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よくある異世界トリップ少女の話

作者: 日向夏

 困ったこともあるものだと、咲良は思った。


 パジャマ姿にかろうじてケープを羽織っただけの自分の姿は、今現在いる場所に実にふさわしくない。裸足でないのが幸いだろうか、足先が冷えないようにとモコモコソックスを履いている。むき出しの足で、舗装もされていない地面を歩くのは困る。


 手には手袋がはめてある。普通ならおかしいと思うところだが、咲良にとって手袋と靴下は眠る前に必ずつけなさいと言われているものだった。


 かろうじて助かった点はおそらく温かいことだろうか。空気はぱりっとしていて、太陽が南中している。花の匂いがする、まだ夏になっていない、春の匂いだ。緑もまぶしい。


 春、春なのはおかしい。


 陽だまりのような布団の中で、鳴り響くアラームの音を手探りでつかんで消しつつ、「あと五分」と遅刻のフラグを立てる朝ではない。無精にも布団の中に着替えを入れて、そこでごそごそ衣服を身に着け、結局ちゃんと着替えなおすような寒い季節ではなかった。


 それ以前に、眠っているはずの布団はなく、部屋もない。


 ただ、咲良の周りには奇妙な石のが囲ってあった。いや、石というより曇水晶だろうか、巨大な原石をそのまま地面につきたてて、あたかもストーンヘンジのような奇妙な空間が出来ている。


 はて、これは夢だろうか。


 夢というものならお約束通り、頬をつねってみればわかるのだろうか。


 いや、おそらくそれでも咲良にはよくわからないだろう。


 夢なら夢でこのまま留まるのもいいだろうし、歩き回ってもいい。


 ただ、見る限り、これが夢に思えなかった。


 こういう場合どうすればいいだろうか。


 咲良が悩んでいると、水晶の向こうに何か影が見えた。


 はて? と首を傾げる。


『こ、こんにちは』


 おどおどした声、出てきたのは声変わりにもなっていない金髪の少年だった。大きな身の丈よりも高い杖を持ち、真っ白に紫の刺繍を施したローブを着ている。コスプレというには凝っているが、金髪も青い目も本物のように見えた。


 流ちょうな日本語、いや日本語だろうか。声は確かに聞こえるが、まるで頭蓋に直接響くような音だった。


「こんにちは」


 挨拶したら返しなさい。基本的なマナーは教わっている。咲良は日常生活において厳しくしつけられてきた。ゆっくりと頭を下げ、角度は三十度。場合によってはもっと浅く、もっと深く。周りから見たらなぜ、と思われるくらい厳しいしつけをされた。周りから何度か、「厳しすぎる」と両親に抗議がいったこともあった。そのたびに、母はきつい眦をさらにきつくして、抗議した人間に対して「他所の教育方針に口を出すな」とオブラートに十枚ほどくるんで説明していた。


 ふわふわの靴下と手袋、さらにケープ。あまりに着こみすぎて寝心地が悪くなりそうだが、咲良にとって寝心地とは後回しでいいものであった。 


「あなたのためなのよ」


 両親が口にする言葉が何度もリフレインする。これが夢の中なら、ちょっとくらい忘れてもいいだろう。


 さて、目の前の少年を見る。


 少年は緊張しているようで、俯いたり仰いだり、頭を抱えたりと忙しい。ようやく咲良にもう一度声をかけたのは三十七秒後のことだった。


『ええっと、今の状況についてなのですが……』


「ここはどこでしょうか?」


『……大変言いにくいことですが、あなたが住む世界とは違います』


 咲良は俯きつつ、ふと考える。


「ここは死後の世界でしょうか?」


 夢でなければ、死後の世界と考えるのが妥当かと思われる。気が付けば死んでいた。人間、そういうこともある。死んだこともわからずに死ねることは、死を恐怖に思う人間にとって幸福なのかもしれない。


 しかし、咲良にとって死は恐怖ではなく、なぜ皆それを恐れるのか、理解ができなかった。両親には散々、「命は大切にするものだ」と過剰すぎる教育方針の中で、一日に一回は聞いていた話なのだが、親不孝な咲良には結局わからないままだった。だから、両親も咲良の教育をどんどん厳しいものにしていったのだろう。


 咲良の死について前向きに考える姿勢に対し、少年は首を振る。


『あなたは死んだわけではありません』


 死んだわけではないのに、少年の顔は浮かないままだった。


『あなたはこの世界の、戦乙女に選ばれました』


 少年はゆっくりと膝を地面につけると、忠誠を誓う騎士のようなポーズを作る。恰好は聖職者もどきなのに、どこかちぐはぐだ。


『ともに世界を救いましょう』


 少女と変わらぬ高さで少年は言った。


 死よりも恐ろしいものを目にした顔で。


 咲良は首を傾げつつ、今の気温は何度だろうと、靴下と手袋を交互に見ながら思った。






 この世界は魔物に浸食されているらしい。浸食というのが正しいのかわからないが、咲良が聞く限りそのように聞こえるのだ。


 少年の名前はクルスと言った。聖職者っぽい名前で面白みもない。十字架の代わりに木彫りの盾と剣のエンブレムを下げている。


 咲良もまた、少年が着ていたような生地の服を着ている。ローブというよりチュニックで、目の細かい綿で織られている。パジャマは暑いでしょうからと、着替えさせられた。でも眠る時だけは、パジャマと手袋、靴下を履いて寝ている。それが言いつけだから。


 未知の世界に来て数日、いくつか咲良は気付いたことがあった。


 少年の話しているのは日本語ではなく、まったく別の言語のようだ。聞こえる声と口パクがずれている。咲良の頭に響くように翻訳されているらしい。おそらく『クルス』という名前ももっと違う言語で意味がよく似た言葉か、もしくは咲良の第一印象が『クルス』だったからかもしれない。


 昔やっていたゲームの登場キャラの名前が『クルス』で少年に似ていた気がする。


 躾に厳しい両親だったが、ゲームをすることについては寛容だった。室内で大人しくさせるための娯楽に関しては、クラス中に羨ましがられるレベルで買い与えられていた。でも、せっかくのゲームも友だちを呼ぶのは大人がいるときしか駄目だった。


 浸食する魔物。異世界と言ってもいい場所なのだから、魔王がいるのだろうかと聞いたら違うと言われた。


『魔物が浸食するのは、魔王がいないからです』


 不思議な話をされる。しかし、次の説明を聞けば納得する。


『統率する者がいない集団は、人間だって危ないものです。魔物ならなおさらです』


 人間にとって魔物は恐ろしい生き物だ。だが、魔物とひとくくりにされている生き物にとっての天敵は同じ魔物なのである。


『魔王は十五年ほど前に人間の手によって倒されました』


 当時は、魔王という存在は絶大な力を持つ、恐ろしい生き物という認識しかなかった。しかし、魔王はいわば生態ピラミッドの頂点であったため、魔物の均衡が崩れているという。より上位の肉食獣がいないと草食獣は増える。ということはありうるのは。


「魔物の大量発生でOK?」


『教育水準が高い世界から来たようでありがたいです』


 咲良の他にも『戦乙女』とやらに選ばれた者たちはいるらしい。教育水準が違うと聞くと日本から来たのではないかもしれない、もしくは、地球とはまた別の世界からやってきたのかもしれない。

 どちらかはわからない。なぜなら、咲良はまだ会っていない。


「ねえ、私の他に戦乙女というのがいるんなら、会ってみたいんだけど」


『現在、戦場に出ています』


 クルスは目をそらして言った。


 この少年は嘘が下手だ。嘘はついていないかもしれないが、隠し事ができないタイプだろう。


 そして、クルスを見張るように周りには白服の男たちがたくさんいる。


 屈強な男たちはいわゆるモーニングスターを持っていた。僧兵という奴だろうか。はげた頭がよりマッチョ体型を際立たせている。禿げてるのか剃っているのか聞いたら怒られるだろうか。


「私も戦場というところに出るの?」


『……』


 クルスは唇をかみしめる。


『……はい』


 そして、『ごめんなさい』と付け加えた。


 クルスはまだ十歳をいくつかこえたくらいだろうか。咲良よりも頭一つ小さい。なのに、大人たちに囲まれて咲良と話している。


 まだ小さい、子どもというべき姿なのに、クルスの肩には何かずっしりと重いものがのっかっているように見えた。


『サクラさんも、明日、戦場に向かってもらいます』


 震えながらクルスは言った。






 咲良に用意された部屋は二十畳ほどの大きさだが、ベッドとテーブル以外何も用意されていない場所だった。


 石造りといえばかっこいいが、イメージとしては打ちっぱなしのコンクリートに近い。物の少なさから、映画に出てくる殺し屋の部屋と言ったところだろうか。こっそりネットで無料配信されていた洋画を見た。ゲームには寛容だったが、暴力描写については厳しかった。夜にテレビで放映される映画も、子どもが見るようなアニメしか見せてもらえなかった。


 母は優しいものだけで包めば、優しい生き物ができると信じていた。


 朝、洗って干していた靴下と手袋を手にする。パジャマはさすがに暑いと認識し、たたんで置いてある。


 薄いシーツをめくり靴下を履いた足から潜り込もうとしたときだった。


 頭蓋に響く声が聞こえる。


『サクラさん、いますか?』


「は……」


 「はい」と答えて扉を開けようとする。しかし。


『いえ、このまま聞いてください。僕は今、あなただけに話しかけています』


 どういうことでしょうか、と咲良は首を傾げる。


『あなたの言葉が理解できるのは僕だけです。あなたは僕の言葉しか理解できないはずです』


 やっぱりそうか、と咲良はベッドの中で頷く。


『僕がサクラさんを呼び出した。僕の魔法にあなたが一番呼応する人間だったからです』


 テレパシーみたいなのがあると思ったら、魔法やっぱりあるんだなあとのんきなことを考える。


『悠長に考えておられるようですけど、これは大変なことなんです。あなたは明日から僕のことが憎くて仕方なくなると思います』


 なんで、と咲良は首を傾げる。


『戦場に行きます。あなたは『戦乙女』として戦場の最前線に送られます』


 今日話していたことだ。


 異世界から召喚された勇者とやらなら当たり前のようにやっていることだろう。


『ユウシャが何かわかりませんが、今宵が最後のチャンスです。……逃げてください』


 一瞬のためらいを含めて、クルスが言った。


 優しい人間になりなさい、と両親に何度も言われたが、きっと優しいとは彼のような人のことを言うのだろうと咲良は思った。


『ぼ、僕は優しくなんてありません。僕は卑怯者なんです! あなたを犠牲にただ出世しようとしているクズなんです!』


 クズというのがどういうものかよくわからないけど、確かにクルスが咲良を呼び出さなければここにはいなかっただろう。文句を言うとしたら、唾液分泌の少ない日本人に向かないパサついたパンをどうにかしろといいたい。もちもち食感のパンを所望する。


『ええっと、モチモチというのが何かわかりません。努力したいところですけど、今夜ここを逃げ出したら、明日のパンなんて考えることはないかと』


 疑問がある。先ほど、咲良と意思疎通ができる人間はクルスのみとあった。では、咲良を逃がしたとして、クルスはどうなるか。


『そ、それは』


 何もわからない異邦人を異世界で逃がす。しかも一人で。戦場と言うのがどういう場所なのか、予測はつかなくもないが、一つ言えることはここで外に放り出されると、のたれ死ぬことがわかる。


 それとも誰か代わりに面倒を見てくれる人がいるのか。


『……』 


 無言が答えだろう。


 責任を取ってもらいたい。


 とはいえ、年端もいかない少年に対して言うのはどうだろうか、と咲良も思う。咲良とて昨年、義務教育を終えたばかりの年齢だが、年下にすがる気持ちにはなれなかった。


『……僕を責めないんですか?』


「意味がないから」


 思わず口にしてしまった。これくらいなら誰も気づかないだろう。


 こういうもののお約束として、呼び出されたとしても一方通行なのだろう。もし、方法があるとしても、異世界人に力を借りるほど切迫した状況で返してくれる余裕などない。


『大人なんですね……』


 未成年です。


『⁉ ほ、ほんとに⁉ う、うそでしょ? てっきり僕より年上かと』


 いや、さすがにクルスよりは年上だ。


 しかし、よく言われる。老成していると。でも、仕方ないのだ。それも個性だ。


 ただ、咲良としては聞きたいことがあった。


 『戦場』とはどんな場所なのか、咲良は何をやらされるのか。普通に考えると、武器を持って未知の魔物と戦えということだろうけど、クルスの雰囲気から感じ取るにそれとは少し違う気がする。


『……戦乙女は、戦士たちの士気を上げるために最前線に送られます』


 ふむ、普通に考えると即死すると思う。士気なんて逆に下がるものじゃないか。


『いえ、戦乙女にはそれぞれこちらの世界の魔術師が付いています。異世界人は魔術適性がない代わり、こちらの人間の何倍も魔法の効き目が強いんです。そして、対になると対以外の魔法は受けられなくなりますが、さらに力が強くなります。僕にとってサクラさんです。でも、ごめんなさい』


 また謝る。


『あなたは僕が対になったことで苦しむのです』


 どういうことだと首を傾げる咲良。


『僕の適正は回復とほんの少しの身体強化……それだけなんです』


 それが問題なのだろうか。


『はい。普通ならそれは魔術師として初歩中の初歩であり、他の戦乙女の対はもっと違う攻撃魔法が使えるんです』


 練習すればいいだろう。


『僕は攻撃系の魔法が使えないんです』


 そういうことか、と咲良は納得した。


 もしかして、あまり乗り気ではないのにこうして戦乙女とやらの対をやっているのもそれが原因だろうか。


『……僕だって、父さんが死ななきゃ、こんなことしたくなかった』


 なるほど、と咲良は思った。


 この世界では、子どもの人権というのはあまり重視されていないことがわかった。


 あまり年下をいじめるべきじゃないと咲良は今の状況を分析することにした。


 攻撃魔法は使えない。


 回復と身体強化のみ。


 つまり。


「物理で殴れ?」


『はい』


 ただ、それだけだという。






 車にしてはレトロで馬車にしては近代的な魔法を原動力とした乗り物に乗ること二日。


 咲良はいかつい砦のような場所に連れてこられた。ここが『戦場』のかなめだと言う。


 咲良はゲームのチュートリアルはとばすほうだが、現実ならもっと詳しくするべきだろうと思った。

 一言、おざなりなのだ。


 なんとなく、教えてくれる先生たちの意欲も薄い。まるで大量生産の物づくりに似た流れ作業感にあふれていた。対以外の異世界人の言語はわからないというが、先生の言葉はわかった。しかし、パソコンで翻訳したような奇妙な言葉だ。そのせいかもしれない。


 咲良の他に女の子が二人いて、その子たちは目をキラキラさせている。彼女らは対の魔術師からどのような説明を受けてこの場にいるのだろうか。


 ゆえに、先生方が己に適した武器を選べと並べられたものを見て、いかに装飾として優れているか、いかに自分の好みかで選んでいた。


 咲良はいかにも重く頑丈そうな武器を手に取る。世紀末の覇者が持っていそうなとげ付き鉄球だ。


 クルスの身体強化では筋力も上がるらしい。多少はどの程度かわからない。戦場以外で魔術を使うのが禁止されているというが、それでは訓練もできない。下手に刃物より、力が上がるのなら壊れない武器がいいと咲良は思った。魔物というからに、大きさはある程度あるのだろう。


 新兵を最前線に送り込む、その行為はただの馬鹿としか言いようがなく、なぜそんなことをやろうとしているのか、不思議でたまらない。


 不思議なことを追加していえば、『戦場』と言われる場所についてからクルスとはずっと離れている。正確な、とは言い切れないが意思疎通がうまく出来ない人間ばかりだと正直不安になる。


 少女二人は仲良く話しているが、困ったことに咲良はその輪に入れなかった。コミュ障というわけではなく、普通に言語が違っていた。見た目は同年代の女子高生にしか見えないが、来た世界が違うらしい。あの二人は仲が良さそうなことから、同時に呼び出されたのだろうか。


 困ったことに三人部屋をあてがわれた。とても広い。気分によってはわくわくルームシェアと言えなくもないが、二対一が明確だとどうしようもない。そして、咲良は積極的に友人ができるタイプではなかった。両親から友人と遊ぶことを制限されていたこともある。


 寝る前に手袋と靴下を履いているのに不思議そうに見ていたが、それを説明しようにも咲良はジェスチャーが上手くないので通じないのだ。一応、これにも意味がある。


 『戦場』についたら終わりだと、クルスは言っていたが咲良にはよくわからなかった。


 しばらくはこのままチュートリアルが続くのかと思っていたが、そう世の中甘くないようだ。


『咲良さん。来てください……』


 消沈した少年の声が聞こえる。


『魔術師の予言により、一時間後に魔物が発生します。こちらとの衝突は三時間後です』


 早いなあ、と咲良は思った。






 『発生』とクルスは言った。


 まさに『発生』だった。


 砦の屋上。砦の向こう側には何もなかった。ただ、荒野がひたすら広がっており、クレーターや地割れがあちこちに出来ている。


 白いローブを着た少年は荒野の向こう側を見ている。


 ぽつっと何もないところに、黒い点が現れた。


『出ました』


 黒い点はぽつぽつと増えていく。やってくるのではなく、突如現れる。魔物が突如現れた。


「移動呪文かなにか?」


『いえ、発生です。ああいう風に発生する魔物です』


 黒い点はやがて軍勢となり、砦に近づいてくる。


『魔王という一点に強大な魔力を吸収する存在がいないため、この地には余分な魔力が分散されています』


「それで」


『魔力を糧に魔物が生まれます』


「あの黒い点がそれと」 


 数は多いがそれを一点に集めた魔王がいたほうが普通は危ないというものだが。


『魔王は休眠期が多く、尚且つ食事も魔力のみです』


 では、魔物と言えば。


『雑食です。こちらに向かうのは、餌を求めてです』


「やばいね」


 緊張感がないやり取りの中で、先ほどの二人が対になる魔術師たちと話していた。


 何を言っているのかわからないが、「あんなの聞いてない」とか「ゴキブリみたいで気持ち悪い」とか言ってそうだ。


 向こうがどんなに騒いでいようと、関係ない。咲良は今、自分が出来ることを考えるため、情報をできる限り得るしかない。


「あれってどのくらいの大きさ?」


『今はたぶん犬くらいの大きさですね。ただ、こちらと接触する頃には、その何十倍もの大きさの個体も出てきます』


「どうして?」


『共食いするからです』


「なるほど」


 魔力を糧に生まれる魔物なので、魔物同士で食らい合ってもおかしくない。


『数は減りますが、個別の力は強くなります』


「じゃあ、あの発生した時点で、倒せば?」


『それでは意味がありません』


 魔力がその場で分散し、また新しい個体が発生するだけだという。


『ある程度の大きさになると、魔力は性質上分散されなくなります。そして』


 クルスは咲良の手を恥ずかしそうに取った。ためらいがちに袖をめくり咲良の腕をなぞった。咲良はぼーっとそれを見る。肌が急に光りだし、なにやら紋様のような物が浮かび上がってくる。


「なにこれ?」


『サクラさんの体内に吸収された魔力の量です。異世界人は基本、その許容量がこちらの人間よりも多いとされています。魔力を吸収することで、人間もまた強くなります』


 すなわち経験値と考えればいいわけだ、と咲良は思った。


「他にもなにかあるみたい」


 ちかちかと浮いては消えていく紋様。


『称号ですね。咲良さんは今の時点でいくつかあるようです。“異世界人”とそれから……』


 あまり見せるのはどうかな、と思い咲良は袖を戻す。

 

 刺繍の入った袖は、こだわりを感じさせた。


 戦場へ向かう恰好ということで、普段よりも動きやすく丈夫な服に申し訳程度の部分鎧が付いている。ただ、下はスカートなのがどうかと思う。肌がむき出しなのはいけない。あんな荒野では怪我をする。


「もっとまともな服はない?」


 着替えを用意してくれたのは、クルスではないが、防御力が上がる装備を用意してくれなど、高度な要求が出来るほど咲良のジェスチャーは上手くなかった。


『すみません。肉体強化とともに、時間経過とともに回復するように術をかけます』


 怪我をした時点で回復ができるとなると、それは便利だ。


『ただ、痛みは伴います』


「……ねえ、どのレベルなら回復できるの?」


『部分欠損までならなんとか。個体差にもよりますが。ただ、頭や心臓には気を付けてください。いえ、それよりもサクラさんはただ前に立っていればいいんです。無理に戦うことはありません』


 後半部分は、直接咲良に話しかけていた。聞かれるとまずい内容なのだとわかった。


「つまり手足くらいはちぎれて大丈夫ということ?」


『痛みは伴いますよ。戦場で気絶するような傷を追うくらいなら逃げてください』


 それなら、戦乙女としての仕事を全うできないのではないかと、咲良は考える。


 すると、ちらりとクルスは先ほどの二人の少女のほうを見た。少女たちは対の魔術師たちから杯を受け取っている。


 クルスの元にメイドらしき女性がきて、少女たちが飲んでいる杯と同じ物を彼に渡す。


 クルスがまた頭に語り掛ける。


『口に含んでください。でもすぐ飲み込まず、口の中で唾液と混ぜ合わせるように五分ほどおいてください』


 どうしてそんな真似をすると咲良は瞬きする。


『それは、麻薬のような物です。初陣の戦乙女に飲ませ、恐怖心をなくします。熱と唾液の成分に弱く、口にずっと入れておくと効力が無くなります。独特の甘みが無くなったら大丈夫です』


 そんなものは飲み込みたくないな、と咲良は思ったが、メイドがじっと咲良を見ていた。一口目は口に入れず飲み込む真似をする。二口目は一気にあおって杯を空にしてメイドに渡す。口の中に液体がいっぱい入っているので、吹き出さないように気をつけながら、成分が消えるのを待つ。


 ようやく口の中で甘味が消えたところで飲み込むとともに、掛け声が聞こえた。


『始まります。用意はいいですか?』


「了解」


 咲良はどうにでもなれと思うしかなかった。






 魔物たちは話の通り、バラエティにとんだサイズになっていた。コボルト、ゴブリン、オーク、オーガ、ゲームで見たモンスターとよく似た魔物がたくさんいる。


 魔物の集団まで、どうやって移動したかといえば、実に原始的で徒歩で向かった。


 肉体を強化されていると聞いたが、本当に楽だと思った。困ったことにすぐさま魔物の第一陣と対面する。


 どうすればいいのだろうか。


 咲良にはよくわからない。こっそりやっていた戦争もののゲームでは、兵にそれぞれ指示を与えるくらいしかしていない。


 手にはモーニングスター、背後には屈強な僧兵たち。横にはクルスがいる。彼もまた、戦乙女の対であることで戦場の最前線に立たねばならない。


 杯を思い切りあおっていた少女たちはすでに武器を持って魔物たちを切りつけている。攻撃魔法が付与されているとのことで、異世界人の肉体を通じ強化された魔法は魔物たちを容赦なく焼いて、凍らせて、切り刻んでいく。


 肉体強化された少女たちは、これといって運動をなにかやっていたのだろうか。まるで歴戦の戦士のように駆け回っている。


 咲良もまた同じようにふるまわないといけない。でも、咲良はどうすればいいのかわからない。


「あなたはなにもしなくていいの」


「あぶないでしょ、怪我したら」


「どうかおとなしくしていて」


 咲良が外に出ることを嫌っていた両親。運動なんてもの、やったことがなかった。でも、スポーツ選手が動いているのが楽しそうで何度か真似をして怒られた。


 運動することも許されなかった。


 ここにはそれを止める両親はいなかった。


 むしろ、やらなくてはいけない状況だった。なのに、頭がピンとこない。


 何をやればいいんだろう。


 ずっと、両親の指示で動いていた。


 何をするにも、まず親のことを聞いた。それを疑問に思ったことはなかった。


 でも。


 ぼんやりしている咲良の身体は横になぎ倒された。何事かと思ったら、クルスが咲良を押したのだ。クルスのローブを小型の魔物が切り裂こうとしている。しかし、ただの布切れではなく保護がかかっているようで破ることはできない。


「クルス?」


『サクラさん、逃げていいんですから。この場で逃げて、隠れてしまいましょう』


 この少年は、何故咲良のことをこんなに心配しているのだろう。


 この世界にはもう咲良の両親はいない。咲良はどう動くべきかわからない。意思疎通ができる人間はクルスしかいない。でも、ここで咲良が逃げたら、彼はどうなるのだろう。


 魔物に喰われでもしたら、困るのだ。


 咲良は気が付けば、持っていた鉄球をクルスにとびかかろうとする魔物にぶつけていた。鈍い音が響く。あまり口に出したくない形になってしまった元オークを見る。


『さ、サクラさん!』


 クルスは驚いた顔で咲良を見る。咲良はとりあえずこういう場合は笑顔を見せるべきかと笑ってみたが、返り脳漿を浴びていたのでちと体が悪い。


『腕が……』


 なんだかめきめき音がする。モーニングスターをふるった手が奇妙な方向を向いていた。


「あっ、ああ」


『ああ、じゃないですよ! お、折れてます』


 クルスが大声を出すが、すぐそばにコボルトが近づいている。咲良は左手で鉄球を投げる。今度は力を調節した。折れていない。


 だが、次にやってくる魔物はどんどんいる。ひたすら倒さねばならない。咲良は今ここで、クルスを失うわけにはいかない。


『肉体強化が弱かったのか!』


「たぶん、違う」


 咲良は鉄球二つを魔物二体にみまいながら、近づいたゴブリンを思い切り蹴った。蹴った足は、ぶらんとまた折れる。折れるが、すぐさま修復していく。


「強化より回復のほうが効くね」


『す、すみません、すぐ強化を重ねて……』


「いいよ、回復を優先して」


 咲良はそう言うと、蹴り殺したゴブリンが持っていたナイフを拾う。錆さびのナイフだが、どうしたのだろう。先ほど発生したばかりの魔物なのだが、武器も一緒に発生するのかと疑問に思いつつ、それを投げる。オーガの眉間に突き刺さる。突き刺さるのを通り越して、貫通した。


『お、オーガを……』


 驚くのはクルスだけじゃないようだ。背後にいるはげたおっさん集団が叫んでいる。どうやら士気を上げるという目的は達成されたらしい。 


 派手な動きをしている他二人に比べて咲良の攻撃は地味だ。でも、確実に仕留めている。


 咲良とモーニングスターの相性は良かったようだ。正しくはモーニングスターではなく鉄球なのだが、ちょっと可愛らしい名前のほうを使っていきたい。その可愛らしい鉄球は咲良によって振り回されて魔物を屍に変えていく。小さな魔物ほど、死体である時間が短くすぐ黒い霧のようになって消える。これが、魔力が拡散するということだろう。


『あ、ありえない』


 クルスがつぶやきながらも大きな杖を持ち、咲良に回復魔法をかける。折れた手足はそれですぐさまくっつく。


『ただの、強化なのに。もしかして、薬が効いているのですか?』


 違うよ、と咲良は首を振る。そんなものじゃない。咲良の頬は紅潮していた。でも、汗は一滴もかいていない。これはまずいと咲良は思う。


「体温、身体の温度を下げる魔法とかない?」


『え、ええっとありますけど』


「なら、かけて。血が沸騰しちゃう」


 はあはあと息を吐く。顔が笑っている。全身が踊っているようだ。


 こんなに自由に動くことが楽しいなんて思わなかった。好きなように動くってこんなに良いものだったのか。


 魔物を屠りつつ、咲良は身体を自由に動かせることを喜んだ。


 赤く火照っていた身体がふと冷えていく。クルスが魔法をかけてくれたのだろう。これでいい、オーバーヒートしないで済む。


「このまま、私の身体が赤くなったらお願い」


『わ、わかりました』


 人間の身体はよくできている。恒温生物として、体温を一定に保つため汗をかくようになっている。


 しかし、咲良の身体にそのような機能はない。いや、あるのはあるが、汗をかくという指示ができない。


 無痛無汗症。咲良は痛みを感じず、汗もかけないのだ。


 両親が厳しくしつけてきたこと、咲良はこれを感謝している。咲良は危険がわからない。怪我をしても気づかない。体温が調節できない。


 眠る時の手袋靴下は、ベッドにぶつけて手足を怪我しないように。


 外に出してもらえなかったのは、より安全な室内で守るため。


 暴力性の高い映像を見せないようにしたのは、加減の知らない咲良が友だちに映像の真似をしないように。これはしなかったけど、申し訳ないが見ていた。ゲームもこっそりやっていた。


 すべては咲良のため。


 元は『桜』という名前だった。でも、病気がわかってから両親は意味がないとわかっていても、名前を変えたのだ。桜の花のようにすぐ散ることがないように。


 ずっと迷惑をかけてきた両親を咲良は好きだった。


 でも、咲良は息苦しかった。愛されるが故に、苦しかったのだ。


 咲良は返り血で汚れている身体を酷使する。傷みを感じない身体はリミッターが外れている。その力は普通の人の何倍もある。力の入れ方を間違えると先ほどのようにまた手足を折ってしまうだろう。


 でも、ここにはクルスがいる。


 部分欠損さえ治す魔術師。心臓と頭さえ守ればよいとなれば、どんなに簡単なことだろうか。


 咲良は笑いながら、ずっと憧れていた自由に身体を動かすことを満喫していた。


 魔物の屍の山を作りながら。


 ひたすら、高笑いが聞こえた。






「運動って気持ちいいね」


 咲良は大の字に寝そべって空を見た。丈夫さで選んだ鉄球はとげが半ば取れてただの球体になりつつあった。服もボロボロでスカートはびりびり、袖は破けてノースリーブになっている。


 そっと腕を指でなぞる。回復魔法で傷一つない肌の上に、文字が浮かんでくる。クルスに見せてもらったときと、数字の桁が違っているようだ。そして、切り替わる称号とやらがなんか種類が増えている気がする。


 そのうち文字を教えてもらおうか。


「ねえ、気持ちいいね」


 満面の笑みを浮かべる咲良に対して、周りの者たち、とくにクルスは呆れていた。


『降りてきてください。サクラさん』


「えー」


 今までの人生で一番少女らしい笑みを浮かべながら咲良はごねた。


 魔物の屍の山の上で。







 後に、狂戦士バーサーカーの聖女と呼ばれる少女の最初の話。






 さらにのちに魔王と呼ばれる少女の話。


咲良

年齢:十六

性別:女

称号:

・異世界人

・痛みを知らぬもの

・加減を知らぬもの

・戦乙女

・狂戦士

・魔王候補生


クルス

年齢:二十

性別:男

称号:

・魔術師

・傷を癒す者

・人を思いやる者

・魔王の息子

・合法ショタ

・戦えぬ呪いを受ける者

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― 新着の感想 ―
なるほど、そういうことでしたか……と唸らされました。 スイスイと読めてしまったので続きが読みたいのですが「ネタバレ」はしちゃってるのでこれで完結なのも良いのかもしれません。素晴らしい作品をありがとうご…
[良い点] 変にイキってるのではなく、ナチュラルで、最後の最後で理由が明らかになるのがとてもすっきりしました。純粋に続きが読みたいです。
[良い点] 老成している等の言葉使いが面白いです。 会話が口語体に偏らないのもおもしろいです。 [一言] 面白いです。 次も楽しみです。
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