるような国もひとまずはなくなったことは寿ぐべきだろう。
――5年前、退位を宣言したレーゲンボーゲン陛下の後を継いだのは、陛下が連れてきた1人の男だった。
黒目黒髪。
勇者に連なる血筋を感じさせるその男は、自らの名を始祖と同じくヴィントホーゼと名乗り、王国を守る壁の消失を宣言した。
ここに、我がエルファンバイン王国は、他国との交流と対立を義務付けられた。我が国が安穏と孤立していたこれまでの間に、他国が乗り越え経験してきた通りの苦難を味わうことになった訳だ。
「タクトも疲れているんじゃない? それくらいは認めてあげるわよ。ここのところ連戦だったもの」
後ろから覗き込んできたのは水の精霊だ。
「わたし、意外だったわ。王になることを拒否したこのクソガキが、自分を最前線において他国と戦うのは承諾するなんて」
どういう考え方なのよ、と水の精霊は愚痴っているが……そして、私もまあ、そう思わなくはないのだけれど。
これがタクトなりの筋の通し方なのだというのも、知っている。
勝手に連れて来られて、誰かのワガママに自分だけ生涯をかけるのはイヤ。
壁を維持するためだけに、王としてずっと玉座に座っているのもイヤ。
だけど、エルファンバイン王国を――そこに暮らす人々を守りたい気持ちがない訳じゃない。
そんなタクトの選んだ方法は、正面から戦う、ということだった。
無関係な誰か1人を犠牲にするのではなくて、この国を守りたい人が、自らの意志で等しくその力を出し合う。
……きっと、それを望んだのだと思う。
まあ、この方、あんまりそういうの口に出さないので、全ては推測でしかないのだけれど。
「それにしても、そろそろ起きていただかないと。今日から隣国との休戦協議が始まるのですよね……」
実質的にしばらく前からずっと休戦状態ではあったのだが、それが正式に形になれば、今度は国交を回復させる方向へと話をすすめることが出来る。
退位されたレーゲンボーゲン前陛下が、その地位を隠して働きかけ続けてきたものが実った……とも言える。退位された後、突然旅に出るなんて言うから何事かと思ったし、何故か現国王のヴィントホーゼさままで時々姿を消してはレーゲンボーゲンさまにくっついて歩いて回っていたらしいので、どういうことなのかと思っていたが。
蓋を開けてみれば、こういうことらしい。昨晩、久々に会ったときには、髪や目の色を隠して市井の者のフリをするのも随分うまくなっていたから、もうしばらくはこのまま情報を提供し続けて頂きたいところだ。
影に日向に多くの者の努力がこうして形となり、休戦の芽が生まれた。
今日は大切な日なのだ。
傭兵から勇者付きの騎士に取り立てられたベルクですら、既に起きて式典に備え鎧を磨いている。
勇者本人が遅刻などしたら、しゃれにならない。
私は伸ばした長い金髪を掻き上げて、眠り続けるタクトの顔に自分の顔を近づけた。
戦場を幾度も駆け抜けたタクトの顔つきは鋭い。初めて会った時よりも、頬のラインから幼さが消え、精悍な戦士に成長していた。近付いて見れば肌は小さな切り傷の跡が残っているし、少し伸びすぎた前髪は爆風に荒れて傷んでいる。とは言え……男らしい強さと元々ののんびりとした性格は、意外にも女性たちには受けているという話。断り続けているとは言え、シャッツを始めとした妙齢の娘さん方との婚姻の話が途絶えないのも、宜なるかな。
……それでも、こうして唇をしどけなく開いて眠っている限りは、かつての姿と変わらない気もする。可愛らしいものだ。
「タクト、起きてください。タクト」
4人の精霊を従えて常に戦場の先を歩く彼の姿を、国民達はどんなに頼もしく見たことか。
英雄とも、勇者とも呼ばれる彼に、命を救われた者の何と多いことか。
だけど。
「タクト。早く起きないと、キスしちゃいますよ――」
「……んがふっ!? キスって、ちょ、おま――」
「――風の精霊が、ね。……あ、起きました? おはようございます」
慌てて飛び起きたタクトに向けて、私はとっておきの笑顔を贈った。
「さあ、私の勇者さま。寝こけてないで、さっさと働いてください」
「あんたな……!」
何か言い掛けたタクトの言葉を最後まで聞かず、笑いながら、衣を翻してその場を去った。
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最後に、多少の優越感とともに書き遺しておきたいと思う。
事情を知る者も知らぬ者も、彼のことを勝手に評価する。
ある者は彼のことを、国を戦禍に巻き込んだ元凶であると言い。
ある者は、勝利を導く救国の英雄であると言う。
だけど、彼の隣に常にあった私からすれば、彼はただ人であったとしか言いようがない。
時に悩み時に苦しみ、時に自分勝手であった。己の信じる正しさしか受け入れない心の狭さを持っていた。
彼に背負わせるべきだったとは今も思っていないが、エルファンバイン王国の長年の安穏たる暮らしを破ったのは、彼の選択であったことはどうしても事実なのだ。
そんな彼のことを知っている私が、それでも最後まで彼とともにあったのは――それが己の選んだ道であったからに他ならない。
己の意思で、己を選べ。
それが、彼がその身を持って、友たる私に教えてくれたことだ。
この手記を読んだ聡明なるエルファンバインの朋輩達が、私同様、彼の教えを理解され、己が道を己が手で切り拓かることを心より祈る。
これにより、タクトという勇者の全てを――その善も悪も何もかもを記すことが出来たと信じ、ここに筆をおく。
エルファンバイン王国よ、永遠に。
勇者付専属神官 ルイーネ記す。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
またどこかでお会い出来れば嬉しいです。