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短編

仮想現実を生きる

作者:codama
 ああ、もう一か月も経つというのに、この癖が抜けない。
 駅のホームで電車を待つ際、無意識に制服のポケットからスマートフォンを取り出し、画面を見つめてしまう。ついこの間まで、当たり前のようにあったアイコンは、もうそこにはない。
 二〇ⅩⅩ年、政府による情報規制が始まり、手始めにネットが規制され始めた。それまでは匿名ありきで、犯罪的でなければ基本何を書いても問題はなかったのが、そのネットを介した文章等のやり取りすべてが規制されてしまった。
 SNS禁止法。これにより、あらゆるネットを介したコミュニケーションが断絶されてしまった。
 昔から炎上をはじめとした、所謂お騒がせといったものはあったのだが、いよいよそれが問題視されるようになり、この法が作られたらしい。以来、ネットの掲示板など、そういった利用者が自由に意見交換出来るものはすべて規制された。
 一部の例外を除いて、利用者が何かを書きこむといった行為が一切出来なくなった。ニュースの記事を書く人にしても、資格がないとネットに書くことは許されない。そして、その記事にはもちろんコメント欄といったものはない。今まで通り、便利であることは便利であることに違いないのだが、それはもうアナログな媒体とほぼ全く変わらなかった。
 そういったやり取りが禁止されたことで、リアルでのコミュニケーションにも変化が起きた。昔のように、話題がテレビや雑誌の類に固定され、学校内での様子も一変した。ちょっと前までは、教室内でも、みんながみんな画面を見つめ、そこで何かやり取りをしていた。食堂に集団で集まっていても、会話をするでもなく、ただただ画面を見つめる。それぞれが、それぞれのしたいことをやっている。本当に、そこで集まる必要性があるのかすら分からなくなる。
 いや、その状況が当たり前になりつつあったのが、既におかしかったのかも知れない。
 何をするにしても、写真を撮って報告。ことあるごとに、報告。誰も頼んでもいないのに報告。どんな些細な事でも報告。
 食べたものから始まって、どこに行った、何をした、こんなの見たとか。もう報告するために行動しているんじゃないかとさえ思ってしまう。自信がないといいつつ、平気で顔写真を載せる。注意と書いてまでも、怪我した部位の写真を上げる。反応が欲しい、ただそれだけのために、人はそこまで動けるものなのかと戦慄する。
 そして、極めつけはそれに対するいいね! などの存在。一体、何がそんなにいいのだろうか。本当に、よく分からない。いいね返しとかもよく分からなかった。されたらしないといけないなんて、一体なにがいいね! なのだろうか。本心でもらうとかではなく、数がステータスになりつつある。そんな状況が気持ち悪くて、リアルな自分を使ったネット利用に寒気がした。そういった面では、今回の法は私にとって都合が良かったのかも知れない。
 しかし、私は匿名でネットを利用していた。
 誰もが誰も、当たり前のようにアプリやアカウント等を通して、四六時中やり取りする。繋がりに縛られる、自分の存在価値がダイレクトに力になっている、そんなリアルありきのコミュニケーションが嫌で、私は匿名ありきのネットの使い方をした。
 ハンドルネームを持ち、もう一人の自分になりきっていた。誰も、私の事を知らない。実体ありきの言葉ではなく、ネット上にいるもう一人の私。リアルでは蔑まれることも、考えられないことも平然とつぶやけた。当初は素の自分だったのかも知れない。
 もともと、私は絵を描くのが好きだった。でも、人前で描くのは恥ずかしいし、前にそれでちょっといじめられたこともあって、高校に入ってからは一切そういう事はしていなかった。
 でも、ネットは違った。そういった趣味を受けて入れてくれる人が大勢いた。
 私の描いたものを正当に評価してくれた。最初は全然見向きもされなかったけど、徐々にお気に入りが増えたり、感想を書いてもらえるようになって、天にも昇るような気分だった。それから、夢中になってまた絵を描き始めた。やりたいことが見つかった、その時の私はそんな気持ちがしていた。徐々に趣味の近い人同士でつながりが出来、お互いに切磋し合えるいい環境が出来たと思った。リアルでは決して味わえない、充実感を味わっていた。
 しかし、それもだんだんと歪んでいってしまう。
 そういったコミュニティに属していると、いつの間にかその枠組みの中での立ち位置を気にし始めて、興味のないものにまで無理をして話を合わせ、波風を立てないようにと心掛けるようになっていた。
 段々と描いていく絵も周りに受けるようなものへと変わっていき、描く対象にしても、一部のローカルなフォロワーに向けたものばかりになっていった。
 お互いにお互いをネタにしあい、冗談交じりでネタっぽく書く。それに対する賞賛が目的になって、絵を描く楽しさとか、こういうのが描きたいというものも薄れていってしまった。どんどんどんどん、狭く狭くと、結束を強める反面、縛りもきつくなっていった。
 もしかしたら、相手も同じことを考えていたのかも知れない。文字だけのやり取りだったから、尚の事そんな風に思えてしまう。
 フォロワーの数だって、馴れ合いという形で数千、数万にもなった。でも、やり取りをするのは結局ごく一部でしかない。絵に対するお気に入りも、フォロワー数に対して本当にごくわずかだった。
 そんな状況ですら、自分の絵ではなくウケる絵を描いている。そんなちっぽけな自尊心を保つために、さらさらと簡単な絵を量産した。それは誰が見ても、らくがきの域を出ていなかったのだろう。
 そんな悪循環の中で、私の絵がそれ以上上手くなることはなかった。
 一度、それを指摘されたことがあった。私が間違っているとでも言うように。
 それが許せなくて、フォロワー数の暴力とも言える方法で相手を追い詰めた。今にして思えば、まともに反論できなかった時点で、私は既にどこか歪んでしまっていたのだ。段々と、目的が変わってしまっていたのだ。
 一部の人間に認めてもらうことが、自分のステータスだと思い込むようになっていた。絵を描くことは、そうやって自分に酔うための手段に成り下がってしまった。
 人間は欲深い。それまでいいと思っていたことが当たり前になると、もっともっとと欲が出てくるのだ。
 絵の上手さなんかに関してもそうだった。
 絵の上手さがあってのその人なのに、言動や振る舞いから真似してしまう。そう、結局評価されて人気がある人というのは、一朝一夕で身に着けた絵ではないのだ。だから、評価されている。それを分かっていながら、そういった一種の変態性から入ってしまうのは、誰でも一番簡単に出来るからなのだろう。いや、真似出来てしまうと言うべきか。
 そして何より、それは自身のアイデンティティにしやすい。そういったキャラクター性を自分で付け、それを演じる。別に、それが本心かどうかなんて関係ない。だって、所詮は文章だけでのやり取りなのだ。
 だから、自分には無理だと簡単にあきらめて、絵の他にも色々とやり出した。井の中の蛙な自分が嫌で、それから逃げ出したかった。小説を書く、音楽を作る、歌を歌う、写真を撮る。自分だけの何かを表現出来そうなものを、かたっぱしにやった。
 結果はもう見るまでもなかった。
 絵は、まだ昔からやっていただけそれなりに物にはなっていた。ついで、視覚的に何がどう違うと他の絵と簡単に比較できたから、すぐに駄目だと分かって、周りに対する劣等感に耐えられなかった。他は、絵に対してとっつきやすさとか、簡単、難しいとか、労力的にも色々とがあったのだろうが、結局それもいきなり出来るようになることはないのだ。
 漫画やアニメみたいに、突発的な才能に憧れて、努力することをやめてしまった私は所詮そこまでの人間だった。
 結局は、芸人気取り、有名人気取りだった。一体、何になったというのだろうか。ローカルのなかで、自分を認めてくれるだけの空間でただただ演じる。見世物と変わらない。身体を売るのと大差がないのかもしれない。結局、それが何になったというのか。
 そういうのが嫌で、自分の過ごしやすい居場所を求めていたはずなのに、友達の友達のような難しい関係はネットでも少なからずあった。リムーブしにくいとかが、まさにそれなのだろう。確かに、それは現実の教室内よりもかなりマシではあったけど、そういった社交辞令やお世辞のようなものがなくなることはなかった。
 結局、その後も何だかよくわからないまま、もう一人の私を演じ続けた。創作をしているという私にどこか酔って、何も生み出すことのない人たちをどこかで貶していたのだろう。そうやって、他人を蔑まないと、自分が浮かばれなくて耐えられなかった。実際に、蔑まれる側は私であるはずなのに。
 そういった錯覚の悦に入っていると、当初の仲間はみんな離れていき、膨大な関係性の薄いフォロワー数だけがステータスとして増え続けた。それとは反比例のように、お気に入りの類は特定の人から増えることはなかった。そして、離れた仲間が大成していると知ると、嫉妬で狂ってしまいそうだった。
 どこで間違えてしまったのだろうか。
 問いかける相手すら、私の現実にはいない。いや、ネットにももういないだろう。真面目に私の事を思ってくれる人なんて、そもそもどこにもいなかったのだ。ただつながっているだけ。数字として表示されるただのパラメーター。これが多くても、つながりがなければただのはりぼてだった。
 そうして月日が過ぎた今、SNS禁止法によってもう一人の私は死んだ。
 残された現実の私には、本当に何も残らなかった。
 絵でもやればいいと思うかも知れないが、学校の美術部とかを鼻で笑っていた私にはもう立場と言うものがない。今更どんな顔をしたら、そんな事が言えるのだろうか。ネット上の私の存在を過大評価し、クラスの人をどこかで馬鹿にしていた。
 だからもう、私は私の仮想現実を生きる。現実でもネットでも居場所がなくなっただなんて、きっと悪い夢だ。そろそろ、夢から覚めなくちゃいけない。
 もうすぐ、急行がやってくる。これに、飛び込むだけで悪い夢から覚める。そう、きっとそうだ。こんなに色々やったのに何一つ残らなかったなんて、この世界の方が間違っている。
 反対車線で画面を見つめる彼も、きっと同じことを考えているのかも知れない。彼もまた、SNS禁止法で不幸になった人かも知れない。いや、そんな法があってもなくても、現実の私には何の変化もない事に変わりはないか。
 ネットに踊らされた私は被害者なのだろうか。自業自得なのだろうか。
 もう、そんな事はどうでも良かった。だってもう、戻れないところまで来ている。そういや、誰かが、馬鹿は死ななきゃ治らないなんて言ってたなあ。
 ホームのアナウンスが、私を目覚めへと導く。
 ネット上の私がいたことさえも、もうどこにも残っていない。こうして、電車に飛び込むことで、私という存在そのものが消え、夢から覚めるのだろう。
 でも、それは大した変化ではない。
 だって、もうどこにも私の居場所なんてないのだから。
 高速で駅を通過しようとする車両を視認すると、私は迷いなく線路へと飛び出した。

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