Cute
なぜだろう。
一人には慣れたはずなのに、胸の奥がこんなにも締め付けられるように痛いのは。
そんなことを考えながら、私はベッドの上に身を投げ出した。
ほとんどなにもない、と言っても過言ではないくらいすっきりしたマイルーム。そのお陰で狭いこの場所がだだっ広く寂しく見えた。
日は既に落ちたのに電気を付ける気にもならず、暗いままの部屋でごろごろと布団の上を転がる。そんな怠惰な私を隅に置かれたクリスマスツリーが白い目で眺めていた。
不意にかつん、と窓ガラスが鳴った気がして、私は慌てて飛び起きる。
動揺を悟られないように、努めて無表情に。ひとつ息を吐き、意を決してカーテンを開ける。冷たい空気が肺に沁みた。
気のせいだった。
そう、細い路地を挟んだ向こう側のベランダ。そこには誰もいない。そもそももう、窓ガラスが鳴るはずもないのだ。
肌をさす空気に晒されたまま星空を仰ぐと、きらり、と一瞬流れ星が視界をかすめて、不意にまた胸が締め付けられるように疼いた。
満点の星空と、向かいのカーテンに映った小さく見えるクリスマスツリーのシルエット。
そっと窓を両手で閉める。
ガラスに映った私が今にも泣き出しそうな顔をしてこちらを見ていた。
小さい時から、いわゆるお隣さんの家に住んでいる悠斗とはよく遊ぶ仲だった。
記憶にもないくらい幼少の頃から、公園でおいかけっこをしたり、虫取をして遊んだり。世間で言う幼馴染みというやつだ。
私が勝ち気で男子っぽい性格、その上身なりもボーイッシュだったせいか、悠斗はいつもにこにこ、時には心配そうにしながら後ろを追いかけてくるお兄さん的立場だった。喧嘩はたいてい私が勝った。というより、彼が必ず譲歩した。悠斗はわがままで奔放な私よりも随分と大人だった。彼にとって私は、同い年ながら妹のように思われていたのかも知れない。
中学に上がってからも、その関係に変わりはなかった。
勉強が大嫌いで、終わらない課題に泣きそうな長期休み終盤の私を見て毎日家にやって来ては頼んでもいないのにわからないところを丁寧に教えてくれるのが恒例行事。
ただ昔よりも、悠斗には男の子の友達が増え、一緒にいることが当たり前ではなくなっていった。私は少しずつ、彼から距離を取るようになった。彼自身と、その友達のために。
完全に彼と別々になったきっかけは、今年の春。高校進学の時だ。
頭の良い悠斗は有名な難関高校を受験して見事に合格した。対して私は、地元の底辺高校にギリギリで滑り込んだ。
そんな二人の生活リズムが合うはずもない。
以前は毎日のように小石を投げられて開けていた窓も、何度か無視しているうちに全く鳴らなくなった。メールの最終履歴も、私が返信を送らなくなった半年ほど前から更新されていない。
彼のいない日常に慣れるのは簡単だった。自分の心に蓋をしてしまえばいいのだから。
それが時々、ふとどうしようもない切なさが込み上げて涙が溢れそうになる。なんとなく原因は分かっていた。
悠斗がいないと埋められない隙間。
悠斗の笑顔でないと埋められない気持ち。
「……好き」
言えない。言えない。言えるはずがない。
妹よりも弟に近い幼馴染みに言われても気持ち悪いだけだ。そんなことは誰よりも十分わかっている。
それでも、彼の部屋に密かに佇んでいたクリスマスツリーを見て、願わずにはいられない。
あれは五年も前のクリスマス、初めて私から送ったプレゼントだ。私の部屋にも同じように飾られている、お揃いのクリスマスツリー。
もう取り返しのつかない距離まで来てしまったのかも知れない。自ら望んで少しずつ開けてきた空間と時間は、取り戻せないかもしれない。それでももう、この気持ちに気付かないフリをするのは限界だった。
神様、お願いだから、勇気のない私にクリスマスの魔法をかけてください。
柄にも無くそんなことを思って、深呼吸する。
長らく着信のないスマホを手に取った。
#####
画面に表示されているのは、17:55という数字。
駅前のツリーのとこ。6時に来れたら来て。たったこれだけの文章で、本当に悠斗は来てくれるだろうか。
「了解。少し遅れても必ず行くから、絶対そこで待ってて」
もう何度も読んで文面を覚えたメールを、また開けてしまった。
心臓はばくばくとうるさく音をたて、今にも口から飛び出してしまいそうだ。粉雪だけがひらひらとゆっくり肩に落ちて、私は静かに深呼吸する。
制服以外ではいたことのないスカート、それも着たことのないような丈の短いピンクのスカートをはいているせいで慣れない生足が寒い。視界に映るパーカーのファーに落ち着かず、いつも適当にしているだけの髪に結わえた赤いリボンの裾を弄って時間を潰す。何をするにしても落ち着かなかった。
昨日の夜、今まで似合わないからと切り捨てながらどうしても憧れで捨てきれなかった洋服の群れを、偶然メールを見られてしまった妹に引きずり出されてきせかえ人形をさせられたのだ。
「へーえ、我が姉ながらなかなかいい感じに仕上がったじゃない」
「ちょっと、これどういうことなの」
「やー、意外と化けるのね姉ちゃんも。これなら悠斗くんも一発KOだね」
「意味わかんない。ていうか、なんで悠斗と会うこと知ってんの?」
「さっきメールの送受信ボックスみた」
「ふざけんなっ!」
投げつけた枕をあっさりかわした妹は、「はーるがきーた、はーるがきーた、クリスマスだーけどー」と訳のわからない歌を口ずさみながら私の部屋を出ていった。後にはファッションショーの残骸だけが残されて、私はうんざりだ。片付けはご自分でということか。
私と同じ血が流れているとは思えないほどオシャレ好きな妹は、ご丁寧にも自分の鞄やら靴やらまであれこれと見繕って貸してくれた。なにがそんなに楽しいのか私にはさっぱりわからないが、彼女は鼻歌るんるんだった。
「姉ちゃんが素直になれますよーに!」
先ほど妹が送り出してくれた言葉が耳について離れない。
ごちゃごちゃと飾られた一際大きな駅前のツリーの下で、何度目かのため息をつく。スマホの時計は三分ほど進んだ。
かつ、かつ、かつ、と、突如聞こえてきた足音が、私のすぐ隣で停止する。
「待たせた?」
聞きたかった、聞けなかった声が頭のすぐ上に落ちた。
「ゆう、と」
振り向くと、いつの間にか頭一つ分くらい背が高くなった彼が優しく微笑んでいた。
それだけで胸がいっぱいになって、呼ぶ声は掠れ、熱いものが目尻に溜まった。
背景のライトが滲む。
「遅れてごめん。……って、泣いてる?!」
「泣いてないよバカ」
「ごめんってば。でも遅くなるって言っておいたじゃん。それに、ちゃんと時間通りにはきたし」
涙を見られたくない私はただむくれてそっぽを向く。
可愛くない。可愛くない。可愛くない。なのに、そんな台詞しか出てこない。
「それで、どうしたの」
話があるなんて珍しいじゃん、と彼は言う。
このタイミングで本題なんて、言えるわけがないのに。
「別に。最近会ってなかったから」
これでは半年ぶりにわざわざ忙しい中来てもらった理由にならない。悠斗もそう思っただろうが小さく笑って「そう」と呟いた。
幼かったあの頃のように、仲良く並んで話しをする。違うのは、自信がないのと恥ずかしさで俯いた私だけ。
「今日はズボンじゃないんだ」
「……そんな気分だっただけ」
「美紅が話ないなら、俺が話をしてもいい?」
「勝手にすれば」
いくら可愛い洋服を着ても、緊張するほどに憎まれ口を叩くこの癖だけはどうしようもない。
「今日クラスのクリスマス会だったんだけど」
「へー」
聞きたくもない情報。と言いたくもなったけど、勝手にすればと言った手前そんなことはできなかった。
「でもサボった」
「行けば良かったじゃん」
「お前、ほんと分かってねーよな」
「なにが」
ちらりと顔を伺うと、悠斗は優しい表情で星を見上げていた。
「俺がクラスメイトよりも美紅に会いたかったの。気づいて? いい加減」
一瞬、呼吸が止まった。
「は……え、どういう」
「美紅さあ、俺のこと、避けてたでしょ。ずっと」
「……そ、れは」
「地味に傷ついてたんだけど」
「……」
「窓越しのおしゃべりができなくなって落ち込んでるのに、メールしても無視されるし。どうしていいか分かんなくなっていくうちに、美紅に連絡取るチャンスなんてどんどんなくなっていってさ。俺ばっか美紅と一緒にいたいみたいで」
「…………」
だから。さっきから何がいいたいんだ。
導かれる答えは単純なのに、頭が理解を拒絶する。爆発しそうだ。
「ちっちゃいときからかなり一生懸命にアピールしてたんだけど、美紅は全然気づいてくれないし。喧嘩友達か兄弟ぐらいの感覚でしかなかったでしょ」
それはこちらのセリフだ。
「俺ばっか余裕なくて、かっこ悪い」
私の方が余裕ないよ。
「寂しいよ、美紅がいない学校生活」
私の方が、寂しいよ。
「今日久しぶりに会って、初めて長い付き合いのなかで美紅の女の子っぽい格好見て」
私はぎゅっと目をつぶった。
「やっぱり、諦められないって思った。好きだって、思った」
心臓が、止まるかと思った。
「今日美紅が話があるって言うから、期待してた。でも言ってくれそうにないから、俺から言っていい?」
「勝手に、すれば」
街の雑踏が突然意識の外へ消えて、自分の呼吸しか聞こえない。不自然に手を握り締める。
「好きです。美紅。付き合ってください。大事にするから」
どうして。
こんなにひねくれて可愛さのかけらもない奴に、そんなストレートな言葉をぶつけられるのだろう。
……それが、悠斗だからだ。
「私、が」
また溢れそうになった涙で声がかすれる。自分がこんなに涙脆かったなんて、知らなかった。
「どれだけ、がまんしてたか……知らないでしょっ……」
悠斗にはもっとお似合いの女の子がいると思っていた。優しくて気のきく女の子が。
「私の、方が」
ずっと前から、好きだった。
言い切る前に、視界が彼のコートで埋まった。
抱き締められていた。
「……悠斗」
「なに?」
「やだ、これ。やめて? 恥ずかしい」
「やだ。今日は美紅がなんと言おうと譲らない」
「……意地悪」
「なんとでも言って。今日は、いや、今日からずっと、離さないから」
繋がれた右手が熱い。
それならこちらも仕返しだ。
「悠斗」
「なんだよ」
「……好き。大好き」
驚きで止まった足に、笑顔を向けてやる。
「バカ。その顔、反則」
どうかいつまでも、この幸せが続きますように。