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コポォエッセイまとめ

売れている有名一般文芸作品という存在


 異世界転生・転移、恋愛ときた。

 次に流行するのは……もしかしてエッセイなんじゃないんだろうか?

 ……なんて脈絡も無く、ボーっと妄想をしている筆者。


 フェフオウフコポォと申します。


 さて、今日も今日とてエッセイをば。

 今日は『売れている有名一般文芸作品という存在』をネタに書きたいと思います。


 はじめに、この内容に関しましては、あくまでもエッセイ。

 個人の主観のまま書き綴ったモノであり『私はこう思った』というモノでしかなく、言っても仕方がないことを、ただただ述べる愚痴ですので、その旨ご了承をどうぞ宜しくお願い申し上げます。


 では、本題に入りたいと思います。



 『売れている有名一般文芸作品という存在』



 こんな内容を書こうと思ったのは、当然ながら『売れている有名一般文芸作品』なる本を読んだからでございます。


 こういった書籍を読むと、不思議なもので『読んだ証明』のようなモノが欲しくなり、読みました! という情報を発信して、その欲求を満たしたいが為だけに筆を取りました。

 相も変わらずなんと強欲な事なのでしょう。


 私は以前に、ライトノベルを買って読んだことが無い的なエッセイを記し、その流れから『WEB小説書いてるのに読んでないのもオカシイよね?』と、ライトノベルを買って読むようになりました。


 作品傾向は縛らず興味の沸いたものを色々と買っては積み、買っては積み、気が向いた時に積んだ中から読んでいます。おかげ様で読み物に対しての経験が増えているように感じてきたある日、友人と肉を食いながらの会話の中で最近読んだ本の話になりました。


 そこで私は、友人が一段暗い顔をして口を開き感想を述べた書籍に少しの興味を惹かれます。


 1冊は


 『誰でも知っている賞を受賞した本』


 1冊は


 『著名作家の本』


 私はライトノベルばかりを読んで一般書籍から離れている気もしていたので、今、一般書籍を読んだら一体どんな思いを経験できるのだろうと思い、早速先の週末に読んでみたのでございます。


 ……ワクワクしながら……正直なところ友人の勧めという強迫観念も半分持ちつつ、腹を決めて『誰でも知っている賞を受賞した本』を開き、流れくる活字に乗って、流され、そして飲み込まれてゆきました。


 そして流され終わって本を閉じ、目を閉じる。


 読了後の感想を表現するなれば



 『?』



 どうぞ、私の理解力の無さを笑ってください。


 ええ。疑問符。

 首も捻ってました。


 『?』


 有名作品を読み終えて、ただただ『え?』ですよ。 ハハッ(高い声)



 具体的な感想として『誰でも知っている賞を受賞した本』は、読み終わって『不完全な主人公が某巨大掲示板に居そうな人と出会った作品』に思え、読了後の感じる思いは感動ではなく


 『戸惑い』


 『こういう人間もいるのだろう』という困惑などの行き場のない気疎い感情が生まれ、それを反芻して現代の何かを考えてしまう……とか、そんな高尚な考えの戸惑いではなく。


 むしろ単純に


 『……だからどうした?』


 という気持ち。

 そして疑問符しか頭に浮かばないという緊急事態にも戸惑う私。


 もちろん荒探しをするような気持ちで書籍を手に取ったつもりはありませんし、否定する事で気持ちよくなる感情が分かるからこそ、出来るだけ否定をしないように心がけて普段の生活をしているつもりなので、むしろ好意的に解釈しようという方向の気持ちを持っていました。

 長い付き合いの友人の勧めも悪い物ではなかったので、どちらかといえばかなり好意的な感覚を持って本を広げたと思います。


 なのに、浮かぶのは疑問符。


 文は一人称でキャラクターを追うのは楽しいし、文章の作りは、やはりプロなのだと感じさせてくれる。

 でも、その中、文章の中に


 『何を見せたいのか』


 が、まったく理解できなかった。


 読解力のある方々は


 『裏にあるメッセージ性』

 『現代の病』


 などを捉え、私の感想を見て半笑で『受け取り手の頭の出来しだい』と言う人もいるのだろう。

 だけれど、私には疑問符しか浮かばなかった。


 読了後の印象を例えるならば、まるで


 巨大な綿埃を投げつけられ、その中に埋められたような感覚――


 描写の中、文字の中に見せたいだろう点、伝えたい思いが散見し過ぎて結局見えないような感じしかしなかった。

 だから疑問符の意味は


 『わかった。わかったから。結局のところ何が言いたいんだよ』


 それしかなかった。


 頭の中にそんな疑問符しか浮かばず、読了後によりはっきり浮かび上がる疑問符の数々に最後のページ以降を何度も捲って広告しか続かない事も確認したし。続刊なのか? とも考えた。

 なぜなら終わり方がライトノベルの続刊のソレ――『まだまだ先は続くんじゃ』とも取れそうな、個人的に未完の終わり方だったからだ。

 だが、続きはないし、完結している。



 消化不良。



 そしてそんな気持ちのまま『著名作家の本』を取って読み始める私。


 ……が、その本も序盤を読んで展開に『唐突過ぎるだろ』『脈絡なさ過ぎ……というか無理ないか?』という印象を受け、現代でリアルに想像できるが故に『いやいやいやいややっぱり設定がオカシイだろう?』という気持ちが頭の中から払拭できず、根本の設定が引っ掛かって読むのが苦痛になってしまい、なんとか読み進めても結局『苦痛になった』という印象が大きく広がるだけ。


 内容に関しても『某掲示板のまとめサイトの不幸ネタに登場する人物を4~5人組み合わせただけ』に思えてくる始末。


 そう思えてしまうと全てが安っぽく見え、辟易とした気持ちで最後のページをめくってからが、また衝撃だった。


 あとがきがあり、ようやく作者の意図が少しでも読めるのかと思ったら、なんと作者以外の方が作品を読んで語るあとがきで、その内容は書籍に関する絶賛文。

 それを目にし、大先生様に対するおべっかを見たような仄暗い感情と『なんで良作と思わせて好意的に締めくくろうとしてんだよ』と鼻をつまみたくなるような気持ちと苦痛が生まれ、本を閉じた後は眉間に皺を寄せながら息を吐くことしかできなかった。


 2冊続けて陰鬱とした思いに占められる私。


 苦痛になりながらも最後まで読めるというところは、やはりプロなのだろうし、自分には到底マネのできる物ではない技術を感じる。


 けれど、この華々しい賞を獲得した作品や、有名作家の先生は一体何を伝えたかったのか。

 読者にどう感じて欲しかったのか。

 読み終わって何を考えて欲しかったのか。


 感情や訴えを見るのが好きな方だと思っていたのに、ソレすら理解できなかった自分という存在が理解し難く、私に浮かぶのは更なる疑問符だけ。


 これが売れているという事は購入する大半の人はメッセージを読み解き、それに感動なりをしたのだろう。だが、私にはそれは理解できなかった。


 そしてその事実が私をより一層、不安にさせる。


 ――WEB小説やライトノベルは、それらのメッセージが尖っていて分かり易い。


 『とにかく楽しもうぜ』


 『ストレス解消』


 『人生を大切に』


 『友情っていいよね』


 『恋は最高』


 そんな分かり易いメッセージに慣れてしまった私が悪かったのだろうか?

 読んだ売れている一般書籍のように、ぼかしてフワっとした、どうとでも取れそうな、それでいてカバンの中で絡まったイヤホンのような状態のメッセージを理解できない私は不良品なのだろうか。



 ……私が読んだ本は間違いなく『売れている本』なのだろう。

 日本で売れている一般文芸書。

 普通のライトノベルよりは売れている本達。

 一般に広く、そして大きくウケ(・・)ている本なのだ。


 間違いなく お金を出して 欲する人が多い 本 価値ある書き物 なのである。


 ……だが、私はソレを読み終わって


 『誰でも知っている賞を受賞した本』より、

 『著名作家のちょっと前の本』よりも


 『雨の日のアイリス』の方が、数十倍面白かったし、読んで良かったと思うし、敢えてこの本を人に勧めるような気持ちにはなりはしない。そう確信する。


 そう確信してしまうと、本の『合う』『合わない』もあるのだろうけれど、生来の(ひね)くれ者な私は、一つの考えに至る。


 そもそも一般文芸書とライトノベル比較すべきではない存在ではないのかもしれない。

 似ていても全くの別物の書籍なのだろう。


 そして私はライトノベルの層に染まりすぎて、一般文芸の世界には入れなくなってしまったのではないだろうか。ニッチの世界に入り込みすぎて、その世界の考え方が染みついてしまっているのではないだろうか。と。


 一般文芸書の市場の方がライトノベルの市場と比較しても圧倒的に大きい。

 数年前のデータを少し覗き見ただけで5倍以上の差があったように思う。


 そんな大きい市場で売れている製品が、ライトノベルより面白くないと感じるのは『私がおかしい』か、もしくは『市場がおかしい』かのどちらかだ。


 当然、私がおかしいのだろう。


 だけれど、私は自分を肯定したいエゴから後者と判断して考えを進め、大きな市場を巡る『製品』として一般文芸書を考え、そして納得をする。


 『広告材料』こそが商品価値を大きく左右するに違いない。


 と。


 今回私が読んだ物を考えてみても、非常に分かりやすいように


 『名立たる賞を受賞』


 『有名作家』



 ――そう。



 他の商品や製品と同じ、信頼できそうな


 『ブランド』


 を買っているのだ。



 友人から勧めがあったという点もあるが、友人が購入したキッカケも『ブランドである』と考えると非常に合点がいく。

 私に該当書籍を勧めた友人は流行り物が大好きなのだ。


 『聞いた事のある賞』

 『聞いた事のある作家名』


 これらの事から『ハズレ』を引く可能性が限りなく低く、面白さが証明されているように感じ、そして万が一『ハズレ』だと感じたとしても、多くの人が読んで評価しているという同調圧力から自然と好意的な解釈に向かう可能性が高い。


 一般書籍とは、その中身より


 『誰が書いたか』

 『どんな評価を集めたか』


 の方が重要なのではないだろうか。

 いや、間違いなく重要なのだ。


 例えるなら


 日本で修業したショコラティエのチョコ。

 フランスに渡り修行したショコラティエのチョコ。


 どちらが美味しそうに感じると聞かれて後者を選ぶのと同じ事。

 日本でしっかり学んで修行して頑張っても、フランスに二泊三日で行ってちょっと体験して冠がついただけの方が価値があるように見えてしまうのと一緒なのだ。


 つまり『一般文芸書』とは、

 中身より前置き。

 そして肩書き。


 いかに『ブランド』を構築し、その力を発揮できるかこそが()なのだ。と。


 私には知り合いのプロダクトデザイナーの言葉で印象に残っている物がある。


 『日本人がどれだけ頑張って説明するよりも、外国人に一言二言喋らせただけで納得する』


 一般書籍の市場もそれと全く同じ事なんじゃあないだろうか……そう邪推せざるを得ない。



 ――そして同時に、



 今、小説家になろう発のライトノベルの書籍化が多いのは、宣伝広告でいうところの『ブランド化』が出来ているからと考えると、これはこれで非常によく納得できてしまう。


 コミカライズで、アニメ化で、印刷される帯で、広告で、『小説家になろう』という単語に、一般の層の人が触れ認知が進み、『小説家になろう発』というブランドが浸透したからこそ、一般文芸を買う層が購入に走るようになった結果、なろう発書籍が全盛を迎えたのではないだろうか。


 そして、もう一つ。

 今回一般書籍を読んで、ライトノベルの方が面白かったと確信したことから、ライトノベルの内容であっても一般書籍のブランドさえ構築出来ているのであれば、一般文芸で売れる可能性を感じずにはいられなかった。


 例えばの話。本当に失礼な話しなので、あ く ま で も 例えばの話だが、ライトノベルからイラストを抜いて、本の形を文芸書のタイプに変え、簡単な箔付けとして帯に


 “ 私に大きな衝撃。そして何事にも代えがたい感動をもたらしてくれた最高の宝物。 ― Randal Tee Mcleod ― ”


 “Amazing! Amazing!! Amazing!!! ― Renjith Afzal Schuler ―”


 なんてつけて、一般書籍の所に並べておいたら、ラノベの棚に置いておくよりも、ずっと売れる可能性があるんじゃないだろうか?

 ちなみに人名は『すごい名前生成器』様のサイトでランダムに作成した人名です。


 上記のようなことを書くと、一般文芸書を買っている方をバカにしているように思われるかもしれないが、どうか許して欲しい。こんなアホくさい事まで考えてしまうほどに、私が読んだ一般書籍作品は面白いと思えなかったのだ。



 ……なんだか、とてもとてもとっても悪く言っているような感じになってきてしまった気もするので、最後にフォローをさせてください。


 もちろん読んだ本を、単純に私が面白く感じられなかっただけであり、読解力が足りないだけなのでしょう。

 賞の傾向や作家の傾向から予め一定の解釈を得ている等、予備知識も必要だったのかもしれません。


 ただ今回一般書籍読んでみて、得ることができた発見もありました。


 さっきまでの言葉と矛盾しているかもしれませんが『一般書籍とライトノベルの差が分からなくなる』という発見です。


 一般書籍は現実が舞台なだけで、展開はファンタジーその物とも言えましたし、登場するキャラクターも居そうに思えても、実際居たとして文中のような行動はとらないだろうし……やっぱりいないだろうと思うような人間ばかりでファンタジー丸出しでした。


 一般書籍の方が現実に触れている世界が舞台なだけあって『具体的に想像しやすくなる』という点くらいの差しかありませんでしたし、もしかするとライトノベルから魔法や世界観の設定を取り除けば、一般書籍になるんじゃないかとも思えました。逆に魔法や世界観の設定を外しているから面白さを表現するのが難しくなるのかもしれ無いかと思うほど。


 世界観設定の有無を考え始めると、また改めて一般書籍とライトノベルの間に壁を感じ始めたりもしますが……ただ、どちらもやはり人を楽しませたり、考えさせる為の読み物であるという事実は共通していると思います。


 今回の私の読んだ物は、眉間にシワの寄るものでしたが、人は読書という物に対して『読んだ時間を無駄にしたくない』と感じる事から、読んだ物に対して何らかの意味・価値を見つけ、好意的に捉えようとする生き物であると聞きます。


 ですので時間をかけて読んだ内容は、本来は良い方向に、なんらかの独自解釈を発見して納得する事が多いはずで、私もエッセイを考える種になったという価値を見出せて心が晴れたような気がしています。


 もしかすると、このエッセイをここまで読んでくれた方も、このエッセイに対しても何らかの価値・意味を見つけようと自然と思考が動いている方もいらっしゃるかもしれません。

 もしかすると、私が書いたブランドや市場についてを真剣に考えてくださっているかもしれません。


 そんな方がいらっしゃったら、大変申し訳ございません。

 『ブランド』だのの部分は、私が書きたかった本質ではありません。

 ただ、単純に私がなんとなく気乗りして書いた、その場の思い付きです。

 本当にすみません。


 私が、このエッセイで書きたかったこと。

 このエッセイにおける本質。


 それは、たった一つなのです。



 最初にも書きました。


 “こういった書籍を読むと不思議なもので『読んだ証明』のようなモノが欲しくなり、読みましたという情報を発信して、その欲求を満たしたいが為だけに筆を取りました”


 と。



 そう。


 長々と書いて、言いたかったことは極めて単純。


 正直な気持ちを以下に記します。




 勧められた本 2冊。

 まったく面白くなかったよ。

 こんちくしょう (j皿j)





読んだ書籍の作品名が気になる方もいらっしゃるかもしれませんが、とりあえずはお答えしないつもりでおります。


ただ

『もしかしなくても、この作品のことか?』

と言われたら


(`・ω・´)


(´・ω・`)


の、どちらかをお返しさせて頂きますです。


ただ、その際はご注意を

私は散々『面白くない』と言ってしまっているので、作品名を出すと暗に『これは面白くないと思った』と言っている事になってしまいますので……


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