第52話 転移魔法に愛されている男
リングの中に収納しておいたティファールの血を飲んだ事で半暴走状態になっていた俺だったのだが、背後から聞こえてきた会話によって突如、思考を全て塗り潰していた殺意という名の感情が消えていくと共に酔いが覚めていった。
普段の自分を取り戻した俺は目の前で蹲っていた片腕を失くした奇術師風の男を見据えながら安堵のため息を漏らした。
血に酔っていなければ人殺しには忌避を抱いた基本的には人畜無害、とまではいかないかもしれないが平和的な考えの持ち主となる。だが片腕を無くしたから、血が大量に出血したから。などといった事で騒ぎ立てないのは自身が片腕を失うどころか文字通り、両腕や両足を失う、などといった事を悠遠大陸にて経験していたからだろう。
俺は溜め息を吐いた後、左手に持っていた刀を鞘へと納めた。
魔法のような超常現象にもリスクリターンは存在する。とはいっても万能過ぎるリターンにリスクが釣り合っていないという事は否めないのだが。そしてそのリスクが血酔いから覚めた俺へと本格的にのし掛かってきていた。
その為、血酔いから覚めた俺は立つのもやっとなくらいに疲労困憊していた。刀を納めた直後、背後へと体を向かせながら床に尻餅をついた。
先程まで殺そうとしていた相手に背を向けたのは暗にもう何も出来ないと決めつけていたからだろう。
そして背後を向いた数秒後、扉をぶっ壊した張本人達の1人――ティファールを目が合うと同時に俺は苦笑いを浮かべながら口を開いた。
「……や、やぁティファ。数時間振り……だね」
頭の中で一瞬、どんな言い訳をしようかと悩むが疲れきった俺の脳は全く働いてくれなかった。
悠遠大陸にいた頃、ティファールから教えて貰ったのだが彼女は俺が嘘を吐く時に決まってする癖をどうも知っているらしい。試しに5度程嘘を吐いてみたのだが、全てを難なく見抜かれた経験がある為、今は信じて疑っていない。
だが、それでは俺に不都合が起きる事があるかもと思い直そうと試みたりしたのだが、自覚がない為に直そうにも直せなかった。なので俺は下手に嘘を吐く事が出来ず、全てを甘んじて受け入れようと腹を括って言葉を発していた。
口にした直後、戦闘中には全く汗をかいていなかった筈なのに急に額から汗のようなものが垂れてきたのは気のせいではないだろう。
「あぁっ、伊織の匂い……やっぱり落ち着くわ……伊織ぃ……伊織ぃ……んっ」
ティファールは俺が口を開くと同時に此方へと向かって駆け寄ってくる。
そして飛びつくように抱きつくと共に彼女は直ぐ様両手を俺の背中へと回し、それに続くようにコンマ1秒程度遅れてから嗅ぎなれた甘い女性独特の匂いが俺の鼻腔をくすぐる事となった。
数時間顔を合わせていないだけだったのだが、彼女の愛情表現は抱きつくだけで止まる事はなく俺の胸へと何度も顔を擦りつけた。その後、当然の流れだといわんばかりに両手を背中から首へと移動させてから唇を重ね、それと同時に歯列を割って舌を潜り込ませてくる。
立つことすら覚束無い俺はティファールの行動、行為を拒否できるわけがなく、されるがままとなっていた。
数秒後、満足したのか彼女は唇をゆっくりと離すと同時に自身の唇を一度ペロリと舌で舐め回した。
そしてそのまま、俺の耳元に顔を近づけて囁くように声を発する。
「ねぇ、伊織。貴方が私の下から離れたのは意図的な事ではない、というのは理解してるわ。転移する部屋に間違えて入ったのでしょう? 伊織の匂いをたどって私も部屋に入ったのだけれど急に転移するものだからビックリしたわ。だからそれについて怒るつもりは無いの。だけど……あそこで気絶してる女は、誰?」
まだ言い訳のような事を何も言っていなかったのに、妙に物分かりが良いな。などと思っていたのも束の間、ティファールが楓に冷たい眼差しを向けながらも口にした言葉は直前まで発していた声とは打って変わってトーンが低くなっており、どこか威圧的なものだった。
そして俺は
「……お、幼馴染みです。幼馴染み、楓と俺は小さい頃からの幼馴染みなんです」
口早に幼馴染み、と機械のように丁寧な口調で連呼した。
俺からは《氷にて閉じられし棺》が邪魔して楓の姿が見えていなかったが、気絶してしまってたか……と思いながら血を飲んだ事を少々後悔すると共に自責の念を抱いていた。
それと、楓と俺は幼馴染み……でいいんだよな?
「ふうーん…………そ、なら良いわ」
そう素っ気なく言うと同時に再び俺の胸へ顔を擦り付けるように埋め、直後スー、ハー、スー、ハーという鼻息が耳に届き始める。
そしてこれからどうしようか、と思った刹那、背後にいた奇術師風の男が人知れず魔法を展開させようとしている事に気がついた。
首を肩越しに振り向かせてみれば白い法陣が彼を中心に浮かび上がっており、徐々に拡大していっている。大きさから察するに恐らく俺がティファールと会話をしている間に行動へと移していたのだろう。
奇術師風の男が使用しようとしている魔法を見て何故か嫌な予感がした俺はティファールにどうにかして止めて貰おうと呼び掛ける。
「て、ティファ!! アイツなんかヤバイ!! 俺、今動けないから俺の代わりにアイツ止めて!!」
満足に動かせる口を使って頼み込むが返ってくるのは荒い鼻息と時々呟く「伊織ぃ」という可愛らしい声だけだ。その返答を聞いた俺は彼女は無理と瞬時に判断し、ターゲットをティファールと一緒にドアをぶち壊していたイディスへと変更を決める。
が、右左に首を振ってイディスを探す俺の双眸には大剣を持った隻腕の魔王と殺し合いをいつの間にか始めていた変態が映った。
そう言えば少し前から金属音が響いていたなぁ、と今更ながら思いつつも、声を掛ければ反応してくれるかもと一縷の期待を胸に声を上げようとするが
「フフッ、アハハハハハ!! いいね!! いいよ!! 片腕にも拘わらずこの強さ!! 流石魔王!! 楽しませてくれるねぇ!! アハッ、アハハハハハ!!!」
前回と同様、根元から3分の2程度までが片刃で刃先の部分が両刃の湾曲した2本剣を巧みに扱いながら翡翠色の髪を靡かせ、もう何度聞いたか忘れてしまった甲高い狂ったような笑い声を相変わらず上げていた。
黙っていれば美人なのにな、と毎度ながら思わされる。
魔王と殺し合いを進んで始める彼女を見た俺はイディスに頼ろうと考えた自分が馬鹿だったと思わされる事となった。
そして、どうしようどうしようと焦燥に駆られていると魔法を展開させていた筈だった奇術師風の男が愉悦に口を歪めながら声を上げた。
「……この僕を殺さずに放置するとは愚の骨頂。とは言っても弱りきったこの体でお前を殺す事は無理だ。だが……閉じ込める事は出来る。【ドランジェ】や【不知火】に住んでいた奴等と同様、向こうで朽ち果てろ」
奇術師風の男はそう呟くと同時に唇の端を吊り上げ、口早に詠唱を紡いでゆく。
「『我、創り出すは歪んだセカイ。
守護せし6つの柱は希望を砕き、絶望を与える。
時空の狭間にて朽ち果てろ!! 《神虚領域》!!』」
詠唱が終わる共に展開されていた法陣が俺達を、いや、部屋全体を包み込んだ。
直後、俺とティファール、そしてイディスに楓の4人が魔王城から姿を消した。
「かの忘れ去られた大国、不知火とドランジェすらも抗えなかった《神虚領域》。僕の右腕を奪ったあの男の死に顔を見れないのは残念だが……まぁいいさ。さ、邪魔者は消えた。戦争の準備に再び取り掛かろうか」
まさかの獣人を一人も登場させずに舞台は新地へ。
イディスの消えた裏ギルド、着々と準備が進んでいく戦争。
あ、面白そうなsideストーリーを書けそうな気が……っとっと、危ない、危ない。それよりも主人公視点を書かないと(-∀-`;)