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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第一章 石ころ
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第九話 雫

 ナダは黒い霧の中にいた。

 部屋着のままだった。

 武器は何一つとして持っていない。

 青龍偃月刀も、ククリナイフも、剣の一本として持っていなかった。

 また、鎧もつけていなかった。

 それなのに、全身が重い。

 足も見えなかった。

 脛から下が黒い水で埋もれていたのだ。その水は通常の水よりも、あしにへばりつくので先を目指そうにも一苦労だ。

 ナダは闇の中で目を凝らすが、先には何も見えなかった。

 あるのは灰色の霧だけ。風が流れているのか霧は絶えず動いているが、全く晴れる様子はない。むしろ濃くなっているように感じた。

 次に上を見上げてみた。

 霧の間からかろうじて見える空は厚い雲に覆われていた。夜ではない。煙のように灰色だった。それなのに、雲の斑模様は進むのが早い。嫌な天気だったのですぐに視線を前に変えて、先へと進んだ。

 すると、少しずつ足元の水位が上がっているのを感じた。

 それは先へ進む度に早くなる。

 やがて脛から太腿へと水位は上がった。

 冷たい水が骨身に染みる。体力と体温が奪われているのは明白だった。後、何分、ここにこうして立っていられるのかが分からない。

 だから、全身を使って焦るように先へと進む。

 だが、水位が上がるごとに進む早さが遅くなるのも当然だった。

 水位はやがて腹部まで達した。

 ナダは叫んだ。

 腹の底から声を出したのだ。

 叫んで、喘いで、必死に、先を目指した。

 だが、先は未だ見えない。

 しかし、水位は絶えず上がっていく。

 ナダは泳げないわけではない。村に住んでいた頃は歩いて数時間のところに川があったので、よくそこにいって裸で泳いだことは多々あった。その時の清流は流れが早かったが、泥のような不快感はなかった。身体にへばり付く感じもなかった。

 しかし、ここにある水は違う。

 身体の自由を奪うのだ。

 この水の中を泳げる自信がナダにはなかった。

 だから、より一層、焦っていた。

 水は肩まで達した。

 全身が埋まるまでもう少しだ。

 ――その時、ナダは先に赤い光を見つけた。

 一筋の希望だった。

 赤い光を嬉々とした表情で近づく。

 その光の正体は――ガーゴイルの瞳だった。

 ガーゴイルは水面に大きな翼をはためかせながら立っていたのだ。

 血のように赤いガーゴイルの瞳が、ナダを射抜いた。

 ナダはすぐに踵を返そうとするが、水面が頭まで達した。

 ごぼぼぼぼぼ。

 息ができない。

 胃の中に大量の水が入る。

 がぼ、ぐぼ。ばしゃばしゃ。がごぼぼぼ。

 ナダはそれでも必死に腕を高くあげて、足をアヒルのようにばたばたとさせる。だが、助かる気配はなかった。

 そして、ナダは透き通った水の中から、ガーゴイルの赤い目と、グレイブの切っ先が己に近づいてくる。

 ――その時に、ナダは目を覚ました。

 そこは固いベッドの上だった。

 寝汗をべっしょりとかいていて、肌に張り付く寝間着が不快だった。

 まだ、夜は始まったばかり。

 窓の外にある空を見つめると、大きな月がナダを見ていた。

 ナダはここで起きることを選択すると、明日の迷宮探索に響くと思ったのですぐにまたベッドの上で目を瞑った。

 まだ、悪夢は終わらない。



 ◆◆◆



 この日、ナダは学校の授業がなかった。

 だが、迷宮探索の前に出かける用事があった。

 回復薬の調達だ。

 まだ少しは残っているのだが、この量でダンジョンに潜るのは不安だった。

 ナダは、臆病だ。

 出来る限り不安定な要素を残して迷宮に潜らないようにしている。

 だから顔なじみから回復薬を譲ってもらおうかと思って、まだ日が昇り始めた午前から家を出た。

 外は、暑い。

 肌が焼けるようだ。

 ただ、迷宮の中と違って、重たい青龍偃月刀を担いでいなかったり、大きなカバンの中には何も入ってなかったりするだけマシだ。特に鎧は重さもそうだが、通気性が悪くまた蒸れるので着心地としては最悪だ。それに比べれば、肌着が一枚の今の格好は天国のようだ。いや、ナダはそうやって自分を誤魔化そうとした。

 回復薬を手に入れるために大通りを歩くナダは、やはり目立つ。身長が原因だ。他の者よりも頭ひとつは大きい。人よりも高い位置から好奇の目をナダは受ける。表立って難癖をつける者はいないが、念の為に腰の後ろにククリナイフを付けている。尤も、襲われたことは数少なく、ダンジョンにいない冒険者は素手でも対処できるのだが念のためだ。

 だが、どれだけ武器で体を覆っても、悪口がなくなるわけではない。小声で聞こえてくる。

 ビニャの大木という名は、ここでも有名なのだ。

 ここでは誰もが体の大きい冒険者というと、ナダを思い浮かべる。更にトレードマークのようにククリナイフという珍しい武器を持っていてはナダで確定だった。

不幸なことにナダは耳が良かった。特に自分の悪口に関しては聞きたくないのに、自然に頭に入ってくる。

 様々な雑音がナダの耳内を犯した。


「あ、ビニャの大木だ。嫌なものを見た」


「あいつさあ、まだ冒険者らしいぜ。追い出されても健気に頑張っているんだとよ」


「ねえ、ねえ、あのビニャの大木が冒険者からやめる機会を窺っているってホント? 良かった。これで学園から虫が一匹減るわ」


「いつまでもダサい武器を持っているものね。前に見た時は笑ったわ。あんな大きい武器なんてパーティーにいる仲間からしたら迷惑よ。だって、こっちに刃が飛んでくるかもしれないでしょ? それにアギヤの人はよく耐えていると思うわ。あ、耐えられないから追い出したのね」


「あいつってさ、大きな武器は単なる飾りらしいぜ。本当は使えなくて、見栄のために持っているんだとよ」


「あはは、やっぱりそうなんだ。あいつって、学園の恥だよね」


 などと楽しげな声ばかりだ。

 人混みに紛れて誰が言っているのかをナダは感知できない。

 ただ、何人かはナダを見て嘲笑していることには気付いていた。

 いい顔をしていた。

 大きな口を開いて笑うことは下品とされているので、女性は口元を隠しながら楽しそうに目が怪しく光っている。男たちは話し相手の耳元に口を持って行って何事かしゃべると、ナダを指差して小さく笑う。

 ナダへの罵言は増えていく。


「あいつさあ、イリスさんにも取り入っているよな? 金でも渡したのかな? 噂じゃあ、地方の成金貴族の息子らしいからな。あいつは。きっと汚い手でも使ったんだろうぜ」


「違うって! イリスさんも貴族だぜ。そうじゃなくてな、俺の聞いた話じゃあ、脅しているって聞いたぜ。何か大きな秘密を握っているんだってよ」


「それなら絶対に体も要求しているよね。イリスさん、女の私から見ても綺麗だし」


「いやいや、違うって。俺の友達の友達から聞いたんだけどな、イリスさんは昔あいつに無理矢理ヤラれて、薬かなんか使われて落されてさあ、それから泣く泣くあいつに従うはめになったって聞いたぞ。あいつは冒険者としてはゴミだけど、地上じゃあ、それなりに強いからな」


「やっぱりそれじゃあ、イリスさんは可哀想ね。早くアイツから開放されたらいいのに。誰か止めないのかしら?」


「さあ? あいつに関わった人間は殺されて、皮を剥がれて、モンスターに食わせるって噂だぜ? 今はあいつ一人だろ? それでも生きているのはそういう人たちを囮にしているらしいって話だよ」


「うわ、恐い。絶対に近寄らないようにしないと」


 昔からナダは耳にタコが出来るほど悪口雑言を聞いてきた。

 増えてきたのは二年ほど前から。ピークはアギヤに入った時だと思っていた。徐々に無能の烙印を押されたナダはアギヤという学園内でもトップカーストに所属するパーティーに入ったことによって、これまで水面下で保たれてきた人が誰しも持っている闇が溢れだした。あの時の嫉妬や妬みは今でも暗い炎として胸に焼き付いている。

 だが、ナダは大通りを進みながら知ったことがあった。

 人の悪意に限界なんてない。

 陰口、悪口、嫌な視線、溜息、などは増えていくばかりで、減りなどはしないのだと。ナダはそれを身を以て体感していた。悪口のレパートリーは増えるばかりだ。どこにそんな引き出しがあるのかとナダが驚くほどである。

 しかし、だからといって、何か行動に移すナダでもなかった。

 彼は大人だった。

 もっと言えば、慣れのせいで、これでもまだいいほうだと思っている。

 直接的な被害がないからだ。

 噂話に尾ひれがついて、自分はある種の“怖い存在”として見られている。まるで物語に出てくる怪物のように。これでは滅多な者しか手を出してこない。

 昔は、違う。

 嫌がらせは直接的なものが多かった。

 肩をぶつかっただけで喧嘩を売られたり、すれ違うだけで殴られたり、食堂での食事中に害虫を入れられたり、トイレに篭っていると上から水をかけられたり、または多勢で囲まれて次の日に立てなくなるまで殴られたり、と。もちろん、それで黙っているナダではなかったので、後日それら全員の身体に傷を残したが。

 それに比べると、今の状況は心が痛くなるだけで、身体に被害はない。

 心の傷を無視するのは簡単だが、体の傷はそういうことにはいかない。

 迷宮探索に影響が出るからだ。

 今日も、明日も、迷宮には潜るつもりだ。

 商売道具である体を傷つけるという選択肢は、ナダの中にはない。

 だから黙々と先を進む。

 耳に入ってくる悪夢に意識は向けない。


「あいつの顔ってさ、見るだけで孕まされるかと思いますわ」


「あいつって、幼児をいたぶる趣味があるらしいぜ。それもナイフで切り傷をたくさん残して、少しずつ衰弱していくのを見るのが好きみたいなんだ」


「ビニャの大木と一緒にいると呪われるって聞いたよ。なんでも、あいつは神様から嫌われているんだって。死ねばいいのにね」


「あはは、あいつが死ねば、皆が幸せになるわ。生きてる価値なんてあるのかしら?」


「ないわよ。あんな学園の屑。死ねばいいのにね」


「誰にも生きているのに役割があるって俺は神父から聞いたけどさ、あいつを見てると、そうじゃないと思ってくるよな。だって、眼に入るだけで気分が悪くなるんだから」


 ナダの身体に黒い雫が降ってくる。

 足を進むごとにその雫はナダの足元をぬかるんで、体を沈めようとやけになる。けれども足は、ここから逃げたい気持ちでいっぱいだ。まるで足が自分のものじゃないようだ。何処に進めばいいのか分からない。足が雫に埋まっていく。

 ああ、何なのだろうか。これは。

 ナダは目的地を目指しながら、悪意の雨に打たれながらも分からない。

 それはナダの体を酷く濡らした。

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― 新着の感想 ―
[一言] こんなに一生懸命悪口を言うぐらい関心もってくれてるなんて、主人公はいっそ好かれてるのかもしれませんね
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