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異世界食堂 作者:犬塚惇平(犬派店主)
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ペペロンチーノ

・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが余り活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・材料の都合上、ご提供できる料理が限られる場合があります。
その日は、いつもより客入りが多い日であった。
「ではな、また来るぞ」
―――また来る。
中身がいっぱいにつまった銀色の大鍋を軽々と抱え上げた『ビーフシチュー』と何度見てもその細身の身体のどこに入っているのか不思議になるほど皿を重ねた『インドカレー』を見送り、ねこやに静寂が訪れる。
「よし、今日もご苦労さん」
「はい。お疲れ様でした。今日はお客さん、多かったですね」
パタンと扉が閉じたあと、二人は一日が終わった開放感に包まれながらお互いに言葉を交わし合う。

ビーフシチューを頼む美女の客(と、最近は彼女が来る刻限まで昼前からずっと居座ってカレーを食べるどう見ても色違いのねこやの制服らしき服を着た、黒い少女)が帰ったら一日の営業は終わり。
時刻は普段のねこやの営業時間の終わりでもある午後九時。店主の住む世界では決して遅いとは言えない時間だが、日が暮れたら寝るのが当たり前の異世界ではこんな夜更けまで起きていることは珍しいらしく、この時間帯を過ぎる頃には主に酒目当てに夕暮れ時から来ていた客もとうに帰り、またこんな時間に訪れる客もほとんどいない。今日はハーフリングと呼ばれる人間の子供くらいしか無いのに大食い選手権に出れそうなくらいの量を食べる客が何人か着たので食材はほとんど残ってないが、あとは目の前の少女に賄いを作ってやるくらいなら、なんとかなるだろう。
そんなことを考えながら、仕事が片付いた安堵で店主は一つ伸びをする。

料理屋の仕事は決して嫌いではないし、やりがいも感じているが、やはり仕事が終わったときにはそれなりに開放された気持ちを感じる。
そんな開放感と共に厨房へ戻ろうとした、そのときであった。

チリンチリンと、来客を告げる鈴の音が響く。
思わず振り返ると、そこには少し埃にまみれた白い服をまとった、茶色い肌と黒い髭と髪の若い男の姿があった。
見ない顔だ。恐らくは今日が初めての客だろう。
「……いらっしゃいませ」
「ようこそ、ヨーショクのネコヤへ!」
とはいえ客は客だ。店主は笑顔で客を出迎える。
「ね、ネコヤ? なんなんだここは? なんで砂漠のど真ん中にこんな場所がある?」
「ええ、実はここは……」
初めて訪れた客にここがどういう場所か説明しながら、店主は考える。
食材の大半が尽きたこの状況で、何を出すかを。

青々と輝く満月の下を寒さに強く、夜でも動きの鈍らぬ駱駝に乗って、旅の商人であるナーデルは警戒しながら歩かせる。
駱駝の上から油断なく、周囲を見渡す。蒼々と染まる砂の中に潜む、この辺りで死んだ屍が未だ生きている己に嫉妬し、動き出さないかと。

古来より、この砂の国の大半を覆う大砂漠に満月が輝く夜は、光と炎の化身たる太陽が人を容易く殺す光を投げかける昼とは違う危険を孕む。死者に襲われ、己も死者と化す危険である。
この広大な砂漠で死したものたちが、正しい弔いを受けることはほとんどない。
そのため、こんなふうに辺りが蒼く染まる、闇と死の化身たる満月が天頂に輝く晩には、あたりの砂から干からびた死者がアンデッドとなって蘇り、生者を己の側に引き寄せようと襲い来る。
(失敗したな。満月の晩の旅を避けられぬとは)
発端は、アテにしていたオアシスの水が枯れていて、別のオアシスまで遠回りをする羽目になったことだった。
それで、満月の前に街にたどり着き、満月の夜は街の宿屋で港街で仕入れた絹を売り払った金でゆっくりと酒でも傾ける予定だったのが狂った。
(せめて日が暮れるまでにはたどり着きたかったのだがな)
街まではあと半日もあれば、このまま行けば朝方にはたどり着ける目算は立っている。
ただただ、満月であることが問題なのだ。
(何やら異様な気配が……うん?)
視界の端にそれを見つけたナーデルが駱駝を停めてそこを見る。
夜の青に染まった砂の上に、黒い扉が立っていた。
(蜃気楼……いや、今は夜だ)
一瞬、砂漠のど真ん中に浮かぶ幻かと考えるも、思い直す。
今は満月が中天にさしかかろうとしている真夜中だ。こんな時間に幻が現れるなど、聞いたことがない。
「……うん。本物の扉だ。しかも、ちゃんと開く、か」
駱駝から降りて扉を触り、確かに実体のあるものであると確認する。
扉はよく手入れされており、満月の光を浴びて黒々と光っている。
真鍮製の取っ手を少し回してみると、鍵がかかっていないらしく、少しだけ開いた。
「……なんだ?かすかに匂いがする。これは料理か?」
扉を開けると、少しだけ匂いが漂ってくる。何か、肉のスープのような香りと香辛料の香り。
その匂いに、ナーデルは思わず唾の枯れ果てた喉をならし、胃袋に空腹の痛みを覚える。
(そういえば今日は干無花果の実しか食べていないな)
水に余裕が無い急ぎの旅であったがために、ナーデルは今日、十分な食事の時間も取らずに旅をしていた。
無駄な汗を流さぬように身体をすっぽりと日よけのマントとフードでおおったまま、駱駝の背の上で干無花果を齧り、貴重な水で流し込んだだけで一日旅をした。
そのため、胃袋にはとうに空となっていた。
その空腹故に、ナーデルは思わず扉にもたれかかったまま、中に踏み込む。
そして、チリンチリンと鳴り響く鈴の音で、思わず我に返るが、遅い。
「……いらっしゃい」
「ようこそ、ヨーショクのネコヤへ」
そうしてナーデルが店を覗き込んだのと、山国の民に似た黒髪の人間の男と、頭に角を生やした魔族の女が歓迎の言葉を紡いだのは、ほぼ同時だった。

音を立てて、砂漠では貴重な、頭が痛くなりそうなほど冷え切った冷たい水を流し込む。
「……おい! 水差しをもう一つ持ってきてくれ!」
乾ききった身体に染み込む、ほのかに果実の香りがついたレモン水は、思わず涙をこぼしそうになるほど、美味い。
見事に整った硝子杯から最初の一杯は流し込むように、二杯目からは身体に染み込ませるようにゆっくりと水を飲み、ようやく水の枯れた身体に潤いが戻ってきていた。
「はい、ただいま!」
ナーデルの言葉に応え、些か肉感には欠けるが踊り子のように足を出した中々に扇情的な衣装を纏った魔族の娘が、すぐに銀色の水差しを持ってくる。
(最初はどうなるかと思ったが、この水だけでも十分に価値があるな)
商人らしく、基が取れるかに敏感なナーデルだからこそ、この取引に満足する。
冷たい水は、街中でも重たい水がめを担いだ水売りが、生ぬるくなった水を粗末な木の椀一杯銅貨一枚で売る程度には『商品』となる品だ。
澄んだ氷入りの冷たい水をこれだけの量を飲めば、ナーデルが店主に払うと約束した銅貨五枚の元は十二分に取れる計算であった。
(まったく、今日はついていた)
ナーデルが聞いたところによれば、ここは異世界らしい。
七日に一度、ナーデルの世界に現れる扉からのみ訪れることができるここは異世界の料理屋で、幾ばくかの金(ナーデルの見立てでは庶民が食う店としては少しだけ高い程度であった)で異世界の料理を食わせるらしい。
だが、この店の主人曰く『今日はもう材料が残ってないので、ペペロンチーノくらいしか出せない』とのことだった。
この店に入るとき嗅いだスープや香辛料を使った料理が食えないのは少し残念だったが、なんにせよ温かい料理が食えるのなら損はない。
干からびた無花果よりはだいぶマシであろうと、その『ぺぺなんたら』を注文したところ、幾らでも水を飲んで良いということだった。
(だが、ぺぺなんとか、とやらはどんな料理なのだ?)
水をたらふく身体に染み込ませ、一息ついたナーデルは改めて自らが頼んだ異世界の料理のことを思う。
奥にあるらしい厨房からは、かすかに油が爆ぜる音が聞こえてくる。
ぺぺなんたらという料理は店主が言うには、小麦から作った麺と豚の燻製肉をトガランとガレオの味と香りをつけた油で炒めた料理、らしい。
少ない材料でも手早く作れて、しかも美味い料理だと言っていた。
(まあ、この店の店主とて相当な腕であることは違いあるまい。変なものは出さんだろう)
そう思い直した頃、奥の厨房から店主が出てくる。
「お待たせしました。ペペロンチーノです」
そう言ってことりとナーデルの前にその料理を置く。
(……ほう。匂いだけでも十分にうまそうだな)
我知らず、ゴクリと唾を飲み、胃袋が締め付けられる感覚を覚える。
輪切りにされた真っ赤なトガランと、薄切りにされた黄色い砂漠の砂の色をしたガレオ。
鮮やかな肉の色をした、細く切られた燻製肉に、鮮やかな緑色のハーブと、皿の底に僅かに漏れた澄んだ黄色の油。
それらが淡い、山と盛られた黄色の麺に散りばめられた美しさと、トガランとガレオ、燻製肉が混じりあった香りにナーデルは思わず高い鼻の穴を広げて、香りをたっぷりと吸い込む。
「それじゃあ、ごゆっくり」
店主が言葉をかけて離れた直後。
ナーデルは傍らに置かれた銀色のフォークを手に取り、猛然と食べだした。
(これは……辛いが、美味いな!)
三股に別れたフォークで麺を絡め取り、口に運んだ直後、ナーデルは思わず傍らに置いた杯を取り、水を飲んだ。
羊の毛を紡いだ糸のように細い麺には上質な黄色い油がしっかりと絡んでいた。
元は臭みの無い最上級の逸品であったことを伺わせる黄色い油にはトガランの辛みがしっかりと染み付いていた。
よくよく見れば、その油には僅かだがトガランの種……トガランの辛さを最も多く含んだ種が浮いている。
おまけにトガラン自体も相当に辛い種類のものを使っているらしく、一見すると少量輪切りにされたものが浮かんでいるだけに見えたトガランの辛味が喉を熱くさせた。
(だが、決して辛いだけではなく……美味い!)
異世界の麺料理は確かに辛い料理であったが、それだけではない。
かすかに焦がされたガレオは香ばしい香りと口の中で砕ける歯ごたえを、香辛料と塩でしっかりと味をつけたあと燻されたと思しき燻製肉は濃縮された肉と脂の美味みを、そして上に掛けられた緑のハーブはかすかながらしっかりとした風味を与えていた。
それに塩気もしっかりと感じるが、その辛みは油にしっかりと溶け込んでいて、柔らかい。ただ塩を振りかけたのではない風味を感じさせた。
(これは油が良いのだな。上等で、油臭さがないゆえに、様々な美味みをとかし込むことに成功している)
そう、この料理の主役は、油であった。
黄色く澄んだ、上質の油。
それは油臭さのまるでない、そのまま飲むことすら出来そうな程な代物であるがゆえに、比較的我の強い食材の数々の味を全て吸い込んでなお、一つにまとめ上げるだけの力を持っていた。
そして、無数の美味みを含んだ上質の油を吸い込んだ細身の麺が美味さを余すところなく口に運び込んでいるのである。
(とはいえ、向こうでも工夫次第では作れそうな品でもあるな)
麺に油、トガラン、ガレオ、豚の燻製肉……いまいち正体の分からぬハーブ以外はどれもナーデルが次に向かう街、砂の国に点在する、決して大きいとは言えない街であっても手に入る代物だ。
無論、この店のものほど美味なモノを作るのは相当な腕前と研究を要するだろうが、似たものならば十分に作れそうであった。
(これの作り方を考えれば、案外商売のネタになるかもしれないな……)
そんな、腹が膨れると共に商人らしく頭を回していくと、やがて皿が僅かに黄色い油の跡を残して空になる。
「すまない!もう一皿くれ!」
その事実に我慢ならず、ナーデルは間髪いれずお代わりを要求するのであった。

蒼い月が中天に差し掛かる頃、ナーデルは砂漠に戻って愛駱駝に揺られ、次の街を目指していた。
(朝までには街に入りたいな……)
腹が膨れ、水をしっかり飲んで疲れを忘れたナーデルは眠る気にもなれずに駱駝を動かす。
日が昇る前に街へと入り、宿屋でゆっくりと一日寝たあと、商売をしよう。
仕入れた絹を売って金を得て、その金でまた商品を仕入れ、また旅をする。
旅の商人たちとカッファを飲みながら、情報を交換するついでに先ほど食べた異世界の料理の話をしてもいい。
そんな、未来への熱意に満ちたナーデルは砂の海をゆっくりと進んでいくのであった。
今日はここまで
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