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ブレインハッカー
作:篠田 一郎



二話


 事務所ではテイシンが無聊を囲っていた。最近大きな仕事がないせいで暇をもてあましているのだ。小さい仕事では主に電話番や受付係。様子を見るに、今日も予約の電話はなかったようだ。経営状態は逼迫している。この針灸院をたたむのは時間の問題だろうか・・・
「お帰りぃ、先生。お土産は?」
 黙って大根を差し出すと、今夜は自炊ですねー、と彼女は嬉しそうに流しへ向かった。大根の煮物がテイシンの好物なのだ。
「あれ、この子は?」
 黙っていると・・・・・・機嫌が悪いんだよ。経営状態のせいではない。・・・・・・テイシンはこちらの様子をうかがって、それから、こんにちはー、と少女の前へしゃがみこんだ。
 妙な気がした。まるで十年前のテイシンと今のテイシンとが並んでいるような錯覚。そうか。あの頃のテイシンはこんなに小さかったんだな。
「お名前は?」
 少女の相手をしているテイシンを置いて、流しへ向かった。大根の千切りをさかなに日本酒を飲むのが好きなんだ。
 少女の相手はテイシンにまかせればいいだろう。子供は子供同士話し合えばいい。親がわかれば返せばいいし、そうでなくてもいい。
 戸籍なんぞあってないようなこの街だ。名前と生い立ちを作り上げて、どこかで生きていくだろう。本名は、いつかまともな人生を始めるとき、惚れた相手ができたとき、そんな時に必要なものではあるが、それ以外では、特にこの街では、百害あって一利か二利しか返って代物だ。
「先生、これ」
 しばらくして、テイシンは紙きれを差し出した。たどたどしい字がすみっこに書いてある。
 めいひ
 中国系か、それとも朝鮮系か。名かあざなか。わからないがどのみち日本名ではない。平仮名を使う辺り、それに年齢からして、日本育ちか。
「喋られなくなったんだね。なにがあったかは聞いてないけど」
 テイシンはうつむいた。
「ちょっと変なんだ。親のことを聞いたら、いきなり震えだして、泣き出して」
 馬鹿。それを先に言え。
 なるべく慌てた様子を見せないように立ち上がり振り向くと、少女は泣きはらした目でテイシンのセーターを握りしめていた。
 しゃがみ込んで少女の頭を撫でようとすると、彼女はおこりにかかったように震えだし、テイシンのセーターを掴む手にますます力をこめた。その顔にあらわれた初めて見せる表情・・・おびえ。
 親というキーワードで生まれた恐怖。目の前で殺されたか?あるいは親に虐待された?
 どちらにせよ、幼い子供が抱くには、あんまりにも残酷な表情だ。
 機嫌がますます悪くなっていく。自覚はしているがどうにも抑えられん。
「セーター伸びちゃうよ」
 そんなことを気にしているのかお前は、とテイシンの顔を見上げると、凄まじい怒りの表情と出くわした。少なくともセーターのことで怒っているんではあるまい。そんな空気。あ、ちょっと機嫌の悪いの、抑えられそう。
 ともかく少女に刺激を与えないよう、事務所を出ることにした。大人がいたのでは身体検査もままならない様子だったからだ。
 やはり、子供のことは子供にまかせるべきだ。
「あたしはもう子供じゃないよ」
 人の心が読めるのか?そう聞くとテイシンにまわし蹴りをくらわされた。


 この世には悪党が多すぎる。
 あの少女になにが起こったかわからないが、そいつを起こしたやつは間違いなく悪党だ。
 もちろん、悪党がいるなら善人もいるはずだ。が、彼らはほとんど表に出てこない。野菜売りのばあさんなんぞ例外中の例外だ。
 なぜか?
 どんな善人でも悪党のフリをして、あるいは悪党の庇護を受けて、そうでなけりゃ生きていけないからだ。善人ですと看板を掲げれば途端に骨のズイまでむしゃぶり尽くされる、それが世の中だ。あの老婆のような強い心か、あるいは悪党をねじ伏せる強い力か、どちらかがなければ、生きてゆけないからだ。
 サテ。
 少女の身体検査もそろそろ終えたろう、気持ちも少しは落ち着いたかな、体に傷でもこさえていれば事態もあらまし見当がつくんだが、と考え考え喫茶店を出て、おっちらおっちらと戻った事務所は、荒らされていた。
 二人はいなかった。












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