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異世界食堂 作者:犬塚惇平(犬派店主)
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ロースカツ

・一応ファンタジーです。
・剣も魔法も存在しますが、余り活躍はしません。
・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。
・出てくる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。
・最終回ではありません。
仰向けに転がっていると、抜けるような青空が目に入る。
それを見て、ようやくヨミは全てが終わったことを実感した。

―――世界は、滅んだのだろうか。

疲労困憊し、動かない身体でぼんやりとそんなことを考えると、ヨミの身体が恐怖にぶるりと震える。
手応えはあった……あったように思う。
魔王と呼ばれるほどの力を持っていた魔族が最後の最後、追い詰められた挙句に、己の生命を贄にして蘇らせたアレ……魔族が神と崇め、自分たちが邪神として恐れる化物。
蘇りたての赤子のような状態でもなお今まで葬り去って来たどの魔王よりも凄まじい力を有していた神と呼ぶに相応しいアレには、知性と呼べるようなものはおよそ存在しなかった。
ただただ貪りくらい、世界すらも飲み込む、生命の塊とでも言うべき代物だった。
あの時残っていた全ての闇の力を注ぎ込み、遥か古代に姿を消したという死と闇の化身たる黒の覇王の牙を鍛えて作られたという呪いの妖刀がへし折れるほどの一撃を浴びせたあの時にはあれを追い返した手応えを感じたが、もしあそこで仕留めきれていなければ、まず間違いなく世界は貪り食われて滅んでいることだろう。
(いや、考えても無駄、か)
ヨミの最後の一撃でアレは追い返し切れたのか、それとも足りなくてそのまま世界を貪り喰らっているのか、ヨミに確認する術はない。
どこまでも本能のままに生きるアレは、己に痛みを与えたヨミを遠ざけた。時空の壁を破り、二度と帰って来れないであろう彼方の異世界へと。
ヨミが落ちたのは、どこまでも広がる海の真上。どこを見渡しても水平線しか見えない場所から、ヨミは聖印と肌着を除く全ての装備を捨てて七日七晩日の沈む方向へ泳ぎ続け、こうしてどこかの浜辺へとたどり着き、生き延びた。
(せめて三人だけでも生き延びていればいいが)
こうして生き延びて、ヨミは案じるに値する三人について考える。
ヨミ以上の知性と魔術の腕を持つアルトに、長年の戦場働きで磨き抜いたヨミ以上の剣技と生き汚さを誇っていたアレクに、光の神の加護の強さにおいて、ヨミの受けていた闇の女神の加護を上回っていたレオ。
山の国開闢以来最悪の悪鬼(オウガ)と恐れられるほどに頑健な肉体を持っていた雄の精と、生まれつき強大な闇の加護を有していたが虚弱で、ヨミを産み落とすと同時に命を落とした闇の神殿の巫女であった雌の腹の二つを用いて『作られた』ヨミにとって、かつて住んでいた世界は共に魔王どもを殺してまわった三人の戦友を除けば全てが『どうでもよい』ものであった。
(いや、それよりも私がこれからどうするか、の方が重要か)
思考を切り替えて、ヨミはこれからどうするかを考える。
神殿に命じられた、ヨミが作られた最大の理由であった仕事は終わった。つまりもう、ヨミには生きねばならぬ理由は残っていない。
ヨミの眼前に広がる未来は、ちょうど今眺めている空のように空虚であった。
(いっそこのままここで果てるのも良いか……うん?)
広がる眼前に影が差し、ヨミは瞬きを一つした。
目の前に、男の顔が現れていた。
(なんだ。この世界にも人間がいるのか)
見た目から察するにヨミとそう歳は変わらぬであろう、山の国風の顔立ちをした男がヨミの理解できぬ異界の言葉で話しかけて来た。
男の表情は少し悲しげで、傍らには何やら黒い石のようなものが詰まった取っ手のついた木製の桶が置かれている。
殺気や下卑た気配は感じないことから物取りや人さらいの類ではなく、恐らくはこんなところで裸同然で転がっているヨミを心配しただけだと察することが出来た。
(全く分からんな。まあ仕方ないか)
東西二つの大陸の言葉両方に通じたヨミにも分からぬ異界の言葉に、改めてここが異世界なのだと察しつつ、ヨミは集中して魔術を発動させる。
旅の最中にアルトが編み出した、目の前の男の意識に直接つながることで、意思を疎通する魔術。
記憶や感情までは読めないが、相手の意図を察することで言葉を持たぬ獣や魔物の類とすら意思を通じ合わせ、何が言いたいかを知ることが出来る魔術である。
「お嬢さん。こんなところで寝っ転がってちゃ、風邪引いちまうよ……ダメか。参ったな、中国語も英語も通じないのか。ドイツ語は俺も知らねえんだが」
相手の意思を読み取りながら言葉を聞けば、何を言われているかくらいは分かる。
どうやら目の前の男は違う言葉で同じ文言を繰り返していたらしい。
「大丈夫だ。言葉は、分かる」
ヨミは相手に己の意思を渡しながら東大陸語で語りかける。それでこちらの言葉を異界の言葉として理解したらしい男が目を瞬かせて一言呟く。
「なんだ、お嬢さん普通に日本語喋れるんじゃねえか。まあ、良かった良かった」
言葉が通じて安堵したのかほう、と一つ息を吐き、それから改めて言葉を紡ぐ。
「とにかくお嬢さん、こんなところで寝っ転がってちゃダメだよ。風邪引いちまう……ほらそのなんだ、戦争は終わったんだし、お嬢さんはすごく綺麗なんだから、生きてりゃいいことの一つや二つあるって……そうだ。せっかくだからメシでも食ってけよ。俺、実家が大連にある洋食屋でさ、家出したあと終戦までは上海で洋食のシェフやってたんだ。材料も田舎まで昨日買い出しに出て、いい豚肉が手に入ったばっかだし、お代はいらない。袖すり合うも多少の縁っつうしな。ご馳走するよ」
どこか焦った笑顔を浮かべて、無数の言葉を男は紡ぐ。
「……メシ、か」
その言葉に、ヨミの腹が一つ鳴った。
確かに七日もの間、塩水以外何一つ口にしていないヨミは、空腹を感じていた。
「……すまないが厚意に甘えさせてもらおう」
考えてみれば財布も海の底に沈んだので金も何も無い状態だ。今は厚意に甘えるしかないだろう。
そう思い、立ち上がったヨミの時間がゆっくりと動き出す。
とりあえずは生きて、メシを食うという方向に向かって。
そして、ヨミは男が渡してきた上着をはおりながら歩き出す。
「ああそうだ。まだ名乗ってなかったな。俺は山方大樹(やまがた だいき)ってんだ。山に方向の方って書く。んで名前は寄らば大樹の陰の大樹。みんなに頼られるようなでかい男になれって親父が付けたって言ってた」
「そうか。私はヨミという」
男……ダイキと言葉を交わしながら、ヨミはしっかりと異界の地を踏み締めながら歩く。
(しかし何故この男は私にこんなに親切にするんだ?)
ダイキが何故、ヨミの本性を知らぬとはいえ『魔王殺し』と恐れられた自分にこんなにも構うのかと不思議に思いながら。

……ヨミがダイキにヨミは自分と同じく家族か夫か恋人を戦争で失って身投げをしたと思って繰り返させないよう必死だったと聞かされたのは、それから数年後、ニホンの役所で自分は西の大陸の生まれで親はもう死んでて天涯孤独の身と説明し、大いに同情されながら山方暦(こよみ)と名を改めたあとのことであった。

キュッとタクシーが止まる音を聞き、長い想い出の始まりを思い出していた暦はゆっくりと今へと戻ってきた。
「奥さん、ついたよ。商店街近くのねこやビルってここだろ」
愛想笑いを浮かべながらタクシーの運転手が暦に話しかける。
「……ああ、ついたのね。ありがとう」
少しだけ呆けたあと、窓の外に見慣れた建物を見つけたあと、礼と共にシワだらけの手で手元のバッグから財布を取り出し、金を渡す。
「はいありがとう。これ、お釣りね」
運転手は手馴れたものでヨミにお釣りを渡したあと、タクシーのドアを開ける。
「それじゃあまたのご利用をお待ちしています」
暦が降りたのを確認しタクシーが走り去るのを聞きながら、暦は眼前に広がる建物に目を細める。
(本当に……変わらないな)
名前の割に、目印となるのは一階に入ったテナントのフライングパピーと書かれた羽の生えた犬の看板である小さなビル。
十年以上前、ダイキが死んだときとほとんど変わらぬ姿に暦は懐かしそうに目を細めつつ、歩き出し、フライングパピー脇の、地下へと続く階段を降りる。
眼前に広がるのは慣れ親しんだ黒い猫の絵が描かれた扉と、そのすぐそばに置かれた『本日定休日。またのご利用をお待ちしています』と書かれた看板。
それをゆっくり一瞥して、バッグから扉と対になっている真鍮製の鍵を取り出し、ゆっくりと回す。
ガチャリと音を立てて扉に掛けられた鍵が開き、同時に扉に繋がれた魔道具の魔法が切れる。
(さて、行こうか)
真鍮のドアノブを下ろして開けば『カランカラン』と懐かしい音が響き渡る。
(ああ、やはりここは……異世界食堂なのだな)
それと同時に眼前に広がる、異様であり見慣れたかつて住んでいた世界の住人に、暦は目を細めながら扉をくぐる。
(うん、やはりあまり変わりは……っ!?)
独特の雰囲気と喧騒を感じつつ、満足そうに見渡していた暦がソレに気づいて顔をしかめる。
(あのバカ孫、一体何を呼び込んだ!?)
息を飲んで異様に薄い……常人であればいるのにすら気づかぬであろう薄い気配を持つソレを、暦は最大限の警戒をしながら見据える。
漆黒の黒髪を持つ、何故か漆黒のねこやのウェイトレスの服を着て、ゆっくりとパンとカレーを食う、一見すればエルフの娘。
だが、ヨミはソレがそんな生易しいものではないことを悟った。
(あれは『赤いの』以来の化物だな……)
異世界食堂が始まって何年か経った頃に現れた赤い怪物とほぼ同等の存在、すなわち自分でも手も足も出ない存在であることを、暦は確信していた。
(下手に手を出せばねこやどころか日本が滅ぶなアレは……)
幸い『黒いの』は何かをするつもりはないらしく、こちらを気にする素振りすら見せずにただただカレーを食べているだけだ。
下手に刺激しないほうが良いと判断し、暦はアレを気にしないことにする。老い先短い年寄りを余り驚かせないで欲しいと思いながら。
(っと、扉も戻して置かないとな)
戻して置かないと『赤いの』が何をするか分からない。
暦は少しだけ焦りながら、そっと入口のドアノブに手を当てて施錠して魔法を再発動させておく。
「あの、いらっしゃいませお客様。こちらに来るのは初めてなのでしょうか?」
施錠して、再び魔法を発動させてすぐ、声をかけられる。
「ええ。だいじょう……ぶよ。うん、ちょっと久しぶりで色々変わっていて驚いただけだから」
そうして話しかけてきたねこやのウェイトレス服に身を包んだ、金髪の上から見間違えようもない黒い山羊の角を生やした少女がかつて自分が散々に殺して回った魔族であると気づいて、本日二度目の驚きを飲み込みつつ、笑みを浮かべて答えを返す。
いくらダイキの料理の才能は受け継いだ分、暦の持っていた戦いの才能は全く受け継がなかったとはいえ、一応は血を引いているはずの孫の危機感の無さに少しだけ不安を感じながら。
「それでは席に……」
「いいえ。それには及ばないわ」
席に案内しようとする魔族の娘に対して軽く首を振って、暦は店の片隅に陣取る老人の座る席へと近づく。
「……相席よろしいかしら? ロースカツさん」
にっこりと笑い、問いかけると、いつものようにロースカツを肴にビールを飲んでいた老人の目が驚きに見開かれる。
「……ヨミ。お前まだ……」
七十年前に別れ、三十年前に再会し、そして十年前から今の今まで一度も見かけなかったかつての戦友。
それが突如目の前に現れたのだから、無理もない。
「……いや。問題ない。どうぞ、奥さん。一緒に楽しみましょう」
「ええ。ありがとう」
芝居掛かった様子で言葉を交わして席に着いたあと、その様子を見ていた魔族の娘に暦は注文をする。
「ロースカツをライスで。ご飯は大盛りでお願いね」
この世界において、最初に食べた料理であり、そして今なお最高の料理であると確信しているそれを。
「は、はい。少々お待ちください」
暦の注文と、ついでに無言の威圧感を感じたのか、魔族の娘が注文を受けてすぐ、厨房へと向かう。
暦の静かな敵意を感じ取ったのか、少しだけ怯えていた。
「あまり嫌ってやるなよ。時代は変わったんだ」
そんな暦を見て、ロースカツは苦笑しつつ暦に忠告する。
「……ええ、分かっているわ。そちらも色々と変わったのでしょう?」
その言葉に、改めて魔族を殺すことしか知らなかった自分が異世界で過ごした七十年という歳月は大きかったことを実感する。
それだけの時間が過ぎれば、全ては大きく変わるものだ。
「ああ。ほれ、三十年前に少し話をしただろう。魔族と手を組んだ帝国という国が新たに生まれたと。その帝国が随分と力をつけてな、今や東大陸最大の国の一つにまでなった。そのせいか王国や公国でも魔族が相応に人が住む街や里に住み着き、共に暮らすようになったのだ」
かつての、魔族とは互いに命を掛けて殺し合うものでしかないという、邪神戦争の頃の考えしか知らずそこで止まっている戦友に、ロースカツはかつての再会の時にも感じた時間の流れを改めて感じる。
(エルフどもなら、三十年などほんの瞬きにしか感じぬ時の流れなのかも知れんが、人間にとっては十分長い……私も老いるというものだ)
苦笑しつつ、料理が届くまでの間、色々と話をしようとロースカツは思った。

ロースカツ……邪神戦争の英雄である大賢者アルトリウスがかつての戦友であるヨミと再会したのは三十年前……異世界食堂が始まったときである。
遥か昔、エルフが異世界から持ち込まれてしまった未知の病が原因で大きく数を減らし衰退することになった『大病役』が引き起こされる前、エルフの侵略者はこの異世界にも進出していたらしい。
その当時に持ち込まれ、魔術が一般的でなかったが故にただの骨董品として世界を巡っていた異世界とロースカツの世界を結ぶ魔道具。
それを何の偶然か、はたまた神のご加護なのか手に入れたのが、既に異世界で四十年もの歳月を過ごし、孫まで為していたヨミであった。
かつて自分が住んでいた世界と、自分が今暮らしている異世界を結ぶ……行き来すら出来る魔道具を手にしたヨミは、己の夫でもあり異世界で唯一ヨミの正体と事情を聞いていた異世界食堂の先代の店主にどうすべきかを相談した。
そしてその時、先代の店主はこう言ったという。
「そういうことなら、向こうの世界の連中を招いて客にして見るか? 故郷がどうなったのか知りたいって気持ちは分らんでもないし」
その時の先代店主の思いつきが、異世界では一般的であるこの店が『異世界食堂』へと変わる切っ掛けとなった。
そして、一流の魔術の才能を持つヨミによって調整された魔道具で最初に招かれたのがヨミが知る限り最も魔術に優れていたアルトことアルトリウスであった。
(あの時は随分と驚いたものだ)
突如自室にいた己の目の前に見慣れぬ黒い扉が現れ、警戒と共に潜れば待っていたのは大昔に死んだはずの戦友、それから今まで食べたことが無いほどの美味であった異世界の料理。
大概の不思議なことは邪神戦争時代に経験していたアルトリウスにとっても驚きの連続であった。
(いや、その後の三十年も驚きに満ちていたがな)
アルトリウスは知っている。
この店の存在と、その料理の数々が三十年の間に随分と色々な変化を自分たちの世界に引き起こしたことを。
その影響は大小様々で、具体的に何が起こったのかまではアルトリウスですら全てを知るわけではない。
だが、恐らくはこの店が無ければ帝国はダンシャクの実を手に入れられず、今ほどの権勢は得られなかったであろう。
それぐらいの、大きい影響もあった。
(まったく、ここに関わるようになってから色々と変わりすぎであろう)
そんな気持ちを飲み込みながら、ロースカツは戦友に尋ねる。
「それでお前はこの十年、前の店主が死してからはどうやって過ごしていたのだ? ずっと姿を見せぬから私はてっきり、お前ももう冥府に旅立ったと思っていたぞ」
「ええ、あのあと私は孫の家で暮らすことになってね……」
長い空白を埋めるように、互いに言葉を交わしあう。
それは、暦が注文したロースカツが届くまで続いた。

そうして二人が言葉を交わし合っていると、ことりと暦の前に料理が置かれる。
「お待たせしました。ロースカツです」
「あら、ありがとう」
懐かしい友と話をしているうちに、少しは今に慣れたのか、魔族の娘に対してもごく自然に礼を言えるようになる。
まだ揚げたての芳しい香りを漂わせる、キャベツの水分と触れ合わぬよう網の上に置かれたロースカツと、山盛りの千切りキャベツの脇にそっと添えられたレモン。湯気を上げる茶碗に大盛りのライス。
ミソ汁と香の物という布陣とそこから漂う香りに、暦は目を細める。
(うむ。やはりトンカツ定食はこうでなくては)
箸を手に取り、手を合わせる。この時ばかりは口をつぐみ、食べることに専念するのが正道だ。
「……いただきます」
食前の祈りを捧げ、それからそっと箸でロースカツの真ん中をつまみ上げる。
最初のひと切れは一切何もつけずに食べるのが、暦の流儀である。
揚げたての香ばしい香りを漂わせたロースカツ。きつね色の衣から覗く灰色の肉と透き通った白い脂が見える肉厚の肉。
それを口へと運び、噛み千切る。
(……ああ、やっぱり美味いな)
さくりと揚がった衣と、下処理のおかげで分厚い割に柔かい肉。その肉についた脂から、じゅわりと脂が染み出して、肉汁と混ざり合う。
香ばしい衣と、瑞々しい肉。この二つをまず味わうために、あえて何もつけない。
それが暦が七十年の間に見出したこだわりであった。
(よし、次は……)
さくり、さくりと音を立てながらロースカツをひと切れ味わった後は、好みの味付けを施していく。
傍らに置かれたレモンを絞り、衣の上に垂らす。
それから卓の上に備え付けられたソースを取り、カツと千切りキャベツにたっぷりと掛ける。
黒と茶色の斑に色づいたロースカツの真ん中をつまみ上げ練からしをつけて、一口。
(うん! やっぱりソースだな)
肉の旨味と、衣の香ばしさを残しつつ、甘辛いソースの風味とレモンの鋭い酸味、そしてからしの鼻に抜ける辛さに暦は頷きつつ、茶碗に盛られたご飯を口へと運ぶ。
ソースとからし、レモン汁で味付けされて強い味を帯びたロースカツを、温かく甘みがあるご飯が優しく包み込む。
(それとメシ! トンカツを美味く食うにはやはりメシでなくてはな!)
元が米を主食とする山国の生まれで、邪神との戦いのあとの七十年を日本で過ごしてきた暦である。
素晴らしいロースカツにはビールより何よりご飯。
それが彼女なりの結論であった。
瞬く間に皿の上からカツが消え、千切りキャベツが消える。
それと共にご飯が、ミソ汁が無くなっていく。
「ふう……」
最後に一口、ソースをたっぷり吸って柔らかくなった端っこの部分を口に運んだあと、暦は満足げにため息を一つ吐く。
今、揚げ方や衣や肉の厚さ、ソースの配分などに孫なりの工夫が追加されたロースカツは大昔に食べた、ダイキのロースカツより美味しいとも思い、いやいやまだまだダイキのロースカツにはかなわないとも思う。
十年前から一度も食べていないため、その味は記憶の奥底にしか残っていないので、比べようが無いとも言う。
「……こちらに来てからは、本当に美味そうに食うな、お前は」
米粒一つ残さず綺麗に平らげた暦の様子を、ビールを飲みながら見ていたロースカツが呆れ半分、懐かしさ半分で暦に言う。
かつて、自分と共に旅していた頃、魔王殺しと呼ばれていた英雄は、何にも動じず、喜びも悲しみも何も感じず、ただただ魔族を狩る刃のような存在であった。
それが七十年という歳月のおかげか、それともこちらで良き縁に恵まれたのか、随分と人間らしくなった。
その変化を嬉しく思い、その七十年のほとんどを知る機会を得られなかったことを悲しくも思う。
「あら。美味しいものは美味しそうに食べるのが当然でしょう?」
そう言いつつ、通りかかった魔族の少女を呼び止め、声を掛ける。
「ごめんなさいね。悪いのだけれど、この店の店主を呼んでくださる? 大事な話があるの」
「はい?」
唐突に呼び止められ、目をぱちくりさせる少女に重ねて言う。
「……呼んでる客がいる。そう言えば多分わかると思うから、ね?」
そう言って暦はにこりと笑い、反論を封じたのであった。


魔族の少女が厨房に入ってすぐ、店主はゆっくりと暦のそばにたち、ため息をつく。
「……やっぱりバアちゃんだったか」
この展開は予測していた。ロースカツを頼む客は目の前の常連がよくやることだが、同時にご飯の大盛りを同時に所望する客となると、己の祖母だろうと当たりはつけていた。
「そうよ。今日はちょっと話があって」
「ああ。聞いてる。兄貴んとこの早希がここでバイトしたいって話だろ。一応面接はするけど、入ってもらう方向で考えてる」
兄貴の子供である姪っ子のことはある程度知っている。
大学に進学してからこっちで一人暮らししていることも、料理人志望で、料理がそこそこ上手であることも。
店主としても真面目にやるのであればバイトとして雇うには十分な腕前があるので、歓迎するつもりだった。
「そうね。それもあるからよろしくっていうのもそうだけど、もっと大事なことよ」
だが、そんな店主の確認に暦は首を振ってみせ、バッグからそっと金色に輝く鍵を取り出す。
「……正面の扉のマスターキー。これを渡しに来たの」
先代の死後ずっと暦が管理してきた鍵を託すにはひ孫がこの店で働くというのはちょうど良いきっかけになると、思い持参したのだ。
「合鍵なら持ってるけど?」
「合鍵では、ダメなの。この鍵には一つ、大事な力が宿ってる」
不思議そうに問う店主に暦はもう一度首を振り、マスターキーをそっと撫でて、説明する。
「……もし、貴方がいつか『異世界食堂を終わらせたい』と思う時が来たら、この鍵を折りなさい。そうすれば、あの扉の魔法は消えるから」
本当であれば十年前、ダイキが心臓発作で亡くなったあの時に『終わらせる』べきだったのかも知れない。
だが、そうはならなかった。
葬式を終えて間もない次の土曜日に、まだ若者の欠片が残っていた店主がいつものように店を開いたのだ。

「……じいさんが言ってたんだ。『もし俺になんかあったら、お前に全部任せる。売っぱらってもいいが、出来れば続けてくれや』ってさ」

幼い頃から生粋の料理人であるダイキと共に暮らしてきた孫は当然のように料理人として修行を重ね、立派に洋食のねこやを継いで見せた。
先代の頃はやっていなかった様々なことをやり、先代の頃より更に流行らせてみせ、新たな常連を捕まえて見せた。
……洋食のねこやはもう、ダイキの店ではない。ならばそろそろ、すべてを託すべきなのだろう。
「……分かった。こいつは貰っておくよ」
そんな暦の気持ちを汲み取ったのか、店主はそっとマスターキーを受け取り、胸ポケットに入れる。
「……それではまた、いつでもお越し下さい。お待ちしておりますので」
それから恭しく、洋食のねこやを誰よりも長く支え続けてきたお客様に、深く頭を下げる。
「ええ。またいつか、今度は定休日じゃない平日に寄らせてもらうわ……悪いんだけど、裏口を使わせて貰えるかしら?」
もしあの扉を今くぐったら、自分はこちらに残るのか、あちらに行ってしまうのか。
それを試すつもりは、暦にはなかった。
(私の故郷は、ここだ。ここでいい。ダイキが生きて死んだこの地で私も死にたい)
そう素直に思う暦には、迷いなど欠片もなかったのである。
今日はここまで。
次週はお休みです。
+注意+
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