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異世界食堂 作者:犬塚惇平(犬派店主)
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パウンドケーキ

・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・当店のケーキが気に入りましたら、猫屋ビル1階『フライングパピー』にてお買い求めください。

以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。
土曜日。

ビーフシチューの仕込みを終え、簡単な朝食を取った後、店主はしばし厨房でくつろぐ。
一旦3階にある自宅に戻っても良いのだが、毎週土曜はちょうどこの時間に『来客』があるのだ。
待つこと少し。

「よっ。おはようさん。今日の分、もって来たぞ」
厨房に備え付けの、食品搬入用のエレベータから、ワゴンと共に男がやってくる。
「おう。いつも悪いな」
店主は慣れた調子で挨拶を返す。小学生以来の友人でもあるので、お互い気安いものだ。
「いいってことよ。どうせうちは土日は普通に店やってるから手間は対して変わんないし、ちゃんと代金は貰ってるしな」
そんなことを言いながら、男は慣れた手つきで厨房備え付けの大型冷蔵庫にワゴンの中のもの…

男自らが作ったケーキや菓子を詰め込んでいく。

猫屋ビル1階…洋食のねこやの真上にある翼の生えた子犬の看板が目印のケーキショップ『フライングパピー』
男はその店の店長であり、店主の幼馴染である…残念なことに店主と同い年のおっさんだが。

男…店長は洋食のねこやの秘密…土曜日だけの特別営業のことを知っている。
彼は小学生の頃から、忙しくて夕食を用意している暇も無かった両親から金を貰い、夕食を食べるために足しげく通っていた。
先代の店主は店長を実の孫と同じように可愛がってくれ、そのうちに先代店主が経営していたこの店の秘密を自然と知った。

それに恩もある。
大学の頃、バイク事故で下半身不随になりかけたとき、先代店主に貰った怪しげな『異世界の薬』で助けられたことがあるのだ。
(医者からは奇跡のような回復と言われた…実際に半ば奇跡のようなものだが)

その縁もあり、パティシエの修行後、幼馴染のビルで両親がやっていた店を継いだ店長もまた異世界食堂に『協力』している。
平日もやっている店の商品の卸し売りを土曜日もやっているのだ。

「よし、終わりっと…そうだ。忘れる前にこれ、渡しとくわ」
冷蔵が必要なケーキは冷蔵庫に、常温保存でなくてはいけないケーキを常温の保管庫に入れ終えたあと、店長はワゴンからそれを取り出し、店主に渡す。
「…これは?」
店主は受け取った品…店のトレードマークが書かれた細長い紙箱に首を傾げる。
中からはかすかにブランデーの匂いがする…かなりの量を使っているようだ。
「うちの景品。お前も知ってるだろ?フライングパピーではケーキ100個お買い上げごとにお好きなホールケーキ1個プレゼントってな」
店主の質問に店長は端的に答える。
彼の店であるフライングパピーでやっている、スタンプ制のサービス。
ケーキ1ピースでスタンプ1個。20個集めると1ピース、100個集めると1ホール分のケーキをプレゼント。
近所の甘いものに目が無いOLの御用達でもあるこの店のサービスは、中々に好評だ。
「100個…もしかして、あの人か?」
その答えに、店主は答えに思い至る。
20代前半くらいの、1人の『常連』の顔に。
「そうだ。前に言ってたろ?ここ1年くらい毎週必ず来てうちのパウンドケーキ2個食ってくかわいこちゃんがいるって。
 その子に渡してくれ。一応常温保存で数週間は持つように仕込んどいたが、開封後はお早めにお召し上がりくださいとも言うのも忘れるなよ」
「分かった。来たら渡しとく」
店長の頼みに店主は一つ頷き、受け取る。
思えばあの女性は、先週、なにやら思いつめた顔をしていた。
何か嫌なことでもあったのかも知れない。
ならばこれぐらいのサービスはしても良いだろう。


7日に1度訪れる、ドヨウの日。
「…ああ、またこの日が来てしまったのですね…」
修練場の片隅に現れた猫の絵が描かれた黒い扉を見ながら、光の神の高司祭であるセレスティーヌは表情を曇らせた。
ここは、高司祭のために作られた修練場。
現在この場に入ることが許されているのは僅か20歳の頃に高司祭と認められ、1年前に21歳にしてこの僧院の院長に任ぜられたセレスティーヌのみ。
…故に、この修練場の秘密を知っているのは既に隠居した先代の院長とセレスティーヌのみだ。
「今日…今日は…」
身を清め、そっと扉の前に立つ。
見ているだけで唾がわく…それに耐えようとする。
既に『1年の享受』は終わった…このままでは、己の弱さを認めることになる、と。

彼女の奉じる光の神は節制を重んじ、自制し、禁欲することを求める。
そして、一般の信者よりも高い功徳を求められる司祭、特にいずれ教団そのものを導いていくことを求められる高司祭には『1年間の享受』の後の禁欲が求められる。

彼らの奉じる光の神は説く。
知らぬものを耐えるのは、容易い。
それのことを知り、それでなお耐えることこそが真の修行となる、と。

その教義に基づいて生まれたのが『1年の享受』である。
酒、煙草、麻薬、肉、砂糖菓子、化粧…純潔を尊ぶ教義故に色だけは無いが、それ以外のこの世に存在する様々な嗜好品。
光の神の使徒の中でも特に高位の司祭を目指すものはそれを生涯のうち1年間だけ浴びるように嗜む。
その後にそれら全てを絶つことで禁欲の修行を積むのだ。

…無論、この修行は失敗することも多い。
禁欲は己の意思のみで成し遂げる必要がある、と言う考えから高司祭となったものは嗜好品が幾らでも手に入るようになっている。
それ故にそれら全てを絶つのは難しく、高司祭ともなればそれぞれ1つくらいは何かしらの嗜好品を嗜んでいるのが普通。
何しろ光の神の最高司祭…
何十年も前、世界を魔物の世界に作り変えようとした邪神に、わずか4人で挑んで見事打ち破った勇者の1人であった現法王ですら、片時もパイプを手放さないほどの煙草好きなのだ。
嗜好品の1つや2つなら人間味と見なされるのも、教団の考えである。

その中で、セレスティーヌは異彩を放つ存在だった。
教義に則り、様々なものを1年間浴びるように楽しみ…1年と1日後に全て絶って見せたのが3年前。
それから1度も嗜好品を口にしない鋼の精神力の持ち主。
…その精神と魔力故に若くして高司祭と認められ、尼僧の集う院の1つを任されたセレスティーヌの前に立ちはだかったのが、扉である。
(…ああ、いけませんわ…)
じわりと、セレスティーヌが立ち上がり、ふらふらと扉に近寄る。
この扉の向こうには…嗜好品がある。
この世界では手に入らぬ、異世界産の魔性の品が。

先代の老いた院長にその存在を知らされて扉をくぐり、それに魅了され1年…
1年の享受が過ぎてなお、セレスティーヌは未練を断ち切ることができていなかった。
セレスティーヌが悔しそうに…扉を開く。

チリンチリンと、敗北の音が鳴る。
「いらっしゃい」
しずしずと入ってくるセレスティーヌに朗らかに笑いかける中年の店主の顔は、セレスティーヌにとっては堕落に誘う誘惑の悪魔のように見える。
(ま、まだ遅くはありませんわ…)
そうだ。ここで踵を返し、帰ってしまえばいい。
自分はこの店で実に美味しそうに料理を頬張る世俗の人間とは違う。
偉大なる光の神の高司祭なのだから、耐えねばならない…
そう自分に必死に言い聞かせるセレスティーヌに、悪魔…否、店主が追い討ちをかける。
「メニューはいつものパウンドケーキで?
 …ああ、ちなみに今日のパウンドケーキはラムレーズンですよ」
ぴたり、とセレスティーヌの足が止まる。
(ら、らむれーずん!?)
まだ3回しか味わったことの無い…セレスティーヌが愛して止まぬ幻の味。
反射的に舌に蘇った鮮やかな味の記憶に思わず零れそうになる唾を飲み込む。
「で、どうします?」
「い、頂きます!」
「はい。ただいま」
思わず答えたセレスティーヌに対する店主の朗らかな笑みは…まさに誘惑の悪魔の笑みだった。

敗北を噛み締めながら、セレスティーヌは手近な席に座った。
(…負けてしまった…わたくしのバカ!)
激しい自己嫌悪が襲ってくる。
鋼の精神力が聞いて呆れる。
(だ、大体この店もこの店です!どうせなら毎回同じ味にすれば、飽きも来るというものなのに!)
そう、セレスティーヌを誘惑するこの店の『パウンドケーキ』は毎回味が違う。

あるときは、乾燥させたドライフルーツをたっぷり入れたもの。
またある時は少し苦くてとても甘い『チョコレート』とやらを練りこんだもの。
またある時は砂糖で甘く煮付けた豆が入った、苦味のある真緑色のもの。
そしてまたある時は中に黄色い卵の味がするとろりとしたものが入ったもの…

この店で出るパウンドケーキは、来るたびに味が変わる。
同じ味が出るのは数ヶ月に1度あるかないか。
ものによっては野菜の甘味がある黄色い『ハロウィンパウンド』や桃と淡い黄色、緑と言う3種類のパウンドケーキが重ねられた『ヒナマツリスペシャル』など、この1年で一度しかお目にかかったことの無いものまである。
そしてそれが7日に1度という間隔の長さと相まって、セレスティーヌを引きつけて止まない。

(それに、わざわざ1年の享受が終わってから『らむれーずん』を出すのも卑怯です!)
異世界人が知るわけも無い行事を引き合いに出し、半ば八つ当たり気味にラムレーズンを思い出し…またもや唾を飲む。

ここの『パウンドケーキ』はどれも異世界の美味だが、ラムレーズンは別格だ。
初めて食べたとき『これは神の食べ物だ』と反射的に思ったほどで、まれにあるラムレーズンの日だけはいつもの倍は食べている。
(…ま、まだかしら?)
ラムレーズンパウンドケーキのことを思い出してしまったセレスティーヌがそわそわとしはじめる。
待っているのが、辛い。

そして、その時間がやってくる。
「お待たせしました。パウンドケーキのコーヒーセットです」
「は、はい!」
思わず笑顔で返す。
目の前に置かれた、皿に並べられ、白いふわふわのものが掛けられたパウンドケーキに思わず顔がほころぶ。
「お代わりも、すぐにお持ちしますんで」
店主の方も心得たもので、セレスティーヌが再び注文するのを見越して声を掛けると、他の客の下へといってしまう。

「神よ…わたくしにこの糧をもたらして頂き、感謝いたします…」
祈りの言葉を口にし、銀のフォークを手にとって…食べる。

「ほぁ…」
数ヶ月ぶりのラムレーズンパウンドケーキに思わず声が漏れる。
それほどの美味だった。

パウンドケーキのしっとりとした甘い食感。
口の中に入れると広がる、酒の香。
その酒をたっぷりと吸い、酒精を含むことで返って甘味が増した干し葡萄。
その上に柔らかに広がる白くて甘味があるふわふわが、干し葡萄の風味と、ケーキそのものの甘味と混ざり合う。

その贅沢な味わいに、セレスティーヌはしばし陶酔する。
自らに科した禁を破ってしまったことに対する後悔や、己の精神力の弱さへの憤り。
そう言ったものが、甘い味わいの中に溶けていく。

最初の一口を味わってしまえば、もう逃れられない。
セレスティーヌは猛然と食べ進む。
パウンドケーキをぱくつき、一緒に出されたコーヒーの苦味で口直しをして…おかわりを注文する。
普段の淑やかなセレスティーヌを知っているものが見れば驚くほどのがっつき具合である。
ましてそれが菓子だと知っていればなおさら。

セレスティーヌは、元々余り菓子を好まなかった。
18歳の頃挑んだ1年の享受の間は日常的に砂糖や蜂蜜をたっぷりと使った菓子を食べていたが、その後はまるで食べようとしなかった。
それ故にセレスティーヌ自身も、あまり菓子を好きではない…そう、考えていた。

だが、それは間違いだった。
この異世界で恐るべき魔性の品、パウンドケーキに出会ってから思い知った。
自分は…真に美味な菓子を知らなかっただけだと。

知らぬものを耐えるのは、容易い。
その言葉を、セレスティーヌは身をもって知った。
セレスティーヌがこの場所を知ってからは1年の享受を言い訳に扉が現れるのを待ちわびて通い続けた。
…7日前、最初に異世界食堂に行ってから1年が過ぎたことに気づいて、半ば絶望した。
そして…

「ふぅ…ううう」
最後の一欠けらまで食べつくし、3度のおかわりを経て、ようやくセレスティーヌは満足し…後悔した。
耐えられなかった…やってしまった…

そんな気持ちが渦巻く。
(つ、次からはこないようにしましょう…)
それを取り繕うようにそんなことを思いながら数枚の銀貨を置いて、立ち上がる。
…まさか、そこで追い討ちが来るとは思わなかった。
「おや、お帰りですか…ちょっと待っててください」
セレスティーヌが立ち上がったのを見て、店主が少し慌てて奥の厨房に引っ込み…それを持ってくる。
「どうぞ。いつもうちをご愛顧していただきありがとうございます…これは、その感謝の品です」
出てきたのは、翼が生えた子犬の絵が描かれた細長い箱。
「あの…これは?」
その姿にある種の期待と…恐怖を覚えながらセレスティーヌは店主に尋ねる。
それを見透かしたかのように店主はにやりと笑いを深め…
「普段は出してない特別製のブランデーケーキだそうです。ラムレーズン、随分お好きみたいですから、きっとこっちも気に入りますよ」

セレスティーヌを絶望に叩き込む一言を言う。
「ぶ、ぶらんでーけーき…?」
聞いたことの無い品…だが、その響きに込められた意味と店主の説明で、セレスティーヌは悟った。

…これは危険な品。手を出したら後戻りできない、悪魔の取引だと。
(食べたことが無い…ラムレーズンが好きなら気に入る…)
その言葉に、パウンドケーキがたっぷり入ったお腹の中が動くのを感じる。

食べてみたい、そんな気持ちがあふれ出す。
「暗くて涼しい場所に置いておけば数週間は持つって話です。まあ、開けた後はお早めにとも言ってたんで、お友達とでも食べてください」
(断らねば。断らないと…)
そう考えながら、セレスティーヌは受け取る。受け取ってしまう。
「…ありがとうございます」
笑顔すら浮かべ、礼を言ってしまう。

「はい。それではまた」
「はい…また…」
そしてセレスティーヌはようやく踵を返し、扉から出る。
…また、来ることになることを半ば確信しながら。

そして、異世界のそれが解き放たれたのは、その翌日のことだった。
「セレスティーヌ様!これは…これに使われてる酒は一体なんですか!?」
最初に尋ねたのは、平民の出ながらセレスティーヌが特に目を掛けている高司祭候補の尼僧。
…同時にドワーフ並の酒好きであるカルロッタだった。
「苦い…けど、甘い…美味しい…」
言葉少なく呟き、一心不乱にケーキをぱくつくのは、取替え子で生まれてきたハーフエルフであり、強い魔力を誇るアンナ。
芳しい香りがして苦く…それが後から来る圧倒的な甘味を引き立てる。
こんな食べ物を、アンナは知らなかった。
「セレスティーヌ様…本当に美味しいですよ、これ。
 王国にもお菓子はありましたが、ここまで美味しいのは初めてです。
 …一体、どこのどなたでしょう?こんなものを作れるなんて…」
王国のやんごとなき筋の血を引くが故に、贅沢を知り尽くしたジュリアンヌがセレスティーヌに尋ねる。

特別なもらい物のおすそ分け。
そう聞かされて、この僧院きってのエリート3人が集められたのは、つい先ほどのこと。
そして出されたのが、これだ。
細長い、丈夫な紙で作られた美しい箱に収められた、焼き菓子。
継ぎ目が無く、穴も無い不可思議な透明な袋に納められたそれが開いた瞬間、辺りにはふわりとかすかに葡萄酒の風味を感じさせる、未知の酒の匂いが漂った。
そして、セレスティーヌ自身の手で良く磨かれた銀のナイフで切り分けられ、3人の前に並べられたのが、この焼き菓子。
…その美味は、尋常ではなかった。

「これは…そう…」
ジュリアンヌに尋ねられ、セレスティーヌはどこか諦めが漂う笑みを浮かべて、言う。

「悪魔のケーキ。そう、悪魔から貰ったの」
そう呟いて、弟子たちの倍ほどの大きさに切られた焼き菓子を食べるセレスティーヌの顔は何処か晴れやかで…

…後の世、女性の身ながら法王にまで上り詰めた聖人、セレスティーヌ=フレグラン。
強大な魔力と、広い慈悲の心を持つ光の神の信徒。

彼女が愛してやま無かった嗜好品に『悪魔のケーキ』と呼ばれるものがある。
ある日、悪魔から渡されたという冗談と共に、特に目を掛けていた3人の弟子に振舞ったという幻のケーキ。
それは酒精をたっぷり含んだ、芳しい香りと苦味があってとても甘いケーキで、弟子はおろかあのセレスティーヌですら誘惑に打ち勝つことが出来ないほどの美味であった。
…弟子たちの協力の末、10年の歳月を経てついに完成したそれを食べるとき、セレスティーヌ法王はいつも笑みを浮かべていたという。
法王に上り詰めてもなお、それを絶てないことを恥じながら…それでもなおその魔性の美味に顔を綻ばせながら。
今日はここまで
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