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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第一章 石ころ
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第五話 遭遇

 学生も、モンスターもいない一つの小部屋。

 そこは壁に埋められているように存在する水晶によって、淡く照らされていた。天井はなく、遥か高い場所まで光が見えた。何が光源かは分からない。

 そんなダンジョンの小部屋に、細かな瓦礫の山が築かれていた。

 もちろん生命体は一つとして存在しないので、物音一つしない。いや、風が吹いた。一陣の風だ。それが、瓦礫の山を刺激して、ぱらぱらと砂の欠片が中腹やてっぺんから落ちる。

 そんな時だった。

 瓦礫の山のてっぺんから、人の太い腕が現れたのは。

 そのまま腕を下ろして、体ごと山の中から起き上がった。

 現れた人物は土まみれだった。

 顔からは出血もしている。

 まるで死人のようだった。


「……死ぬかと思ったぜ」


 その人物がナダだった。

 ご丁寧にも持っていた青龍偃月刀は手放してなかったのか、右手にまだ存在していた。

 多くの瓦礫の山に埋もれた時に多くの怪我を負ったのは事実だが、死ぬまでには至らなかった。もう少し多くの瓦礫が上にあれば死んでいただろう。

 ただ、それでも無傷ではない。

 肋骨は衝撃で折れて、顔は目の上の薄い皮膚が切れて大量の血が出ている。また体のあちこちが裂傷で傷ついているのか、鎧にはあちこちに血が滲んでいた。それに右足は瓦礫で潰れているのか、満足に感覚もない。革のブーツを脱いで、ナダは右足を確認してみた。すると青紫色に染まって、大きく腫れていた。またあらぬ方向にも曲がっている。

 すぐに手当をしなければ死ぬだろう、とナダは予感していた。

 素早く腰のポーチから瓶に入った緑色の薬を取り出した。

“回復薬”だ。

 それも、只の“回復薬”ではなかった。

 とある友人のギフトで、効果を上昇してもらった回復薬だ。

 それをナダは頭から被った。しびれるような痛みが傷口を刺激した。

 さらにもう一本別の回復薬である青色の回復薬を取り出して、今度は一気に飲んだ。

 味が苦かったので、ナダは顔を顰めた。

 また一本取り出して、近くに置く。そして口をぐっと噛みしめて、右足のうっ血をククリナイフで掻っ切って出すと、強引に両手で元の形へと戻す。するとナダは口の端から泡を出しながら右足の激痛に耐えて、素早く回復薬を右足にふりかけた。また腹に巻いていた晒を使って、右足の足首を固定する。

 そして、体の様態が落ち着くまで瓦礫の上で休憩していた。

 幸いにも、モンスターは一匹も現れなかった。


「……それにしてもかび臭い……」


 ナダは鼻の尖るような思いをしていた。

 この部屋はダンジョン特有の土の匂いではなく、まるで長年地中に埋まっていたかのような臭いがしているのだ。

 それに――夥しい数の水晶。

 幻想的だが、どこか気味が悪いようにも思える。


「こんな綺麗な世界に嫌気が差すとは、本当に自分が嫌になるぜ」


 ナダはそんな光景に舌打ちをした。

 周りの光景が気に触ったのだ。

 回復薬は友人のおかげで回復力が上がっているおかげで、顔の傷や裂傷はほぼ完全に治ったが、右足や肋骨はそうでもない。流石に折れた骨を治すまで効果が上がるわけではなかった。噂ではもっと高価な回復薬は飲むだけで骨折も完全に治り、死人すら生き返ると呼ばれるほどの物もあるらしいが、金欠のナダがそんな物を持っているはずがなかった。

 だから、肋骨の痛みと、右足の痛みは取れなかった。

 特に、右足は酷い。

 回復力を薬で高めて、安静にしていれば一週間と掛からずに治るだろうが、このダンジョンの中ではそうも言っていられない。

 だから関節と骨折した部分を固定するように晒で締めたのだ。痛みは残るが、歩けないほどではない。すぐにダンジョンに出なくてはいけないのは確かだが。

 こんなはずじゃあ――なかった。


「今頃は不味いオートミールを食べている予定だったのによ……」

 

 だが、ナダに満足な休息を与える暇を取る余裕など無かった。

 ナダは激痛に耐えながら立ち上がって、ゆっくりと歩き出した。

 その目は美しい壁を睨みつけているようだった。

 先ほどの部屋から伸びている道は一筋しか無かった。

 そこをナダは無言で進む。

 口は真一文字に結んでいるが、その眉間には皺が寄っている。また歩きにくいのか、長い偃月刀を杖代わりに使っていた。

 ナダはそんな状態で、道の端を水晶が照らす場所を通る。

 何度か、分かれ道にさし当たった。

 右に行くのが吉か、それとも左に行くのが吉か。

 ナダには分からなかった。

 だから勘で、その片方を選んだ。

 その時のナダは気付かなかったが、その壁には冒険者の印が刻まれていた。

 だが、行く道には誰にも出会わない。

 モンスターも、人でさえも。

 音さえもしない。

 耳に聞こえてくるのは足を引きずっている音と、荒い呼吸。それに偃月刀を地面につく音だけだ。

 不幸の中での希望への活路は、モンスターに会わないということだけだ。

 空気がべっとりと肌に張り付く。

 まるで粘度を持っているかのように。

 足が進みづらいように感じた。

 この先に何があるのか、本当は予期しているのではないか、とナダは思う。

 埃臭い道を進みながら、まるで出口のない迷路にいるようにナダは感じていた。

 こんな気持になるのは何年ぶりだろうか。

 きっと、あの時以来だろう。

 ナダは貧しい農家に生まれた。六人兄弟の次男であった。ナダは小さい頃から学校にも行かず、家の農作業を手伝っていた。遊ぶ暇など殆ど無く、日々の大半が鍬を振ることに占められていた。たとえ父の仕事を手伝ったとしても、給料が出るわけではない。だが、三つ年上の兄が農作業を手伝い、一つ上の姉が家事や子育てを手伝っていたので、自分も仕事をするのが当然だと思っていた。

 学校に行きたいなど、考えたことがなかった。

 ただ、そんなナダに転機が訪れる。

 村が飢饉に襲われたのだ。

 その年は数十年に一度の不作で、作物が殆ど育たなかった。もちろん小作農家であるナダの家は、財政的に厳しくなり、姉は近所の貴族の家へお金を稼ぎに奉公へも行った。

 だが、その程度で家が豊かになることはなかった。

 家に食料は少ししかなく、その中で税金も払わなければいけない。

 当然ながら、限りある食料が、家族全員に平等に配られることなどない。

 一番多く食べるのは大黒柱である父。次に多く食べるのは跡継ぎである長男だ。そして母が食べて、まだ小さい末っ子などに優先的に食事を取る。その中でも体が家族の中で一段と大きいナダには、殆ど食料が与えられなかった。

 ナダはその現実に絶望した。

 所詮、自分など多数いる跡継ぎの代わりに過ぎないのだと。死ねばそれまで。生きていても、この先使い潰されるのが自分の未来だと、ナダは思った。日々の労働で消耗している父は自分のことなど眼中になく、母はまだ小さい弟や妹のほうが可愛い。長男は跡継ぎとして働いていて、自分など虎視眈々とその機会を狙う疫病神にしか見ていないような、厳しい表情しか見せなくなった。

 飢饉、という状況が、優しかった家族を変えてしまった。

 そんな時、ナダは小さいころ村にやって来た商人の話を思い出した。

 彼の地、インフェルノでは、誰もが無料で学園に入れて、そこで冒険者としての素養を学ぶことができる、と。冒険者の中には、実力一本で貴族まで成り上がった者もいる、と言っていた。

 そこでナダはこの家にはもう自分の未来がないと悟ったので、何も持たずインフェルノまで、死ぬ気で訪れた。

 家を出るといった時、家族の誰もが反対はしなかった。父と兄は嬉しそうで、母はもう興味が無いような顔をしていた。おそらく父たちにしてみれば、食べる口が一つ減る、と考えしか頭に無かったのだろう、とナダは思った。

 ナダの住んでいた村からインフェルノまでは近かったので、着くのにそれほど苦労はしなかった。道も一本道で分かりやすい。

 一つ難点といえば、学園についた時には頬が痩せこけていたことだ。だから学園に着く少し前で、力尽きて地面に倒れた。その時に自分が死ぬのだと思うと、凄く自分という存在がちっぽけのように感じた。まだ五十人ほどの小さい村しか見たことがなかったナダだが、この町に来て大きな世界があることを知った。世界はどれだけ広いのだろうか、と思いながらも自分は無力な一人の子供でしかない。そう思うと、涙が出てきた。どうして自分はこんな所で野垂れ死ななければならないのだろう、と絶望しかしなかった。

 だが、幸いにも、そこにいた先輩の一人が食事をくれたので助かったが。

 学園に入ればひと安心できる、とナダは考えていたが、そこも甘くはない。

 入学試験は簡単に突破できた。簡単な体力試験しか無かったから。

 だが、入ってからが大変だった。

 学園の入学費は無料だが、月々にかかる学費はそうではない。自分で払わなければいけない。そうでなければ借金だ。それにナダはインフェルノに家も無いので、寮に住むことになった。その寮の費用も、自分で払わなければならない。また食事も実費だ。だから連日、ナダはお金を稼ぐために迷宮に潜ることを強いられた。

 また、ナダが大変だったのは、それだけではない。

 学園の授業に付いて行くのも一苦労だった。

 まず、ナダは文字が読めなかった。これによって、学園の授業の半分は理解できず、教師の話しか頭の中に入らない。だがこれは友人の助けと本人の努力によって解決した。まだ時々読み方を間違えるなどと怪しい所もあるが。

 そして大変なことはまだあった。

 授業の内容の大半が分からないのだ。

 学園の授業は大きく分けて、座学と実践の二つに分けられる。

 実践は体を鍛えたり、技を身につけたり、または武器の知識やダンジョンの探索方法を学ぶのが主になる。それは教室で椅子に座って学ぶことは少なく、ほとんどが学園内の様々な施設で学ぶことになる。これまで武技など習ったことがないナダには、これも苦労した。他の者達は親が冒険者か、もしくは商人か貴族の子供か何かで、小さい頃から武技を嗜んでいるものが多かった。ナダのような初心者などごく僅かだ。だが、座学に比べれば“まし”だった。

 座学で文字を覚えたナダに待っていたのは、これまでの教養の少なさだった。まず、計算ができない。足し算や引き算なども分からないのだ。それを身につけることに一日の大半を費やすこともあった。また文字が読めなかったので、様々な知識が抜けていた。国の歴史や冒険者の道具の使い方、または国の仕組みなどもだ。これらを覚えるために、時間を費やしたことも多い。

 それらを乗り越えるのに二年を費やした。毎日勉強と迷宮探索に費やして、ベッドの上で泥のように眠る日々が続いた。その二年間はナダにとって忙しなく回り続いた。

 そしてそこから先に待っていたのが――落ちこぼれという称号だった。

 あの時もパーティーから追い出されて、これからどう生きればいいのか迷った。頼れる知人などなく、自分に誇れる場所もない。他のパーティーに入るのも困難だった時だ。

 まるで自分の全てを否定されたように。

 その時も、今と同じように一人で迷宮に潜っていた。

 答えの見つからない道をずっと生きていた。

 そう考えれば、このような迷路に自分はずっと彷徨っているのだ、とナダは思った。行き先もなく、目的もなく、ただ闇の中を彷徨っているような感覚は今もずっと残っている。いや、自分の生きている道には最初から光などないのに。

 そう思うと、気持ちが楽になった。

 そして、一つの大きな部屋に出た。

 空気が違った。

 慣れ親しんだ臭いだった。

 芳醇な血と、冷たい鉄の香り。

 気持ちが悪い、と言ったら嘘になる。

 むしろ、心地がいい。

 ナダにとって、ここも、外も、平穏な時間など存在しない。

 ダンジョンの中ではモンスターという敵が牙を向く。

 そしてダンジョンから外に出れば、今度は学生という敵が牙を向く。

 心の休まる場所などナダには夢のなかしかない。

 だから、ナダの心の中では部屋を進みながら、酷く警鐘が鳴っていた。

 この場所が自分にとっての楽園のはずがないのだ。

 だから、ナダは、一瞬で目を奪われてしまった。

 部屋の奥で目覚めている――番人に。

 その恐ろしさに。

 部屋の隅には美しい水晶の壁に残る血の跡と人の死体。それに床にも水たまりのように血溜まりが広がっていた。色とりどりの水晶と、強烈な朱。それに壊れた石像の横に位置する黒色のガーゴイル。ナダはガーゴイルの鋭く、赤い目を見ると、体がぶるっと震えた。

 恐怖からだった。

 そして、ガーゴイルは高らかに啼いた。

 ナダは一瞬でスタンスを広げて、青龍偃月刀を構えた。逃げられない。いつもならすぐに部屋の外に逃げるのだろうが、今はそんなスピードを出せるだけの足がない。だから、出口へと後ずさりながらも、戦うことを選んだ。

 ナダも多数の戦闘経験があるが、ガーゴイルとの経験はまだなかった。だから未知の相手からどんな攻撃が来るのかが分からない。ガーゴイルの行動を逐一観察していると、驚くことにその手には“大槍”を持っていることに気付いた。グレイブだった。

 ガーゴイルはグレイブを持った右手と何も持っていない左手を共に地面につけて、こちらまで牛のように突進する。

 そしてナダにまで近づくと、グレイブを横振り。

 ナダはすかさず偃月刀を立てて防いだ。

 攻撃が重たい。

 一メートルほど体が移動する。

 ナダは痺れる両手と、足の激痛に耐えて、ガーゴイルに向かって足を伸ばす。そして、偃月刀を上げて振り落とした。

 だが、ガーゴイルは大きな翼を一回羽ばたかせて、空へと逃げる。その時に偃月刀の刃が足の先に触れたがかすっただけだ。血がほんのすこしガーゴイルから流れただけだった。

 ナダは空にいるガーゴイルを睨みながら、素早く後ろまで下がる。残念ながらアビリティもギフトも持っていないナダには、空中にいる敵への対処法が存在しない。だから素早く逃げるのだが、そんなナダを追って滑空しながら回転して、横に払うようにグレイブを振り回した。

 ナダはそれを偃月刀で防ぐが、あまりの重さに足の踏ん張りが効かない。床を転がった。

 ガーゴイルはまだ空中に留まったまま吹き飛ばしたナダへと近づいて、今度はグレイブを振り下ろした。

 ナダはすぐに体勢を立てなおして、それを相殺するように下から両手で偃月刀を振り上げた。

 両手で持った偃月刀と、片手で振り回すグレイブが激突する。

 一瞬だけ、両者の動きは均衡して動かなくなった。

 だが、悲しきかな。

 ナダは人だ。モンスターではない。ガーゴイルのグレイブに押し切られそうになる。すぐに偃月刀を引いて、回転するように逆方向から偃月刀を振る。

 今度は、ガーゴイルのグレイブがそれを防ぐようにかち合った。

 何度も、何度も、ナダの偃月刀とガーゴイルのグレイブがぶつかりあう。ナダの横振りと、ガーゴイルの横振りが重なる。そして続けるようにナダが偃月刀の刃を引いて、その逆の部分である石突でガーゴイルを殴ろうとするが、左腕で止められた。

 すぐにガーゴイルの前蹴りがナダに飛ぶ。

 ナダは後ろに飛んで威力を殺しながら今度は石突を引いて偃月刀を立てて、振り下ろし。

 同時にガーゴイルが横にグレイブでなぎ払うと、ナダの攻撃が横に逸れる。地面に当たった。そしてグレイブはそのままナダの脇腹を抉った。だが、それは防具の上だ。致命傷にはならない。

 ナダは胸の痛みを感じながらも、偃月刀を体の前まで引いて一歩後ろへと下がる。

 そんなナダへと追撃するように、ガーゴイルは袈裟切りのようにグレイブを動かした。

 ナダも負けじと、横から払うように偃月刀を振る。グレイブとぶつかる。

 両者の武器が弾かれた。そして一定の距離を保ったまま、両者は武器をぶつけあう。

 まるで嵐のように幾度と無く、両者は己の全てをぶつけあった。

 しかし、ガーゴイルはまだまだ余裕そうなのに対して、すでにナダは満身創痍。何時、力尽きてもおかしくはなかった。

 ふとした瞬間、ナダは力負けしているのを感じた。

 足がガーゴイルの圧力に負けて、徐々に、徐々に、後ろへと下がる。

 一瞬だけ、後ろを見た。

 そこは壁だった。

 ナダが入ってきた入り口は遥か右だ。

 このままだと、自分の命が危ないとナダは感じる。


「あああああ!」


 だから重たい足を引きずったまま、叫び声を上げながらガーゴイルの懐に入って渾身の力で偃月刀を振るった。

 だが、柄の部分をガーゴイルの左腕に止められる。

 ガーゴイルは体重を後ろに反らして、右の足が飛び出た。

 ナダはそれに薄ら笑いを浮かべて、腹にガーゴイルの直撃を受けた。吐きそうになった。だが、胃には何も入っていないので、口からは血しか出ない。後ろへと転がる。そしてその勢いが衰えているのを感じながら、出口が近づいてくるのを知る。

 ナダは自分の策が上手く行ったので、すぐさまガーゴイルに背を向けて入り口へと逃げ出した。

 その部屋から出ると、ガーゴイルは追ってこなかった。

 ナダは重たい傷を負ったまま、またダンジョン内の出口を目指す。

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