思えば願いがかなうなら
「話はここじゃなくちゃいけないのか」
「いえ、周囲が見渡せる場所ということで選んだだけですし、人目もないようなのでベンチに移りましょうか」SYOUは櫻田にそう答えると先に立って春楡の木陰に歩み寄った。
二人で腰かけたベンチの背にはプレートが付いており、寄贈した市民の言葉が刻んであった。
「きみと会い、語り、過ごした日々に感謝。一緒に見た公園をこれからはここから一人で見ます。天国で待っていてください。S・Y」櫻田はトラックに並ぶ照明にぼんやりと照らし出された文字を読み上げるとひとこと、「泣かせるね」と言って腰かけた。SYOUも文字を追うと、櫻田の隣に腰掛けた。
「さあ、何から聞きたい」
「まず僕の逮捕状についてですが、毛髪が一致したことで死体遺棄の疑いをかけられているということですか」
櫻田は背もたれに身を預けると足を組んだ。
「ハンドルとドアから指紋を拭き取った形跡があった。それでかえって遺棄だけではないのではないかという疑いをかけられてる。残念ながらトランク部分から検出された指紋がきみの私物……CDプレイヤー等から検出されたものと一致したんだ。加えてあの車の走行記録で、爆発事故のあったマンションから樹海まで運ばれたということがわかった。つまりきみは爆発事故……本庁で事故と思ってるやつはいないが……の核心にふれる人間、つまり、犯人そのものに限りなく近いと思われている」
「犯人……」
思わずつぶやいた言葉に、櫻田は手にした煙草を下に向けてSYOUの顔を見た。
「犯人でないなら、ショックはお察しするよ」
「では動機は」
「きみが依頼した件を調査中、ビルから落下して死んだ探偵は、あのマンションを張り、ある少女の行方を捜していた。存在そのものが外に出てはならない少女だ。つまりきみはその少女に思い入れるあまり、その住処を爆破して当人を連れ出したというシナリオが成り立つ」
「樹海の死体は」
「マンションの部屋をガードしていた中国人ということで辻褄はあう」
「……」
「あの場所に関しては、いわる芸能人のちんけなやり部屋で、きみはそこで出会った少女に懸想した阿呆。とそういうことで落ちがつくわけだ」
「つまり今逮捕されればその線で自白を迫られるわけですね」
「まあそうだろうな」
前髪をかきあげながら俯くSYOUに、櫻田は続けて言った。
「警察の連中も、誰もかれもが裏の事情を知っていて隠ぺいに協力しているわけじゃない。上層部からそれ以上捜査はするなと言われれば解散し、追及しろと言われれば追求するだけだ。だがきみを手中にできれば上の連中は必ず出て来る、そして管轄がどこだろうときみを攫ってあることをしつこく追及するだろう。
行方不明の少女、教祖の娘の黄月鈴が生存しているのは、世界中の隠れ信者に影響を与えたあの画像で確実になった。
彼女は今どこにいるのか、誰とともにあるのか、そして顧客データは。きみはどこまで彼女とかかわり何を知っているのか。それがわかるまできみは自由の身にはなれないだろうし、それをしゃべったところで無事でいられるかどうかも分からない。がきみの身は確保されねばならない」
「……もうひとつ聞いていいですか。詩織から聞いたんですが、あなたには、組んで仕事をしていた相手がいますよね」
「菊地か」
「彼のことがいまいち不透明で分からない。彼の正体は何なんですか。あなたに近い人間ということなら、この話も彼へ抜けますか」
櫻田はそこでようやく煙草に火をつけた。
「表向きは外事課の刑事。俺の学生時代の同級生。だがぶっちゃけ俺の推理を言えば、彼は若いころからそう育てられた共産党のスパイで、外事課に潜り込むのに成功したネズミだ。そして今は多分、張家輝に飼われている」
「……張!?」SYOUは思わず声を上げた。
「なぜそうだと……彼に飼われていると?」
「以前から菊池のことは胡散臭く感じてたんで、実は一年ほど前、彼のかみさんに餌を投げてみたんだ。ご主人が本当はどういう仕事をしているかご存知ですかと。中国の諜報員だという噂がある、身辺に注意したほうがいいとね」
「……そういうやりかたこそ外事警察の常とう手段と聞いてたんですが、あなたも相当ですね。家族をゆさぶるとか、越権行為でしょう」
「自分の足を使ってあちこち入り込むのが僕のやり方でね。きみの叔母さんにも多分それで嫌われた。でまあ奥さんも、自分に都合の悪いことはみんな中国語でしゃべってる旦那の電話の内容とか知り合いとかいう連中の正体とか気になっていたらしく、こっそり中国語を学んで内容を聞き取れるようになったんだ。で、ごく最近になってわかったところが」
「あなたにいちいち報告していたんですか」
「彼女も怯えていたんでね、信じられる相手がほしかったんだろう。
聞き取れた電話の内容がこうだ。銀行振り込みでないほうがありがたいです。では直接お会いして、……弟君のデレク氏によろしく。あと二つの収入源とは縁を切ります。あなたを裏切ったなら、あの信者たちのようになろうとも怨みはしませんよ」
そこまでいうと櫻田はふうっと煙を吐き出した。
「僕は今は奴と組んではいない。多分あいつは近いうち警察にも辞表を出すだろう。というか出したら決定的だな」
SYOUは目の前の紫煙を見ながら忙しく頭を働かせた。ヤン・チョウがなぜ菊池を雇う? 彼は俺のすることには一切口を出さないと言った。リンを手にした今、これといって裏で動く必要はない筈だ。彼を雇ってさせたい仕事があるとすれば……
「どちらにしろ、きみは中国にとっても日本にとっても厄介な存在だ。リン同様、逃げ続けるなら追われ続けるだろう、どこまでも」
膝の上で組んだ両手を解き、SYOUは軽くため息をつくと櫻田の顔を見た。
「……ありがとうございました。あなたにとってなんの益にならないことなのに、ここまで腹を割ってくださったことに感謝します」
「じゃあ見返りを期待しちゃいけないのかな」
「まさかその見返りが逮捕じゃないでしょうね」
「きみが逃げ隠れしながら世間から身を隠しているのは、しなければならないことがあるからか。そういったな」
「ええ」
「……誰のためにそれをやる。それだけ教えてくれないか」
地面を見ながらしばらく考え込むと、SYOUはひと言ひと言自分で確認するように言った。
「……愛する女性の、魂のためです。それとやはり、自分自身の魂のために」
櫻田は満足そうに笑った。
「それを聞いて安心した。どうやら悪いことじゃなさそうだ」
「できればちゃんとお話したいんですが、申し訳ないですけれどもあなたという人の立場と意志がいまいち掴めないので。あなた自身を信用しないわけではないですが、バックはやはりバックですから。逮捕状の出ている僕をこのまま逃がして、得られるところがあるとは思えない」
「ではこちらからもいわせてもらおう。僕自身の魂のために」そういって携帯灰皿に吸殻を押し付けると、ひとつ咳をして櫻田は言った。
「きみも十分知っていることだと思うが、現政権はじき倒れる。明和党から民自党へ政権が変わったら、尻に火がつく連中が山ほどいるだろう。僕はそのときに向けて署内に正常な判断のできる仲間を増やしている。きみは現状では逮捕を免れることはできないだろうが、そのさきは情勢次第というところだ。まさか命ごと握りつぶされるようなことになるほど、日本の警察は根まで腐ってはいないと僕は信じている。
さて、ここまで聞いても話してくれる気になれないか」
SYOUはトラックの向こう側にちらちら光る、散歩中の犬の首輪の赤いライトを見ていたが、やがてぽつりと言った。
「ではひとつ言いましょう。
その政権崩壊に向けて、存在していては困る人間、だけでなく場所も始末されようとしている。だが、建物も命も、そのままでは消えてくれない。力仕事です。そしてそれを止めるのも、力仕事です」
櫻田は少しの間、ただ黙って隣のSYOUの横顔を見ていた。そして視線を空に移すと中空の冴え冴えとした月を見た。
やがてどちらからともなくゆっくり立ち上がったとき、月は再び夜の鱗雲の向こうに姿を隠していた。
「……いい夜だった。きっと、生涯忘れないだろう。次に会う時もいい顔でいてくれ」
「“穏やかで、親密で、印象深い”夜でした」
SYOUの言葉に、櫻田はにやりと笑った。
「お互いにね。こういうときに言う言葉かどうかわからないが、手向けに言っておこう。
GOOD LUCK」
固い握手を交わすと、二人はそのまま背をそむけ、運動公園のトラックを、それぞれ反対方向に踏み出した。
深夜の児童公園のベンチで、別れの手紙とは名ばかりの「映画のシナリオの走り書き」を読み終わると、詩織はため息をついて手元の缶ビールを飲んだ。
読まずに捨ててくれと言われたその手紙を、自動販売機の下から引っ張り出したときから、もちろん読まずに捨てる気はなかった。この自分を納得させるためにどれだけの単語を並べて来るかと思ったら、内容は荒唐無稽な映画の構想。これが、あの追われる日々の中、SYOUがコツコツ書き溜めていたものだとしたらいろんな意味で驚きだ。
ストーリーの一つはこうだ。何不自由なく暮らしてきた資産家の令嬢が、ある日家を飛び出した。大学で犯罪心理学を勉強しているうち、自分がどちら側の人間かはっきりしたのだ。親と縁を切り、恋人と別れ、女は自分の宿命と心中するために殺し屋を目指す。
女を武器に荒くれ男を落とすのもいとわない彼女は、ヤクザに雇われて稼ぎを上げる。そしてある日、事務所の金を持ち逃げしたスターを捕まえることを命じられる。彼は死ぬために逃避行を続けていた。女に下ったミッションは彼の自殺を止めること、そして現場に復帰させること。そのためには「生きたい」と彼に思わせなくてはならない。自分自身の生への欲望を見つめ直しながら、逃避行を続けるスターと女の極北の恋物語が始まる……
「きみは女優になるために生まれてきたような人だと思う。一緒にいてそれがつくづく分かった」と、SYOUは書き綴っていた。
「きみの勇気も潔さも、女優として世間にあまねく伝播させたなら、どれだけの傑作が生まれるだろう。ぼくは何としてもきみにそうあってほしいと願う。だがこんな僕に説得されるきみでもないことはわかっている。それでも、読んでほしいものがある。
“思考は現実化する”というベストセラーがあったよね。僕も今そう信じている。きみは必ず世界的な名女優になる、そしてフラッシュに囲まれてレッドカーペットを歩くんだ。若宮さんは一読してお前にはシナリオライターの素質はないと言ったけれど、それでも僕の妄想内では僕は名作家できみはアカデミー女優だ。
きみの才能を僕は信じている、そして毎日想像している。きみが、見た人一人一人にとって決して忘れられない映画のヒロインになる日々を。僕の想像が現実化する日を、こうして虚構の物語を書きながら、僕は信じてやまない。……」
長い手紙を閉じて、詩織はため息をついた。
そんな想像なら、わたしもしたことはあるわ、SYOU。
毎日思っていたの、わたしはリンとSYOUとの間で自分がどうなったらいいと思っているのだろう。わたしのポジションはどこだろう。
SYOUとともにリンの夢をかなえる? あるいはリンを助け出すために戦う?
どっちも違う。わたしの中では、リンもSYOUも同格なの。
わたしは、あなたたちとともに戦いたい。リンと手に手を取って、同じ敵に立ち向かいたい。SYOUとともに戦いたい。
それがかなうと考えただけで、体の芯から震えがくる。
あなたの夢とは全く別の次元で、わたしは陶酔感に浸っている。つまりわたしはあなたとは、同じ夢が見られないらしい。
それでも、あなたの夢は嬉しい。あなたのために、その夢が叶ったらいいと思う。でもわたしがともにいたいのはあなたたち。わたしは今自分を主人公に、ものを考えることができない。
でもSYOUの頭の中で、わたしを主役にしたストーリーが展開されていたのは、もうそれだけで死んでもいいほど、泣きたいほど、嬉しい。
思考が現実化するなら、これも現実化するかしら? わたしとリンが手に手を取って、SYOU、あなたともに未来のために戦うという夢は……
壁に下げられたダーツの的に向かい、楊は斜め位置のミドルスタンスから矢を構えた。
イーでアドレス、アルでテイクバック、サンでリリース。(*)
中心のブルズアイにどんと刺さった矢がそれまで刺さっていた矢を跳ね飛ばすと、無表情で拳を握り、また次の矢を手にする。
「おもしろいのかそれ」卓上に視線を向けたままSYOUが言うと
「おもしろいよ」淡々と答えてまた矢を構える。
「あんたこそもう、趣味の脚本書きはやめたのか」
「もうやめた」
「なぜ」
「もう意味がない」
「あの気の強いお姉さんが主人公か、それともリン様か。どちらにしろ確かに意味はない。想像の世界は自由でいいよな」
SYOUは顔を上げると、楊に言った。
「いいかげん詩織に絡むのをやめないか」
「おやおや。会話もしちゃいけないのか? あんたの女でもあるまいし」
「これから俺達が立てなくちゃいけないのは命がけの計画だ。彼女もそれなりの覚悟で参加している一人だ、まず彼女に敬意を払ってくれ。きみは有能だが彼女が認めないなら、きみとこれ以上腹を割ることはできない」
「おかしいな。最初は俺の意見に同調してくれたはずなのに」楊は薄く笑いながら、矢を持ったままテーブルに来てSYOUと向かい合った。
「目的にブレのない俺と、俺の仲間と、きみにぶら下がっているだけの女。あんたにとって有用なのはどっちなんだ、俺たちだろ。姫扱いしなきゃいけないような参加者の前で命は張れないな」
「詩織は姫じゃない、俺が彼女の命を惜しんだ結果座を外されて機嫌を損ねただけだ。それよりきみは女性に対する常識と礼儀というものをまず身につけてくれ」
玄関ドアのがちゃんという音に、SYOUと楊は同時に廊下に顔を向けた。若宮監督はちょっと根回ししてくるといって出かけたままだ。詩織はいったん実家に帰ると言ってここを出たのが昨日のこと。楊の態度に相当腹を立てていたし、戻るには早すぎる。
「ビールいる?」
赤い顔をして袋を抱えて入ってきたのは、出て行った時の服装のままの詩織だった。ごとんと二人の目の前に紙袋を置くと、どんどんと卓上にビールを並べ始める。
「もう実家から帰ったのか」
驚くSYOUの横で、楊は陽気に言った。
「こいつは嬉しいな。一本貰おう」
「あんたはこっちのほうがいいんじゃない」
詩織は陶器のマオタイの瓶を楊の前に置いた。
「どういう風の吹き回しだ。毒でも入ってんじゃないだろうな」
「さあねえ」
「おやじさんには会えた?」SYOUの言葉に、詩織は充血した眼を上げた。
「家にはいなかったわ」
詩織は粗末なパイプ椅子に座ると、テーブルの上に並べたビールのうちの一つのプルトップを引き抜いた。そしてそのまま缶を額に当てると、数秒黙って目を閉じた。SYOUと楊は、二人黙って次の言葉を待った。
「……九道会のやんちゃなお兄ちゃんが、家に暴れこんだんですって」そう言うと赤い唇を開いてひと口飲む。
「九道会……」
「このことはどこにも漏れてないと思う。権田組と、九道会が請け負った仕事の機密と一緒にね。わたし自身、それを知っているなんて口が裂けても言えない。父の組の組員もこの仕事については知らない。それを丸投げしたこと自体、父にとっては恥だと思う。だから、その仕事に抗議して若い衆が暴れこんだことにも、責めはなかったのよ」
「ちょっと待ってくれ。おやじさんに会えなかったなら、そこまでのことをきみは家で誰に聞いてきた?」
詩織は黙ってSYOUの顔を見た。SYOUもまた沈黙のうちに、その名を察知した。
「……まだ、あそこにいるのか」
「どこかで考えを整理してたらしいけど、結局戻ったのね。父は追い払ったつもりらしいけど、もういいと思うの、どこにいたって」
「内緒話か」楊は薄笑いを浮かべながら言った。
「俺が関連する話題になったら言ってくれ、あっちでこいつをいただいてるから」マオタイをの蓋を開けると、なみなみとコップに注ぐ。
「じきに重要な話になるぞ」
「じゃあ酔いが回らないうちにしてくれ」
ダーツの前に移動しながらコップの中の液体を飲み干す楊に舌打ちすると、SYOUは言った。
「それで、……計画についての話をしたのか。きみから?」
「知っていることがあると切り出したの。そうしたらわかったみたいで、女二人だけが知っている事実があるというのも痛快じゃない、と言ってあとはあけすけに。といっても九道会に投げてしまったから、計画の詳しい中身は不明。九道貴一は割腹未遂をしでかした若衆を引き取りに来て、失礼を詫びた後、いったそうよ、うちの組のもんが被る泥については、こちらの落ち度で組にあけた大穴と相殺するにしても、この先代紋しょって生きることもでけんほどの痛みが残る。銭金じゃない、渡世の義理でもない、ここんところに男として落ちをつけてもらえん事には、仕事が終わった後の連中の暴走まではわしは手が回らんかもしれんです、と」
「……」
「もともと武闘派と言っても阿呆の集団だから、きっちりした計画なんか立てられるわけもなし、これが失敗してことが表に出たら、権田組そのものは泥は被らずに済んでもさらに拡大した被害をこうむるだけだけと、彼女はいってたわ。あちらからしてみればあくまで権田組に命じたことになってるしね」
「最初の計画では、日にちをずらして各ガーデンの少女たちを移動させることになってたな。ひと目のつかない場所へ」
「ええ、いっぺんにどうにかするにはひと目もあり人数もいるからと」
SYOUは下を向いて考え込んだ。
「つけ入る隙はありそうだな」
「どこにつけ入るの? まだ計画もたってないのに」
「……その計画段階から手を入れさせてもらう」
「どうやって?」
そのとき、玄関のチャイムが鳴った。
「次から次へと」
SYOUは立ち上がって覗き穴を覗き、ドアを開けた。よれよれの帽子をかぶった若宮がおおあちい、と言いながら汗を拭き拭き入ってきた。
「鍵持っていくの忘れてさ。あれ、詩織ちゃん」
「ただいま」
「また早いご帰還で。ほう、いい土産があるな」
監督はテーブルの上からSYOUの顔に視線を移すと、声を落として言った。
「無事出してきた。いま印刷する」
「頼みます」
部屋の隅でプリンタをいじり始める監督に、楊が声をかけた。
「なんだそれ。写真か?」
「まああっちにいっとけ、これから説明もあるだろ」
「楊さん、こっちへ来てくれ。具体的な話をしよう」SYOUはテーブルの上を片付けると、景気づけだ、と言ってビールを四本それぞれの位置に置いた。
やがて数枚の紙を大事そうにファイルに入れると、監督もテーブルについた。
SYOUは全員にグラスを持たせ、それぞれにビールを注いだ。そしてのこりを自分のグラスに注ぐと、言った。
「これからはいざこざの種は各自飲みこんでくれ。
ここにいるのは、ここでしか共有できない秘密でつながったかけがえのない仲間だ。
改めて言う。目的意識や価値観は違っても、忘れないでほしいことがある。俺たちが守ろうとしているのは、命だ。イデオロギーじゃない。自分達が救おうとしている命には、顔がある。この世にたった一つのそれぞれの命がある。
それをきちんと見て、心に留めておいてくれ。
これはヤオという男から預かっている資料の中にあったデータを印刷したものだ。
俺たちが手を差し伸べなければ消えてしまう命と顔。これがそのすべてだ」
監督の手元のファイルを持ち上げると、SYOUはなかから4枚のA4サイズの光沢紙を並べて言った。
一枚ずつガーデンの名前が書かれ、五人ずつ少女の写真が印刷されていた。
写真の下には、それぞれの名前。
シャオラン、メイリー、リーフィ、パイメイ……
皆黙って身を乗り出し、写真の少女たちを見つめた。拉致されてから撮ったものか、髪に花を飾り化粧を施されているが、一様に悲しげな表情をしている。
「年齢は?」詩織が尋ねる。
「下は十二から上は十七まで」
「バツがついているのは何だ?」今度は楊がたずねた。
「ガーデンにいた少女から聞いた話では、泣きつづけているうち姿を消した子もいるという。医者に診せることの叶わぬ身だし過酷な環境だから、おそらくは命を落としたんだろう」
おさげ髪の少女と髪を団子状に結い上げた少女の上についたバッテンに手を伸ばし、詩織は口元を押さえた。×は全部で三個。
「俺たちが動かなければ全員の顔の上に×がついてすべては終わる。
楊さんにとってモチベーションは説明する必要もない、そして俺にとっても全員がリンで宝琴だ。
しょせん今地球上にいる顔の見えない難民同様、個人的に縁なき命だという迷いや疑問があるのなら命まで投げ出すことはないと思うんだ。けれど、今これを見て、自分の魂に根底から問うてみて、やり遂げることに迷いがないなら、一緒にこのグラスを飲み干そう」
監督は真っ先にグラスを持ち上げると、言った。
「さっきからおかしいな。お前誰に向かってしゃべってるんだ?
ここには姿の見えない客でもいるのかな。俺の目には詩織ちゃんと楊さんと俺とお前しか見えてないんだが」
SYOUは苦笑した。
「こういおうと決めてたんだよ。しいて言えば、自分に」
「じゃあ言い終わったんだから、さっさと飲み干そうぜ」楊が言う。
「SYOU、音頭をとって」
詩織に言われ、SYOUはグラスを持ち上げて言った。
「では、それぞれの魂のために」
雑居ビルの陰気な部屋の中で、四人は各々目を閉じ、琥珀色の液体をそれぞれの喉に流し込んだ。
(*)中国語でいち、に、さん