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カルビ丼

・一応ファンタジーです。

・剣も魔法も存在しますが、あまり活躍はしません。

・店主は普通のおっさんです。料理以外できません。

・訪れる客は毎回変わります。ただしたまに常連となる客もいます。

・若いお客様も歓迎いたします。


以上のことに注意して、お楽しみいただけると幸いです。

太陽が南天に輝く少し前のこの時間、海国の宮殿の最奥にある自室でシュイリーは出かける準備をしていた。

いつもはシュイリーの着替えを担当しているお付の女官が出ている時間を見計らい、自分の手だけで着替えを始める。


着るものは陰陽師による玉体を守るための呪い(まじない)が一切掛けられていない、この宮殿では一番の安物である女官服。

服に焚き染める香も、シュイリーの一族以外が使うことを法で禁じている最上級のものよりは数段格が落ちるものを選んだ。

普段愛用している、自分の髪と同じ色の黒真珠の耳飾りと、この国に嫁いでくるまでは東の大国である『王国』の姫であった母譲りの瞳の色と同じ蒼玉の簪をはじめとする宝石の類は目立ちすぎるので外し、化粧も無し。

どれもこれから行く場所には不要なものだし、何よりシュイリーの望む『変装』にはならない。

(ええ。こんなものですわね)

そして着替えを終えて、専門の職人が磨き上げた銀の一枚板で出来た鏡に全身を写して確認し、納得する。

異国の血が混じった、齢14にして宮廷内の道化師や詩人から『傾国』と称される独特の美貌だけはどうしようも無いが、それ以外は全て完璧。

(ああ、今のわたくしの姿はどう見てもただの庶民の娘。きっと誰もわたくしの本性を察することなどできませんわ)

己が変装の完璧さにうっとりする。

その姿はまさにシュイリーの信じる『庶民の娘』の姿そのものであった。

(では、参りましょうか)

ひとしきり準備を終え、庶民の姿を口うるさい女官に見られぬよう気をつけながら、シュイリーは外出する。

向かう先は、宮殿の中庭にある花園。

四季折々の花が咲き乱れるこの場所こそが、シュイリーの目指す場所の『通り道』であった。


芳しい香を漂わせながら冬以外は一年を通じて様々な花の咲き乱れる花園。

その片隅に立つ林の中へとシュイリーは入っていく。

(……やはり。あの狐男は今日は酒宴と言うのはまことでしたわ)

林の中に踏み入り、そこにいつも掛けられている道惑いの呪が今日は掛けられていないことを察し、シュイリーの足取りは軽くなる。


シュイリーが懇意にしている、宮中の噂に通じた世話役の女官から聞きだした話は間違っていなかった。

あの狐を思わせる宮廷陰陽師は、今日は外務を担当する宰相が主催した酒宴に出るために宮殿を離れている。

公務や宴などで宮殿を離れている間は、あの海国きってのやり手である陰陽師は普段は誰も『あの場所』に近づけないようにこの辺りに掛けている道惑いの呪を解除する。

……それが『ドヨウ』と重なる日、数ヶ月に一度あるか無いかというこの日をこそ、シュイリーは待ち望んでいた。


そしてシュイリーはついに目的のものに対峙する。

(……3ヶ月ぶりですわね)

猫の絵が描かれた、黒い扉。

そここそが、シュイリーがあの陰陽師の目を盗み、こうして庶民の変装をしてまで訪れている場所。

久方ぶりに食べる『あの料理』を思い出してごくりと唾を飲みながら、扉の取っ手を握り締め……開く。


チリンチリンと音を立てる扉をくぐり、シュイリーはそこに立つ。

「おや、いらっしゃいませ。お久しぶりですね」

「ええ。出迎えご苦労様……いつものものをお願いしますわ」

出迎える店主ににっこりと笑みを浮かべ、言う。

あの日、宮廷の庭に無断で侵入した罪を見逃すことを条件に案内させた、どこか鼠を思わせる貧相な姿の、自称詩人である旅小人(はぁふりんぐ)に連れられてこの場所を訪れ、それを口にした日より、シュイリーが頼む料理は決まっている。

「はいよ。少々お待ち下さい……そいじゃあごゆっくり」

店主も慣れたものでその言葉に応じて奥へと引っ込む。

そう、こここそは異世界食堂。

シュイリーが愛してやまぬ、海国ではけして食べられぬ『あの料理』を出す店である。


(ふふ……相も変わらず賑やかな場所ですわね)

適当な席に腰掛け、じっと料理を待つ間、料理屋の喧騒と言うものが珍しいシュイリーは静かに辺りを観察する。

異世界食堂の客は実に多種多様。

種族も生まれもまるで違う客たちがそれぞれに料理を食べている。

そしてその中にはシュイリーのような高貴な生まれの客も何人か居る。


例えば、かつてシュイリーも幼い頃に姿を見かけたことがある、黄色くて柔らかそうなものを食べる、青みがかった銀の髪と色の薄い空色の瞳、半森賢人(はぁふえるふ)の証たる尖った耳、出来の良い人形のように整った美貌を持つ、大賢者の弟子である魔女姫。

例えば、黒いかっふぁに白いあいすくりぃむを浮かべたものと綺麗な澄んだ緑色の飲み物にそふとくりぃむを浮かべたものを食べる、父の側室の1人と同じ、砂の国の貴人であろう派手な装束に身を包んだ銅色の肌と彫りの深い顔立ち、そして黒真珠色の瞳と絹のように滑らかな黒い髪を持つ兄妹。

そしてその砂の国の貴人たちがそれとなく気に掛けている気配を感じる、今までシュイリーが見たことが無い淡い金の髪と抜けるような白い肌の美しい娘は美しい細工物のように硝子の杯に飾られた、派手な菓子を食べている。

(ふふっ……皆、分かっておりませんわね)

彼らの食べているものはどれもシュイリーが知る『この店で一番美味な料理』からは程遠い品。

そのことに密かに優越感を感じながら、シュイリーはじっとその料理を待つ。そして。


「お待たせしました! お料理をお持ちしました……ええっと、これ、間違ってません……よね?」

「ええ。これで間違いありませんわ」

何故か困惑しながら給仕をする、新しく雇われたのであろう魔族の召使いの確認に頷く。

召使いの持ってきた盆に乗っている料理は、間違いなくシュイリーが愛してやまぬあれ。

その香ばしい匂いがここまで漂ってきて、シュイリーは知らず知らずのうちにごくりと唾を飲んでいた。

「それじゃあ、どうぞ」

その様子に納得したのか、魔族の召使いはそっとシュイリーの前にみそで味付けされたすぅぷと食後用の氷が浮いた硝子の杯に入れられた茶と共にその料理を置く。

その料理に使われる食器は、ただ1つの大きな碗のみ。

そこに盛られているのは白い米と鮮やかな色の野菜……そして、しっかりと味付けされて焼かれた牛の肉。

「ああっ……何度待ちわびたことでしょう。この異世界の『かるび丼』を」

3ヶ月ぶりに目にするその料理にシュイリーは思わず声を上げる。

旅小人に案内された異世界食堂において、初めて食べた日から2年。

シュイリーにとっての最高のご馳走。

それこそがこの『かるび丼』であった。


「それじゃあごゆっくりどうぞ。デザートは食べ終えた頃にお持ちしますので」

そそくさと他の客の給仕の仕事に戻った魔族の召使いを見送り、シュイリーはいよいよかるび丼に手をつける。

(まずは持ち上げて……見た目と香りを楽しむ)

あの日、旅小人が笑いながら教えた『かるび丼を一番美味しく食べるための異世界の作法』に従い、シュイリーは碗を持ち上げる。

料理が冷めぬよう、程よく温められた碗がほんのりとシュイリーの掌に熱を、シュイリーの細腕に重さを返してくる。

シュイリーの細腕には少し重い、大きな碗入りの料理の重さ。

目の前に寄せられた『かるび丼』がシュイリーを誘惑する。

碗の下にたっぷりと盛られた白い米が見えなくなるほど置かれた具。

鮮やかな橙色をした、かすかな甘みを持つかりゅうと。

茹で上げられてなお濃い緑の色を残した、おおとり草。

透き通った白く細長い、森賢人(えるふ)豆の芽。

そして白い種のようなものが振りかけられ、味付けの汁で茶色く染まった、肉。


次にそっと顔の前に近づけて、軽く息を吸う。

整った鼻に吸い込まれた香りは、炊きたての米の甘い香りと、焼きたての香ばしい肉の香、そして甘じょっぱくて刺激的な味付け汁の香。

その3つが交じり合った香りに、喉の奥……胃の腑がかすかに鳴くのを感じる。

(ああもう……辛抱なりませんわ!)

海国の伝統作法から見るとかなり下品な『異世界の作法』に従い、シュイリーはかるび丼を食べ始める。

まずは汁のたっぷりしみこんだ肉を持ち上げ、小鳥が木の実をついばむように、少しだけ口に含んで歯で直に噛み千切る。

(ああこの味!何度これを夢に見たことでしょう!)

舌の上に広がるのは、柔らかな肉の含む肉汁と、かすかに歯ごたえのある脂身の味。

海国の宮殿で出される、長時間の煮込みや焼きで肉や魚に含まれる『穢れ』を徹底的に廃した肉や魚にはないそれが口の中にあふれ出し、口の中は肉一色に染まる。

そしてそれを支え、味を芸術の域にまで高めているのが、その肉の味付けに使われている汁。


それは果物の甘さと、かすかな香辛料の辛さ、魚醤に似ているが確かに違う、シュイリーの知識には無い塩気、そしてそれらに混ぜられた何かの種の油を含んだ香ばしさ。

それらが全部交じり合った複雑な汁の、単品で食べれば強すぎる味が、肉汁と脂をたっぷりと含んだ肉とは暴力的なまでに相性が良い。

(ですがここからがかるび丼の本番!)

だが、ここで気を抜いてはいけない。

肉だけではない。肉だけでは、かるび丼は完成しない。

1度動き出してしまった以上、もはやシュイリーに戸惑いは微塵も無い。

シュイリーは更なる味を楽しむため、碗に箸を差し込む。

そしてそのまま……肉を持ち上げたことであらわになった米を一口だけ取り、口に放り込む!

(――――!)

もはや、頭のなかにすら言葉は浮かばない。

口の中にふわりと広がる、海国のものより甘い米の香と味。

柔らかく炊けた米が、口の中を蹂躙する肉と交じり合っていく。

そしてその末に現れるものこそがシュイリーを虜にしてやまぬ、至高の味。


この味がシュイリーを惑わし、シュイリーは『海国の高貴なる姫』ではなく、1人の『育ち盛りの若い少女』へと変貌する。


味覚だけではない。

甘辛い匂いを、色鮮やかな野菜と肉と米の対比を、手のひらから伝わる碗の熱さを、そしてなにより胃袋から沸きあがる食欲を楽しみながら、シュイリーは目の前の料理をゆっくりと少しずつ平らげていく。

肉を、米を食う。服を汚さぬよう、慎重に。

口直しにそれぞれ薄い塩で味付けされた濃い緑の味がするおおとり草を、かすかに甘いかりゅうとを、心地よい歯ごたえがある森賢人豆の芽を口にしていく。

それ自体は非常に薄い味しかしない……それこそが米と肉という暴力的な組み合わせの味を新鮮に楽しませるための、この上ない口直しになる。

次に、野菜と共に肉を、米を食う。

完成された肉と米に、新たに野菜の味が加わることで、かるび丼はまた違う味わいを魅せる。

肉汁と味付けの汁に歯ごたえの良い野菜の食感。

それがまた、たまらない。

そして何口かかるび丼を食したところで、海草が浮いたみそのすぅぷを一口、器から直にすする。

その、かるび丼とは違う味が舌を休ませ……気分を新たにしたことで更にかるび丼を食べ続ける原動力となる。


言葉は発しない。舌は既に味わうために全て使われているのだから。

かくてめくるめく味の競演が繰り広げられていく。


やがて、競演は終わりを告げる。

「―――ふう」

普通の客より幾ばくか時間をかけながら全てを食べ終えたシュイリーが、最後に氷入りの冷たい茶を楽しみながら、肉の香が混じった息を吐く。

すべてを終えた後に残るのは圧倒的な満腹感。

普段の味気ない食事ではついぞ感じたことが無いお腹の重さにシュイリーは満足と、幸せすら覚える。

(やはりかるび丼こそ、異世界の最高のご馳走―――)

そう考えながら半ば放心していると、先ほどの召使いがそれを持ってくる。

「あの、デザートのソフトクリームを持ってきました。器、片付けさせていただきますね」

「ええ。よしなに」

全てを綺麗に食べつくした器が下げられ、代わりに置かれるのは、白く柔らかな、冷たいそふとくりぃむを持った器。

「……ああ、甘い……」

その、濃厚で冷たい甘さが先ほどまでのかるび丼との、戦いと言ってもよい食事の締めにはぴったり。

シュイリーは先ほどまでのかるび丼の食事と同じく一匙、一匙とゆっくりそふとくりぃむを味わっていく。

そして、そふとくりぃむに満たされた器がすっかりと空になったころ。

「ふう……満足いたしました。わたくしはこれでお暇させていただきますわ」

店の召使いに、シュイリーはそっと勘定を卓の上に置く。


シュイリー自身にはここ以外では使い道の無い銀貨。

側仕えの女官に頼み、何枚か融通してもらったそれを、たった1枚だけ。

そう、かるび丼と茶とそふとくりぃむ。

これらの値段は、全てを合わせてようやく銀貨1枚にしかならない。

(―――本当に、こんなものでよろしいのかしら?)

毎回思うがこれ以上は店主は決して受け取ろうとはしないことを知るシュイリーはそっと銀貨を置いていく。

シュイリーがこの店に返すささやかな対価。

あの素晴らしい味を考えると破格の値だと思う。

「はい! ありがとうございました!」

それを受け取りながら卓の上を片付け始めた召使いを見ながら、シュイリーは店を後にする。


―――かるび丼は一気呵成に平らげ、食べ終えた後はそふとくりぃむで締めるべし。

   そして食べ終えたらすぐに立ち去るべし。


かつて、この店にシュイリーを誘った旅小人の教えに従い、シュイリーは元の、宮殿の中庭の林に戻る。

(……今日はもう、昼餐は不要ですわね……)

胃袋の辺りを撫で、再び着替えるべく自室に戻りながら、そんなことを考える。


時刻はそろそろ昼餐の時間だが、今はとても他の料理を口にする気分ではない。

体調が優れぬとでも言って断ろう。

この満腹感があれば、他の料理など無粋と言うしかないのだから。


太陽が中天に差し掛かる頃、シュイリーは密かにそんな決意を固めるのであった。

今日はここまで

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