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異世界食堂 作者:犬塚惇平(犬派店主)
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ビーフシチュー

・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・お持ち帰りをご希望の方はお申し付けください。

以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。
異世界食堂の場合、土曜日の朝も料理の仕込みから始まる。
朝の6時。
店主は自宅である雑居ビルの3階から、食材搬入用のエレベータを使い地下1階の店に下りてくる。

真っ先に仕込みを始めるのが、ビーフシチュー。
特大の業務用寸胴鍋一杯にビーフシチューを仕込む。
炒めた野菜と牛すね肉をじっくりと煮込み、灰汁が抜け切ったところで暇を見て大量に仕込んでおいた自家製の冷凍デミグラスソースを加えて煮る。
じっくり、ことこととひたすらに。

ビーフシチューは複数人で食べるパーティーメニューの類を除けばねこやでは一番高いメニューだ。
と言っても一皿1,000円だが。
大量に作らないとねこやの味にならないので、100皿は取れるくらいの量をたっぷりと仕込むのが、店主のこだわりである。

さて。

ねこや…異世界食堂ではビーフシチューを頼む客は少ない。
元々土曜日は店主1人で回せるくらいしか客が来ないし、多種多様な料理の中から一番高い、銀貨1枚と言う値段の割に説明文はごく普通の料理に見える『牛の肉の煮込みスープ』を頼む客はもっと少ない。
(1度食べて貰えば大抵はその味と柔らかさに驚いてもらえるのだが)
だが、異世界食堂ではビーフシチューが余ることは無い。

なぜならば…



―――来たか。

くん、と鼻を動かして赤の女王は時が来たことを悟った。
腹の下…人間が見れば目を回しそうな黄金の山。
赤の女王がかれこれ1,000年以上掛けて作ったそれの中から、魔力の匂いが漏れている。

赤の女王は漏れ出す喜びを表すように翼を広げて一声咆哮を上げ、黄金の山を割る。
ただの一撃で岩を削り、巨木を切り倒す巨大な爪で世界中を飛び回って集めた大切な財宝の山をかきわける。

―――あった。

やがて赤の女王のお目当てのものが、黄金の山から姿を現す。
魔力を帯びた、黒い扉。
その向こう側からかすかに漏れる香に、しばし陶酔する。

『オヨビデスカ?ジョオウサマ』

そうこうしているうちに、先ほどの咆哮…
主人の呼び声を聞きつけた炎の悪魔バルログの執事が姿を現し、恭しく頭を下げる。
その様子に赤の女王は満足げに頷き、言う。

―――今夜出かける。故に。

ぶるりと赤の女王は身体を震わせ…膨大な魔力を使って1つの魔法を使う。
小さな山ほどの大きさがある赤の女王をすっぽりと被うほどの炎が上がり、赤の女王を包み込む。
その真っ赤な炎は見る見るうちに小さくなり…やがて1人の女を残し、消える。
美しい女であった。
その髪と瞳は燃え盛る炎のように赤く輝き、その肌は磨きぬかれた銅の色をしている。
年の頃はまさに女の盛りといったところ。
そして、炎のような赤の中で縦に割れた、黄金の瞳孔を持つ瞳と、耳の上辺りから生えた、立派な二本の角が女の正体を如実に表していた。
女…変化の術により人の姿を取った赤の女王は芸術的なまでに整った裸体を見せ付けるようにさらしながら堂々とした態度で、命じる。
「ドレスを用意せよ。いつもどおりだ。分かったな」
『ハ。オオセノママニ』

恭しく頭を下げ、主人の命じたものを取りに行くバルログを見送りながら、赤の女王は金貨の上に寝そべる。
「やれやれいかんなあ。
 齢100,000を越える妾がたかだか1日待つのすら歯がゆい、など」
かつて、女王と扉の向こう側との住人の間では、盟約が結ばれた。
女王は、店の最後の客として、他の客が帰ったあとにのみ訪れることと。
女王は人間との約束などなんとも思わない傲慢な存在だが、それだけは守る。
…約束を守ることで、得られるものがあるがゆえに。
そうして、赤の女王は夜になるのをまどろんで、待つ。

『オジカンデゴザイマス。ジョオウサマ』
「うむ」
それから十数時間の後、バルログの声に女王は飛び起きる。
『オメシモノヲドウゾ』
「ああ」
バルログが女王に見事な紅いドレスを着せる。
装飾品の類はつけず、化粧もしない。
…女王自身が何よりも美しいので、必要ない。
「では。行ってくるぞ」
『イッテラッシャイマセ』
やがて準備を全て終えた女王はバルログが運んできたそれを片手で持ち上げる。
巨大な、筒のような形をした、磨き上げられた銀色の鍋。
人間であれば片手どころか両の手であっても持ち上げるのに難儀する代物だが、女王の膂力を持ってすれば、この程度は羽毛と大して変わらない。
軽々と持ち上げて、女王は扉をくぐった。

「来たぞ。店主」
チリンチリンと鳴る、心地よい扉の音を聞きながら、女王は店主に言う。
「いらっしゃいませ。今日のご注文は?」
店主も慣れたもので、女王にいつものように尋ねる。
「決まっておろう。妾の頼むものは常にひとつ」
担いできた鍋を下ろして…メニューを告げる。
「ビーフシチューだ。まずは一皿いただこう」
24年前から決まっている、女王に相応しい素晴らしき料理の名を。

かくして女王は、6日ぶりにそれに対面する。
「ああ、この香り。これが妾を誘惑してやまぬ」
複雑なスープの中で煮込まれた、深い深いコクを持つ、肉と野菜のスープ。
女王の世界では今なおだれも作れない、異世界の味。
これと比べれば、ビーフシチューを知る前に好んでいた、女王自らが焼き上げた牛の丸焼きなど料理ともいえない代物だった。
ごくりと唾を飲み込み、スプーンでスープを掬い上げ…一口。

濃厚な、肉と野菜の旨みが凝縮されたスープ。
名も知らぬ、じっくり煮込まれて甘みを増した野菜がそのスープの味を引き立てる。
「…うまい!」
それが女王の胃袋を直撃し、思わず言葉を漏らさせる。
今度はカリュートとダンシャクを掬い上げ、口に運ぶ。
「うむ。やはりこのスープは野菜も中々にいける」
スープをたっぷりと含み、とろけるような柔らかさとなった野菜。
普段、女王は耳長の餌である野菜を好まないが、このスープを含み濃厚な味を持った野菜ならば大好物だ。
「…さて」
そしていよいよ女王はメインの食材にすすむ。
ビーフシチューをビーフシチューたらしめる食材…すなわち、肉。
じっくりと煮込みきった牛の肉を、スプーンで掬い上げる。
煮込みきられて今にも崩れ落ちそうな肉にごくりと唾を飲み…口に運ぶ。

言葉はでなかった。

しっかりと煮込まれ、ほろほろと口の中で溶けていく牛の肉を味わうのに忙しく、言葉を紡いでいる余裕など無かったのだ。
―――ほう。
やがて口の中の肉が消えた後、ため息を吐き出す。
この瞬間は、何百回と繰り返しても、飽きることが無い。

それから、女王はたっぷりと時間を掛けて一皿のビーフシチューを楽しみ…立ち上がる。
「店主。いつもどおりだ。分かっているな?」
そう告げて、女王は黄金の山から拾ってきた、金貨を2枚、店主に渡す。
ずいぶんと少ないが、約束なので仕方が無い。

以前、女王は先代の店主にビーフシチューの代金として鍋一杯に詰めた黄金を渡そうとしたことがある。
だがそれは店主にきっぱり断られた。
店主曰く『うちはぼったくりはしない主義なんで』とのことであった。
それから店主と女王の間で約束した代金は、金貨で2枚。
今の店主に変わってからもそれは変わらず続いていた。
「はい。確かに…それじゃあ、持って行ってください」
その、ずっしりと重い純金の塊である金貨をポケットに入れると、店主は1つ頷く。
「うむ。では、邪魔をするぞ」
店主の許可を確認し、女王は厨房へ踏み入る。

薪が何処にも無い、綺麗に磨かれた厨房の中。
そこで女王はそれを見つける。
―――あった。
ほう、と興奮のあまり炎が混じったため息を吐き出す。
厨房でひときわ強いにおいを放つのは…ビーフシチューがたっぷり入った寸胴鍋。
「では、貰っていくぞ店主」
そう言うと女王は中身がたっぷり詰まったそれに零れないよう蓋を被せ…軽々と持ち上げる。
そのまま足取り軽く、意気揚々と出口へ向かう。
「ではな。また来るぞ、店主」
「はい。お待ちしてます。またどうぞ」
そのまま扉の外…金貨の山の上に足を下ろす。
パタンと扉が閉じると同時に、扉は消え去り、いつもどおりの山の中となる。
『オカエリナサイマセ。ジョオウサマ』
「うむ。綺麗にしておけ」
すぐさまドレスを脱ぎ捨て、バルログに投げつける。
魔法を解き、すぐさま元の姿へと戻って再び黄金で扉の現れる場所を埋める。

―――さて、楽しむとしようか。

寸胴鍋を、中身を零さぬよう細心の注意を払いながら前脚でがっちりと包み込む。
本気を出せば鉄をも溶かす熱を持たせられる掌で焦がさないよう、冷まさないよう細心の注意を払いながら温め、ベストの温度に保つ。
そして、鋭い牙が生えた口を近づけ…舐めるように味わう。
人間の姿で味わうビーフシチューも旨いが、この姿で、少しずつ食べるのもまた旨い。
―――しかし店主ももっと沢山作ればよいのになあ。
そんなことを考えながら、しっかりと味わう。
無くなるまでは1昼夜。
かつて、魔法具で武装した耳長の軍勢をもわずか1頭で焼き滅ぼしたと伝えられる伝説の存在。
異世界食堂一の『大食い』である赤の女王の食事は、始まったばかりであった。
今日はここまで。
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