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3 演説
「もしもし」

 携帯電話の向こうでは、ようやくそれに電源を入れた会長がいる。何度か電話したのに電話が繋がらなかったのは会長が何かに真剣に取り組んでいるという証拠らしいので多少そのことが気になるけれども、まぁとにかく今日の件を伝えておこう。
 少しの時間をかけて一連の流れや会長の処分について伝え終わると、会長が返す。

「そうか……。君にも江藤君にも相当の迷惑を掛けたんだな僕は。すまなかった。いや、本当にごめん」

 『すまなかった』を『ごめん』と言い直したのはきっと、言葉から感じるニュアンスの違いを意識してのものだろう。受ける側からすると後者のほうが心に響く気がする。まぁ私は会長ならどちらでも構わないと思っているけど。

「本当に安心しました。火曜日はしっかり来てくださいよ」
「もちろんさ。放課後の生徒会室ほど居心地のいい場所はないからね」
「居心地とかじゃなくて、会長がいないと色々困るんですよ」

 色々困る……? 自分で言っておいて何が困るのかよくわからないけど、とにかく会長があの生徒会室にいないと困る気がするのだ。そう、あのとき山本が生徒会室のドアを叩いたように来客があったら、私1人では対応しきれないのだ。

「そうやってムスッとするところも今まではなかったな」
「どういうことですか?」
「君が段々と素直になっていく」
「そんなことないですよ」

 いきなり何を言うのかと思えば、私に対する人間観察の感想だった。
 新学期になってこうもバタついた日々になれば、以前に見せなかった一面も見えてくるというものだ。別に私が変わったわけではないだろう。
 そう考えながらも少しだけ、会長の言葉が私の感情を揺さぶっていたことは間違いないんだけど。

 会長との電話を終えると、私は理子(りこ)に電話を掛けようと想い、リダイヤルを(さかのぼ)った。
 今日はせっかくの約束を途中で抜けることになってしまったから、もう一度しっかりと謝っておこう。それに、次の約束も今のうちにしておきたい。
 通話ボタンを押し、呼び出し音のJ−POPを聴きながら生の音声に切り替わるのを待つ。

「あ、もしもしー」
「今日はごめんね。でも無事解決したからご安心ください」
「おお、そっかそっか。じゃあ今度詳しく聞かせてね!」
「うん」
「あ、そういえばさぁ……」

 噂話が大好きな理子との電話はあと1時間は続く気がする。基本的に無口な私が長電話というものに耐えられるのは理子の魅力ある話術のおかげであり、聞いている側で退屈しない私の体質がうまく噛み合っているのだろう。私が他愛もないお喋りになんの退屈も感じることなく興じられるのは理子が相手のときのみかもしれない。
 多数の友人と平等に深く付き合うことができない私にとって理子はある意味、唯一本心をさらけ出せる相手かもしれない。会話でも何でも、相手に合わせるということをしなくて済むのは素晴らしいことだ。
 長話は予想通り1時間ほど続き、通話料金が少し気になった頃に丁度話が終わり、携帯を閉じた。


 まだ少し休みの気分を引きずっている月曜日の朝。そんなに目覚めが悪いわけではない私でも月曜日ばかりは少しだけ起きるのが辛い。土曜日に夜更かしし、日曜日の朝が遅かった後の月曜日の朝なんかはもう最悪だ。
 眠気を覚ますために冷たい水で顔を洗い、朝食を摂って朝のニュースを眺める。
 政治の話や、どこか遠いところでの事件の話、なんとなく見ていても特に自分に関係ないことについては感想を持たない。関心がないというか、興味がないというか。
 毎日のように報道される犯罪に対し、それが大きな事件であろうが小さな事件であろうが、国民がもう少し関心を持てるようになればこのニュースの時間を削ることもできるのだろうか。そんなどうでもいいこと、とはとても言えないが深く考える必要もないことを考えながら学校に向かう今日もいつもと同じただの月曜日なのだ。

 季節がもう夏でないということがわかる気温。今日はいつになく肌寒いような気がする。
 ところでどうして女子は制服が年中スカートで寒い思いをするのに、男子は常にズボンなのだろうか? いや、よく考えてみれば男子は夏に暑い思いをしているのか。隣の芝は青く見えるものだ。
 隣の芝が青く見えようが赤く見えようが、結局は自分が置かれた環境や育った境遇、自分が持っているもの受け入れなければならないのは当たり前のことで、更に望むのであればそれに見合った努力をしなければならないこともこれまた当然のことである。
 私がもし今の状況に不満を持っているのならば、自分からそれを変える努力をしなければいけないけれど、特に不満も異議も不服も申し立てるような心境でもない。
 現状維持で生きていけると判断できた場合は、その判断に従って生きていくのが無難であり、要領のいい生き方でもあると思う。
 何も変わらなくなったらそれは堕落に等しい、なんて言う人もいるけれど、そこまで成長や向上に意欲的ではない人間もいるわけだし、現状維持だけでも大変と言えば大変なのだ。大きなチャンスが巡ってくるまでは、大人しく、そして確実に手の届く範囲で生きることも必要なことなんじゃないかと思う。
 しかし、その大きなチャンスを自分の気持ちで作ってしまうこともできる。その心に何かが目覚めたとき、人は変わることができる。どうやら私の目の前の人間もそうらしい。

「金髪、止めたんだね」

 目の前の不良は私の知らないうちに『元不良』に変わっていた。あのダサいネックレスもピアスもしていない。
 不自然な程に真っ黒に染まった頭髪は以前のような整髪料との融合ヘアースタイルではなく、常識的な範囲で整えられたオシャレなショートへアーに変わっていた。
 とても他の生徒と同じ制服とは思えない着こなしも止め、灰色のベストに学校指定のネクタイを緩めに締めているその姿は、日焼けした肌を何かスポーツで焼けたものだと錯覚させるだろう。

「変わるって言ったろ。それにもう金髪でいる必要もなさそうだしな」
「ふーん」

 金髪でいる必要、というものが今なら予想できる。
 会長は校則違反の髪色をしている者と1人1人話をしてそれを止めさせようとしていた。そんな面倒で地道なことをするのは会長らしいのだけど、その手間を省かせるために江藤がその生徒たちに圧力をかけて一気にまとめて処理した。調子に乗った下級生をシメているように見えたけど、江藤がこのことを私にも会長にも言わないところを見ると、あの行動がただの憂さ晴らしではなかったように思えるのだ。

「これなら川崎ももう文句言わねぇだろ」
「もし金曜にやってたら、あの子供に見つけてもらえなかったね」
「まぁそうだな。別にどうでもいいんだけどよ」

 どうでもいいことなのかそうでないのかはまぁ本人が言う通りなんだろうけど、もう少し素直に喜んでみればいいのに。どうせ嬉しいくせによく言う。
 明日は会長が来る。昼に生徒会室に来るようにでも言っておくか。


「あ! お弁当忘れた!」

 昼食はほぼ毎日理子と机を並べている私だけど、理子がお弁当を忘れるなんてことは今日が初めてだ。毎朝自分でお弁当を作っているというものだから大したものだ。私もそれを見習って早起きするべきなのだろうかと考えてみるけど、実際に行動に移せないのは母親への甘えである。

「あぁすんごいショック……購買行ってくるね」
「うん。お気をつけて」

 購買のパンはそこらのコンビニに売っているようなものと同じで、特別おいしいということではないのだけど、何故か売り切れが続出するほど人気がある。学校の購買というだけで味に補正がかかるのかもしれない。
 そう。人間はその状況や記憶に基づいて様々なものに補正をかける。小さい頃に楽しいと思ったことは例えどうしようもなくつまらないことでも、今でも楽しいことだと思えてしまう。どんなものでも思い出によって良い方向へと補正される。これは誰にでもあるんじゃないだろうか。
 この高校生活がそんな『思い出補正』に頼ることなく素晴らしいものだと感じられたらいい、そう思うようにしよう。

「ただいまぁ!」
「おかえりなさい」

 菓子パンを2つ持って帰って来た理子は、行く前に比べてかなりテンションが高いように見える。せっかく作ったお弁当を家に忘れた悲しみを、今度は購買に忘れてきたような。そんな陽気な彼女が私を落ち着かせてくれる。

「そういえばさぁ、私図書委員代理になっちゃった」
「え? そうなの?」
「うん。今日から」

 そう言ってあんパンを食べ始める理子。金曜日に私が立候補したことから騒動が起き、その後の流れのおかげですっかり忘れていた件だ。

「いやぁ。もうああいうトラブルは嫌だからねぇ。怖いし」
「それはもうしっかり江藤に言っといたから、多分大丈夫だと思うよ」
「あ、それで今日別人になってたの?」
「うーん。少し違うけど、まぁそんなもんかな」

 まぁ江藤がああなったのは自分の意思によるものが大きい訳だし、私の言葉云々ではないだろう。

「でも図書委員てめっちゃ根暗らしくてさぁ。あの山本だっけ? うちのクラスの。あいつみたいに不登校なっちゃう人とかが入るらしいんだよー」
「で、でもまぁ普通の人もいるんでしょ? 大丈夫だよ!」

 江藤が去年図書委員だったことも知っているのだろうか?

「えっと、1年生と2年生は学年12人ずつで24人。3年生は6人しかいないから全部で30人。そのうち9人が幽霊部員ならぬ幽霊委員」
「えっ、そんなに?」
「うん。だから今回で代理が必要になったんだってさ」

 山本が学校に来ないと仮定すると、残りの期間を理子が代理で入る訳か……。なんだか申し訳ないな。
 それにしても図書委員会があの山本のような生徒で溢れている場所だったとは……。
 立候補が通らなくてよかったと思う反面、理子に対する申し訳なさで少し胸が痛かった。
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