ジンクス
SSバトル企画 参加作品です。
投票募集期間期間 :2009年 6月15日〜6月22日
企画の説明:
読者参加型企画です。
執筆陣はお題に即したSSを書き、それを投票してもらうことで優劣を競います。
詳細は企画サイトの『概要・ルール』をご覧ください。
この小説の対戦相手は「黒木猫人」さんの『雨に唄えばそののち』です。
作品検索は「SSバトル企画」「置き傘」からどうぞ。
雨降りの午後。
誰もいない教室。
体育の授業を抜けだし、ショウコ少女のロッカーの前に立つシンジ少年は、今の自分が絶対に失敗の許されない状況にいることを改めて実感した。
彼は今、意中の人の置き傘を盗むためにここにいるのだから。
男女が相合傘をするとその二人は結ばれる。
彼の小学校ではやっているジンクスが発端だった。
決して頭のできが良い方でない彼は彼なりに、精一杯に頭を使って計画を練ったのだ。
不可抗力で、相合傘をせざるを得ない状況を作り出す計画。
つまり、彼女の置き傘を盗むのである。
決意してから彼は毎日、天気予報をかかさずチェックしていた。
何故なら少年は、午後から雨が降る日と午後から体育がある日が重なる日を、計画を実行する日に選んだからである。
前者は、彼女に普通に傘を差して登校されない為。後者は、盗む段での効率を良くする為。
前者に関しては、そもそもその傘を盗めばいいじゃないかという話になるかもしれないが、そうはいかない。
彼女はいつも、お気に入りの傘を差してくる。なので、その傘がなくなった日には、クラスを巻き込んだ騒ぎにもなりかねないのだ。
それに、この学校は折り畳み傘を含めた置き傘を禁止しているので、彼女の方も過剰反応が出来ないというアドバンテージもある。
それと、そもそも彼と少女が二人で一緒に帰るという状況自体がそれ程奇異ではないのだ。
彼女の友人は全員が正反対の方向の通学路で通っているし、彼自身も二人で帰ったことすらあるのだ。
果たして、テレビの天気予報は明日がXデーであることを告げた。
瞬間、ドキリと心臓が高鳴り、夕食を口に運んだ箸を咥えたまま彼の体が固まる。
彼にしてみれば、いよいよ明日に天下分け目の戦いを控えることになったのである。
――ホントに、ボクはやるの?
そう他人事のように思う一方で、体の芯から変な震えが起こるのを自覚しないではいられなかった。
翌日、眠れぬ夜を過ごした彼は、天気予報通りの曇り空を見上げて、
――ああ、ボクは今日、ホントにショウコちゃんの傘を盗むんだ。
と、量り知れないほどに重い罪を作り出そうとしているのだろうと思った。
それは、何十年後には笑い話に変質するであろう、しかし現状の彼にすれば深刻な悪事であった。
しかし、この時の彼にはまだ余裕があった。何故なら、いくら予報通りに曇り空だからと言って、これから予報通りに雨が降るとは限らないからだ。
ところが給食の時間。雨が振り出したのを目撃した時。いよいよ彼は青くなった。
そして結局、次の体育の時間は体育館でやることになった。これも、彼が計画していたことだ。
生徒たちが嬉々とマット運動をやっている中、彼は青い顔でその場に立っていた。
本来、彼はタイミングを見計らって席を外す予定だった。
しかしこの時、彼は全く動けなかった。いや、動きたくなかったと言うべきかも知れない。
彼は、ここで動いたら、後戻りが出来なくなる気がしたのだ。ここから席を外す時、自分は好きな子の傘を盗む大悪人になる。
しかしまた、他でもない彼自身でショウコと相合傘をすることを望んでいるのだ。
その二つの相克する思いに苛まれ、彼はボウっとしていたというわけだった。
「ねえシンジ君、どうしたの?」
背後から声をかけられたのはその時だった。ビクッとしながら振り返ると、ショウコが立っていた。
「い、いや、なんでもないよ」
「でも顔色悪いよ? 大丈夫?」
ジイッとこちらを覗き込むような視線にすっかり参った彼は、半ばやけくそ気味に、
「ちょっとお腹が痛くてさ。トイレ行って来るよ」
そう早口に言って、少年は早足で体育館を出てしまった。
――こうなったら、とことんやってやる。
それこそやけくそになった彼は、駆け足で教室に入り、冒頭に戻るというわけである。
彼は手を震わせながらロッカーを開ける。
すると、彼女の私物に混じって、ピンク色の折り畳み傘が入っているのを確認した。
彼は生涯で一番といっても良いくらいの俊敏さで折りたたみ傘を盗って、自身のランドセルの中に入れた。
――やった!
かつてない達成感が、少年の胸を打った。
これで後は、彼女が傘がなくて困っているところに声をかければ良いだけである。
先ほどまでの不安が嘘のように、彼の足取りは軽くなった。
しかし、彼が曲がり角を曲がろうとした時、他でもない、ショウコとばったり顔をあわせてしまったのだ。
「ど、どうしたの?」
先ほど自分のやったことが去来した彼は、胸をドギマギさせた。
「……その……わ、私もトイレ……」
気持ち、彼女の顔が必要以上に赤くなっているように見えた。トイレに行くと言うのが恥ずかしいのだろうか。
後、少年はここでやっと、先生に許可を取らないで体育館を去ったことに気づいた。
「後、先生ね、シンジ君のこと怒ってたよ」
少年は先生にこっぴどく叱られた。
いよいよ放課後がやって来た。
帰りの会が終わって、生徒達は各々帰ったり教室に残ったりする。
彼は彼女がロッカーの前で立ち往生をしているのを確認してから、意気揚々と自分のロッカーを開けた。むろん、自分の分の置き傘を取り出すためだ。
しかし、ロッカーの中に置き傘――折り畳み傘が入っていなかった。
馬鹿な、と思いながら、彼はその場に固まる。
――まさか置き忘れてた? いや、そんなはずはないよ。だってボク、毎日ちゃんとここに入ってるのを確認したはず――
ポンッと、彼が背後からショウコ少女に肩を叩かれたのはその時だった。
「シンジ君、傘がないんだったら、私と一緒に帰らない?」
少女の右手には、彼が盗った物とは違うタイプの折り畳み傘が握られていた。それは、彼女のランドセルに最初から入っていたものである。
結果オーライという奴なのだろうかと、少年は思った。
周囲の視線を感じながら、彼はショウコ少女と二人で一緒に帰っていた。
「この傘小さいから、あんまり離れると濡れちゃうよ?」
と彼女が言うので、彼は傘のそばに――つまり、かなり体を密着させながら歩いていた。
少年はとても恥ずかしかったが、しかしとても不思議な幸福感を覚えたのも事実だった。
「……ね、ねえ、本当にボクとこんなことして良かったの?」
気がついたら彼はそんなことを聞いていた。今でも、何となく信じられないからだろう。
「何で?」
「その……相合傘すると……」
彼女はキョトンとしていたが、やがて薄く顔を赤らめて俯いた。
「うん……その、シンジ君だから、良いの」
「……ごめん!」
気がついたら、彼は言葉を発していた。彼は、絶対にこうしなくてはいけない気がしたのだ。
「え?」と戸惑う彼女を尻目に、彼は言葉を続ける。
「ボク……実は、相合傘がしたくて、傘、盗んだんだ」
そう言って、彼はランドセルから彼女の折り畳みを取り出した。
「本当に、ごめん」
絶望的な気分で、沈黙の中で頭を下げ続けた少年。
やがて彼の耳に響いたのは、意外なことに明るい笑い声だった。
「いいよ。その傘も、あげる」
信じられない、と言う表情で少年は顔を上げた。
どういう訳か、少女の表情はうれしそうにすら見えた。
「いや、あげるって?」
「だって……お互い様だから」
そう言って、彼女はランドセルから、青色の折り畳み傘を取り出した。
それは、シンジ少年の折りたたみ傘だった。
「なんかちょっと嫌なところで、心が通じ合っちゃったね」
そういってショウコは、バツが悪そうに――しかし、どこか照れくさそうに、微笑んだ。