断らない
「……おい、どこへ行くって?」
早朝、SYOUのマンションを訪れた哲夫は、さっさと身支度をする彼に問いかけた。
「哲っちゃんも知ってる場所。これも仕事だろ」
「待て、三日後までに役作りしてこいと現場で言われたんじゃないのか。いくらなんでも断れよ。お前、優先順位があるだろ」
「……」
「断れないのか。俺から社長にかけあってやろうか」彼の言葉には明らかに怒気が含まれていた。
「社長は関係ない。今度のは断れる」
「なんだって。じゃあ断れ」
「断らない」
「SYOU!」
SYOUはショルダーを肩にかけると、目で机の上の紙袋を示した。
「あのおばはんの真意がどこにあるのか知らないけど、一応脅しだと受け取ったよ。俺の身柄がどういうことになっているか、見ればわかると思う」
「あれが、何だって?」
「じゃあ、お迎えの車が来てるんで」
「おい!」
肩にかけた手を、SYOUは一振りで振り切った。
乱暴に閉められたドアを呆然と見つめたのち、窓に駆け寄って下を見ると、見慣れない高級車が道の先に泊まっており、それに乗り込むSYOUの姿が見えた。
哲夫は途方に暮れてソファに座り、そして机の上の紙袋を開けて、中から一枚のDVDを取り出した。
見ろってことか?
……どこかの豪華な家の中。これは、居間か?
青紫のショールを巻いて、見慣れた灰色のセーターを着ているSYOUの、無表情の視線の先に立つのは、あの宝石女と、そして、彼女の背後に立っている三人の男。
なんだ、こいつらは。
次のシーンではもうSYOUは服を着ていなかった。あの女は画面のどこにもいない。いたのは最初に見た三人だけだった。そのうちの一人に乱暴に顎を掴まれて唇を塞がれるシーンから始まって、冒頭の三分間を見ただけで、哲夫は再生を止め、自分の口を押えた。
そして鞄を掴むと部屋を飛び出し、車で事務所に向かった。
「社長、ちょっとお話があります」
開いたままのドアをノックしながら乱暴に社長室に入ってきた哲夫を、関岡は新聞から目を離して見上げた。
「なんだ、ずいぶんな剣幕だな。SYOUの見張りはどうなったんだ、また逃げられたか」
哲夫は社長を睨みつけると、どさり向かい側のソファに腰を下ろした。
「SYOUの身に起きていることについて、どれだけ見当がついていらっしゃいますか」
不躾な質問に、関岡は新聞を置いた。
「なんだ、いきなり」
「彼を巡る取引です。SYOUは何もわかっていない。わからずにただ自分のミスとしてすべてを受け止めています」
「それは当然だろう。自分の落とし前は自分でつけてこそ大人を名乗る資格があるってもんだ」
「過去のある自分を受け入れてくれた。そういう負い目があるから彼は従順です。今度のことも彼の落ち度だ。だが、少し酷すぎやしないですか。権田組とあの澪子という女性がSYOUにしていることを……」
「一介のマネージャーのお前が口を出すことじゃない」
さっさと幕を引こうとする関岡に、哲夫は食い下がった。
「僕の役目は彼が心身ともに充実した状態で仕事をこなすことができるように持っていくことです。だから質問する権利はある」
「問題ない。今現在、お前も彼もよくやっている」
「取引は無視ですか。彼はあそこに二度と行かずに済むとお思いですか。 女性のところにも、ハニー……」
関岡は手を上げて制した。哲夫は口をつぐむと、失礼、と小声で言い、そして言い直した。
「彼はまだ二十二だし、いろいろあって精神的に不安定になっています。これ以上道具みたいに扱ってやる気を奪えば、芸能人としての輝きも能力も失ってしまう」
「そこまで無責任でも弱くもないさ」
「弱い?」
哲夫は息を整えて語気を荒げた。
「なにがあったかわかっていてそうおっしゃいますか。彼が何も言わないから無視するんですか。枕営業とやらを当然のこととしてこういう世界に飛び込んでくる女たちと彼は違う。あいつはただでさえ普通の二十二歳より相当屈折してる。あんな目に遭わせれば方向性を見失っても仕方がない」
「そこまでにしとけ。少なくともお前さんよりは俺のほうがSYOUをよく知ってるよ」
「本当にそうですか? 接している時間では少なくとも……」
「あいつを何も知らない生娘みたいに思ってるのか。彼のことはある男からの情報でもう十二ぐらいの時から知ってるんだよ」
「じゅうに!?」
哲夫は面食らった。初めて聞く話だった。小学生か、中学生?
「十二か十三か忘れたがそのあたりだ。とにかく普通じゃない、カリスマ的な魅力のある子を見つけたから、まずは手に入れて演技をさせるといいと旧知の男にアドヴァイスされた。写真もビデオも結構な量を持っていたよ。見ただけでなるほど逸材だとは分かった。だがそのあとSYOUがそいつと連絡の取れない状況になってそのままになっていた。学園祭のニュースが流れたとき俺はすぐに気付いた、そして奴からも連絡があったんだ。あれが例の子だ、今すぐ手に入れろとな。 そして彼はここに来た。運命というか、めぐりあわせを感じたね」
「……写真やビデオって、その男は彼の何なんですか。小学生のときにスカウトでもしたんですか」
哲夫の問いには答えず、社長は続けた。
「お前さんが彼のことを思いやっているのはわかる。だが、俺は俺で彼のことは大事に育てていこうと思ってるんだよ。歌は世間の耳目を引くいい効果があったが、本題はこれからだと思ってる。彼は役者向きだ。今は手持ちの感情を爆発させる程度の芝居だが、いい監督に鍛えられればどんどん奥の深い芝居ができるようになるだろう」
「いい監督とやらにつてでもあると?」
「だからいっただろう。十二の晶太を発見したその男だ」
「……」
「今はまだ彼も待っている段階だ。いずれSYOU……晶太が人間的に成長すれば、彼のほうからいい話を持ってくるだろう」
哲夫は混乱した頭でしばし黙り込んだ。今まで自分に見えていなかった、SYOUからも一度も聞かなかった過去が、その輪郭だけを揺らして自分の前にいきなり立ちあらわれた気分だった。
「それなら」
意を決したように、哲夫は言った。
「それならそれで僕も協力します。彼の可能性の為に。だから聞きたいんです。権田組がSYOUに要求していることに何の意味と価値があるんですか」
社長はサングラスを外した。
「お前、正直、……惚れてるよな。あいつに」
「そう思ってもらってもいいですよ」
社長はしばらく黙っていたが、決心したように口を開いた。
「聞けばお前さんの身が危なくなるような話でも、聞く覚悟があるか」
「望むところです」
「よし、これからの話は命がけで聞け。外部に漏らせばそのあとの保証はない」
社長は声を落とした。
「いいか、腹をくくれ。俺たちはもう後には引けないんだ。
ハニー・ガーデンの顧客リストはおそらく日本政府を揺るがす爆弾だ。あそこに監禁されて客を取っている少女達の年齢が、正体が、そしてそれを買っているそうそうたる連中のキャリアと身分が外に漏れれば、おそらく現政権は倒れる」
「………」
哲夫は聞いた言葉を頭の中で復唱し、そして血の気が引いていくのを覚えた。
「俺はたまたま裏世界に少々つながりもあるから噂で知ってはいた。だまし討ちであれ、あそこで少女たちの客になれば、そしてその事実が明るみに出れば、たとえ総理大臣でも後ろに手が回る、そういう場所だ。SYOUは半ば強制的にそのリストに加えられた。一度目は強制だと言い逃れても、二度足を運べば言い逃れはできない。あの澪子という女は、ある宗教団体と権田組をつなぐ鍵だ」
「宗教団体?」
「R会。信者数はいまや数百万、芸能界や政治の世界、裏世界やメディアにも絶大な影響力を持っている。お前もよく知っているだろう。表向きの代表は土光巌、だがあの澪子という女は闇の部分を引き受ける裏の代表の妹だ」
「まさか……」
「だから、だ。外に漏れれば命取りとはいったが、漏れるべき『外』のおもなアタマを、そこの幹部はハニートラップで手に入れている。抱えている部屋もおそらくSYOUが向かわされた一か所じゃない。あちこちに拠点があるんだろう。花園のメンバーは多ければ多いほど、影響力があればあるほどいい。彼らが属している団体や企業、あるいは芸能事務所ごと意のままにできるからな。
最初は女たちの年齢素性を知らせずに接待を受けさせ、あとで身動き出来なくさせる。それが連中の手だ。SYOUのように、いずれさらにカリスマ的な人気を得る可能性のあるスターも、網にかけておけばいろいろと使えるわけだ。これは嫌な推測だが、芸能界に居場所がなくなれば、いずれ接待されるほうでなく、する側に回す心づもりもあるかもしれん」
「……」
「だがとにかく、あの花園の元締めが強大であればあるほど、俺達はヤバく、また機密性においては安全でもあるわけだ。わかるか」
おかしいと思わない、哲っちゃん。
あんな大手企業が、指定暴力団の言うことなんて聞くものだろうか。
……なぜ俺があの花園とやらにどうしても行かなければいけなかったのか……
SYOUの疑問はもっともだった。おそらく、企業のトップに限らず、警察幹部、議員バッジを胸に付けた連中までが、あの秘密の庭を通じて繋がっているのだろう。
哲夫の胸を、すでに手遅れの後悔の念が黒々と覆い始めていた。
断れ。
……断らない。
止められなかった……
関岡社長は今までに見たことがないほど鋭く真剣なまなざしをして、哲夫の耳元に囁きかけた。
「……俺達は後戻りできない道に足を踏み入れた。だがこれ以上ない強力な後ろ盾ができたともいえる。彼が大きくなればなるほど、SYOUを手に入れた連中はその影響力を歓迎するだろう。彼のバックアップに尽力も惜しまないだろう。
SYOUの宿命は、愛されることだ。愛され続けることで、彼はサバイバルできる。不特定多数の愛と人気と金を享受して生き続ける、それが彼への報酬だ。お前の仕事は、彼を曳航することだ。嵐の海から、華々しい名声の港へとな」