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死にゆく人

作者: 夏目 翔子

2年前のあの日...。クリスマスイブの前日だった。俺は彼女といつもの場所で、いつもの時間に、いつものコーヒーショップで会う約束をしていた。窓際の同じ席で。


彼女は必ずといっていいほど毎回俺を待たせた。でも俺は、このコーヒーショップの窓から彼女を探すのが好きだった。


 駅から下りてきた彼女は、左腕の時計に必ず一瞬チラリと目をやり、そして「マズい!!」という表情を見せると急ぎ足で目の前の信号を渡り、俺の待つコーヒーショップへ息を切らせながら走ってくる。


そして窓際から頬杖をついて自分を待つ俺を見つけるとペロリと舌を出し、いたずらな顔をしてみせるのだ。けれどあの日は違った。あの日。そう、2年前のあの日...。


いつもの様に俺は、窓際の席で彼女の姿を探していた。その時、背後から彼女の声が聞こえた「ごめん..遅れちゃった ...。」俺は驚いた。

彼女を見失う事など、今まで一度もなかったのに!俺は今までにない妙な雰囲気を感じ、少しうろたえた。


彼女はなんだか本当に申し訳なさそうに、ただうつむいていた。「来たの、気付かなかったよ。」俺は半分、笑いながら彼女を席にすすめた。

 すると彼女は「ごめんなさい、本当に」と消え入りそうな細い声で、席につくのをためらった。


一体どうしたというのだろう? デートの遅刻なんて、いつもの事だろう?俺は訳がわからずに、ただ彼女を見つめていた。その時だった。彼女からの思いがけない言葉で俺の心臓の鼓動が一瞬、本当に一瞬、止まったのだ。


「今日で終わりにしたいの。ごめんなさい、本当に。訳は.. 訳は聞かない方が良いと思うの。だって、あなたを苦しませるだけだから...。本当にごめんなさい。あなたの事、大好きだったわ。ありがとう、さようなら。」

 

俺は全身が凍り付いた。一瞬、止まった心臓の鼓動が今度は激しく、強く耳の奥底に鳴り響いた。彼女のヒールの足音が遠ざかり消え入りそうになった時、俺は彼女を追いかけようと席を立ち上がり、窓から彼女の姿を探した。


その時、俺の目に飛び込んできたのは....

 あふれんばかりの彼女の笑顔と 彼女を抱き寄せ頭を撫でる男の姿だった。そいつは、そいつは....! 俺の親友の賢吾だった。

 

ー 2年前...。ー それが2年前の話だ。親友の裏切り、彼女の裏切り。立ち直るまで時間がかかった。こんな裏切り方をされたのに未だに彼女の事を忘れられずにいる自分さえも許せなかった。


だがそれは昨日までの話だ。今この瞬間、俺の目の前に大どんでん返しするチャンスが巡ってきた。俺は今、あのコーヒーショップにいる。そして目の前にはあの頃と変わらない美しい彼女がいる。昨晩彼女からの突然の電話で2年ぶりに会う約束をしたのだ。


そして笑える話がある。俺の彼女を奪った男。俺を裏切ったあの男。ヤツがもうすぐ死ぬらしい。末期の癌らしいのだ。天罰だ。天罰が下ったのだ!


こんな事を云う俺をひどい男だと思う人間もいるだろう。いや、思う人間がいても構うもんか。あの苦しみを味わえば、きっと誰だって俺と同じ気持ちになるだろうさ。


愉快だね。ああ、愉快だ!!人の幸せを奪えば、それなりの罰を受けなければならないのだ。彼女は俺の元にその内戻ってくるだろう。俺は彼女と懐かしい昔話をしながらヤツの知らせを聞いて心の中で笑っていた。


「色々あったけど、やっぱりあなたとあの人は親友だったし...彼のお見舞いに行ってあげて欲しいの。こんなこと言える立場じゃないのは分かってる。図々しい女と思うかもしれないけど...。」


俺はもう一度彼女に会えた喜びで胸が震えていた。「もう昔話じゃないか。気にする事などないさ。俺達は親友だったんだ。あんな事になってからは会えなくなったけど...」俺は少し意地悪く言った。

彼女は黙ってうつ向いていた。


ヤツの事が心配だからと心にもないことを言い、彼女とこれからも連絡を取り合う約束を交わした。それから俺は見舞いに行くと席を立ちバイクを走らせ胸を踊らせながらヤツが入院しているという病院へ向かった。


ヤツは俺の顔を見たらどう思うのだろう。昔を思い出し、申し訳ない気持ちになるんだろうか。親友の愛する人を奪ったことを懺悔するだろうか。許しを乞うのだろうか。死にゆく人間は最後に何を思うのだろう。


様々な感情が渦巻く中、病室の前にたどりついた。呼吸を止めて白いドアを三回ほどノックし、そっと扉を開いて部屋に入った。そこにはずいぶんと痩せこけちまったヤツの姿があった。


「久しぶりだな。2年ぶりか。」俺は心配を装い、ヤツを哀れんだ目で見つめてやった。ヤツは突然の訪問に心底驚いた表情をした。


「ああ... 。久しぶりだな。ゆうこが連絡したのか」

 視線を下に向けると少し微笑んだ様に見えた。ゆうこ。ゆうこだって?自分の物って顔しやがって!


あの時の感情が甦ってきた。憎しみ。愛する人を奪われたあの時の凍りつく感情。沸き上がる感情を押さえながら静かな口調で俺はヤツに語りかけた。


「なんだい、元気だせよ、2年ぶりに親友に会ったんだ。もっと喜べよ!俺の顔を見たらすぐに元気になって退院できるさ。」親友だったあの頃の様に俺はおどけて見せた。


「 いや、俺は、もう長くないんだ。余命半月あるかないかじゃないか。自分の身体の事はわかっているからな。でも、アイツとの結婚を約束しているから、そう簡単に死ぬわけにはいかんのさ。」 


結婚?結婚だって!? 人のものを盗んでおいて、良くヌケヌケと言えたもんだな!安心しろよ、彼女には俺がついているから。元々は俺のものだったんだ。返してもらうぞ。


どうせ、お前は死ぬんだ。俺はこれからの人生まだまだ先は長いからな。悪いな、彼女といい家庭を作らせてもらうよ。心配するなよ。元に戻るだけさ。人生にはシナリオがあるんだ。お前の事はちょっとしたアクシデントだったけどな。


それからしばらくヤツと会話を交わした後、又顔を見に来るからと言い残し病室を後にした。もうヤツに会う事はないだろう。見た限り死はすぐ側まで迫っている様に見えた。


俺はバイクに股がり、帰り道の暗闇をハイスピードで走り抜けた。いい気持ちだ!!これからのヤツの苦しみを見れると思ったら、今までの俺の長い苦しみなんて、吹っ飛んじまう!!


死にゆく気持ちはどんな気分だ?後悔か?自分の犯した罪を懺悔するのか?最後の最後に俺に許しを乞うのか?どちらにせよもう遅いけどな。とにかくこんなにいい気分は久しぶりだ!


その時だった。「あっ!!」けたたましく鳴るクラクションの音に気付いた俺は慌ててブレーキを踏んだ。眩しい光が俺の身体をのみこんだ。


目の前のトラックをよけきれず、俺は... 俺は.... 。

 



次の朝、俺は夢から覚めた。懐かしい友と他愛もな

い話をした夢を...。いや、あれは夢ではない。頭がボンヤリしている。新しく始めた治療のせいか。友とは確かに会ったのだ。死にゆく俺を見舞いに来たのだ。


病室のベッドから起き上がると彼女が新聞を握りしめて泣いていた。

肩を小さく揺らしていた。「ゆうこ」

俺は彼女の肩をそっと抱いた。「どうしたんだ?何故泣いているんだ?」すると彼女は握りしめた新聞を開いてそれを俺に見せた。


「これを見て!あなた、助かるのよ!」新聞に目をやると大きな見出しが飛び込んできた。


遂に新薬を開発!末期癌患者助かる!


その隣には小さくバイク事故の死亡記事が載っていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 末期がんの設定が最後に新薬開発という形でいかされるとは思いませんでした。最後まで主人公は末期がんを患っている親友を恨んでいるところも良かったです。それだけ彼女をとられたことを根に持っている…
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