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異世界食堂 作者:犬塚惇平(犬派店主)
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オニオングラタンスープ

・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが余り活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・お酒の飲みすぎにはご注意ください。
店に来たら、異世界の酒を頼んでひたすらに、飲む。
それが若い頃から幾多の死霊を冥府に送り返してきた光の神に仕える高司祭にして『ドワーフ殺し』の異名を持つほどの酒豪であるブリジットの異世界食堂での楽しみ方である。
夕刻、質素な夕食を終える頃には、日がすっかりと暮れ、彼女が見守る尼僧たちは各々の部屋に戻って行く。
ブリジットは悠々とそれを見送ったあと、この僧院の院長のみが利用を許される修行場へ向かい、その場所に現れた魔法の扉をくぐる。

チリンチリンと鈴の音が響く音を聞きながら、ブリジットは軽く店内を見渡す。
鳥の肉を肴に西方の戦士や、小柄ながら魚を好みブリジットと同じくらいに飲むドワーフの老婆、それから、いつもロースカツなる料理と共にエールと飲んでいる王国一の大賢者。
そんな、ブリジットの『飲み仲間』がいないかを確認する。
(ふむ、今日はいない、か)
来なかったのか、それとも既に帰ったのか、残念ながら今日はいなかった。
夕刻を過ぎて、元々余り客がいない店からは客が絶えて静かなもので、ポツリ、ポツリと何やら料理を食べている客がいるくらいであった。
(まあいい、これはこれで乙なものだ)
気の置けない飲み仲間と共に飲む酒も美味いものだが、一人静かに飲むのもまた良いものだ。
そう考えながら掃除が行き届いた店の卓の一つに陣取り、そっと腰を下ろす。
「いらっしゃい。ご注文はお決まりで?」
そうするとすぐに枯れた姿ながら強い命の力を感じさせる老人……この店の店主がやってきて、ブリジットに何を『飲む』かを問う。
「うむ、今日は最初はワインで行くとしよう。気分的には、白だな。それから、何かつまみになるようなものを適当に頼む」
さしあたり異世界風の葡萄酒を注文し、ついでに簡単につまめるようなものを頼む。
「はいよ。それじゃあこの前仕込んだオイルサーディン……魚の油漬けでも出しますかね」
店主の方も心得たもので、店に残った材料から、何を出せるかを考えつつ、頼まれた酒に合う肴を選び出し、奥へと引っ込む。
そしてすぐに戻ってきてブリジットの前にそれを置く。
細い足を持つ硝子の杯に注がれた、ほのかに透き通った黄色を帯びた『白』の葡萄酒と、ほぐした魚の肉と白いチーズが乗せられたかための小さなパン。
「うむ、これでいい」
目の前に並んだそれらに満足げに頷き、ブリジットは白い、湯を含ませた布で手を拭い、それから硝子杯をそっとつまみ、杯を傾ける。
口に含めば葡萄酒の、すっきりとした果物の香が鼻を抜け、少しの甘みと酸味を含んだ酒精が喉を潤して通り過ぎていく。
それから、つまみの一つにだけ手を伸ばして、魚の旨みをたっぷりと含んだ油と、普通のチーズより味と食感が柔らかいチーズの味を堪能しつつ、そのつまみの余韻があるうちに葡萄酒を飲む。
ほう、と思わずその組み合わせと、何よりも素晴らしい酒の味に満足した証であるため息が漏れる。
既に食事を終えているブリジットには、普通の料理は多すぎる。
だからこそブリジットはつまみは豆を塩ゆでしたものや野菜の類を生のまま棒の形に切ったものなどの軽いもので、それよりもこの店でしか味わえぬ酒を飲むことを優先していた。
「店主、次の酒……そうだな、ニホンシュを頼む。このつまみにはよく冷えたニホンシュが合うと見た」
葡萄酒……こちらの世界で言うワインを堪能したあとは西方のコメと呼ばれる作物を使って作ったという酒を作った酒を注文する。
あれも葡萄酒とはまた違った意味で果物のような香を帯びており、魚とよく合うのだ。
「はいよ。あんま飲み過ぎると身体に毒ですよ?」
酒を運びながら店主が一言だけ忠告を添える。
「うむ。七日に一度となるとどうしても、な。まあ、気をつけるさ。それにこれでも前より酒を飲む量は減ったのだぞ? この店の酒がうますぎるせいでな」
そんな店主の言葉に、ブリジットは軽く冗談混じりに応える。
だが、それは事実であった。
かつては酒豪として、ただ一つ己に許された贅沢とばかりに晩餐の度に酒を煽っていたものだが、最近は宴に招かれでもしない限りはほとんど飲まないようになった。
美味い酒は、美味い酒を我慢した分だけ更に美味くなる。
そのことに気づいてからは七日に一度のこの日のために安酒は控えるようにしたのである。
「そうかい。そんならまあ、楽しんでってください」
店主の方も、その言葉に安心したのか笑顔で言葉を返す。
「ああ、そうさせてもらおう」
ブリジットの方も笑顔で店主の言葉に応じ、再び酒を飲む。
(うむ、美味い。やはり酒こそ我が人生の潤い、だな)
こういう時は己が『禁欲派』に属していなくて良かったと心から思う。
当時この大陸のあちこちにいた魔王と魔族たちが信奉する邪神を倒したという偉業を成し遂げ、神の下僕たる司祭たちを教え導く立場となった今の法皇猊下を嫌う禁欲派は、未だただただひたすらに禁欲を尊び、ただの一つもこの世の楽しみを知らずに修行に明け暮れて生涯を過ごすと聞いたことがある。
法皇猊下がまだ一介の高司祭として他の英雄と行動を共にしていた頃は、光の神の司祭といえば禁欲派が主流だったとも聞くが、それは法皇猊下が光の神の代弁者となってからの神殿しか知らず、当然のように一年の享受の試練を受ける『享受派』に属するブリジットにとっては、些か信じがたい昔話であった。
(……さてと、そろそろ)
それからしばらく一人で杯を重ね、十分に異世界の酒を堪能したあと、ブリジットは今日はこれで終わりにしようと考える。
「店主。すまないが……そろそろ今日は帰ろうと思う。それでだ、最後にオニオングラタンスープを頼む」
「はいよ。少し時間かかるけど、いいかい?」
何度目かのお替りを持ってきた際に重ねられたブリジットのいつもの注文に、店主は一つ頷いて聞き返す。
「ああ、もちろんだ。これを飲んで待っているから、問題ない」
その店主の確認に、透き通った氷を浮かべた茶色いウィスキーを手に応える。
いつものやり取りを終えて、ブリジットは今日最後の一杯となる酒をゆっくりと味わう。
「お待たせしました。オニオングラタンスープです」
その酒を飲み終えて卓にとん、と硝子の杯を置くのと、店主がそれを持ってきたのはほぼ同時であった。

白く小さな壺に満たされた、大量のオラニエが入った茶色いスープに、チーズを乗せたパンをひと切れ。
それがブリジットが酒をたっぷりと味わったあと、最後の一品として頼むスープであった。
(では、いただくとしよう)
そっとそばに置かれた、よく磨かれた銀の匙を手に取り、ブリジットは熱くなっている壺に触れぬよう注意しながらまずは大量に入れられたオラニエを避けてスープのみをすくい上げる。
銀色の匙に満たされたスープは濃い茶色でありながら濁りはなく透き通っており、芳しい香りを放っている。
酒により渇いた身体に流し込むように、そっと匙を口元にあて、スープを飲む。
(……うむ。染み渡るようだ)
無数の肉や野菜の旨みが凝縮されながらも濁りを感じさせぬ澄んだスープが舌の上を滑っていく。
享受の一年の時に口にした様々なご馳走よりもなお美味と感じさせるたったひと匙のスープが喉から身体に直接染み込んで行く。
その感覚にブリジットは思わず笑みを浮かべた。
オニオングラタンスープの最初のひと匙はスープのみを味わう。
それが彼女の締めの一品を味わう時の流儀である。
次のふた匙目からは、スープだけでなくオラニエも共にすくい上げる。
スープの中に大量に入れられ、スープやパンと共に焼かれた薄切りのオラニエ。
今度はそれを味わう。
極上のスープをたっぷりと吸い込んだオラニエはしんなりとしている。
それを口に運べばオラニエが持つ甘味とスープの旨みが溶け合った味が口の中に溢れ出し、極上の味を舌に残して胃の中へと消えていく。
ほう、と飲み込んだスープの代わりにため息が漏れた。
何度かスープと十分スープを堪能したところで、いよいよオニオングラタンスープの主役とも言えるパンに手を出すことにする。
上に溶けたチーズが乗せられた一切れのパン。
スープを大量に吸い込んだそれは柔らかく、匙で簡単に切り取ることが出来る。
茶色いスープを大量に吸い込んで自らも茶色に染まったパンと、そのパンの上で溶けた淡い黄色のチーズ。
それを口に運び込み、噛み締めれば、柔らかなパンから大量のスープが溢れ出す。
極上のスープに柔らかなパン、それにパンのチーズの風味と脂っ気が渾然としてブリジットに旨さを伝えてくる。
(ああ、美味い。やはり酒のあとのこれは最高だな)
こうして、オニオングラタンスープを味わっているときだけはこのひと匙のために酒を飲んだような気にされてしまう。
そして、最後のひと匙までスープを口に運ぶと共に一人静かな楽しみの夜はゆっくりと終わりを告げる。
店主に金を払い、店をあとにする。

明るい店の中からろくに灯りもない院内で、転ばぬように注意しながら己の部屋に戻る途中、ふと考える。
(……いずれは、あの扉も後任の者に譲ることになるのだろうな)
ブリジットとて見た目こそ若いが大分年を取っている。
さらなる栄達か隠居かは分からぬが、いずれこの僧院を辞して後に来る高司祭に院長の座を明け渡す日も来るだろう。
(まあ、今考えても仕方ないか)
その次の高司祭があの扉をどう扱うのか少し興味を覚えながら、ブリジットは音を立てぬよう静かに己の部屋へと入っていくのであった。
今日はここまで
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