風の強い日だった。
何気なく近所を歩いていた。
その時、俺の目に飛び込んで来た一枚のワンピース。
そう、あのワンピースはまさしく一昨年の夏、俺が美沙に買ってやった服だ。
アパートのドアノブに掛けられたそのワンピースは、風に靡いてカタカタとまるでドアを開けて欲しいと訴えている様に揺れていた。
何かに引っ張られる様に俺はアパートの階段を上がり、住人の名前を確認した。
”川崎 美沙 ”
間違えない。
ワンピースを手に立ち尽くしていると、達ちゃん…っという声が後ろから聞こえて来た。
俺は素早く振り返った。
美沙が笑った。何事もなかった様に俺の目の前にやって来て微笑みかけた。
「達ちゃん。美沙ね、達ちゃんの近くに引っ越して来たの。だから、たまに遊びにおいでよ!!」
屈託のない笑顔とはこの事だろう。昨日までそうしていたかの様に笑うが美沙と会うのは二年振りだ。
「また一緒にオムライス作ろう。」
言われて涙が出そうなくらい嬉しい。
あぁ、俺はこの時を待っていたんだ。と実感する。
美沙と話していると、二人が付き合っていた頃に戻った様な錯覚に陥る。
美沙はいつでも笑って答える。
「これからは近いし、いつでも会えるよ」
きっと俺はこんな日が来ると心のどこかで期待していた。
”美沙の事なんて忘れたよ ”なんて言い放った自分が今、まさに目の前にいる美沙を見て涙が出るくらい喜び、心の中では飛び上がって手放しで喜んでいる。
「一緒に暮らさないか?」
言ってしまった後でバカげてる。と気づき、すぐに撤回する。口から飛び出した言葉に自分自身唖然とした。
「ごめん。気にしないでくれ。なんでもないから。」
美沙は黙って俺の顔をじっと見つめるとギュッと目を閉じた。スーッと一度大きく深呼吸をして目を開けて、俺の耳元にやって来て囁くように言った。
「いいよ。一緒に暮らそうか…」
一瞬にして笑顔になる自分を、男がみっともないと思いながらも止められずにいた。本当に待っていた時が、今まさにやってきたのだ!!。
「近くに引っ越して来たのは達ちゃんに会うためだよ…きっと、達ちゃんなら気がついてくれると思った。ごめんね……あたし…達ちゃんの事忘れられなかったの…」
美沙は両手を広げた。
俺は美沙を抱きしめると心地よいぬくもりに触れながら、一緒に過ごした楽しかった日々を思い出していた。
「もう俺、絶対に美沙を守るから。一生をかけて幸せにするから…」
「うん…」
俺の胸の中で美沙は小さな声で言った。
しばらくして美沙が先に体を離した。
「じゃあ部屋片付けないと…」
小さくバイバイと手を振った。
俺も笑顔で力なく手を振った。
「じゃあ、後でな…」
「うん」
美沙はうなづく様に、大きく頭を上下に動かした。
部屋に美沙が入り、見えなくなるまで眺めていた。
完全に美沙が見えなくなって、俺も部屋を片付けないと…思って歩きだしたその時、背中に何かが触れたような気がした。
「痛っ!」
振り返った。
現実に引き戻されて俺は一瞬にして状況を理解した。
暗闇…寝息…時計…午前3時…
夢だった。
全て……夢だった。
寝ぼけて俺の背中を叩いた女の手を無言でそっと元に戻した。
今、隣で寝ている女は、一年前から付き合い始めた理恵子だ。
俺は理恵子の寝顔を見て、フンッと鼻で笑い、それから肩を震わせて泣いた。
理恵子を好きになろうと思い込んで自分に言い聞かせて催眠を掛けていた。
「達也。私、達也の事好きよ。達也も私の事好き?」
「あぁ…好きだよ…」
これが幸せ、これでいいんだ。もう美沙の事は何とも思ってない。思っても仕方ない。二度と会うことはない…。
そう言い聞かせて、やり過ごしてきた二年間。こんな形で全てに気がつく事になるとは……。
理恵子は寝ぼてた目をこすり ”どうしたの? ”とつぶやいた。
俺は理恵子に背を向けたまま ”なんでもない ”と言って寝た振りをした。
首をかしげ横になった理恵子は再びスーッスーッっと寝息をたて始めた。
理恵子を愛していないのかも…と言う感情は曖昧なものから今、確信に変わってしまった。
けれども俺が美沙に会う事はおそらく一生ないだろう。
美沙と別れてから数か月後、俺は携帯を水に落として水没させてしまった。
アドレスも携帯番号もわからない…居場所すら…。
もう二度と会う事のない女を俺はまだ……
気持ち良さそうに、なんの迷いもなく寝ている理恵子の横で全てに気づいてしまった俺は理恵子との別れを決意した。
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