第51話 変態と嫁
目の前に現れた奇術師風の男が俺へ向かって苛立ちといった声を上げながら攻撃を仕掛けてきた。
だが、俺は一切臆する事なく焦るどころか獰猛な笑みを浮かばせながら飛来してくる黒い矢を見据え「凍れ」と一言、たった一言だけ発する。
直後、視界を覆い尽くす程に存在していた無数の黒い矢は一瞬で凍りつき、矢は氷に包まれる事となった。
無差別に凍らせるわけではなく、ピンポイントに矢だけ凍らせる並外れた技術は血酔いの影響か。
しかし、向かってくる勢いがガクンと落ちたというだけで静止する気配は一切と言ってもいい程に感じられなかった。
未だに黒の矢は迫って来ていたのだが、そんな事は想定済みだと言わんばかりに俺は唇の端を吊り上げ、右手に持っていた刀を鞘へと納めた直後、直ぐ様右の掌を飛来してくる黒い矢へと向けた。
そして一句一句丁寧に、だがどこか狂気のような感情を込めながらも口早に言葉を紡いでゆく。
「『原初は無、回帰せよ。
現世の一切は一時の夢。全ての事象は常世の闇に飲まれゆく。
無へと帰せ!! 《虚無・改》!!』」
リングのような円状の白く透明な法陣が右手を中心に形成され、詠唱を紡ぐと同時に突として法陣が耳鳴りのような音を立てながら収縮を始める。
そして手のひらで掴み取れる程に法陣が小さくなった頃には光の粒子が集まった集合体のような物へと移り変わっており、詠唱が終わると共に粒子の集まりのようになりながらも続けられていた収縮が止まる。
刹那、拡大拡散させながら前方の黒い矢へと向かって収縮した魔法陣が光速で放たれ、前方へと駆け抜ける。
そして、空間に何かが吸い込まれるような音が壮絶に響き渡り、同時に先程使用された魔法の影響によって周囲一帯が光に包まれる。それに続くように瞬間的だが暴風も吹き荒れる事となった。
時間が経つと共に光は徐々に収まっていき、数秒後にはすっかり視界も元に戻っていた。
そして双眸に飛び込んでくる光景は先程の攻撃によって抉られたのか、壁は勿論、床も巻き込んで円形の大穴がごっそりと空いていた。
床に至っては10階程下に位置する部屋が姿を露にさせており、さらに天井までも抉れていた為、嵐のような天災が過ぎ去った後だ、などとも思える光景へと早変わりしていた。
だが、これだけの破壊を撒き散らしたにも拘わらず瓦礫などは一切存在していなかった。
言葉で表すならば消滅。そうとしか言いようがない魔法――まさに規格外。
目の前には魔王へと止めを刺す際に活躍をしていた視認不可能だった壁があった筈なのだが、一切の意味を成す事なく床や壁、黒い矢等と共に消え去っていた。
そんな光景を眺めながら、少し前に発動させた《氷にて閉じられし棺》という魔法によって出来た棺が楓の壁となって守ってくれているだろう。それに俺の背後にいる筈だから直接の影響は無いし大丈夫だな。などと思ったりしていたのだが未だ少々酔っていた為、殺意が向かないようにと考えを直ぐに消して視線を亀裂から姿を現した男へ移す。
破壊を撒き散らす魔法を使わせる原因となった奇術師風の男は先程の攻撃に巻き込まれたのか、右肩から先、加えて右太股の一部を失っていた。そしてそれらの外傷の影響か苦痛に顔を歪め、苦悶といった呻き声を上げながら蹲っていた。
言うならばそれはまるで抉られたかのような傷口だった。
対して魔王は居た場所が良かったのか、ひしゃげてしまい見る影もなかった玉座とは違って無傷だったが例え催眠などにかかっていたとしても先程の魔法を間近で見た後では戦意も湧かないだろう。
先程の破壊を撒き散らした張本人は顔面蒼白――マナ欠乏症に陥っていたのだが、酔いがまだ覚めていないのか未だ瞳をギラつかせて凶暴な笑みを浮かべていた。
そして俺は何かを吐くような素振りをみせた直後、口から大量の血を吐き出した。
血に酔っていた俺の頭には考える、という当たり前な事が浮かんでいなかったのか本能のまま――ふと考え付いてしまったmpを大量に必要とする魔法を後先考えずに使ったが為に酷く疲弊してしまっていた。
だが、そんな体に鞭打って未だ左手で掴んでいた刀の柄を力強く握り、虫の息となった奇術師風の男に止めを刺す為に歩み寄る。
しかしその足取りはどこか危なく、押せば倒れそうな程に弱っていた。
そして数十歩程度で彼の目の前にまで移動した俺は心臓目掛けて一突きをしようと、刀を持っていた左の手を前へ突き出した。
が、突き殺す前に突如轟音が響き渡った。
結果、心臓を貫く事に失敗し、左腕と心臓の間――左脇辺りを突いてしまう事となった。
恐らく、扉を魔法か何かを使用するなりしてこじ開けた事で響いた轟音だったのだろう。
少し前までは扉だったであろう物が俺の直ぐ近くに飛び散ってくると共に砂煙が巻き上がり、部屋を包み込んでいく。
砂煙の影響で轟音を響かせた元凶の姿どころか、前すらもまともに見えていなかったのだが、身体強化を使用していた事で五感などの機能が向上していた俺には視界を悪くさせた張本人達の会話が耳に届いていた。
「アハハハハハハ!! 新人ちゃん、多分ここがお目当てだった魔王の部屋だよ!! 裏ギルドの上からの指示で魔王城へ調査に行けって命令された時は気分最悪だったけど、この混乱に乗じて上手くいけば歴代最強とまで謳われた魔王と殺り合えるかもしれないんだよ? 今は気分爽快!! 気持ちが高ぶってきたぁ!! ……あ、そう言えばさっきスッゴい音してたけど何が起こったんだろうね?」
「五月蝿いわね、私は魔王なんかに興味は無いの。そんな無駄な事を口にする暇があるなら貴女も伊織を探しなさい!!」
「わーお、本当に新人君の事しか考えてないねぇ。ま、一途も良いと思うけどあんまり度が過ぎると愛が重い。とか言われて振られちゃぎゃああああああぁ!! 痛い゛!! 痛い゛!! ぜ、全然重くないです!! 普通でした!! 正常でした!! 寧ろまだ愛が足りないくらい!! だ、だから離して、骨が折れるッ!! 折れちゃうからッ!!」
「ふふっ、そうよね? まだまだ愛が足りないわよねぇ……あぁ、伊織に早く会いたい……抱きつきたい……匂いを嗅ぎたい…「うわっ、それってもう変態だよ、変態。早く自分の考えを改めたほうがああああぁ!! いだい゛いいいぃ!! 何でもないです!! 何でもないですからッ!!」余計な口出ししないで貰えるかしら」
背後から妙に聞き慣れた声が聞こえてきたが、それに構わず目の前の奇術師風の男を殺そうと刀を振りかぶる。だが、その直前に耳へと飛び込んで来た言葉によって斬り殺す事を阻まれた。
「はぁ、魔王の子供の言葉を全面的に信じてるってわけではないけれど……伊織って絶対厄介事の渦中にいると思うのよね……あ、
――――伊織みーつけた♪」
巻き上がっていた砂煙が徐々に晴れていく中、何故かその言葉が妙に響き、頭の中を反響する。
そして言葉を耳にした数秒後に俺の酔いが突如覚め、頭の中がとってもクリーンな状態になった。