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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第一章 石ころ
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第十話 回復薬

 ナダが向かった先にあったのは、煉瓦で作られた大きな住宅街だった。

 その中の一つ。

 周りと比べると一段と煉瓦の赤が麗しい場所に辿り着いた。

 そこに、ナダの友人が住んでいるのだ。

 二階の各部屋まで上がって、木製のドアを二回ノックする。


「はーい」


 中から間延びした少し高い声がする。


「俺だ。ナダだ」


 ナダは短く返答した。


「分かった! ちょっと待っててね」


 その声がしてから数分後、ゆっくりと扉を開けられた。

 中にいた者は、まず背が小さい。ナダと比べると小人のように見える。顔もナダと同い年なのに、いくつか幼い。あどけない顔だった。全身を包む白いローブの上に、小さな顔がちょこんと乗っているのである。特に八重歯が目立って、目は二重で大きくまるで猫のようだ。特に老け顔のナダと並べると、まるで年がかなり違うように思えた。

 髪は肩ほどまで伸ばしているのだが、どう見ても女性にしか見えない。

 それも可愛らしい女性だ。


「久しぶりだな、ダン」


「そうだね、ナダ」


 だが、ナダに首を傾げて笑いかけるダンは、男性だった。

 男性だと、ダンから聞いたのだ。

 ナダはダンを見る度に性別を偽っているのではないかと思うが、そこを詮索したことはなかった。例えダンが女であっても、今までどおりの男であっても、受けた恩は変わらない。

 だとしたら、問題は一つとしてないだろう。

 そんなナダとダンの出会いは――今から五年前にも遡る。

 その頃のナダは学園に入学したばかりで、視線をきょろきょろとさせる田舎者だったと言えるだろう。都会とも呼べるインフェルノの大きな建物に視線を奪われて、道を通るあまりの人の多さに怖気づいていた。

 そんな中で学園に入ったのだが、田舎者以外に一つだけ学園で問題があった。

 ナダは基礎学力が無かったのだ。

 ナダは寂れた村で生まれた。当然ながら寺子屋のような施設はなく、読み書き算盤など習ったことがない。生まれてから一度も文字を書いたことも無ければ、読んだこともない。ましてや計算なんて足し算から分からなかった。学園への入学手続きはその頃にお世話になっていた先輩に手伝ってもらったので問題は無かったのだが、ラルヴァ学園は冒険者養成施設といえども、あくまで学校だ。そこには読み書き算盤も含まれている。特に冒険者にとっては、読み書きなどは必要な技能の一つだ。依頼品を受ける時には文字が読めないと話にならないし、計算は迷宮で効率のよい稼ぎを上げるために必須だった。

 だが、そこはすっぽりとナダは抜けていた。

 特に一年生の頃はダンジョンへの潜り方も教わるのだが、そういった教養にも時間が当てられる。

 読み書き計算が出来ないことはナダにとっては死活問題だった。

 そんな時にナダはダンと出会った。

 始まりはよく覚えていない。

 教室の席が近かったので、何度か顔を合わせる度に仲良くなっていったような気がする。

 その時にナダは学力のことを相談すると、ダンは気軽に勉強に付き合ってくれることになった。

 ダンは商人の生まれらしく、同級生の中でも学力は高かった。

 そんな者に個人授業で教えてもらえるのだ。ナダの学力はみるみるとまではいかなかったが、地道に上がっていった。ダンも自分の鍛錬や勉学があるのに、「友達だから」という理由だけで勉強を教えてくれたことに関してナダは今でも頭が上がらない。

 パーティーは一年生の頃にそれぞれが別の人に誘われたため、組むことは全く無かったが、それでもナダとダンが友達という二点だけは変わらなかった。

 そんなダンとの関係を、ナダは今も続けている。


「ここで無駄話をするのもなんだから、中に入ってよ。今日もどうせ“あれ”がほしいんでしょ?」


「そうだな」


 ナダはダンの提案に乗って、部屋の中へと入る。

 二人が木で出来た廊下を抜けて目指したのは、一つの部屋だった。リビングや寝室ではない。ダンの部屋に特別にある――調剤室だった。

 その部屋は奥の窓に向かって大きな机と椅子が一つ。机の上には様々な大きさの瓶の中に、怪しげな色をした液体が入っている。それだけではなく、部屋は天井までもある棚で覆い隠されて、そこには一定量入った薬品ごとに陳列されていた。

 ダンが奥の椅子へと座ると、ナダへ少しだけ心配そうな顔をした。


「ナダ、ちょっと顔がやつれてない?」


「そうか?」


 ナダは床へと胡座で座って、右手で顎を擦る。

 疲れているという自覚はなかった。


「パーティーを外されたことで疲れが出ているんじゃないの? きちんと新しいパーティーは組めた?」


「残念ながら一人だよ」


 そうナダが言うと、ダンは溜息をそっと吐く。


「はあ。君は昔から……それで疲れているんじゃないの? 顔色は悪いし、こんな早くに“回復薬”の補充に来るなんてあんまりなかったじゃん。きっと、回復薬をがぶ飲みして無理矢理攻略しているんでしょ? ダメだよ。あんまりそういうのは。回復薬は身体に負担をかけるんだから」


「………………ああ、そうだな」


 長い葛藤の後にナダは頷いた。

 ダンの話も分かるのだが、今はそれにかまけている余裕などないからだ。やはり一人での迷宮攻略は身体に負担がかかることは確かだ。尤も先日の探索で回復薬を湯水のように消費したのは、迷宮の内部変動に巻き込まれたからだ。運が単に悪かったのである。普段はナダも回復薬の消費はできるだけ少なくしようとしている。もちろんダンの言うように身体の負担を減らすためではなく、お金の節約のためだが。

 だが、顔色が悪いことに関しては、一つだけ心当たりがあった。

 ――悪夢だ。

 近頃はよく悪夢を見る。

 暗闇の中に一人でいる夢だ。

 助けは誰も来ず、味方も誰もいない状況で、武器もないまま“あの”ガーゴイルと出会うのだ。今日の悪夢はそこで終わったが、その続きも見たことがある。ガーゴイルと戦って、抵抗するまもなく蹂躙されるのだ。暗闇の歩きにくい水の中を逃げて、逃げて、逃げて、それで最後にはガーゴイルの腕で身を引き裂かれる。有り難いことにナダが武器を持っていないのと同様に、ガーゴイルも武器を持っていないのだ。

 だが、ガーゴイルは翼を持っている。

 水の中を歩くナダと、空を駆けるガーゴイル。

 早いのは、ガーゴイルだった。

 ナダはそのことを考えると胸が締め付けられるように傷んだので、右手で左胸を強く握った。


「ナダ、どうかしたの?」


 一瞬だけ呼吸が荒くなったナダを、ダンは心配そうに見つめた。


「……何でもねえよ。それより、忠告はありがたく受け取る。できるだけ回復薬を消費しないように迷宮では丁寧に立ち回るとするよ。それに新しいパーティーも、な」


 ナダは言い訳のように言った。


「うん。そうだね。僕も知り合いに声をかけてみるよ。前衛で空いている所がないか探してみる。できれば、僕のパーティーに入れればいいんだけど……」


「それは知っている。それにお前らは八人パーティーだろ? わざわざ新しくて、俺のように使いづらい前衛なんていらねえだろ」


 ナダは吐き捨てた。

 自分がこの学園でどのような位置にいるのか、自覚しているのだ。


「僕はそうじゃないと思うけどな。ナダって前衛でも特に頼りになるし」


 ダンはおどけて言う。


「残念だが、説得力はねえよ。ダンは俺とパーティーを組んだことが無いだろ?」


 ナダは呆れたように笑った。


「あはは。ばれた?」


「ばれるだろうが、そりゃあ」


「ふふ。まあ、無駄話はこの辺で止めて、ほしい薬を言ってよ。今日はどんなのがほしいの?」


 ダンが話しの本題へ踏み込んだ。

 ナダは懐から必要な回復薬の名称と個数が書かれた紙を取り出して、ダンへと渡した。


「これをくれ」


「分かった。すぐに用意するね」


 ダンはナダから紙を受け取ると、そこに書かれていた回復薬を棚から一つずつ丁寧に選んでいく。

 回復薬と一言で言っても、様々な物があるのだ。

 例えば冒険者の必需品で言えば、怪我を治す回復薬は重要だ。即効性はあまりないが、飲んでいるだけで怪我の治りが早くなる。また直接傷に振りかけて血を止めるという回復薬もある。内部は治っていないので痛みは消えず、表面を手で撫でるだけですぐに裂けるような効果しかないが、すぐに戦いに戻れるというからこちらも人気だ。其れ以外にも体力を一時的に補強する薬や、短時間だけ興奮させて攻撃力を上げる薬もあれば、痛みを堪えるための気付け薬もある。冒険者はそれらの知識をみにつけて、死なないためにそれらを有効活用しなければいけないのだ。

 普通はそういったものは、薬屋で買うのが主流だが、ナダがダンに薬を頼んだのには“理由”があった。

 ダンは――癒しの神のギフトを持っているのだ。

 そのギフトの最大の特徴は十二神の中で唯一攻撃の為のギフトが発動できないが、その代わりに仲間の傷を治したり、体力を回復できたりするのだ。それも回復薬とは比べ物にならないほど。

 そしてもう一つの特徴として、癒しの神のギフトを使った薬は通常よりもよく効く。

 ナダもダンが祈りを込めた回復薬は、心なしかよく効く気がすると自覚しているので、いつも回復薬を譲って貰っているのだ。

 普通の冒険者なら祈りの篭った回復薬は二倍以上の値がつき、供給も安定しない。だからダンも知り合いから譲ってほしいと云われることは多々あるらしいが、祈りを込めるのには時間がかかるらしく、あまり商売としては成り立っていないらしい。親しい友人のみ、少しだけ譲っているようだ。

 その中でもナダは、ダンの好意で殆ど通常の回復薬と変わらない値段かつ多くの量を手に入れている。もちろん自分の分だけだ。誰かに分け与えることはない。それがダンとの約束だからだ。ダンは決して商売のためではなく、友としてナダの命が守られることを願って回復薬を原価でくれるのだ。ナダもそれはよくわかっていて、横流しを頼まれたこともあるが、したことは一度もない。金策に困っている今でもそれは同じだ。

 そんなことがあってか、ナダには過去の恩と、現在も続くダンの厚意に甘えているので、未だにダンには頭が上がらなかった。


「ナダ、じゃあ、この袋の中に入れておくよ」


「ああ、頼んだ」


 ダンはナダの持ってきた袋に、丁寧に薬を入れていく。

 そんな時に、ダンは思い出したように話をしだした。

 

「そうそう。最近、ポディエで新たなモンスターが出現したっていう話は知っている?」


「いや、知らねえ。どんなモンスターだ?」


 いつもは新聞などで迷宮の情報は逐一仕入れるナダだが、最近は金欠なのでその余裕はなく、情報は出遅れていた。

 特にホットなニュースは友人から伝えられるものだが、ナダにはその友人も少ないのである。


「――門番らしいよ」


「門番?」


 ナダにはそのモンスターがよく掴めない。


「うん。そのモンスターはね、ガーゴイルなんだけど、普通のガーゴイルとは違って一つの部屋に留まっているらしいんだ。だから門番みたい、って他の冒険者は言っているらしいよ。それに姿も二足歩行なのに、翼を持っているんだって」


 ナダにはダンの話すガーゴイルに引っかかる部分があった。

 ガーゴイルは下の階層にいけば、よく出会うモンスターだ。本来は石像で冒険者が来ると本来の姿を取り戻し動き出すモンスターであり、その形は千差万別だ。牛のようなガーゴイルもあれば、鳥のようなガーゴイルもある。

 だが――中には珍しい形のガーゴイルもいる。


「……詳しく教えてくれ」


「? いいよ。興味があるんだね」


 あまり迷宮のことに執着を持たないナダが聞き返したのをダンは不思議に思った。


「ああ」


「そのガーゴイルはね、とっても強いらしいよ。何個かのパーティーが負けたみたい。全滅しかけたパーティーもあるんだって。何人か人も死んでいるらしいんだ。それほど深くない層にいるから、興味本位で戦いに行こうとする人が多いみたいだね。それにね、手には槍を持っていて、目は――悪魔のように赤いんだって」


「……そうか」


 ナダは、心臓をわし掴みされるような思いをした。

 赤い目をした強いモンスター。

 当然ながら見覚えがある。

 あの、モンスターだ。

 あの、ガーゴイルだ。

 ナダは呼吸が乱れるのを感じて、落ち着けるようにゆっくりと息を吐いた。

 あのガーゴイルの瞳を思い出す度に、考える度に、ナダは時が止まって自分がゆっくりと押し潰されるように感じるのだ。


「どうしたの? 急に顔色がもっと悪くなったよ。風邪かな? そっちの薬もだしておこうか?」


 ダンは心配そうな顔でナダを覗きこんだ。


「いや、いい。そのガーゴイルに覚えがあって、気分が悪くなっただけだ」


 ナダの声は消え入りそうだった。

 儚く、それでいて透けていくように。

 ナダはガーゴイルのことを考えるだけで、死んだような感覚に陥っていたのだ。


「……何かあったの?」


 ダンは不安そうにナダを見つめた。


「……いや、何でもねえよ。それよりこれがいつもの金だ。受け取ってくれ」


 ナダは話を切り上げるように強引にダンの用意した袋を受け取って、ダンの手の上に幾つかのお金が入った巾着を乗せた。

 そしてダンから背を向けて帰ろうとする。

 ここにいると、あのガーゴイルの“恐怖”がぶり返そうに思ったのだ。


「ナダ!」


 逃げるようなナダの背中へ、ダンは大きな声をかけた。


「何だよ」


 とナダが振り返ると、そこでダンから何かを投げられたのを受け取る。


「それ! 薬! 飲めば落ち着くと思うよ。お代はつけといて上げる。だからまた絶対に来て、その分のお金を返してよ!」


 ダンの優しさに触れて、ナダは顔が少しだけ緩んだ。

 ナダはすぐにその薬を一気飲みして、空き瓶を今度はダンに投げ返す。


「恩に着る。ああ、また来るさ――」


 そう言って、ナダはダンの家を去った。

 少しだけ心が軽くなったような気がした。

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