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Blood Queen
作:新矢 晋



09.うたかた 弐


 それは現か夢か、過去か未来か。たゆたう幻実は、『始まり』を紡ぐ――


 ――男は死に瀕していた。銀色の髪はくすみ、元は上質な絹だっただろう服も焼け焦げたように破れ、そこからのぞく肌は醜く焼け爛れていた。
 ……だが、食い入るように前を見る真紅の瞳は、未だ生命の輝きを失ってはいなかった。

「『地獄の釜』とは、よく言ったものだな……海を渡るなんて、無茶をしすぎたか……ッ」

 咳き込む度、赤黒い塊が砂浜に落下する。握った拳で口元を拭いながら、男は這いずるように前へと進んでいた。
 ――波の音が、ひどく耳障りだ。それを拒絶するように、意識に靄がかかってゆく。
 男は砂浜に倒れ伏した。浅い呼吸を繰り返し、そのまま眠りにつこうとした……その、時。

「生きているのか?」

 降ってきた、凛と通る少女の声。うっすらと瞳を開いた男の視界に飛び込んできたのは、――白。
 僅かに首を傾げて男を見下ろしているその少女は、絹糸のような真っ白い髪を腰の辺りまで下ろしていた。肌は血の色が透けるほど白く、ぱちぱちと瞬いた瞳は深い紅色をしていた。
 少女はどこか大人びた、近寄りがたい雰囲気を纏っていたが……ふ、とその雰囲気がゆるんだ。
 そして男の瞳を覗き込み、口元を緩めて、こう言った。

「お前、変わった目の色をしているな。……私と、同じだ」

 少女がしゃがみ込み、こちらに手を伸ばしてくるのを感じながら、男は再び瞳を閉じた。
 ――そして、再び瞳を開けた時男の視界に入ったのは、見慣れない天井だった。
 目だけを動かして周囲を見回すと、やはり見覚えの無い部屋。起き上がろうとした男は、自分の服が着替えさせられている事、怪我が手当てされている事に気が付いた。
 見慣れない型の服だった。止め金の類がひとつも無く、胸元で布が閉じ重ねられて、腰に幅の広い布製の帯が巻かれている。
 そして、皮膚の焼け爛れた部分には軟膏のようなものが塗られて、白い布で覆われていた。
 置かれている状況を理解出来ないまま、男は床に直に置かれた寝具の上から起き上がる。全身に痛みはあったが、海辺で意識を失った時よりは幾分ましになっていた。
 部屋の出入口らしい、男には違和感のある横に滑るようになっているらしい扉の前に立つと、向こう側から複数の人間の声。

「姫様はいつもそう。何もかも全てご自分一人でお決めになる」

「あのような何処の馬の骨ともしれぬ異人、何故お拾いになどなられたのです……!」

「私と、同じ目の色をしていた」

「……は?」

「だから……」

 扉の向こうの会話が途切れ沈黙が訪れた所で、男は静かに扉を開いた。そこにはまた部屋があり、何人かの人間が座って話をしていた。――というよりも、一人の少女を二人の大人が言い包めようとしているのだが、当の少女はまるで平気な顔をしているという不思議な図式。
 大人達は男が着せられているのと似た服を着ていた。ひとりは男性、ひとりは女性。乱入した男を、驚愕の表情で見ていた。
 一方の少女は、海辺に居た時よりも鮮やかな色合いの、男が着せられているのと型は似ているがもっとたっぷりと生地を使った服を着て、長い白髪を背の中程で束ねていた。そして、男に気付くと一瞬口を開きかけたが、結局何も言わずに口をつぐんだ。
 ――静寂。それに耐えかねた男が口を開こうとした瞬間、『それ』は現れた。
 ずるり。壁を、物質を無視して、異形の生物が部屋へと侵入した。
 それは男の知る『龍』に似ていたが、より細長く蛇に似た形状をしており、黄色い爬虫類じみた瞳が白髪の少女を見つめていた。
 ひらり、と黒色の鱗が煌めいて、その異形は少女へと襲い掛かった。……否、襲い掛かろうとした。
 咄嗟に、本当に何の思惑も無く、男が異形の首根っ子を片手で鷲掴みにしなければ、それは少女を鋭い牙で切り裂いていただろう。
 異形は身体を捩り暴れたが、その抵抗も男の片腕で易く封じ込められた。
 その一部始終を見つめていた少女は、ゆっくりと口を開いた。

「……お前、『それ』が見えるのか?」



 ――この出会いが、喪失への始まりにしか過ぎないなんて。
 女は、未だゆめうつつにぼんやりと思った。熱があるらしく、ひどく喉が渇いている。
 傍らの机に置いてある水差しからグラスに水を注ぎ、口をつける。温い水が僅かに喉を湿すが、気分は良くならない。
 ……何故だろう、自分の存在がひどく希薄になっているような気がする。
 私は……紅環希、紅家の当主。その筈なのに、何処かの誰かが私を『私』という存在から引き剥がそうとしている。
 身に覚えの無い筈なのに、何の意味も無い夢の筈なのに、胸の奥がずくん、と鈍く痛む。
 女は――環希は、ひとつ溜め息を吐いてから寝返りを打った。
 ……もうすぐ戦が始まるというのに、身体も心も不調では話にならない。
 汗ばんだ肌に服が張り付くのに不快感を覚えながら、環希はきつく瞳を閉じて、眠りについた……。












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