水曜日。一週間で一番憂鬱な日。土曜の休みが遠い。
寝起きの気だるい体を持ち上げると、ざあざあと雨のざわめきが聞こえた。そうか、梅雨入りしたんだ。カーテンを人差し指だけでどかす。窓に叩きつける雨が、窓に斜線の模様を描いていた。
今日も雨。
小さいころは雨が大好きだった。
「しとしとぴっちゃん」なんて言いながら、運動靴のままで水溜りに入り込んで遊んでた。雨音が好きだった。水溜りに丸い模様がいつまでもいつまでも重なっていくのを、じっと見ているのが好きだった。
いつから雨が嫌いになったんだろう。
体がいつにも増して重い。会社に行きたくない。私がいなくても、会社なんて成り立つんだ。誰かが私のやるはずだった仕事を背負って、少し苦労するだけ。『私』が必要なんじゃない。『仕事をやれる人』が必要なだけ。代わりなんて、いつだって存在する。
コーヒーをしこたま飲んでも、ちっとも効きやしない。雨のせいか、頭痛がする。眠気が消えない。
会社に向かう途中の、外の世界は灰色。駅から出て行く人々はみんな、それぞれ背中に何か重いものを背負い込んだように背を丸くして傘をさす。
黒、灰色、茶色。ダークな色合いの傘が、この世界をよりいっそう暗いものにする。時折見える、赤い傘や水色の傘が、そこだけ白黒映画の中でひっそりと色付けられているみたいだった。
どんなに雨が降り続けても、嵐みたいになったって、社会は止まることなんてない。永遠に止まることのない歯車をひたすら動かし続ける私たちは、まるで疲れをしらないハムスターだ。回し車を必死に回す、ハムスターだ。
外の世界なんて一切関係ない、無機質な会社の室内。
いつの間にか雨は弱くなり、窓の外を覗いたってどんよりとした雲が見えるだけになっていた。そぼふる雨音に聞き耳を立てる者なんていない。パソコンを睨みつけ、伝票をめくり、うるさい電話音にイライラする。
頭痛が増してゆく。
水曜日。休みが遠い。六月はなぜ祝日がないのだろう。『梅雨の日』を作ってくれればいいのに。
六月はだるい季節。一番嫌いな季節。
残業なんてしたくない。今日はさっさと帰るんだ。本当は今日中に片付けたい仕事を明日に残して、私はとっとと会社を出る。
上司がまだ仕事をしていたけど、待つ理由なんてない。
「熱っぽいんで、お先に失礼します」と会釈して、「帰るのかよ」と不満げな上司の視線に気付かないふり。私は傘とバッグを抱えて、会社という檻から抜け出す。
しとしとと降り続く雨。
ビルの中、壁に囲まれ、息づく世界を見つめられない。無機質で閉鎖的な空間は季節なんて関係なく、一定に保たれた温度の中、私は会社という籠の中で飼い慣らされる。
外で小さな花が咲いても気付くことなく、葉が青々と繁っても気付かない。ふと見ると枯れ葉が落ちて、冷たい空気があたりを包んでいっても、季節の移り変わりは知らない間に過ぎ去ってゆく。
春も夏も秋も冬も、気付かぬうちに去ってゆく。
小さいころは、足元を見ても、空の彼方を見ても、発見に溢れていた。きらきらと輝く結晶がいたるところに潜んでいて、発見を待ってくれてる。
大人になり、私の目にはフィルターが取り付けられて、私に関係ないものなんて何も見えなくなってた。
大人になるということは、なんて切ないことなのだろう。
輝きに満ちた世界を輝いた目で見ることは、もう出来ない。
ふと、気付く。傘をさしているのは、私だけ。
雨が止んでいた。
傘の向こうに、かすかに見えた空。
空は、雲の裏側でだんだんと赤く染まる。雲の隙間から、カーテンのように降り落ちる光。黄金の光が、ビルの影を伸ばしてゆく。傘を畳む人々が、まぶしそうに太陽を仰ぐ。赤く揺らぐ、光。
世界は灰色のはずだった。
金色の光の世界は、やがて赤く赤く。
ああ、そうか。
私は見ようとしていなかった。邪魔となるものを、ただ邪魔だと片付けて、それを楽しむことさえ出来なくなっていた。
幼い頃は、世界の全てが色を持ち、輝きを放っていた。
色は失われたわけじゃない。私の目が、世界を灰色にしていた。
世界はたくさんの色を放ってる。
くもった私の目にさえも、それは突き刺さるように主張する。
傘の向こう側は、鮮やかな光。
灰色の傘を畳んで、私は久しぶりに太陽を見る。何千回と見た太陽だって、同じ色で輝いた日はきっと無い。
毎日違う色で、世界を照らしてる。
明日はどんな色に見えるのだろう。オレンジ色か。真っ白か。
空は青く見えるのだろうか。今日のように灰色なのだろうか。
ちっぽけなことだけど。
意識するだけで、世界は違う色を放つんだ。
気まぐれな六月の空模様を思う。
明日の空の色は、何色だろう。
少しだけ。
だけど、小さな楽しみが出来た、六月の水曜日。
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