ここは乙女ゲーの世界に似てるらしい
初めまして。もしくは……一か月そこらぶりです。
ばあさん、と申します。
今回は『あ。なんかイチャラブしたのが書きてえ』と思って、乙女ゲー世界に転生というものを題材にして、書いてみました。
まあでも、その題材を全く生かし切れてません。
それもそうです。ただちょっとだけイチャラブしたのが書きたかっただけですもの。
拙作で何も考えておりませんが、まあ、良ろしければどうぞ。
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「――なの。わたし――なの……!」
柔らかなアルトボイスから放たれた、苦しげなその言葉を、俺は信じられなかった。
「……え?」
それに酷く、間抜けな声を出してしまった。
普段なら絶対に出さないこんな声に、恥ずかしさを覚えるでもなく、必死に今言われたことを正しく理解しようとしている。
「……ごめんなさい。放課後、いきなりこんなこと」
黒真珠と見紛うほどの綺麗な瞳を不安げに揺らしながら俺の顔色を窺うのは、この学校、いや、学園で五指に入る美女だ。
部活動前だからか高く結い上げられた、濡羽色の長い髪が微かに右往左往する。
弓道着から伸びる、白く嫋やかな手は、硬く握られている。
足は、袴のせいで良く見えないが、きっとそれも美しい線を描いて、おそらく、震えているのだろう。
――落ち着け、俺。何をじっとりと彼女を見ているんだ。変態みたいじゃないか。頭を振って雑念を払う。
「それは……言葉通りに、受け取れば?」
「……うん」
どういうことだろう。
今、俺は困惑している。頭の中では『どうして?』という疑問でほとんどだ。
でも、胸中ではそれ以上に爆発しそうな感情が渦巻いている。
なけなしの理性が、それの発露をなんとか抑えている。
「……なんで」
感情を抑えるあまり、低く、冷たい声が出る。
目の前の彼女が一瞬震える。薄紅色の唇を、真一文字に結ぶ。
それでも、彼女はめげずに答えてくれた。
「……最初は、こんな、ダメって思った。でも、いつも、いつも貴方は優しくて、私のこと、分かっててくれるみたい、で」
両の手を強く強く、握りしめる彼女。硬く硬く閉じられた目から、ボロボロと涙が零れ落ちる。
「一年近く、一緒にい、いて。だから壊し、たくなかった。でも、もう、そんな。隠し、て、なんか、いれない」
涙ながらに、言葉を落とす彼女を見て、俺はハッと我に返る。
バカか、俺は。彼女を泣かせて。――好きな人を泣かせて、どうして棒立ちしている。
自分の体が、自分のものではないかのように、動かないのに気付いた。
まるで操られているかのようであり、縛り付けられているかのようだ。
「ごめん、ね。それだけ、だから。ほんと、ごめん」
常に凛と冴えた表情をしていた彼女の顔は、涙や水洟でぐちゃぐちゃで。
――自分の不甲斐なさに、別の感情が沸いてくる。動け、動けと念じても、一向に動き出さない俺に歯噛みする。
「…………じゃあ。できれば、忘れて」
気付いてないのか、気遣う余裕がないのか。
そんな顔を曝したまま、立ち去ろうとする彼女。
――待って。お願いだ。
「――まっ、て。待ってくれ!」
そこでようやく、俺は動けた。と言っても、口を開けただけなのだが。
それでも、呪縛が解けるかのように、体が自由を取り戻していく。
「え?」
思ってもみなかったかのように、彼女は振り返る。
止めなければ、止めなければと強く念じていたせいで、遅ればせ動いた俺の体は勢い余って。
――――彼女を正面から抱きすくめた。
「え? えっ?」
何が起こっているのか分からない。そう言いたげな声を出す彼女。
普段はクールで頼れるお姉さんのようなキャラで通っている彼女からは、今の姿はクラスの皆の想像もつかないだろう。
「な、なに? どういうこと?」
ちょっと腕の力を緩めてやれば、彼女が俺を見上げてくる。涙とか色々とそのままで、折角の美貌が台無しだが、それで手を離すような俺ではない。それは俺の責任でもあるし、何より、この姿もまた愛おしいと感じるから。
「~~~ッッ!?」
ようやく、彼女は俺に抱きしめられていると気づいたらしい。肌が白いせいで、真っ赤になるのがすぐわかる。顔を埋めてそれを隠そうとするが、耳までは隠せない。全部言わないまま、黙って見ている。
「どうして?」
くぐもってなお、心地よく聞こえるアルトボイス。答える間もなく、それは続いた。
「ダメだって思った。もう、仲良くできないとも思った。ずっと、氷室、黙ったまんまで、怖くて」
「水無月」
優しく。それを心がけて声を出す。声の低さは生来のものだから、どうしようもないけれど、すこしでも感情が伝わればいいと思って、そう心がけた。
「俺はただ、ビックリしただけ。ちょっと、信じられなかっただけ。――一番信じてる人のこと、ちょっとでも信じられなかったってのに、自分自身に怒ったりもしたけど」
「……それ、って」
弾かれたように顔を上げる、腕の中の愛しい人。俺は答える。
「俺も、水無月が好きだ。だから俺と、付き合ってほしい」
『貴方が好き』と言ってくれた彼女に対し、俺は真摯に気持ちをぶつけた。
「――うん……! うん、うん……!!」
今度はきつく、抱きしめられる。またしても顔中が涙で塗れたけれど、喜色満面と言った笑顔がそれを補い余って綺麗だった。
最初から、彼女みたいに少しでも声を出せていたら泣かせないで済んだのに、とか。
さっさと動けばよかったのに、とか。
俺自身に色々と思う所はあるが、今は置いておく。
俺もまた、抑えていた歓喜を行動で示す。いきなりで悪いけど、彼女には許してほしい。
そっと彼女から体を離す。キョトンと、彼女が首を傾げる束の間。
俺は彼女にキスをした。
それはほんの一瞬だったけど、体中が熱くなったような感覚を覚える。
彼女は俺から離れると、一瞬で茹蛸のようになる。
「真っ赤」
自分もだろうと思うけど、言わずにはいられない。
そしたら「うるさいバカ」と怒鳴られて、勢いよく抱きついてきた。余裕をもって受け止めてやる。
「でも、嬉しい」
再び俺の腕の中に戻ってきた彼女の笑顔は、文句なしの百点満点だった。
「ありがとう」
澄んだ青空のように綺麗な彼女の声が、何度も言うが、心地いい。
「こちらこそ、ありがとう」
晴れて結ばれた俺たちは、しばらくそのまま笑いあった。
――――と、言うのが去年の春半ば。
俺こと氷室玲は、入学当初から仲が良かった水無月麗に告白されて、恋仲となった。そして、その関係は既に一年以上経とうとしていた。
喧嘩したり、笑いあったり、一緒に旅行したり、何故か彼女の親父さんとサシで語り合ったり、クラスメイト達にバレて冷やかされながらも祝われたりと、色々とあった。全部がいい思い出だ。
少し気になっているのは、付き合いだした当初「夢じゃないよね」とか「本当に本当?」とか、何故かしょっちゅうそんなこと言ったりしていたことだ。
けど、それも半年ほど経ったらなくなったのでいいかな、と思っている。
――いや、嘘だ。最近になって、もう一度気になりだした。
「玲?」
机をくっつけて、向かい合って昼食をとっていた最中、麗が俺の顔を覗き込んできた。
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ」
むしろ、こちらがそう問い返したいところだ。
目の前にいる最愛の彼女は、最近は慣れない化粧で目の下の隈を必死に隠そうとしている。
彼女は、自分たちの三年への進級が近づくにつれて不安を露わにするようになった。そして、俺から離れようとしなくなったのだ。
まるで誰かに俺が盗られるのを、恐れるかのように。
「本当に?」
「本当」
俺は盗られないと、声を大にして言いたい。
俺は絶対に、他の女に靡かないと言いたい。
そして、彼女を安心させたい。
でも、それはなんとなく、今じゃないと思っている。
「……でね、今日の部活、遅くなる……んだけど」
「待ってる」
「……ごめん」
申し訳なさそうに顔を伏せた、彼女の頭を軽く叩いてやる。
俺がやりたくてやってるのだから、謝る必要などない。
最初こそは彼女のわがままからだったが、元より俺は対して忙しくもない身の上だ。
学校で勉強していた方が捗るし、何よりそれで彼女の不安が少しでも拭えるのなら、構わない。
それに、図書当番の先生に先週の終わりに既に頼み込んで許可を貰っているのだ。
『彼女の部活が終わるまで、ここで勉強させてください』って。
あれはちょっと、恥ずかしかった。だから、彼女には秘密にしておく。
「他に言うこと」
「……ありがと」
そう。そうやって微笑む方が似合ってる。
髪を梳く様に彼女の頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細める。
にへら、とだらしなくも可愛らしい笑顔に変わる。
だが、それも一瞬。
何かに気付くと、恥ずかしそうに手を払う。そして周りを二三見渡して、取り繕う様に澄ました顔をした。
そこからはいつも通り、彼女との幸せな一時を過ごした。
――その日の、放課後。
雨が降り出しそうな曇天を、図書室の窓から眺めていた。
参考書の内容が頭に入らない。
最近の麗のことが気になってしょうがない。
……思えば彼女の不安は、進級してから拍車をかけたように、一層酷くなったように思える。
それはつまり、一週間と少し前ほどでしかない。
思い当たる節が一切ない。
彼女とは常に行動を共にしていた。成績に対する不安もない。両親は健在で、それどころか一昨日に夕食に誘われて親父さんにグチグチ言われて、お義母さん(そう呼んでと言われた)にちょっと突っ込んだ話をされた。
部活は……これは少々違う。心配ごとのせいで、思うような結果は出てない現状だ。
一体、彼女は何を――。
「こんにちわ」
――甘く、蕩けるようなソプラノの声が俺を包んだ。
「っ?」
窓から目を離し声の方へと向く。
そこにいたのは、亜麻色のセミロングヘアーの少女。
円らなブラウンの瞳に、優しげな笑顔。
身長は、麗の肩を越えるくらい。麗が160センチ後半だから、彼女は150ほどだろうか?
「受験勉強ですか?」
当たり障りのない会話。だけど、どこかおかしい。
何がおかしい? 分からない。でも、感覚的に、変だと、感じた。
甘い声、円らな瞳。麗に劣らない――どころか、上回って見えてしまう彼女の美しさに、やけに意識を持っていかれる。
「そうだけど、なに?」
口を衝いて出たのは、そんな言葉。自分で意識した以上に、低い声が出た。
心の中で俺は、ヤバいと思った。
これ以上、彼女に口を利いてはいけない。理性がそう警鐘を鳴らす。
なのに勝手に、口を開いた。――まるで、動かされるかのように。
「――お前みたいな美人が、なんの用?」
腸が、煮えくり返る。俺は今、何と口にしただろう?
「美人だなんて……先輩こそ、カッコいいですよ?」
その言葉に、心が融けるような錯覚が襲う。
気持ちが、悪い。
「……そ。要件は?」
立ち去れ。
いや、俺が立ち去るべきだ。この女は、危険だ。
耳を塞げ。顔を背けろ。口を開くな。目を閉じろ。
理性の指令は、全て無視される。
「いえ。ただ、詰まらなそうに、外を見てるなって思って……」
融ける。融ける。融ける。
目の前の彼女に身を委ねたくなっていく。
「関係ないだろ」
振り絞ったように出た声は、自分で言ったのか、言わされたのか。
乱暴な声に、彼女は傷つく。
少しだけ、笑ったような気がしたけど、錯覚だろうか。
思い通りに事が運ぶ様を見ているような、気持ち悪い笑いだった。
「すみません。なんとなく、知りたくなって……」
ああ、また融けていく。この感覚は、何だろう。
もういっそ、委ねてしまうか?
「私、天宮ひろみって言います。先週の5日に遅れて転校してきました。2年生です。……お名前、聞いてもいいですか?」
「……氷室玲。3年だ」
「玲先輩、ですか。カッコいい名前ですね」
「名前で呼ぶな。馴れ馴れしい」
「あっ。ごめんなさい、氷室先輩……」
加速する融解。押し流される抵抗心。
今までの全て、全てが消えてなくなりそうになっていく。
やめろ。
続く、他愛のない会話。
まるで台本をなぞるかのように、意思とは関係なしにセリフが出てくる。
「――――だ」
「あはは――。――――――。」
感情が支配されていく。
それは、まるで俺が俺でなくなっていくかのように。
『愛おしい、甘い、甘い声。
耳朶を打つそれは甘美で、心を覆った氷は溶かされてしまった。
この女の子は、もしかしたら他のヤツらとは違うんじゃないかって。
薔薇の華やかさにも劣らぬ美しさ。変わらない笑顔。見飽きることのない。』
――記憶にはない、俺ではない俺の声が聞こえる。
『嗚呼、嗚呼……。
もっと彼女の、声が聞きたい。目を合わせたい。髪を撫でたい。笑顔が見たい。
一生、自分の側にいてもらいたい。
俺は……目の前の彼女のことが――。』
――しかしそれは、全て聞き届けることもないままに。
「あ」
チャイムが鳴り響いた。部活動をしていない一般生徒の下校の合図。
「下校のチャイムですね。――……なんか、おかしい?」
融けてなくなりそうな理性が、彼女の微かな呟きを拾った。
「下校を促す先生が来ない……まあ、些事か」
ああ、そう言えば来ないな。いつもは、来るはずなのに。最近は来ない……。
最近ってなんだ? いつも来ていただろう。あれ? 来てない、ような?
――まあ、気にすることでもないか。
「帰らなくちゃいけませんね」
ニコニコと笑う彼女を、一人で返すのは忍びない。
今日は曇天で、辺りも暗い。文句なしの美少女の彼女を送るために、俺は。
「……辺りは暗いから。途中まで一緒に――」
――かえ、る?
あ?
「……先輩?」
途中で言葉を切った俺の顔を、訝しげに目の前の少女が覗き込む。
なんか昼間もそんなことがあった。なんだったか……そうだ。同じくらい綺麗な子だった。
黒真珠のように綺麗な瞳。
濡羽色の艶やかな長い髪。
俺が見てきた中で一番美しく、それでいて可愛い女の子。
最近は何かに怯えるようにして、俺から離れたがらなかった。
だからいれる時はずっと一緒にいた。
そんな彼女の帰りを待つためにここで勉強をしていた。
それで先週の終わりに、先生に頼み込んで部活終わりまでいさせて貰えるようした。
なんか、とても恥ずかしいこと言ったような気がする。
「……おや。まだいたのですか。そろそろ帰りなさいな」
図書当番の先生が、こちらに向かって来る。
そうだ。あの先生に頭を下げたんだ。
「だって、氷室先輩。帰らないと」
「ああ、氷室君はいいんですよ」
「え?」
俺を唆そうとして先生に止められ、呆けた表情をする目の前の少女。
先生はさして気にした様子もなく、ニコニコと俺に向かった。
「じゃあ、氷室君。帰る時には職員室まで一応一報を。ああそうそう。惚気てもらっても、構いませんから」
「――ああ、はい」
そうだよ。
『彼女の部活が終わるまで、ここで勉強させてください』って、俺が言ったんだよ。
彼女を待ちたかったから。彼女の不安を少しでも取り除きたかったから。
俺の彼女はほんの少しでも笑っている方が、似合うから。
「どういう、ことですか?」
甘い甘い、ドロドロとしたソプラノ声が俺の心を浸そうとする。
気持ち悪い。俺の耳に入ってくるな。
俺は、あの雲に覆われた先の青空のように綺麗な声が、心地のいいアルトボイスが聞きたいのだ。
「関係ないだろ」
俺の口が、俺の意思で動いた。当たり前のことなのに、今、それに安堵している。
「教えて、くれませんか?」
ニコニコと、俺に顔を向けてくる。
その顔は、もう見飽きた。
今も尚、見飽きることのない彼女の凛と冴えた横顔が見たい。
時折見せる微笑や、油断しきった時に見せる笑顔も見たい。
――ホントに、見たくなってきた。
「……暗いだろうけど、まあ、気を付けて帰って。俺は、寄るところできた」
やはり、俺には彼女しかいない。
二年と少しの間をほぼずっと、一緒に過ごしてきた彼女しかありえない。
俺が優先するべきは彼女であり、この女ではない。
なにより、俺が優先したいのは彼女であり、この女ではない。
「え。えっ? なんで――」
なんでって、そりゃあ――。
「――大好きな彼女に会いたくなったから」
それに尽きる。
――俺が好きなのは、愛しているのは水無月麗なのだから。
「じゃあな」
俺は呆然とするソイツには目もくれず、そそくさと荷物を手にすると足早に図書館を去る。
少しだけ暗い廊下を、歩く。歩く。歩く。
一刻も早く、彼女に会いたかった。先ほどまでの気持ち悪さを、払拭したい。
……あんなヤツを見て、綺麗だとか、そんな風に思った自分が腹立たしい。
何より、“あの時みたいに”自分の体が思うようにいかなかったことが、そして更に、感情や理性が飲まれてしまいそうになったことが、怖い。
彼女が恐れていたことに、なんとなく確信を抱きながら、俺は弓道場へと向かった。
「あれ? 氷室先輩だ? 水無月先輩に御用で?」
弓道場の前まで行くと、弓道部の女子の後輩が俺に話しかけてきた。
「ああ……ちょっといいかな?」
「えーと――」
「あー! 氷室くん! 入って入って!」
「ちょーどよかったー! ささっ! 遠慮なさらずに」
後輩ちゃんが言いよどんでいると、中から見たことのある女子がぞろぞろと出てくる。
クラスメイトの、麗と仲のいい女子たちだ。
ただ、なんというか、勢いが変だ。
「そ、そうか……じゃあ、お言葉に甘えて」
「よっしゃーイケメンゲーット!」
「ちょっと目的そうじゃないでしょ」
「まー、そうなんだけどー」
「……目的?」
靴を脱いで上がる最中。
困った顔をして、彼女たちは話してくれた。
「それがねー。最近、麗ちゃんずっと調子でてなくて」
「今日はいい方だったんだけど、三十分くらい前に帰ってきたら、もう最悪。今まで見た中で最高に絶不調。何があったんだってくらい」
「帰ってきたら? 一回、ここから出たのか?」
「そうそう。よく分かんないけど、校舎の方にねー」
…………まさか。
「あの、さ」
「「ん?」」
思い当たった俺は、目の前の二人に、頼みごとをした。
入口から、一番遠い的の前。
俺の大好きな彼女、水無月麗はそこに佇んでいた。
彼女が放ったと思われる矢は悉く的から逸れており、俺の知っている彼女からは考えられない有様だった。
そんな彼女を、周りの同級生や後輩たちが心配そうに見ているのだが、彼女はそれが見えていない。
「麗」
後ろから声をかけると、驚いたように振り向く彼女。ついでに、色んな人から見られるけど、仕方がない。
「……どうして?」
震えた声。
俺の一番聞きたかった声ではない。
「……顔が見たくなった」
「……なにそれ」
本当はそんな今にも泣きそうな顔ではなく、一意専心に的に向かう彼女の横顔や、俺を見つけた時に浮かべる微笑が見たかった。
――それでも、愛しい人の声だった。それでも、愛しい人の顔だった。
やっぱりこの人が好きで、愛してるんだと思った。
「帰ろう。許可は、取った」
端的に、彼女にそう言った。
「……あの子は?」
そして、なんとなく、予想していた言葉を向けてきた。
「私、見たよ。図書室で、玲があの子と――天宮ひろみと楽しそうに話していたの」
周囲が、ざわめく。
それもそうだ。俺たちは筋金入りの相思相愛であると、周囲に認識されていた。
それが、まさか俺が別の女の子と楽しそうに話すなんて、想像もつかなかっただろう。
「てっきり、彼女と、一緒に帰ると、思ってた」
顔を背けて、的に向かう彼女。
自分で言っておきながら、泣きそうになっているらしい。
どうして彼女が、アイツの名前を知っているのか。
どうして、先ほど俺が上げそうになった提案を知っているのか。
多分、今までの彼女の不安と、つながっている。
俺が俺でなくなった時と、つながっている。
だからまずは、俺の意思で、俺の心を、俺の行動で、麗に伝えるのだ。
「俺が好きなのは、麗だ」
「嘘」
「俺が大事にしているのは、麗だ」
「嘘っ」
「俺が愛しているのは、麗だけだ」
「嘘っ!」
顔は見えないけれど、ぽたぽたと足元に雫が落ちているのが見える。
俺はまた、彼女を泣かせたのか。
視線を周りに移す。
静かに、みんながその場から移動していなくなっていた。先ほどの二人に俺が頼んだことの一つだ。
「嘘……うそだよ……だって、だってあの子は、玲は、私は――」
「麗」
彼女の口から出かけた答えを、俺は態と遮った。
もっと落ち着いて話すべきだと思うし、何より、もっと大事なことがある。
ゆっくりと、彼女に近づく。
「麗は、俺のこと好き? 嫌いになった?」
「嫌いになんて――」
彼女は、感情のままに、勢いよく、こちらを向いた。
「――なれるわけないじゃなっ!?」
だから抱きしめてやった。
付き合い始めた当初から、不安がる彼女を宥めるためにいつもこうしていた。そうしたら、絶対に落ち着くから。
その原因は多分、告白のせい。
「良かった」
「……はなして」
口ではそういうものの、押し退けようとする手には力が入っていない。
でも不安なので、一応力を込めて抱きすくめる。
「離さない。『好きだ』って、言ってくれるまで離さない」
「……」
力なく、両手を下げる彼女は、何も言わない。
五分だったか十分だったか。それぐらい経って、ようやく彼女は口を開いた。
「『好き』って言ったら……『好きだ』って、言ってくれる? 好きで、いてくれる?」
「勿論」
即答する俺。
また少しだけ間が空いたけど、彼女は俺の背に手を回して――顔に不安を張り付けて、俺を見た。
「私は……玲が好きです。好きなんです。――愛してます」
ほんの少し、付け加えられた言葉に、俺は心の底から、歓喜した。
「俺も、麗が好きだ。愛してる。だから俺と、これからもずっと、一緒にいてほしい」
見開いた目から、大粒の涙が零れ落ちる。それは次第に喜色を孕んだ笑顔に変わる。
それに、俺が「返事は?」と急かすと、彼女は、頷いてくれた。
「……うん! ――んぐっ!?」
堪え切れずにキスをしてしまったけど、許してほしい。
「……バカ」
そう呟いたわりには、彼女はとても、嬉しそうだった。
結局一部始終を見ていた連中に冷やかされながら、俺は麗と一緒に帰った。
そして、二人でよく行く喫茶店で、俺は彼女に全て話した。
図書室で、アイツが話しかけてきたこと。
声や仕種に、抗いがたい何かを感じたこと。
俺が、俺自身でなくなるような感覚を覚えたこと。
去年、告白された時にも似たような状態になったこと。
打ち明ける度に彼女はまた表情を曇らせるけど、最後に『それら全部を振り切って今、麗が好きだって思ってる』と言ったら、顔を綻ばせていた。
「……玲。私は貴方に、伝えてなかったことがあるの」
不安や恐怖を抑え込んで、彼女は語りだした。
「私は、前世の記憶を持っているの。そして――」
――――この世界は、ゲームの世界によく似ている。
俺はそれを、その言葉をただ受け入れた。
「……私が前世何をしてたとかは、必要ないから省くね。私、ゲームとかはあまりやらなかったんだけど、そのゲームだけは妹に付き合わされて、よく覚えてるの。ゲーマーのあの子に付き合わされて、何度も同じ場面を見たりもしたわね」
タイトルは、『あの空に虹を架けて』。
ジャンルは、恋愛ゲーム。女性向けの、いわゆる“乙女ゲー”というやつだそうだ。
どうにもそのゲームは、選択肢を選んで“攻略キャラ”と“主人公”の恋を成就させるらしい。
選択肢によって進み方が違い、スチル……と呼ばれる画像や分岐するエンディングのために、何度も何度も攻略を行うらしい。
舞台となるのは、言わずもがな俺たちの通う学園。そして、そこに転校してきた主人公こそが。
「そのゲームの主人公が、天宮ひろみ。家の事情で、少し遅れて二年生として転入してくる。プレイヤーは彼女の視点でゲームを攻略していくの」
あの、ドロドロと甘く、抗いがたい魔性を纏った、あの少女だ。
そんな少女に翻弄される可哀そうな攻略キャラクターは、隠し要素も含めて、七人。
ゲーム名の通り、皆、虹の色に由来する名前らしい。
主人公の幼馴染で二年生、赤城守。サッカー部のエースとして名を馳せているイケメン。
守の部活の後輩の一年生、橘満。守に引っ付いて回る小柄で可愛げのある少年。
三年の生徒会長、西園寺こがね。西園寺財閥の一人息子で、責任感の強い。
彼女のクラスの担任、守矢翠。美形、というよりは男らしい顔立ちで、国語の先生。
隠しキャラ一、仙道藍。主人公の親友となるキャラクターと仲良くなることで紹介される、他校の人物。
隠しキャラ二、藤原菫。校外で起こるアクシデントで、度々主人公を助ける影の人物。
――今のところ、たしかに虹だ。だが、一つだけ色が抜けている。
恐らく。それが――。
「そして、図書室でいつも勉強している、冷たくぶっきらぼうな口調の三年生、氷室玲。あなたを含めた、七人が攻略キャラ」
カランと、グラスの中の氷が音を立てる。
半ば茫然としていた俺の意識は、そこでようやく戻ってきた。
「……そう、か」
概ね理解したが、まだ残っている。
目の前の、彼女は? あの時の、感覚は?
「私はね。いわゆる、ライバルキャラ……って言えば聞こえはいいけど、ほとんど悪役みたいなもの。プライドが高くて、同じクラスになった氷室玲に一目惚れして、二年の春に告白してこっ酷く振られて、距離を置かれるの。そして、諦めきれないままに、玲に近づく主人公に嫉妬して、悪さをする」
それを聞いて、残っていた疑問もまたほとんど解けてしてしまった。
告白の時、彼女があんなにも苦しそうだったこと。俺がその時、動けなかったこと。アイツと会ったあの時、体どころか心まで支配されかかったこと。
もしもこの世界が、俺が、彼女が、主人公が、ゲームの世界に準拠して動こうとしているのなら。
あれはきっと、神の力にも似た、強制だったのだ。
「だから、ね。酷いこと言うけど、私は玲に告白なんてしたくなかった。だって、そうでしょ? 振られるって分かってるのに、するなんてバカバカしい。そもそも、仲良くなんてなろうともしなかった」
でもね、と彼女は首を振った。
「貴方、笑うんだもの。あのね、ゲームの氷室玲って、物語中盤まで笑わないの。あっても、張り付けたような笑みって、そういうのなの。なのに貴方は優しく微笑んでくれた。隣の席ってだけなのに」
……入学当時、俺と彼女は名前順の関係で席が隣同士だった。
その時の彼女はクールという枠を飛び越え、冷たいとすら取れる雰囲気を纏っていた。
あれは、俺を拒絶する意志だったのか。
そんな彼女に俺が笑みを送った理由は、『緊張しているのかな』なんて見当違いも甚だしいものだった。
学校が離れた中学の親友に友達のつくり方を聞いたら『お前は口下手だけど、優しく微笑みかければ大抵上手くいくよ』と言われたのだ。
そして実践したのだが、そんなことになるとは。
「だから私、思ったの。『もしかしたら、ゲームとは似て非なる世界なんじゃないか』って。『隣にいる彼と、仲良くなれるんじゃないか』って。私は、その二つが気になって、貴方に話しかけた。そしたらもう、全然違う。ただ口下手で不器用な、優しい人」
カランカランと、ストローでグラスの中を回す彼女。
彼女の言葉に沿って、俺もまた思い返す。
「俺は“最初”に思ったよ。麗は、冷たく見えて意外と可愛げがあるって」
俺は、彼女が避けた話題を掘り返す。すると、見事に彼女は狼狽した。
「……! あ、あれは想定と違って焦ったからで……!」
「焦ったからって『あ、貴方笑えるのっ!?』は、酷いだろ」
「う……」
「失礼だなって怒ったら、子犬みたいにシュンとしてた」
「うぅ……忘れてよぉ……」
恥ずかしさに顔を赤くしている点を除けば、目の前の彼女はその時とほとんど同じポーズをとっていた。
やっぱり麗は可愛いなあ。
「と、とにかくね。私は、貴方と話すうちに、『この世界はゲームとは違う』って思った。そして、過ごしているうちに、少しずつ“ゲームの世界”への意識が薄れていった。ゲームの水無月麗には友達なんていなかった。貴方となんて話せなかった。――全部、全部逆」
「そうだな」
今の彼女にはクラスにも、弓道部にも、よくしてくれる友人たちが大勢いる。
そして俺は、その中で一番初めに、彼女と仲良くなった。
「そのうちに、普通に貴方のこと好きになっちゃった。それに気づいたのは、秋頃」
俺もその頃だろう。好きだと思い始めて、中々彼女を直視できなかったりした。
「危ないなって、思った。順当に行ってたら、半年後には貴方に振られる。嫌だって思った。告白は、できる限りそれ以上後に、……ゲームにはない、卒業後とかね」
「気の長い話だ」
「ホントにね。でも、私が我慢するくらいなら、できると思った。時期を外して告白するなら、ゲーム通りから外れる、かもしれないって。ベストは、告白される、だったけど」
「……その時が来る、前にしようとは思わなかった?」
「それはまあ、思ったけど。それ以上に、普通に怖かったかな」
「振られてなくても、俺が……万一、アイツに靡いたらどうしたんだ?」
あ、と口だけを開いて。でも、それを俺には伝えずに苦笑した。
「……どう、したんだろ?」
「おい」
咄嗟に誤魔化したような彼女は、しかし、次の瞬間には表情を真剣なものに変えた。
「とにかく我慢しようって思った。でもね。どんどん、気持ちが強くなるの。好きだ、好きだって。ドンドン募って、春になって、考えがガラって変わった。『好きなんだから、告白しないと』って」
「……それって」
「そう。多分、見えない何かの力。私もまた、突き動かされたの。他ならぬ私自身の感情が、それに利用された」
俺には、抑圧されるように、塗り替えるように力が働いた。
彼女のそれは、俺のとは少し違っている。
「私は玲と違って転生者で、最初から『絶対沿いません』みたいなポーズ取ってたから……嵌められたのかな。多少は違えど、私が玲に二年の春に振られたって事実が出来上がればいいから」
待て。
そしたら、もしも。
俺が、あの時動かなかったら……?
「玲があの時、呼び止めてくれなかったら、抱きしめてくれなかったら、私は自分から距離を置いたかもしれない。拒絶されるのは、嫌だったから」
もしも、そうなったら。
俺は彼女に面と向かって言えただろうか。
ある意味、拒絶されるような振る舞いをされて、俺は彼女に何か言えただろうか。
そんな状態で、あの少女の魔性に当てられてしまったとしたら。
「――そして彼女に靡いた貴方を見て、私は嫉妬に狂うんだと思う」
「……そうなる、か」
「なるよ。絶対」
免れた出来事だというのに、彼女は表情を曇らせる。
「もうならない」
「…………そうだね」
『微笑めばお前は万事解決』。親友のあしらう様な弁だったが、困ったときはこれで本当になんとかなってるから、あいつは憎めない。
氷の融けて薄まったアイスティーに口を付ける。渇きつつあった喉が潤う。
「……そういえば、天宮ひろみが、『おかしい』とか、『些事だ』とか言ってたって、本当?」
「ん? ああ、本当だ」
俺があの少女と何を喋ったのかは全く覚えていないけれど、少女の呟いたそれだけは何故か鮮明に覚えている。
あの一瞬の、胸くそ悪い笑いも。
「もしかしたら、天宮ひろみも前世の記憶を持っているかもしれない」
アイスティーを飲みながら彼女の顔を伺うと、心なしか青ざめたような顔をしている。
いや。どんどん蒼白になっていく。
あの少女が前世の記憶を持っていることに一体何の不利益があるのか。
……前世の記憶を持っている。
それは即ち、イベントの場所や、好感度を上げるための正解の選択肢を覚えている可能性があるということ。
少女が喋るたびに感じた、融けていくような気持ちの悪さは、恐らく正解を選んでいたからだろう。
それは、確かに末恐ろしい。もしかしたら一字一句覚えているのではないだろうか。どこでどの時間帯に誰にあえて、こうすればルートとやらに入れて――。
――そういうことか。
「前世の記憶を持った天宮ひろみは、俺を狙っていたかもしれない?」
彼女は、力なく頷いた。
「そうかもしれない。……でも、もう一つ。最悪なパターンがある」
「……何?」
「トゥルーエンド……という体の“逆ハーレムエンド”。七人全員の同時攻略によってだけ成立するエンディング」
件の乙女ゲームには様々なエンドがあるのは前述のとおりだ。
バッド・ノーマル・ハッピーなどなど……色々ある中で、トゥルーエンドと呼ばれるものがあるようだ。
その本来の意味は、“物語に沿った本当の結末”だ。このゲームでは数多あるエンドの中でも、最難関のエンディングと言われているらしい。
このゲームのトゥルーエンド――それは、隠しキャラを含めた七人全員の同時攻略によって到達できる逆ハーレム。
「と言っても、それ自体は仄めかす程度なんだけどね。あとは、七人全員と主人公が集まったスチルが手に入るぐらい。でも……」
「ゲーマーとしては、その最難関をクリアすることに意義がある、か?」
「え、ええ。……どうしてわかったの?」
「……ある友人が煩かったんだ。まあ、そのことは置いておこう」
ストローを口にして、ずぞぞと音を鳴らしたグラス。
飲み終えたそれを傍らに除ける。
「これから先、天宮ひろみが接触してくる可能性はあると思うか?」
「……あると思う。彼女が先々でどんな行動をするかは読めないけど、少なくとも接触はあり得るはず」
「そう、か」
不干渉。
それがベストだろう。
しかし、あちらから来るのであればそれを貫くのは些か厳しいか。
なら――。
「麗」
「……何?」
不安そうな彼女を、優しく呼びかける。そして、こう持ちかけた。
「今日、泊まりに来ないか?」
「え? ……ええ!?」
驚き、そして見る見るうちに赤面していく彼女に、俺は努めて冷静に打ち明ける。
「お前から離れているうちに、明日の朝になって俺が俺でなくなってしまったら……そう考えたら、怖いんだ。だから、ずっと側にいて欲しい」
「え!? えー、えーと。つまりー、そのー……つまりそれは、一緒にお夕飯食べて、一緒に寝るの? それだけ?」
首肯すると、彼女の顔の赤みは引いて行き、安心したような、期待外れでガッカリしたような、複雑な表情を面に出した。
……夕飯と言えば。
「……そういえば今日は両親がいない」
「だ!? だからっ!?」
「出来れば、夕飯を作ってくれると嬉しい」
「……」
「麗の作るご飯、美味しいし」
「……」
「あれ? れ、麗?」
再びの赤面から、呆けた顔をした後、俯いて震えだした彼女。
怒った、のか? 些か我が儘だっただろうか。
「もう……玲のバカっ。……しょうがないから、腕によりをかけて、美味しいごはん作ってあげるわよ! ……もう、ばかばかばかぁ……」
「えっと……ありがとう?」
やっぱり、怒っていた……のだろうか。
最後の方は聞き取り辛く、消沈していたようにも見えた。
気にはなったものの、しかしそれでも可愛い彼女が作ってくれる夕飯の期待に、その疑問は直ぐに消えてしまったのだった。
彼女を家に呼び込み、美味しい彼女の手料理に舌鼓を打ち、一緒の布団で抱き合って寝る。
そんな至福の一時を終えた翌日の朝。
朝食は適当に済ませ(作ると意気込んでいた彼女を、俺が布団から離さなかった)、そのまま一緒に登校した。
俺も麗も、習慣で普段は早めに登校するのだが、今日はちょっと幸せすぎて家から出るのが遅くなった。
現在の時間は、登校者ピークの時間帯だ。高校まで一直線のこの通りは、同じ制服を着た学生が何人もいる。
「玲」
「……ん?」
隣にいる彼女が、躊躇いがちに俺を呼んだ。
視線を向ける最中、周りからの視線が妙に多いのに気付く。
しかしそれを気にしないまま何かと尋ねると、彼女は囁くように言った。
「なんで、手繋いでるの……?」
「イヤ?」
「そうじゃないけど……これは少し、恥ずかしい」
「俺は嬉しい」
「……うう」
恋人繋ぎでお互いの手を固く握ったまま、俺たちは登校している。
恥ずかしいとかなんだと言いながら、離すつもりが毛頭ないのが手から伝わってくるのが本当に可愛らしい。
俺も彼女も朝は早いが、一緒に登校することもなければ、部活の朝練の関係で登校の時間が大きくずれ込むせいで道中会うこともない。
そのせいか、登校時に隣に彼女がいるのが嬉しくて、ついつい手を繋いでしまった。
――と、いう訳ではない。ほぼ本音であるが、それは一応建前である。
昨日の提案からこれまでにかけて。これにはある目論見があった。
彼女と手を繋いだまま、校門を過ぎようとしたその手前。
「……氷室先輩?」
ベタベタと甘いあのソプラノボイスが、俺たちの背後から纏わりついた。
――そら来た。お出ましだ。
彼女もそれを感じ取ったのであろう。
左手が痛いぐらいに握りしめられる。
俺は優しく強く握り返す。
お互いのために、しっかりと。
「誰だ?」
ゆっくりと振り返る。そして。
「ああ、昨日の子か」
俺は笑顔で、そう口にした。
「……!?」
天宮ひろみの顔が驚愕に彩られたのを、俺は確かに見届けた。
零れ落ちそうなほど目を見開いた少女に、俺は優しく語りかける。
「昨日は置いて行ってすまないな。無事に帰れたか?」
「……は、はい」
目を丸くしたままながらも、俺に話しかけられた天宮はなんとか返事をした。
少女に気を遣ったような発言をしてしまったからか、麗が不安そうな顔でこっちを見ている。
『大丈夫だ』と小さく笑いかけると、握られた手の力が微かだが緩んだ気がした。
「そうか。良かった。……ところで、何か用事か?」
「えっと、その……」
笑みはそのままに、もう一度尋ねる。
ドロドロの甘さが萎んでいるのが見て取れる。
少女は調子を取り戻せないままに、俺に問うた。
「隣にいるヒトは、誰ですか?」
「……誰、ねえ」
そんなもの、答えは決まっている。
「俺の大好きな彼女だよ」
「……」
いいね。その表情。
少しだけだけど、スーッとした。
「嘘、でしょう?」
「本当だよ」
なんとか出てきたのであろう言葉を、俺は即座に否定する。
「う、嘘よ! だって――」
「あれー? 玲じゃねえか! 珍しい」
「あー! 麗、やっと来た!」
震えるソプラノを遮って、俺や麗にとって聞き慣れた声が近づいてくる。
俺たち二人と仲のいい友人たちだ。
「お。二人揃って登校か」
「いつまでもお熱いことで」
「まあな。麗は可愛いからな、羨ましいだろう?」
「冷やかしたのに自慢で返されたぜ」
「こりゃあもう手に負えねえな」
「麗、朝練サボって彼氏とイチャラブ登校かー!」
「ご、ごめん。行くつもりだったんだけど……」
「行くつもりで来ないなんてことがあるか!」
「ま、待って加奈子! この子、シャンプーの臭いが氷室君と同じ!」
「「ま、まさか麗……」」
「えっ、あ! ちがっ! そういうわけじゃないの!」
友人達に冷やかされながら、自慢げに胸を張る俺。
友人達からの追及を、赤面しながら必死に否定する彼女。
「そ、んな……」
さあ、どうするゲーム脳?
お前の知ってる設定と違う現状を、どう捉える?
「氷室玲に彼女? それが、水無月麗? 二人に、友達……? ありえるの?」
少女は、困惑していた。
自分が思い描いていたそれと違うことに、戸惑いを隠し切れていない。
「どうした? 天宮」
「なんで……おかしいでしょう……?」
「なにがだ?」
「なんで氷室玲と水無月麗が付き合っているの? なんで二人に友達がいるの? 設定と違う!」
設定――その言葉で、俺は少女が、彼女のいう転生者であることの確信を得る。
それと同時に、今、意志を持って生きている俺の存在の否定の言葉に憤りを感じた。
「何を言ってるんだ?」
彼女には早いうちに、これはただの現実だと知らせてやらなければならない。
憤りを抑え込み――努めて静かに尋ねた。
「……設定? なんのことだ」
「そうよ……ゲームなら……ゲームならこんなハズじゃない! こんなハズじゃ――」
「ゲーム? 何を言っているんだ。バカバカしいな」
突き付ける。
「お前の中にどんな“妄想”があるのかは知らんが」
俺自身のために。
「その“妄想”と“現実”とを混同するんじゃない」
何より、麗のために。
「些か、不愉快だぞ?」
…………。
場がしばらく静寂した。
友人たちは、後ろにいる女をどう対処すればいいか、決めあぐねているようだ。
俺はそんな彼らに先に行くように促す。
彼らは頷くと、「またね」と残して静かに立ち去った。
俺は繋いだ手を少しだけ離した。
麗に促して俺たちはソイツに向き合う。
本当は、ほんの少しだけ怖い。
昨日の今日だ。何か起こるとも限らない。
だが、今は愛しい彼女の前だ。そんな怯えは押し込める。
カッコ悪い自分を、出したくなんてない。
「……妄想、なんかじゃ」
未だにゲームに思考を囚わているソイツに、俺はしっかりと告げた。
「ここにあるのは、現実だ。俺が麗を好きでいて、麗が俺を好きでいてくれる……そんな、俺にとっての大切な現実だ」
あの甘く引きずり込むような魔性。
それが、目の前の少女に依るものなのか、世界の意思に依るものなのか。
それは分からない。知ろうとも思わない。
ぶっちゃけ勝手にしてくれていいと思う。
けれど。
「それをお前の妄想で否定するな」
俺の大切な彼女との過去を、塗り潰すな。
俺の大切な彼女との今を、縛り付けるな。
俺の大切な彼女との未来を、打ち壊すな。
「俺は水無月麗を愛している。その現実を覚えていろ、主人公気取り」
俺の中のヒロインは、彼女だけだ。
「……麗。行こう」
朝のHRの時間がすぐそこまで近づいている。
人の波も消え、既にちらほらといる程度にしかいない。
……布告は済んだ。
後はもう、あの少女がどうなるかを運に委ねて待つしかない。
彼女の手を引いて、俺たちは校舎へと入って行った。
慌ただしく廊下を走る人がいる中で、俺たちは手を繋いでゆっくりと歩いていた。
走る気力が、無い。
正直、アイツに面と向かうのはかなりのエネルギーを消費させられた。だから歩いていた。
……まあ尤も、歩いたほうが彼女と手を繋いでいられる時間が長くなるというのも理由にはあるが。
「……玲」
透き通るような声が、僅かに熱を持って俺の耳朶を打った。
不思議な――あまり聞いたことのない、彼女の声色だ。
「あのね」
そう思いながら隣を見れば、顔を上気させた彼女が、潤んだ瞳で俺を見上げていた。
「私も」
握り直していた左手を、腕ごと思いきり引っ張られる。
僅かな色香を醸し出す彼女の綺麗な顔が、俺の目の前にあった。
ドキリと、俺自身の心臓が跳ねた音が聞こえた。
そして。
「私も玲のこと、愛してる」
その距離が、ゼロになる。
唇から伝わる、熱い温度。
ふわりと甘い香りが、鼻腔を擽る。
ただ、ほんの少しだけ触れ合っている。
いつもしていたように、ほんの少しだけ触れ合った。
それだけの事実なのに。
――俺の心は今、とても満たされている。
「……れ、麗?」
「――あ。えっと、その……」
ゆっくりと離れた彼女。
俺がなんとか声を上げると、彼女はボッと赤くなる。
いつものような可愛らしい様子でしどろもどろになりながら言った。
「いつも、好きだって言ってくれてて。それが、嬉しくなかったわけじゃないけど、それでもずっと不安で……でも、さっきあの子の前で、あんな風に言われて、その……自分にちゃんと言ってくれたわけじゃないのに、“あの時”と同じぐらい嬉しくなって、不安とか、全部、消えてなくなっちゃって……」
響くチャイムの音が、遠い。
恥ずかしがって、小さくなってしまう彼女の声だけが、強く強く耳に残る。
「それが堪らなく嬉しくって。そ、それに、啖呵を切った玲が、とってもカッコよく見えて。やっぱり、好きだなって、思ったら、その……し、したくなっちゃって……」
可愛い。
いつにもまして、麗が可愛い。
なんだコレ。反則だろ。
「わ、私からしたのは……一年ほど経って、ようやく初めて、だったけど、その……迷惑、だったかな」
――この可愛さに抗う理性なんて、俺は持ち合わせていない。
「――んっ!?」
勢いのままに、強く唇を押し付けた。
遠慮や優しさなんて、欠片もなかった。
ただ、この衝動を、目の前の彼女に受け止めて欲しくて。
「っ、はあ……迷惑なんかじゃ、ない」
彼女から離れて、俺は心の底から本音を告げてやる。
それだけで、彼女はどこか嬉しそうにした。
「……ほんと?」
「当たり前だ。大好きな人から、キスしてもらえるんだぞ。嬉しいに決まってる」
「じゃあ、また、してもいい?」
「むしろお願いしたい」
「分かった」
そして三度目。触れ合う唇。
彼女からしてもらえた、二度目のキス。
幸せすぎて、死ぬかもしれない。
「キス、するのって」
彼女は真っ赤な顔のまま、美しい、可愛い、笑顔を咲かせた。
「恥ずかしいけど……でも、いいね」
「うわぁ……見ました? 奥さん。ちょっと、大変よぉ?」
「見ましたわよ。あの子たち、HR始まってるのに教室の前でいちゃいちゃしてますわよん」
「「――ッ!!??」」
「あら、気づかれちゃいましたわよぉ奥さん」
「当たり前よ。そういう風に喋ってますものん」
教室のドアから顔を覗かせて、オカマ口調で喋る俺の友人二人。
どうやら、丁度止まった場所が、教室の前だったようだ。
顔が引き攣るのを感じながら、震える手で二人を指しながらに。
「お、お前ら……いつから見ていた?」
「麗が氷室君にキスしたあたりからだよ」
「……寧ろ今まで、私たちが見てたのに気付かない方がどうかしてるわ」
「ほんと。見てるこっちが恥ずかしい」
「あーあー。リア充爆発しろー」
「か、加奈子!? 琴音!?」
反対側のドアからは麗の友人が。
クスクスと笑いながら、俺たちを冷やかす。
しかしそれにはどこか、祝福のようなものが込められているようにも思えた。
「ちなみに、結構皆で見てたからな?」
「……マジか」
衝撃的すぎる事実に、段々と羞恥心が沸いてくる。
それは隣の彼女も同じだったようで、赤かった顔が一段と紅くなっている。
「あー」
そして最後に、教室からひょっこり出てきたのは、担任の先生。
「恋愛は別に自由だが、とりあえずHRはサボるな。さっさと中に入れ、バカップル」
「「……はい」」
先生に止めを刺され、完全に俺たちは意気消沈。
笑いながら教室へ戻る友人や、呆れた先生の後を追って、俺は中へ入ろうとした。
「玲」
「なんだ?」
彼女に、制服の裾を掴まれた。振り向く。
彼女の黒真珠と見紛う瞳は、確かに俺を見つめている。
濡羽色の黒い髪は、静かに佇んでいる。
白く、嫋やかな手は、俺を柔らかく掴んでいて。
すらりと伸びた足は、綺麗な直線を描いていた。
「好きだよ。これからも、一緒にいてくれる?」
「ああ、勿論。一緒にいよう。俺も麗が好きだから」
これから先のことで、不安がないと言えば嘘になる。
だが、この世界がゲームの世界に似ていようが、関係ない。
これから先何が起ころうとも、彼女と一緒なら、彼女のためなら乗り越えられそうな気がする。
……いや、乗り越えて見せる。
それが俺のためであり、彼女のためでもあるのだから。
『早くしろ』と、教室から怒声が響く。
俺たち二人は、焦りながら、笑いながら中へと入って行った。
「……」
少女――天宮ひろみは、公園にいた。
彼女は学校にいようと、思えなかった。
『これは現実である』――自分の思っていたものとは違うと、そう突き付けられて。
自分の存在する意味が、なくなってしまったようで。
「ここが、ゲームじゃないなら……私は、どうすればいいのよ」
少女は、分からない。
いや、本当はもう分かっているはずだ。
でも、分からないフリをしている。
はたしてそれは、何故なのか。
「おしえてよ……」
彼女がこの世界を、バグの入った妄想ととるのか。それとも、思うままに行かない現実ととるのか。
――彼女がこの世界で生きる道標となる人が、現れるのか。
それは今はまだ、分からない。
……To Be Continue?
最後まで読んでくださってありがとうございます。読者の皆さんが、少しでも楽しめていたら、幸いです。
さて。此処から先は、詰まらない後書きですので、読まずとも結構です。
本来、私は連載で異世界転生物のファンタジー『どうやら勇者やってた異世界に転生したらしい』を書いているのですが……たまーに全く色の違うものを書いてみたくなります。
そして色々と書いて、未完のまま放っておくのですが……なろうコン大賞が開催されましたじゃないですか。
今連載しているものは、リメイクしたもので応募するつもりなので、それを今応募する気はないのですよ。
でも、なんか始まってすぐに応募したいという変な欲求が沸いてしまいまして……その……講評が欲しくて……ね?
そしたら、丁度この作品が、一万と少しの文字数で放置してありましてね。
じゃあまずこれを完結させて短編として出しておこう、と思い当たって書いた所存です。
え? 意味が分からない? ははは。大丈夫です。私もあまり自分でもよく分かってないですから。
あまりよく考えないで作ったものなので、ところどころおかしな点があるかもしれませんが、それはお気軽に指摘していただければ幸いです。
ただ、何も考えてなかったら『何も考えてない』としか言いようがないので、そこはご了承ください。
最近……というか、そろそろ、秋から春初めまでにかけて、色々と忙しくなってくる身の上です。その上リメイクに力を入れているので、中々『どう勇』の方は更新できないと思います。
が、合間を見ながらなんとか書いていくので、そっちの方もよろしくお願いします。
……この場にいる方にはどうでもいいことかもしれませんが、ね。
では、また会えたら会いましょう。