後編
結局すみれは帰ってこずにあっという間に夜が明けてしまった。
そんな大帝國劇場。朝早くのことだった。
「みんな、大変だ!」
米田が花組全員を呼んだ。
「支配人、どうしたんですか?」
支配人室に花組全員と、結局帝劇に泊まって朝を迎えた三人娘が駆け込んできた。
「こんなものが郵便受けに入っていた」
と米田は封筒を見せると、中の紙を取り出し、一同に見せた。
それには新聞の活字が貼りつけてあり、
「大帝國劇場 米田一基支配人へ
花組トツプスタアの神崎すみれを預かつてゐる。
返して欲しくば五十萬圓を用意しろ。
警察には報せるな。報せた場合、彼女の命は保障できない
追つて連絡を寄越す」
という内容が書かれてあった。
「これ、脅迫状だよ…」
「アイツ、誘拐されていたんか」
「せやけど、五十万とはなあ……」
「すみれは神崎財閥の令嬢だもの。その位は取れると踏んだんでしょうね」
「でも、なんですみれさんの実家じゃなく、こっちに要求したんでしょうか?」
花組の五人は侃々諤々の議論をかわした。と、
「そんなことよりも、みんな」
とあやめが話をさえぎった。
「あ、そう言えばそうですね…。支配人、どうしましょうか?」
マリアが米田に聞いた。
「どうする、ってよお…。やっぱり警察に連絡するしかねえだろうが」
そして花組は討論の末、警察に連絡をし、連絡を受けた警察が帝劇にやってきてどたばたしていた頃。
支配人室に1本の電話が掛かってきた。
「米田だが。…あ、かすみか。…判った、こっちに回してくれ。…あ、これはこれは神崎さん。お世話になっております。米田です。して、ご用件は? …なんですって? 解りました、有難う御座います」
「…どうしました、支配人?」
「…神崎家にも同じ内容の脅迫状が届けられたそうだ」
「…それじゃあ…」
「いや、詳しいことは、脅迫状に書いてある『連絡』を待たんと駄目だろ」
*
一方こちらは誘拐され、監禁されているすみれ。
「…そろそろ、到着している頃ですわね」
すみれはそうつぶやいた。
神崎家と帝劇に同じ内容の脅迫状が届いたことにより、今現在向こうも対応に追われているだろう。
「…あとは…」
「…おい、どうしたんだよ?」
すみれのもとに一人の男――そう、彼女を誘拐した男――が近づいた。
「いえ、何でもありませんわ」
「…本当に大丈夫なんだろうな」
「お忘れかしら? 私は大事な人質ですわよ。いくらなんでも自分の娘の事を大事に思わない親はおりませんわ」
「…そりゃそうだけど…」
(…やっぱり思ったとおりの方でしたわね)
すみれは自分を誘拐した男を見てそう思った。
(その気になればいつだって私を殺せるものを…。この方は私をどう扱っていいかきっと困ってらっしゃるんですわ。ま、どう出るか判りませんけど、もう少し様子を見てみますわ…。あとは、この方が私の考え通りに動いてくださればよろしいのですけど…。少なくとも今の時点では私のほうが優勢のはずですわ…)
すみれはふと小さな頃から祖父・神崎忠義に教わっていた事を思い出した。
忠義は小さな頃からすみれに対し「まずどのような場でも相手より優位に立つこと。そうすればどのようになった時でも自分の思い通りに事を進めることができるし、何よりも自分の気持ちに余裕が出来る」と言っていた。
そのようなことがあったら、すみれは今日まで「相手に見下されてはいけない」とばかりに自分が優位に立つべくさまざまな手を打ってきた。それは帝国歌劇団のトップスタアとして舞台に立っている今でも変わらない。
確かに自分が誘拐された、と知った時はさすがに慌てた。しかし、ここで自分が弱みを見せたらそれこそ相手の思う壺。下手をしたら用なしとばかりに殺されてしまう…。
もちろんすみれもそんなことは嫌だから、祖父の教えに従い、自分が有利に立つために犯人と戦うことにしたのだ。
もっとも身代金を50万円に吊り上げたのは自分自身にそれだけの価値がある、と思っていたのも事実だが。
とにかく、今大事なのは自分が救出され、無事に大帝国劇場に帰るために次の一手を考えることだ。
そして、犯人にその隙を見せないことも…。
(…もっとも、私に掛かればこんな演技、ちょろいものですわ)
そう思うとすみれはひとりでに笑いがこみ上げてきた。
「…おい、何笑ってんだよ!」
「いえ、何でもありませんわ」
*
その翌日のことだった。
「支配人!」
あやめが支配人室に入ってきた。
「どうしたんだ、あやめくん」
「こんなものが先ほど届けられました」
そう言ってあやめが封筒を差し出す。
封筒には何も書いてなかった。
「…支配人、これは…」
「…かもな。あやめくん、大至急全員を呼び出してくれ」
「わかりました」
*
そして花組の全員が集まったのを確かめた米田は、封筒を開けた。
昨日同様、新聞の活字を張り付けた紙が入っており、
「身代金の受け渡し方法を教える。
五十萬圓を鞄に入れ、大帝國劇場の大神といふ男に鞄を持たせ、明日の午後三時に上野の西郷隆盛像の前に來い。
そして鞄を置いてすぐに立ち去れ」
との内容の文が書かれていた。
「…やっぱりな…」
おそらく、そばにいた全員が予想したであろう、身代金受け渡しの方法を書いた紙が入っていたのだ。
「…それにしても…」
マリアがつぶやいた。
「…どうした?」
「なぜ、犯人は隊長を身代金の引渡し役に指名したのでしょうか?」
「…そういえばそうだな…」
そしてその傍らで大神が封筒を調べていると、
「あれ?」
封筒の中に何か小さく折り畳んだ紙が貼ってあった。
「どうしたの、大神くん?」
あやめが聞いた。
「いえ、こんなものが…」
そう言いながら大神は中の紙を慎重に剥がして開いた。
「心配御無用、もうすぐ皆さんのもとに戻りますわ。
ここは犯人の云ふ通りにして上野公園へ來て下さい。
但し、身代金の用意はいりませんわ。古新聞でも切つて用意して下さい。
それから、脅迫状のとおり上野公園へは少尉が來て下さい。
すみれ」
と書いてあった。
「これは…。すみれくんの字だ」
「なんですって?」
そして全員が集まり、大神の持っている紙を見る。
「…よくまあ、犯人に知られなかったわね」
「うん。それにしても何ですみれ君もこんなものを…」
そして大神が紙を裏返した時だった。
「…これは…」
「…隊長、どうしたんですか?」
マリアが聞くが、
「…いや、なんでもないよ」
*
「…おい」
男がすみれに話しかけてきた。
「なんですの?」
「本当に大丈夫なのかよ」
「何が、ですの?」
「あんたの言うとおり、その、大神ってヤツに身代金を持ってこさせるようにしたけどよ…」
「大丈夫ですわ。わたくしは少尉をよくご存知ですけど、あの方は信用できる方ですわ。少尉なら必ず持ってきてくれますわ」
(…それにしても…。隙をみてわたくしが封筒に張り付けた紙に気がつかないなんて、どこまで抜けている方なのかしら?)
そう、相手の隙を見て、大神たちでの伝言を書いた紙を貼り付けておいたのだ。大神なら必ず気がついて読んでくれる、そういう計算があったからだ。
(…それに、あのことも普通ならおかしいと思うはずですわ…)
*
翌日の午後3時近く、上野公園。
あたりは刑事が張り込み、その中に大神がいた。
「いいですか。身代金の受け渡しが我々にとっても犯人逮捕の絶好の機会です。くれぐれも慎重に対応してください」
「判りました。それにしても…」
「なんですか?」
「本当に大丈夫でしょうね」
「大丈夫です。念のために我々も二段作戦を打つことにしたんですから」
そして大神は上野公園に入っていった。
西郷隆盛像の前に来ると指示通りに鞄を置いた。
そして大神は何事もなかったかのようにその場を立ち去った。
それからどのくらい経っただろうか、その西郷隆盛像の前に一人の男がやってきた。
男は辺りを見回すと、すばやくその前においてある鞄に手を伸ばした。
そしてその鞄を手に取ると何事もなく歩き出した。
*
銀座のある町の一角。
一人の男があるビルディングの前にやってきた。
右手にはここを出る時には持っていなかった鞄を何故か持っていた。
男はあたりに誰もいないのを確かめるとポケットから鍵を取り出すと、鍵穴にそれをいれ鍵を開ける。
そして中に入ろうとドアのノブに手をかけたその時だった。
不意に物陰から3〜4人の男が飛び出してきた。
「な…なんだあ!」
男が声を上げるが、あっという間に組み伏せられ、その手には手錠がはめられた。
「我々は警察だ!」
「…誘拐及び脅迫容疑で逮捕する」
男たちが口々に言う。
それを横目に見ながら大神が中に飛び込んだ。
「すみれくん!」
「少尉!」
すみれの声が聞こえ、大神に駆け寄ってきた。
「よかった、無事だったんだね」
「ええ、おかげさまで」
*
「…なんでここが判ったんだよ!」
刑事たちに連行されながら男が言う。
「…こういうわけなんですよ」
そう言うと大神は一枚の紙をポケットから取り出した。
「…これは…」
「心配御無用、もうすぐ皆さんのもとに戻りますわ。
ここは犯人の云ふ通りにして上野公園へ來て下さい。
但し、身代金の用意はいりませんわ。古新聞でも切つて用意して下さい。
それから、脅迫状のとおり上野公園へは少尉が來て下さい。
すみれ」
例の伝言だった。
「実はね、すみれくんがこっそりとこんな伝言も伝えてたんですよ」
そう言いながら大神はその紙を裏返した。
「これは…」
それにはある店の名前が書いてあり、「ここの方に聞けばわたくしの居場所がわかりますわ」と書かれていたのだった。
「…すみれくんは昨日、何でも夕食に出前を取ったらしいですね。当然出前を取る際には自分がどこで受け取るか言うものです。案の定、この店に聞いてみたら、『神崎家のツケにして持ってきて欲しい』との伝言があったそうです。それさえわかれば後は簡単です。自分は刑事さんに頼んでこの近くを張ってもらいました。そこをあなたが戻ってくれば、すみれくんがその中にいるくらいは誰だってわかりますよ」
「う…」
「どうやらあなたの考えていた以上にすみれくんは頭の切れる人物だった、と言うことですよ」
そして男が連行されていく。
「まずは、ご無事で何よりでした」
「いえいえ、このたびはご迷惑をおかけしましたわ。あとでお祖父様にもわたくしの方から伝えておきますわ」
すみれが刑事に向かってそう言うと、
「どうもすみませんでした」
そして刑事たちは去っていった。
*
ひとまず事件が解決し、すみれが警察で事情を聞いて帝劇に戻って頃には既に夜が更けていた。
すみれは自分の部屋に戻り、サロンには花組の残りの5人がいた。
「…とりあえず、すみれが無事に戻ってきて安心したわね」
マリアが言う。
「…にしてもよお、あんなワガママが服着て歩いてるような女誘拐するなんて、犯人もなーに考えてんだかねえ」
カンナが言う。
「ホンマやな。犯人もすみれはんにはほとほと手え焼いたんとちゃうか?」
紅蘭が言う。
「そういえば大神さんが言ってたんですけどすみれさん、自分が誘拐されてるというのに
犯人を顎で使ってたらしいですね」
さくらだった。それに続いてアイリスが、
「それにすみれ、自分で身代金の額を決めた、って言うよ」
「…まあすみれの場合、自分がどういう状況に置かれているのかちょっとわからなかったのかもね。誘拐された直後に殺されてたかもしれないのよ」
マリアが言う。
「身代金さえ手に入れれば犯人にとって、人質なんてもう用なしだからね。でも、身代金誘拐というのは犯人にとってもリスクが大きい犯罪なのよ。そんな危険を冒してまで犯行に走る価値が何処にあるのかしら?」
花組の面々の話を聞いていたあやめが初めて口を開いた。
「ま、あんなワガママ女誘拐すること自体が間違ってた、ってことだよな」
「…誰がワガママですって?」
一同の背後で声がした。
「あ…、す、すみれはん…」
そう、いつの間にやらすみれがそこに立っていたのだった。
「いや、その…。すみれが帰って来て良かったな、って話してたんだよ、な?」
「そ、そうや。すみれはんが殺されたりしたら大変やったな、って言ってたんや」
慌ててその場を取り繕うとする一同。
「本当かしら?」
「な、何疑っとるんや。すみれはんは花組の大事な一員やから、な?」
「ふーん…。それならよろしいんですけど…」
そういってすみれはその場を去っていった。
「…ふう…、やっぱすみれはん相手には下手なことはできんわ」
「そうだろうね。すみれくんを敵に回すと大変なことになるかもしれないよ」
大神が言った。
「どういうことですか?」
「カンナの言葉じゃないけど、今回の事件はすみれくんを誘拐したこと自体が犯人の間違いの始まりだったかもしれないな」
(おわり)
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