ホットサンド
・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・出前は基本的にお断りしています。ご了承ください。
以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。
人気のない、廃墟の外れ。
(ああ、夜が明けたな……)
夜が明けて明るくなっていく朝の太陽の光を浴びながら、ゴードンは世の中は不公平だと改めて思った。
……『異世界料理のねこや』と師匠の字で書かれた扉がいつの間にか姿を現していた。
(やれやれ。ようやく戻ってきたのか)
チリンチリンと鈴の音を響かせながら店の扉から出てきた少女を見て、聞かれぬよう小声で呟き、それとなく見送る。
この辺りは、百年ほど前から荒れ果てていて、魔物やさ迷う亡霊が出るため、王都でも棲みつくものは殆どいない廃墟だ。
ここをねぐらにするのは、よほど実力に自信があるものか、何も知らない田舎者くらいだろう。
故に、師匠の命令でゴードンはこの場から帰る彼女を密かに護衛している。
師匠曰く、彼女は強力な存在から、強力な呪いに近い加護を得ているそうだが、万が一ということもあるから、だそうだ。
(しかし、世の中は不公平だ)
少女の綺麗に洗われた服に、そして金色のくせ毛気味の髪から突き出た黒い山羊の角を見て、ゴードンは思わず額の上を撫でる。
人間の肌とも、髪の感触とも違う、つるりとした角の断面の感触。これがゴードンが『魔族』である証だ。
(とは言え残っていたら魔術師になることも、それ以前にまともに生きることも出来なかったか……仕方がない)
ため息をつく。これまでに何度繰り返したか分からない自問自答である。
どうも父親が魔族だったらしい。ゴードンが幼かったころに死んだ母がそう言っていた。真偽のほどは分からないが。
魔族が人間の英雄に負け、七十年が過ぎた今、魔族は大きく分けて二種類のものたちがいる。
魔族であることを隠さない者と、隠す者である。
魔族であることを隠さない魔族は、主に帝国……彼の国においては皇帝陛下の次に偉いとされる大貴族であるという『魔王』の治める所領や帝都に住んでいる。
そう、あの恐るべき血まみれの野蛮人の集まりである帝国は、魔族をてなづけて戦いに駆り出したことで版図を広げてきた関係上、魔族であっても人間と対等に扱われるのだ。
大陸は広く、小国を含めれば星の数ほども国があると言えども、魔王を始めとして魔族を貴族として遇しているのは帝国とその属国だけである。
そして、帝国と対立を続ける王国と公国は、魔族を『対等』とは認めない。
下層民や奴隷、秩序から離れた冒険者や傭兵の中に魔族が存在することは『黙認』するが、決して国の民とは認めない。
どれだけ功績を上げようとも、国を動かす側に取り立てられることは無いし、魔族であると言うことで迫害する心なき人間も決して珍しくはない。
それは、古くからこの人間社会で破壊と殺戮を繰り返してきた魔族への恐れと、そんな魔族と組んでこの大陸を我が物にせんとする邪悪な帝国の脅威がある以上、仕方が無いことなのかも知れぬ。
だが、帝国以外で魔族として生まれ落ち、そして生まれついての邪神の加護が弱かった魔族にとっては、それは純粋に足かせである。
……どうせ認められぬなら、いっそ魔族であることは隠せばいい。
辛く、苦しく、貧しい暮らしの中でいつしかその思いを強めた魔族の中には、魔族であることを『捨てる』ものもいる。
角や尾、羽など切り落とせば済む部位が魔族の証として顕現した者ならば、それを切り落として人間のフリをすることができるのだ。
そして彼らは自分が魔族であることを知る者がいる故郷を捨てて、見知らぬ街でただの人間として生きていくのだ。
厄介なことに、魔族は交わった相手が誰であってもその子供を魔族とする。
故に、産まれた子供がまごうことなき魔族であって初めて、相手が魔族であったことに気づくことはそう珍しいことでもない。
ゴードンも、その口であった。貧民街の娼婦の子として産まれた時には確かに額に角が生えていたという。
そして、人間だった母親はゴードンの小さな角を見て、人間として育てることにしたらしい。角は産み落とされた直後に切り落とされ、額にその痕跡が残るだけとなった。
それから二十年近くが過ぎた今、当時から生きている者も少なくなり、ゴードンが魔族であることを知る人間は、非常に限られる。
具体的には自分を取り上げた口の堅い産婆と、魔力から魔族であることを見破った師匠、大賢者アルトリウスだけである。
アルトリウスはスラム育ちのチンピラだったゴードンに魔術師に必要な才能を有しているのを偶然見つけた後、叩きのめして自らの弟子にした。
他の、たくさんいる弟子たちには魔族であることは明かさず、ただの人間の魔術師として。
元より、大賢者アルトリウスは魔法の知識と技術の研鑽、そして自分が死した後も魔法が発展するように後進を育てるのにとても熱心な男であった。
それ故に、才能があると見れば他国のハーフエルフの姫君すら弟子にする悪食でもあった。
ゴードンに先天的に魔力が宿っていたのも、恐らくは魔族の加護として得られた角のお陰であると、師匠アルトリウスは言っていた。
かつて魔王を含めた魔族を数え切れぬほど倒してきた『経験則』によれば、強力な魔力を持つ魔族は角が生えていることが多いらしい。
もっとも、目の前の、名も知らぬ少女は角が生えている割に魔力は一般人よりは少し上、魔術師にはなれない程度でしかないので、必ずしも当てはまるものではないらしいが。
(さて、今日も送るとしよう)
そんな、普通の人間と変わらない魔族である少女の護衛。それが今、アルトリウスの弟子をやっている中では多分唯一の魔族であるゴードンに頼まれた仕事であった。
ゴードンはひそやかに少女が今のねぐらとしているらしい冒険者の家まで見送った。
それから七日後。
(……またか。やはり、向こうで夜を明かしているようだな)
また、明け方になっても戻ってこない少女にちょっとした苛立ちと不安を覚えながら、ゴードンは明け方の上り行く太陽を見た。
どうやら、真夜中の道は危険だということで、扉の向こうの異世界で夜を明かしてから帰ることにしたらしい。
(次からは、一度戻って、夜明け前に来ることにしよう)
そう、ゴードンが密かに決意をしていると。
チリンチリンと夜明けの空に音が響いた。
(おっと、帰ってきたのか)
そこから出てきたのは、いつもの魔族の少女だ。手に籠を抱えている。
少女は誰かを探しているのか、辺りをキョロキョロと見渡し……
「……あ、あの! あなたがゴードンさんですか?」
……何故かゴードンに近づいて話しかけてきた。
「……そうだが、一体何の用だ?」
不思議に思いつつ、ひどく腹がすく匂いを漂わせた少女にごくりと唾を飲みながらゴードンは尋ねる。
この子を密かに護衛して結構立つが、こうして挨拶以上の話をしたのは初めてだった。
「実は、ロースカツさん……えっと、お店の常連のおじいさんから頼まれたんです。ゴードンさんに朝ご飯を渡してくれって。
あ、お代はおじいさんから頂いているので、大丈夫です!」
その言葉に、この子が行っている異世界は『異世界料理のねこや』なる料理屋であったことを思い出す。
そして、師匠はその料理をとても気に入っているらしいことも。
「……いただこう」
魔術師は、魔術という学問を収める学者でもある。果たしてどんな料理が出てくるのか、その好奇心からゴードンは少女から料理を受け取る。
先ほどから良い匂いを漂わせている……これは、焼きたてのパンの匂いだろうか?
そう思いながら籠の覆いを取り、中の料理を見る。
「……これは、銀、か?」
籠の中の料理は、紙のように薄い銀の布で覆われていた。
「いえ、何でもアルミという金属で、銀に似てるけど全然違うものらしいです。口の中に入るとすごくぴりぴりするので、ちゃんと剥がして食べてくださいね」
「……ああ」
笑顔でちょっと怖いことを言う少女に頷きながら、ゴードンは包みの一つを手に取る。
長らく夜の外にいたせいで冷えた身体に、包みの持つ熱さがじんわりと染み込み、かじかんだ手が緩む。
(……不思議な金属だ。一体どんなものなのか)
そんなことを思いながら、銀色の布を剥がす。
布のように薄くとも、金属は金属らしくごわごわした手触りで、簡単に破けてしまう。
その包みが破けた瞬間見えたのは、熱いほどの熱を持った焼きたてのパンであった。
正方形をちょうど半分に切ったような、茶色いパン。
焼いて日にちが立って硬くなったパンが普通であることを考えれば、焼きたて特有の熱さを持ったパンは、王都でもご馳走である。
(匂いからすると上等なパンのようだが……)
朝陽の下で見るパンは表面がつるつるしている。もしかして、表面を焼き直したパンなのだろうか?
火の通りが均一なようで、焦げは見当たらず、綺麗な小麦色をしている。
漂ってくる香りにごくりと喉がなり、腹が減っていることを思い出す。
昨日の夕方に食事をした後、明け方まで起きていて、胃の中はすっかり空っぽになっていた。
そのまま流れるようにパンを口元に運び……齧る。
(んっ!?これは、具入りか!)
パンは思ったよりもはるかに薄いパンであった。
硬く脆い表面に歯が付き立った瞬間にさくりとした触感で砕け散り、中に入れられた具材が飛び出す。
食べたことのない味がする。ほんのり酸味と辛みを含んだ、油気の強い細やかな肉に、刻んだオラニエとキューレが混ぜ込まれているようだ。
表面側のパンは焼きしめたパンのように香ばしく、内側は具の水気を吸って柔らかい。
そんな香ばしいパンの風味と一緒に襲い掛かってくるのが、新鮮そのもので苦みも無い、少しだけ火が通った野菜のシャキシャキとした触感と味。
それに引き立てられているのが、味付けされた肉であった。
(これは、何の肉だ?)
未知の、だが美味な肉にゴードンは思わず自らが齧り取った表面を見る。
その肉は、白くて酸っぱい調味料で味付けされた、肌の色をしている。
(豚や鶏の生肉のような色だが……触感は明らかに火が通ったものだった。これは一体?)
「あ、それはお魚のお肉を使った、ツナのホットサンドです。美味しいですよね」
魔術師としての分析癖を出してこれが何なのかを考えていると、少女がその答えを口にする。
「……そうか、魚か。魚というのは、美味い物だったのだな」
王都から殆ど出たことが無いゴードンには、魚は未知の食べ物であった。
王都でも手に入らないわけではないが、新鮮なものはとても高くて庶民の口には入らず、庶民でも手に入るような干したものや川で取れたものは余り美味ではないと聞く。
それ故に、わざわざ食べようと思ったことが無かったのだ。
「そうですね。私も、向こうで初めて知りました」
ゴードンの言葉ににっこりと少女も答える。彼女もまた、魚というものが美味しい料理になると知ったのは『向こう』に行くようになってからだ。
そんな話をしながら、手のひらほどの大きさしかないホットサンドが瞬く間にゴードンの腹の中に消えていく。
「どれもう一つ……」
勿論、まだ若い男であるゴードンの腹には1つで足りるはずもなく、まだいくつか入っているホットサンドを手に取る。
「あ、そうでした。今日のホットサンドは二種類の味のホットサンドが交互に入ってるので、それはさっきのとは違う味です」
「そうなのか」
その言葉に、では次はどんな味なのかと思いながら包みを破る。
そして出てきたホットサンドは、なるほど違う味なのだろう。ピンク色の肉と、淡い黄色のものが焼けた茶色いパンの隙間から見える。
(さて、どんな味か……)
そう思いながら口元に運び、齧る。
さくりとしたパンの触感と共に柔らかくて濃厚なものの味が広がる。
その中にはピンク色のものが燻製肉、淡い黄色いものはチーズだった。
薄く切られた燻製肉。普通に売っているものより大分塩気が弱く、保存には向かないであろう燻製肉は、そのまま食べても美味であろう。
それが塩気が強めの、熱で溶けたチーズと混ざり合い、パンの香ばしさと、何か混ぜられているらしいピリリとした辛みと一緒に口に広がるのだ。
ある意味では食べなれた、チーズと燻製肉の味。それが空腹の腹に響く。
一つ食べれば、もう一つ。もう一つ食べればさらに一つ。
手が止まらず籠の中に入ったホットサンドを瞬く間に食いつくす。
「どうぞ。お茶です。あったまりますよ」
全て食べて一息ついたところで、少女が小さな器に入れた飲み物を渡してくる。
「ああ、ありがとう」
何気なく受け取り、ぐいと飲む。
熱いお茶の熱さが喉を通っていく。それは明け方の寒さを飛ばす。
温かい食べ物と飲み物、その温かさはゴードンの身体を温め、心を緩めた。
ほう、と息を吐く。腹の中に美味しいものが満ちた感覚は心地よい。
それに浸っているゴードンを、ニコニコしながら見ていた少女が言う。
「その、いつも見守ってくれてる人、ですよね?」
「……気づいていたのか」
その言葉にゴードンは少し驚いた。
ゴードンとて都会の下町で育った身だ。本職の盗賊や斥候とは比べ物にならないにせよ、ある程度気配も消してたつもりだった。
「えっと、はい。何度もすれ違いましたから。私、アレッタと言います。いつもありがとうございます」
だが少女……アレッタとて本職の、給仕だ。客を見て覚え、料理の注文を暗記し、素早く給仕して片づける。
それを繰り返してきた。
だからこそ、気づいた。いつもすれ違う人がいると。
「……ゴードンだ。気にするな。我が師匠からの頼みだからな」
そして、アレッタの紹介にゴードンは目をそらしながら、初めて挨拶を交わしたのだった。
今日はここまで。