2 クドーver.
空を見ていた。
そこから一枚の白い羽がふわりと頬をなでて落ちていくような気がして。
そしてそれを落としたのは白鳥のような羽を持つ天使のような気がして。
彼女が、この大空を、俺の頭上を、通り過ぎてくれるような気がして。
「は?何やて?クドー。スマンけど、もう一度言うてくれ。最後まで聞こえんかった」
「だから、天使を見たんだ」
いつものように羊を一つの群れにまとめる仕事をしていた俺は突然の親友の来訪に喜んだ。
手紙も人も遣さずのことだったが、それが彼らしさを物語っていた。ヤツと会うのは2年ぶりだ。いろいろ話すこともあったけれど、一番最初に聞いてもらいたいことがあったんだ。・・・今まで誰にも話すことのなかったこと。2ヶ月前に「見た」彼女のことを。
「何言うとんねん、自分、夢でも見たンちゃうか?」
「夢じゃない。・・・確かに、彼女は」
「せやかてお前は・・・目ぇがっ」
焦ったように、動揺したかのようにヤツが小さく叫んだ。しかし、俺が断固として変えない視線を見て、ヤツは信じられない、というような表情をした。
「・・・ホンマに、見えたんか?」
「ああ」
何年かかったって、『見えるもの』が『見える人』にはわからないだろうけど。
俺は小さく苦笑しながら、あのときの記憶を思い返していた。
何も見えない闇の中で、俺は気配だけを感じていた。
優しく香る温かい空気。華のような吐息。緩やかな流れ。
手を伸ばせば触れられるような、そんな感触。
でも、その場所は同じ視点ではなく少し高い位置にあって、頭上で自分を優しく見下ろしているような、そんな気がした。
『僕はクドー。・・・君は誰だい?』
人間じゃない。そうどこかで理解っていた。
幽霊なのか、妖精なのか。・・・生身の体を持たないもの。
けれど少しも怖くなかった。声が聞きたいと思った。
それなのに。
彼女はとうとう少しも声を出すことはしなかった。
ふわり。
頬に柔らかい羽毛が優しく撫でる。
温かいぬくもりを持って、まるで綿毛のように柔らかくて。しなやかで。
一瞬見えた、彼女の表情。
白い肌、すらりとした青い瞳に長い睫。形のよく小さな鼻に、ぷっくりとした唇。
真っ白い洗い立てのカーテンのようなドレスに身を包み、そこから飛び出る白くて細い手足。
そして、大きな翼。
色覚なんてとうに忘れてしまったのに。人の表情すら遠い昔に置いてきてしまったのに。
こんなに、明瞭にその人の顔が目蓋の裏に現れて。
俺は、彼女に恋をした。
きっと彼女は地上に降りた天使。ふらりと遊びにきた心優しい少女。
手の中にあるその感触が、彼女がいた証。
けれど、それを布に包ませようとポケットから端切れ布を出した瞬間、その羽は跡形も無くなって―――
彼女の証は自身の中から消滅した。
それはきっとサヨナラを告げるメッセージ。
俺はそう解釈した。
けど。
「俺は諦めが悪い男でね」
俺は、クックッと低く笑った。
好きな女がもうきっとこの世では会えないのならば。
「待つしかねーんだ」
「待つ?」
訝しげにヤツが俺を窺い見る。
「あぁ、彼女が人間になれるまで。だって俺が天使っていうガラでもねーだろ?」
羽に天使のわっかなんて俺にはきっと似合わない。
「せやかて、そんなんきっと気の遠くなる話やで?ひょっとするといくらクドーが待っとっても、そのねーちゃんが人間になれへんままかもしれへんやんか」
「それでも、俺は信じたい」
彼女にいつか、会えることを。
その声を聴けることを。
その体を抱きしめられることを。
「そんな風に考えたら、待つことなんて全然苦じゃねーだろ?」
俺はにっこり笑ってやると、ヤツは「ホンマクドーは相変わらず変わったやっちゃなぁ」と豪快に笑った。 |