オレンジ色が校舎を照らす午後四時頃、二階の一室にあるそこに、二人の生徒が居残り、なにやら作業をしていた。
そこは美術室。少年は雑に置かれた画板から一つを取り、適当に置かれた椅子に座り、イーゼルと呼ばれる木製の三脚台に画板を掛け、そこにスケッチブックを置き、真っ白なページを開く。
少年と向き合うように、少女は置かれた椅子に座り、なにやらポーズを決める。
「動くな」
「はあーい……」
少年に言われるまま、少女は背筋を伸ばして静止。しかし五分どころか三分ともたず、足をばたばたさせはじめた。
「動くなって」
「黙って座ってるのキツイの! なんかしゃべろうよ!」
「わかった。黙ってしゃべってろ」
「いやいや、無理だから」
などと話しはじめてニ十分程だろうか、真っ白だったスケッチブックには、簡単にではあるが少女の姿が描かれている。
髪には色を入れていないため白髪だが、毛先は細かく丁寧に描かれてある。
少し細い気の強そうな上がり目、鼻はあまり高くなく標準的、口は少し口角が上がり笑みを浮かべている。
それを見ながら少年は小さく唸り、腕組み、足組み、首を傾げた。
少女もつられて首を傾げる。
「どした、画伯」
「……素材が悪い」
「コラー!」
少女は駆け寄ると、少年を押し退けて、スケッチブックに目をやる。
こぼれたのは感嘆の溜め息。
「凄いよ、秀。やっぱモデルが良いんだよ!」
少年――秀は頭を掻くと、少女の画に加筆していく。走らせる指先は軽やかで、思わず見取れてしまう。
「うーん。どうだ?」
秀に言われ、少女は画を覗くと、眉を吊り上げ肩を震わせた。
「これ、誰だよ! あたしの面影ないじゃんよ!」
艶のある長い黒髪、おっとり感漂う下がり目、小さな口は少しだけ笑みを浮かべている。大和撫子をまさに画に描いたようだ。
「俺の理想」
「あー、そう! ったく、もう帰るから!」
「奈緒、ちょっと待、」
少女――奈緒は、秀の声を無視して美術室をさっさと出て行った。
一人残った秀は、スケッチブックを閉じると窓の外に目を向ける。
黄昏色とでも言うのか、沈みはじめた太陽に向けて溜め息一つ。立ち上がると、床に置かれた鞄を提げ、美術室を出た。
「ちょっとふざけすぎたか……」
ぶつぶつつぶやきながら、先に行ってしまった奈緒を追い掛けた。
昇降口で上履きから靴に履き変えている奈緒を見付け、秀は駆け寄った。
「奈緒、待てって。道同じなんだから一緒に帰ろう」
「……ん」
と奈緒は持っていた鞄を秀に突き出す。
それを受け取ると、秀も早々と靴に履き変え、先に行ってしまった奈緒を追い掛けた。
「奈緒、何怒ってんだ?」
奈緒は隣を歩く秀に、鋭い視線を送る。
「どうせ、あたしは吊り目だし、鼻は低いし、おっとりしてないですよおー」
「いや、あれは理想なだけであって、好みとは少し違う」
「秀画伯の好む女性とはどんな方なのか、ご教授願えます?」
奈緒はにんまり笑顔を秀に向け、それが気恥ずかしいのか、秀は頬をぽりぽり掻きながら顔を反らし、遠くに見える運動部連中に目を向ける。
「ほらー、言いなさいよお。秀の好きな人は誰なんですかあ?」
「あの、あれだよ、な……――な、直太朗森山」
「そんな奇怪な名前の人いないし、そもそも男だよ。秀が好きなのは奈緒ちゃんでしょ? 奈緒ちゃんが好きなんでしょ?」
奈緒のにやけ面に多少イラつきながら、秀は溜め息をつくと、頭を掻きながら低いトーンでぼそりと一言。
「奈緒ちゃんが大好きです。…………満足か」
「声が小さい! けど、まあいいでしょ」
二人は顔を見合わせて笑い合うと、帰宅路を歩きはじめた。
「ただいま」
「たっだいまー!」
「はいはい。おかえり。奈緒はいつも元気ねえ。その元気を少し秀に分けてあげてよ」
リビングから顔を出した母親は、くすくす笑いながら二人に近付くと、少し疲れた表情の秀に目を向ける。
秀は二人分の鞄を持たされて地味に応えらしく、肩を上下させている。
「いや、いらないから」
秀は二人分の鞄を玄関先に置くと、どっかり座り込み、ふーっと息を吐いてうなだれた。
「そんなに疲れたの? ハグしてあげよっか?」
「奈緒。一応兄弟なんだから、人前で変な事しちゃダメよ? 秀も、奈緒に何かされそうになっても、自制しなさいよ」
母親は本気で止める気がないのか、やんわりした態度でそう言うと、夕食の支度にキッチンへ向かった。 そう。二人は兄弟。ただし、血は繋がっていない。 秀の父親と奈緒の母親がニ年前に再婚し、兄弟として暮らすようになったわけだが、実は二人はそれ以前から付き合っていた。
そのため、まさか自分の恋人と兄弟関係になってしまうとは、思ってもいなかった。
更に言うと、母親は二人の関係を知っている。
よくある話。父親だけが知らない蚊帳の外というやつだ。
二人は各々部屋に戻ると、夕食までの間は別々に時間を潰す。わけがない。
「秀! 遊ぼうよ!」
と言って来るのは決まって奈緒。それに溜め息をつくのは決まって秀だ。
「遊んでやるから、黙って座ってろ!」
「はいはい、っと!」
奈緒はベッドにダイブすると、猫のように背を丸め、目を閉じた。
枕から香る秀の匂いに、奈緒の頬が自然と緩む。
「奈緒、寝るなよ」
「……ん」
危うく寝そうになっていた奈緒は、体を起こすと、背筋を伸ばしながら欠伸をし、眠い目をくしくし擦った。
「ねえ、秀。最近彼氏っぽい事してくれないよね」
「コンクール近いから、そっちに力入れたいし、それに家だと邪魔者が多いしな」
秀は勉強机の椅子を引くと、腰を下ろし、スケッチブックより一回り小さい、クロッキー帳と呼ばれるノートを机の棚から取り上げ、身近なものを描きはじめた。奈緒なわけだが。
「また、あたし?」
「笑って」
秀に言われ、奈緒はぎこちなく微笑む。
「笑顔が黒いぞ。お前は悪代官か」
「越後屋、おぬしも悪よのう。とか?」
「あー、そんな感じ」
くすくす笑う奈緒の顔を見ながら、手に持った鉛筆を急がせる。
相変わらずの速さであっという間に、白紙だったページに奈緒の笑顔を描いた。
「どんな感じですか、画伯」
「ほれ」
渡されたそれには、奈緒の笑顔が描かれてある。
先程よりも雑ではあるが、気の強そうな上がり目、少女らしい柔らかな口元、雑とは言え、それはあくまで先程に比べての事で、素人が丁寧に描いたものとは比べようもない。
「秀、やっぱ上手だね」
奈緒が顔を上げると、秀と目が合った。
秀は立ち上がり、奈緒の隣に腰を下ろすと、しばし見つめ合う。
「奈緒、目……」
「う、うん……」
奈緒が目を閉じたのを確認すると、肩に手を置き、ゆっくりと顔を、唇を近付ける。
「ねえ、二人とも。お父さん、遅くな……」
母親の乱入により、秀は後僅かで奈緒の唇に触れるという体勢のまま、動きを止めていた。
「ちょっ! あ、あんた達、そう言う事は夜しないさいよ!」
「ノックくらいしろ!」
奈緒は溜め息をついて立ち上がると、母親を押し出し、部屋の戸を閉めて鍵を掛けた。
「秀、続き」
「改めてだと、さすがに恥ずかしいんだけど」
「このままだと、なんかモヤモヤしちゃうの!」
秀は頭を掻きながら立ち上がり、奈緒に近付くと、肩に手を置き体を引き寄せ、その勢いのまま唇を重ねた。
それは短い時間だったが、二人は時が止まっている程に長く感じていた。
唇を離した後も、しばらく見つめ合い、自然と口元が緩む。
「キス、しちゃったね」
「兄弟なのにな」
「血は繋がってないよ」
「そうだな」
笑い合い、見つめ合い、再び唇を重ねる。
「これってマズイかな?」
「血は繋がってないんだから、別にいいだろ」
「そうだね」
キャンパスに描かれた少女の微笑み。
明るく柔らかな印象のそれは、見た者全てを笑顔にさせてしまう。
コンクール審査員特別賞
『笑顔の君』
――終
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