ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
4 (2)
 ふと目が覚めると、静かな部屋に小さく響く秒針の音を聞いていた。少し早く起きてしまったようだ。
 カーテンを開けると太陽の光が部屋に差し込み、私の脳と体に朝を知らせた。不思議なくらい、目覚めが良い。
 今日は大分余裕がある朝だ。早く起きたからといって早く登校する理由もないし、ゆっくり準備してまったりした気分で登校しよう。
 そう考えながらとりあえず洗面所に向かう。朝の洗顔ってどうしてこうも気持ちいいのだろう。真冬になれば水では辛いが、この時期ならまだ気持ちよく感じられる。タオルで顔を拭い、寝癖を確認する。
 ……いつもよりはひどくないかな。これと言って髪型に特徴のない私だが、寝癖のバリエーションなら人に負けない自信がある。
 ある時は横から風が吹いたように、あるときは後頭部にパーマでもかけたかのように、あるときは百獣の王のように。これといって寝癖が目立たない日は大体が目覚めの良い朝だ。理由はわからない。

 髪型を整えて新聞受けをチェックする。本来ならそれを読むお父さん自身が取りに行って欲しいものだけど、こればかりはもう小さい頃からの習慣で無意識に体が動いてしまうのだ。
 そして着替える前に朝食をとる。以前は制服に着替えた後に朝食をとっていたのだが、ウトウトしながら制服にお味噌汁をこぼして以来順序が入れ替わった。今は着替えより先に朝食をとるということが考えられない。

 最上級クラスの忙しさを持つ大物司会者の朝のニュース番組。これもまた習慣というか、この家族の決まりごとのようなもので、朝はこのチャンネルに回すことが半強制的に決められている。まぁ文句はないんだけど。

『えー先日○○日、東京都内の都立高校で殺人事件が起こり、同校の数学教師を殺人容疑で逮捕しました。調べによりますと……』

 物騒なニュースも、もはや他人事ではない。学校での小さな問題を放っておけば、いつしか日本中を揺るがす大きな事件になる可能性だってあるのだ。
 集団暴行、自殺、恐喝、傷害事件。情緒が未発達な未成年の犯罪は、情報が流通しやすいこの時代ではある意味必然なのかもしれない。最近ではネットでの悪口に腹を立てて犯行に及ぶ者もいるというのだから、利便性が却って仇になっている面は否めない。
 しかし、そんな事件を耳にして『どうしてそういうことをするんだろう』と考えたところで答えは出ない。怒りを感じる理由は理解できても、どうして罪を犯すまでに至ってしまったのかは、本人でもわからないものだ。

 と、朝から特に意味のないことを考えていても登校までの時間はつぶせなかった。さぁこの退屈な時間をどう過ごすか。更にどうでも良いことに真剣になってみる。
 お弁当はお母さんが作ってくれたのでもう大丈夫。となると今日必要なものを確認して、後は携帯でもいじって時間を潰すしかないか……。
 鞄の中には古文、地理、生物、数学の教科書。体育のジャージも準備万端。ん? なんだこのプリントは……。
 あ、そういえば見てなかったな……これ。鞄の中に潜んでいたそのA4の用紙は、少し前に会長から渡された図書委員の活動内容が記されたものだった。なんとなくもらってそのままだったんだ……。
 別に今更読まなくても問題はないか、と思いつつも並べられた文字に目を通す。思っていたよりも活動内容が多いことに気付く。そして活動時間、曜日……。

 その項目にしっかりと載せられた文字。それを見た瞬間、私の中のどこかに住みついた何かが目覚めるようにして体中を駆け巡り、脳に散りばめられた情報の残滓を呼び起こした。

 そう……! こんなことをしている場合じゃない!!
 とにかく、会長に電話しないと!!

 鞄のすぐ横に置いてあった携帯電話を手に取り、すかさず会長のメモリを呼び出す。
 会長のことだ、もう起きているに違いない!!

『……只今、電話に出ることができません』

 何で! こんな朝から何に夢中になってるっていうの!?
 受話器の向こうから聞こえる棒読みのマニュアル言葉に苛立つ。会長、こんなときに何をしているんですか!
 そうだ! 江藤に電話!!……駄目だ! 番号知らないんだった……。

 今この時間、いや、もう少ししたら……。同じ惨劇が繰り返される!!
 山本が相談に来た次の日のこと。野球部の声の大きい奴が言っていたこと。犯人の特定に焦点を当て過ぎて、忘れていた!!
 山本は今日から学校に来る。皆が登校する『前』に!!

 制服をハンガーから剥ぎ、急いで着替える。今、私の脳内で浮かび上がったことは、私にしかわからない! 動けるのは、私だけ!!
 最低限の準備を済まし、家を飛び出す。玄関の鍵もお弁当も知らない!


 ――走って、走って、走って! もっと足が早ければ、なんて思ったのはこの瞬間が初めてで、もうこれからそう思うこともないんだろうけど、お願いだからもっと早く走って! 私の足!!
 門が見える、あと少し!
 正門、昇降口、下駄箱! もう! 学校ってなんで土足厳禁なわけ!?
 急いで上履きに履き換える。あぁ! 鞄なんかここに置いてっちゃえ!!

 階段、廊下、生徒会室! 息が切れて辛いのは運動不足のせい!? そんなことない! 私まだ16歳だし!
 走ってはいけない廊下をこれでもかというくらいに全力疾走し、遂に図書室の前に辿り着いた。鍵は、開いているか!?
 ――開いてる!! 引き戸になっているその扉を開けると、目の前には想像通りの光景が。私の勘は、正しかった。正しくなくても全然よかったんだけどね。


「お、岡本……さん?」
「はぁ……はぁっ……!」

 こんなに息切れしたのはいつぶりだろう。声が出なくなる程に息が乱れたのはこれが初めてかもしれない。マラソンも短距離も、ある程度はセーブしてるもの。でも、こればかりはセーブしていられる程の余裕はなかったわ。結果的にそれが正解だったようだしね。
 目の前にいる2人の人間。山本と……川崎!
 椅子に座る山本の前に、体の大きいその教師が仁王立ちしていた。こちらを振り返るその顔は、驚きと焦りに染まっている。

「……先生、えらい剣幕な顔ですね。それに……拳を握りしめちゃって……どうしたんです?」
「……くっ!」


 間違いない。山本を不登校に追い込んだであろういじめの現場を、今ここでしっかりと目撃した!

「何が気に入らないのか知りませんが、もうごまかせませんよ」
「……」

 悔しそうに顔をこわばらせる大人の表情とは、こんなにも人間味が滲み出ているものなのか。いかんせん、滑稽に見えるけどね。

「図書委員が朝早くに図書室の鍵を開けに来る、その当番が今日は山本だったんですよね?」
「……」
「今日山本が登校してくるって、昨日こっそりと聞いてたもんだから、さっそくこうなったと」
「……」
「教師も生徒もほとんどいないこの時間、気が弱くて過去にいじめを受けていた人間、図書委員の担当という立場、全部揃ってさぞかし嬉しかったんじゃないですか? 川崎先生」

 会長も江藤も理子もいない。でも、私だって全部わかってる! 自白させるとか、反省させるとか、そんな会長みたいなことはきっとできないけど……。

「よくこれまで公になりませんでしたね? 少し考えればわかってしまうようなものですけど」
「……」
「友人のいない生徒を狙えば告げ口も怖くない、教師という立場で単位をネタに脅せば怖くない、現場が見つからなければ怖くない、そう思っていたのかしらね」
「……!」
「でも、山本が私たちに相談にきたことと、理子が私の親友だったことは運が悪かった。江藤の件や、理子があんたに意見したことで頭に血が上ったの? 理子を対象にするなんて頭が悪いとしか思えないわ」
「……うるさい!」
「山本、もう逃げる必要なんてないわ! 闘っていいの!」
「岡本さん……」

 今にも泣き出しそうなその小柄な少年が、椅子から立ち上がる。もう怯えなくてもいい。もう全てが終わる!

「今すぐ職員室にでも言って、全て話してくればいいわ。どれだけ川崎のグルがいるかは知らないけどね」

 立ち上がった山本は、私のほうに駆けてきた。その扉を……一気にぶち破って!!


「はは。ご苦労さん」
「……え?」
「川崎! ドアを塞げ!!」

 こちらに向かってきた山本が、私の胸倉を掴み、本棚に叩きつけた。
 叫んだのは山本? ドアを……塞げ?
 山本が駆け抜けるはずだったその扉の前に、川崎が立つ。何? 何なの……これ?

「てっきりあの生徒会長か江藤とか言う奴が来ると思ってたが……。まぁいいか。とりあえず御苦労さんだぜ。間抜けな副会長さん」

 目の前でそう言ったのは、確かに山本。でも、私の知っている山本でもなければ、想像していた展開とも違う!

「思い通りにことが進むってのは本当に愉快だなぁ。ククク、そうだろ川崎?」
「……くっ!」

 川崎のあの表情……どこかで見たあの表情……。
 そうだ! 山本の家に行ったあの日、空き缶入れを蹴飛ばしていたあのときの表情!!

「まぁネタばらしするとよ、全部俺の遊びだったってわけ。わかるか? 暇つぶしなんだよ! お前みたいな間抜けをはめるためのな!!」
「う……そ……?」
「川崎大先生もよくやってくれるわマジで。ガキの俺にビクビクしながら悔しそうな顔しちゃってさ、大人の癖に情けねぇったらありゃしねぇ!」

 本棚に叩きつけられた痛みからではない。目の前の山本の予想外な人格に驚いて、足が震える。
 悪魔のようなその瞳、口元。何なのコイツ……?

「生徒会長をとっちめてやりたかったんだけどな……。まぁいい。お前携帯持ってんだろう? あの偽善者を今すぐここに呼べよ」
「会長を……? 何? どうして!?」
「……まぁまだ時間あるみてぇだし、説明してやろうか。俺はあのうざってぇ生徒会長を学校から消してやろうと思ってな。今日この日を待っていたってわけさ」
「……意味わからないんだけど?」
「このボンクラ教師を使って、親父と一緒に生徒で遊んでたってこと」
「親父……?」
「あ? 俺んちに来る途中に逢っただろ? 川崎と一緒にいたと思うが」

 山本の親父……副校長!?

「そりゃ意識しなきゃ気付かねぇわな! 山本なんて名字は日本に腐るほどいるからなぁ」
「……なんで親子そろって?」
「元々は親父がやってた遊びだぜ? 江藤とかいう奴も相当粘ってるみてぇだけど」

 1年前の江藤の事件……。川崎は、副校長に使われてた?

「そこの先生はよぉ、前の学校で生徒ぶん殴っちまってクビになってんだよ。うちの親父が拾ってこなかったら教師を続けらんなかっただろうな」
「……!」
「川崎! なんでこんな奴のいいなりになってんのよ!」
「……」

 歯を食いしばる川崎の表情。怒りに満ち溢れて人を傷つける時の顔とばかり思っていたけど、自分の無力さを呪うときのものだったっていうの?

「お前みたいな奴にはわかんねぇよ。大人ってのは自分の稼ぎで生活してかなきゃいけねぇ。職探しが大変なこのご時世、わざわざ教師の仕事を捨てるか?」
「副校長の権限で脅してたのね……」
「そうそう。俺らのいいなりにならなければクビ、万が一問題が公になってもこいつ1人がクビ」
「は? 公になったらあんたたちも逃げられないでしょ!?」
「俺たちが指示したなんて証拠はどこにもないぜ? 実行犯は全部コイツ」
「……汚いわね」
「汚くて結構。これが俺たちのストレス解消なんでな。そこらの奴がカラオケでストレス発散するのと同じさ」
「一緒にしないでもらいたいわね」
「クク。まぁとりあえず、お前にも学校から消えてもらう」
「……できるもんならね」
「おいおい。ここには学校の先生と副校長の息子がいんだぜ? お前が本を盗んだとか言っとけばまず強制退学にできる要素はある」
「警察に訴えるわ」
「警察? だから言ってんじゃねぇか。証拠がねぇって」
「……でも、全部言えばきっと」
「きっと信じてくれるってか? そんなに甘くねぇよ。裁判になればこっちは最高の弁護士だってつけるぜ? お前もっと世の中知れよ」

 なんだコイツは……。金、権力に加えて、卑劣で汚い上に隙のない計画……。私たちはいつからこの男の手のひらで踊らされてたの?

「親父も性格が悪くてなぁ。江藤とかいう生徒が気に食わないって言ったかと思えば、すぐに川崎を使ってよ」
「……江藤が入学した年から始まったわけじゃないのよね」
「よく調べたな。図書室を利用して、っていう案は元々この学校にいた不良共のものだぜ? まぁすぐに退学にしてやったらしいけどな」
「……学校を良くする為に、って訳じゃなかったのね」
「んな馬鹿みてぇなこと考えっかよ。教えてくださってありがとうって感じだろ。もっとも、邪魔だったから消したんだけど」
「弱い者いじめが大好きなのね」
「別に。自分がやられたことをやり返してるだけだ。相手は違うがな」

 昔いじめられていたというのは演技ではなかった。そこはやはりあの野球部員の言うとおりか……。

「誰も助けねぇくせによ、いじめは許さねぇとか言って善人気取り。去年の生徒総会でのあの偽善者の演説にはマジで腹立ったぜ。あぁ、今年もな」
「去年……あんた会長の演説を聞いたのね?」
「まぁもう親父のコネで入学は決まってたからな。どんな学校なのかって見に来たのさ」
「……会長は偽善者なんかじゃないわ!!」
「で? 別にそこはどうでもいいんだよ。ムカつくから消したい、それだけ」
「……消させないわ」
「ふーん。ブレザーからストラップが垂れてるぜ」

 私のブレザーの右ポケットから覗いたビーズのストラップ。山本はそれを見るなり引っ張って私から携帯を奪った。

「返して!」
「うるせぇ殺すぞ!!」

 ……駄目だ。怖い……!
 暴力、血、喧嘩。私の苦手な、恐怖。江藤と川崎が掴み合ったあのときも、身動きが取れなくて……。

「どうあがいても、金と権力には勝てないんだよ。弱者は大人しくいいなりになってろ」
「……許さないから」
「で? 一生呪うか? 勝手にしろよ貧乏人」
「会長はアンタを助けようとしてたんだから!!」
「クク。助けようと思って騒いでたら実は騙されてましたって、最高に笑えるじゃん」

 山本は私の携帯を開き、会長のメモリを探し始めた。
 すぐに見つけたのだろう。口元をにやりと緩める。

「岡本さんが危ないです! って言えばすぐ飛んでくるだろ……」

 携帯電話を耳に当てる山本。
 会長……来ない方がいいかもしれません……。
 助けてほしいけど……結局は助からないかもしれないから……。
cont_access.php?citi_cont_id=636009070&size=135


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。