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異世界食堂 作者:犬塚惇平(犬派店主)
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カルパッチョ再び

・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・初回の入店であっても酒類等は追加料金となります。
七日に一度、転移の魔術を使い山の裏側にある湖を訪れ、湖の風景を描く。
小国に仕える宮廷魔術師であるヘンリーの数年前から続く趣味であった。
(ふむ、今日は晴れたせいか、良く見えるな)
水の精霊が住まい、静かに魔力が満ちた湖の湖面は静かに凪いでおりまるで磨いた鏡のように白い雲が浮かんだ青い空を写し取る。
そしてその湖の中央に……その黒い扉はあった。
(うむ……何とも不可思議な光景よ……)
湖の中央には不思議な黒い扉が浮かぶ、黒い扉。
その扉が恐らくは魔術の産物であろうことは、分かる。
その黒い、猫らしき獣が描かれた扉は支えるものなど何もない澄んだ湖面の上に立っていて、しかも湖面には何も映っていない。
明らかに世の理より外れたあの扉は千年以上前にその多くが失われたというエルフの秘術に違いない。
その扉はまるで天と地がくっついたかのような白と青の世界の真ん中に黒い穴をあけるようにぽっかりとそびえたっていた。

余りに不可思議な光景。
特殊な魔法薬の材料として湖の水を求めやって来た時、この光景を初めて見た時には、本当に驚いた。
(……あの扉の向こうには何があるのだろうか……?)
果たして何度繰り返したか分からぬ自問を繰り返しながら、絵具を準備する。

ヘンリーは放浪の冒険者であり、画家であった父から魔術の手ほどきを受けた、絵師でもある。
野蛮な武器での戦いの末、手を傷つけては大変だからと、相手を一方的に殲滅する戦いの魔術を学んだという父。
ハーフエルフであった父が生まれてから二百年の歳月を経て珍しい光景を求めての放浪が出来なくなるほどに年老いた頃、この国に雇われ根を下ろした。
その頃は強大で野蛮な帝国が炎の如くあちこちを飲み込んでいた時代で、戦いの魔術に長けた魔術師として名をはせていた父は優遇されていたという。
ハーフエルフを国の要職に着けてはならぬという常識故に一介の雇われ魔術師扱いだったが、重要な戦には将軍のように意見を求められ、
国内の貴族の娘を妻として与えられ、そうして生まれた人間の息子は成人してすぐに正式な宮廷魔術師に任命された。
だからこそ百年以上を放浪の中で暮らしたヘンリーの父はこの地を最後の住処と決め、ヘンリーの成人とほぼ同時……人間の父親とそう変わらぬ頃に満足げに死んだのである。

そんな父が無くなってもう二十年は経つ。
偉大にして野蛮な皇帝がこの世を去り、穏健で覇気の足らぬ息子が皇帝の地位についたことで、帝国はその勢いを緩めた。
何しろ十年ほど前に港町を飲み込んだのを最後に、帝国の版図は全く広がっていないのだ。
……それは、ヘンリーの暮らす、いつ戦禍に巻き込まれるかと戦々恐々としていた小国には朗報であった。
今は、つかの間かも知れないが、平和が訪れた。
時々ゴブリンや盗賊を退治する以外は宮廷魔術師として戦の場で魔術を使うことも無い。
もう一つの仕事である、宮廷画家としての仕事に専念していた。
(……しかしやはりこういう絵はいいな。書いてて面白い……なるほど、父上はだからこそ老いるまで彷徨ったのか)
そこまで考えて、ヘンリーはふっと、自分が父親の血を引いていることを今更思い出していた。
宮廷画家の仕事は、いまいち面白くなかった。
長い歴史を持つ公国や非常に豊かな王国と違い、芸術と言うものが育つ余裕が無かったこの国では、画家の仕事など見慣れた城の庭園だの、
王族や大臣のお歴々の肖像画だのを書くぐらいの仕事しかない。
それは珍しい光景を求めてあちこちを彷徨い歩き、そのとき見た光景を思い出しながら大量の珍しい絵を残した父を持つヘンリーには、ひどく退屈な仕事に思える。
そんなことを考えながら絵を描いているうちに太陽が中天に差し掛かり、そして日が暮れだす。
「……そろそろ終わりにするか」
暗くなる前に帰ることを決めたヘンリーは、画材を片付けて、帰る準備をする。
「よし……」
全て片付けたのを確認して、それから転移の魔術を使い、消える。
そうして湖には今日もまた使われ無かった扉だけが残された。


ヘンリーがそんな扉の異変に気付いたのは、それからしばらく経ってからのことであった。
(……なんだ? 何か、今までとは違う……?)
最初に覚えたのは、違和感。
湖の真ん中に立つ扉が、いつもと違うように見えた。
まるで、主人が変わったかのように。
(なにかが違う……うん? なんだあれは?)
その違和感が何かを考えてみて、ヘンリーは気づく。扉に、何か新しい看板のようなものが加わっていた。
(あれは……文字、か?)
遠目ではよく分からないが何か文字を書いた看板を猫の絵が加えていた。
文字の形からすると普通の大陸語のようだが、遠くて何が書いてあるかは読めない。
(……身に行ってみる、か)
今まで無かった変化に好奇心を刺激されたヘンリーは水上歩行の魔術を使い、初めて扉に近づく。
艶やかな黒い塗料で染められた扉の前に立つと、看板に書いてある文字を読む。
「……料理屋だったのか……」

異世界料理のねこや

新しく加わった看板には、間違いなくそう書かれていた。
「つまりこれは……料理屋の入り口だと言うのか?」
看板の文字が真実ならばそう言うことになる。
だがこんな、訳の分からぬ場所に入り口を作って、誰が訪れると言うのだろう?
そんなことを考えながら、ヘンリーは何気なく真鍮なのであろう黄金色の取っ手に手をかける。

がちゃりと、取っ手が回り、ヘンリーは思わず手を放す。

鍵が、かかっていない。
(入れる、と言うことか……)
後ろに回ってみても、扉は看板の文字まで表と同じ様子であった。
どこに繋がっているかは分からない。

そして、しばし悩み……ヘンリーは再び取っ手に手をかけ、思い切って扉を開ける。

ちりんちりんと、扉につけられた鈴が鳴る。

その鈴に追い立てられるように、ヘンリーは扉をくぐった。


扉を抜けると、異世界であった。
(な、なんだここは!?)
後ろでバタンと、扉が閉じる気配を感じながら、ヘンリーは戦慄した。
太陽の光とも、光の神の司祭が生み出す魔術の光とも違う、不可思議な光で満たされた部屋が眼前には広がる。
あまり広いとは言えないその部屋の中では、人々が食事をとっていた。
(……ま、魔物!?)
いや、それは正確ではなかった。
そこには人間やエルフ、ドワーフ、魔族……そして魔物たちが多く集い、食事をしていたのだから。
「いらっしゃいませ。お客さん、大丈夫ですよ。ここでは他の人を襲う人なんて居ませんから」
思わず魔術の詠唱をしようとしたところで、後ろから声を掛けられ、びくりとして振り返る。
「あの人たち、見た目はちょっと怖いけど、いい人です。なんでお客さんも、喧嘩とかはしないで下さいね」
そこには、一人の黒髪の少女が居た。
ヘンリーの見たことが無い独特の顔つきに、黄色い肌を持つその少女は、朗らかに笑って言葉をつづける。
「ここは異世界料理のねこやって言うお料理の店なんですけど、良かったら、何か食べていきませんか?」
荒事など微塵も経験が無いのであろう少女は、凶悪な魔物が多数いるこの場においても、恐怖を感じている様子はない。
「……わ、分かった」
その言葉に毒気を抜かれ、ヘンリーは緊張を解く。
「良かった。そう言うことなら、お席に案内しますね」
ヘンリーが警戒をしながらも一応はこちらの話を聞くつもりであることを悟ったのか、少女は慣れた様子で席へと案内する。
……案内された席がどんな表情をしてるのかつかめぬ、傷だらけで通常の者より巨大なリザードマンの隣の席だったのも、おそらく悪意があってのことではないのだろう。
「……さて、ここは異世界の料理屋と言うことだが、一体どんなものがあるのだ?」
何やら卵料理らしきものを黙々と口に運んでいるリザードマンを無視しながら、ヘンリーは少女に尋ねる。
「なんでもありますよ。お肉にお野菜、お魚にお菓子……お客さんはどんな料理がお好みですか?」
「そうだな……異世界ならではの、珍しい料理と言うものはあるか?」
少女の質問に少し考え、ヘンリーはそんな答えを返した。
「え? 異世界ならでは、ですか?」
「ああそうだ。向こうでは食べられないような、珍しい料理だ……それと、甘いものは得意ではないので菓子の類ではないものが良い」
更に頷いて肯定する。
長年、貴族であると言っても小さな国での暮らししか知らぬヘンリーは、密かに初めて訪れる奇妙な世界に興奮していた。
だからこそ、異世界でしか食べられぬようなものが良いと考えたのだ。
「変わった……ああ、それならカルパッチョとかどうですか? 生のお魚を使ったお料理なんですけど。確か向こうの人は生のお魚は殆ど食べないんですよね?」
果たして、少女は、ヘンリーの常識にはない奇妙な料理を提案してきた。
「……魚を生で食べることなど出来るのか? 十分に火を通さぬ魚は酷い匂いがする上に腹を下すと聞くが」
少女の言う料理に、ヘンリーは困惑して聞き返す。
ヘンリーの故郷では、魚は湖や川で取るものであった。それは泥臭い上に、しっかりと焼かないと腹を下すと言われていて、一応は都と呼ばれている場所で暮らすヘンリーは殆ど食べたことが無い。
「大丈夫だと思いますよ。これでもうちは食中毒を出したことは一度も無いですし、カルパッチョは結構人気ありますから。ほらあれ、あの子たちが食べてるのがカルパッチョです」
そんな質問に対して少女はちょっとだけ胸を張って答え、一つの席を指さした。
……その先にいる客を見て、ヘンリーは眉をひそめた。
「……あれは魔物であろう? 人間が食べても大丈夫なものなのか?」
少女が指さした先に居たのは、大きな羽を生やした少女が二人……魔物については仕事柄多少は詳しいヘンリーの見立てではセイレーンと呼ばれる、歴とした魔物である。
海の近くに住まい、海の上で死へと誘う歌を歌い、船から落ちた人間や魚を生で食らう野蛮で恐ろしい魔物だと本で読んだことがあった。
「そうですね……まあ、どうしても気になるならわさびマヨをちょっときかせましょうか」
「ワサビマヨ?」
そんなヘンリーの反応を見て少し考えたのか、少女はよく分からない提案をしてくる。
「ええ、ちょっと辛いソースで……こう、殺菌というか、毒を消す効果があるんですよ」
「分かった。ではそれを頂こう」
サッキンなるものはよく分からないが、店の人間が保証するのであれば大丈夫だろう。
そう思い、ヘンリーはカルパッチョなる料理を食べることにした。
「はい。ありがとうございます。それじゃあ、少々お待ちを……」
そう告げると少女は氷と水を入れたガラスの器をそっと卓へと置き、そそくさと奥に入っていった。
(さて……ほう。これは)
ごくりと、果実の風味が宿った冷たい水で喉を潤しながら、ヘンリーは店の中を確認する。
最初は危険な魔物ばかり目についたが、改めて見てみれば人間の客も、変わったものが多い。
先ほどの給仕の娘と同じく、黄色い肌を持つ民は恐らくは西の大陸に住まう民であろう。着ている服も本で見たことがある。
そうすると妙に肌が茶色いのは、西の大陸に居るという、魔術に優れた砂の国の民であろうか? 
だが、本で読んだ砂の国の民とは全然違う、妙に足や腕を露出する見慣れぬ服を着た民も見える。
(一体どういう素性なのであろうか……そもそもここはどういう場所なのか?)
もしや、あの扉はあの湖以外にもたくさんあって、その扉がすべてここに繋がっている、と言うことなのだろうか?

そんなことを考えていると、先ほどの少女が料理を運んできた。
「お待たせしました。鯛のカルパッチョわさびマヨネーズソースです」
そう言いながら、ことりと鮮やかな皿を置いた。
「おお……これはまた……美しいな」
その皿を見たヘンリーは思わず素直な感想を漏らした。

純白の皿の上に盛られた見たこともない料理は、美しかった。
淡い花のような色をした皮と、雪のように白い透き通った肉を持つ、タイとか言う魚の肉がまるで花びらのように並べられている。
皮には軽く焼いたのか焦げた茶色で格子模様が描かれていて、更にその上から薄い緑の線が格子状に走っていた。
すぐそばに焦げた茶色の丸いパンらしきものと、オラニエの浮いた茶色いスープが置かれて香しい香りを漂よわせているのもあり、ぎゅうっと腹が減ってきた。
「それじゃあごゆっくり……あ、それとパンとスープはお代わり自由で、お酒は別料金で用意できますので、どうしてもと言うときはどうぞ」
少女は必要なことを告げると、そのまま別の客のところへと行ってしまった。
それを見送りながら、ヘンリーは目の前の皿に目を戻す。
(さて、味の方はどうなのか……)
崩すのが勿体ないと思えるほどに見目は良い料理。だが、味の方は未知数である。
緊張しながら、良く磨かれた銀色のフォークを取り、並べられた魚の肉に突き刺す。
魚の肉は見た目通り、ほんの少しだけ表面をあぶっただけなのだろう。
火が通ってないためうっすらと透けている魚の肉は、火を通した肉とは違い、ぷつりとフォークで刺し貫かれる。
薄い緑のソースに彩られた、魚の肉をしげしげと見る。
魚を……干し肉でもない生の肉を火を通さずに食べるのは初めてだ。
そのことに不安と……期待を覚えながら口へと運ぶ。
(おお、これは……美味いな)
初めて食べる魚の味に、ヘンリーは驚いた。
まずくはない……美味いと思う。
火を通していない魚の肉には噂に聞く生臭さはない。確かに独特の香りはあるように思うが、不快なものではなかった。
(これは……良い肉だな)
火を通した肉の固さとも、生の肉の感触とも違う、魚の肉の固さを楽しむ。
決して柔らかくはないそれは、噛むたびに歯を押し返す強さがある。
されど決して噛みちぎれないほど固いわけでもなく、ちょっと力を込めて噛めば簡単にぷつりとちぎれる。
そして噛むたびに魚の肉に宿ったうまみがあふれ出してくるのだ。
その肉を彩るソースも良かった。酢と卵が混ぜられているのかほんのりと酸味と卵の風味を宿したソースは魚の肉の旨みを更に引き出しているようにも思えた。
(それにこのソースも……うぐ!?)
それを堪能していると、突然衝撃が鼻を襲った。
まるで小さな針を無数に刺されたかのような強烈な刺激。
それに思わず涙を零しながらヘンリーは慌てて水を飲んだ。
(なんだこれは……もしや、これがワサビとか言うものか?)
慌てて涙を拭いながら、目の前の料理を見る。
あの刺激は淡い緑に染まったソースから感じられたのである。
(これは……)
魚の肉は、美味い。
だが、あのワサビの鼻を抜ける刺激が来ると思うと……そう考えながら、もう一口食べる。
二回目はまだ覚悟していたので不意打ちの衝撃は無かったが、それでも鼻の奥に痛みが走る。
辛いというか、痛いのである。
(食べても良いものなのか……そうだ。酒があるという話だったな)
食べながら、そう思う。
これは肉だけで食うから辛いのだ。一口食べて、その辛みを消すために酒をあおるのは、非常に良い手段に思えた。
「すまない! 酒が欲しいのだが、どのようなものがある!?」
大きな声で先ほどの少女を呼ぶと、少女が来て、ヘンリーに答える。
「うちは結構色々ありますよ。ビールに、ワインに、あと日本酒とか……カルパッチョと言うか、魚なら白ワイン……葡萄酒か日本酒かな」
「ではそれを両方貰おう……それと、金は払うからカルパッチョをもう一皿」
「はい。少々お待ちくださいね」
魚の肉は美味いし……認めよう、ワサビマヨなるソースも美味い。
そう実感したヘンリーの要求に、少女は笑顔で答えたのだった。

昼下がり。
びしょぬれになりながらヘンリーは岸辺にたどり着き、ほっと息を吐いた。
(油断した……)
酔いつぶれるほどではないにせよ、異世界の酒を飲み、カルパッチョを初めとした料理を堪能したヘンリーは扉から出た瞬間、湖に落ちた。
扉が現れた時と同じ場所にあり続けるのを失念していたのだ。
水上歩行の魔術はとうの昔に切れていたため、扉から出た瞬間、ヘンリーは湖に落ちる羽目になったのである。
「……そう言えば父上の残した遺産に常に水上歩行が掛かり続けた靴があったな」
ぽつりとつぶやく。

七日後が今から楽しみであった。
今日はここまで。
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