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犯人は私

作者: 芹沢 祐

 私は悪くない。

 だれもいない小学校の玄関で、踵がつぶれた自分のスニーカーをにらんだ。

 寝坊しちゃったのは、お母さんがいつもより早く仕事に出掛けたからだもん。私は起きたつもりだった。二度寝するつもりじゃなかった。時計の針が意地悪したの。

 もうとっくに授業は始まっている。遅れて教室に入って、みんなから注目されるのイヤだなぁ。

 「やまもと あや」という自分の名前が書かれた靴箱の下段にスニーカーを押し込んで、上段からボロボロの上履きを引きずり出した。埃も一緒に出てきて、くしゃみしてしまう。あぁ、本当に最悪。

 上履きに爪先を引っかけた私は、真新しいネームシールの靴箱をにらんだ。赤い靴が礼儀正しく収まっている。キズも泥もついていない、ぴかぴかの靴だ。

 全部この子のせいだ。この子が夢に出てきたせいだ。

 だれもいない玄関は、私以外の人間が神隠しに遭ったのかと思うくらい静かで、心臓の音だけがトクトクと聞こえた。

 ランドセルの帯をぎゅっと掴んで、きれいに揃えられた赤い靴をじっと見ていた。

 私は悪くない。悪いのは杏奈ちゃんだもん。

 汗ばんだ指先で靴の踵を挟んで引き寄せると、ウサギ柄の中敷きが見えた。可愛くて、杏奈ちゃんには良く似合う。私にはちっとも似合わない。

 監視カメラに見られているんじゃないかと思って周りを確認したけど、あまりキョロキョロしたら逆に怪しまれると思って、ロボットみたいに首を固定した。

 見るだけ。見るだけだもん。悪いことじゃない。

 それなのに私の心臓の音はどんどん強くなって、全身が脈打つのが分かった。

 息をするだけで、だれかに見つかってしまいそう。

 体重移動するだけで、だれかに気づかれてしまいそう。

 ――ガラガラッ。どこかの扉が開く稲光のような音。怖かった。

 私は靴を両手に抱きしめて、教室とは反対の方向に駆け出した。ランドセルがかちゃかちゃと鳴って、心臓がドキドキ鳴っている。

 玄関を飛び出した先で、だれかが手を振っていた。一瞬足を止めそうになったけど、目をそらして走った。私は正体を知っている。

 ススキなんかちっとも怖くない。


   ※   ※   ※


 宮原 杏奈ちゃんは、二学期の始業式に私たち三年生のクラスに転入してきた。

 夏休みでこんがり焼けた私たちの肌とは違い、雪のように白い肌をもつ杏奈ちゃんはお父さんの仕事で都会から引っ越してきたのだ。

 山と田んぼと商店街しかないこの町からは何時間もかかる都会で暮らしていたという杏奈ちゃんはたちまち注目の的になり、みんなが次々と話しかけた。杏奈ちゃんはえくぼを浮かべてひとりひとりの質問に丁寧に答える。芸能人を見たことがある、電車にひとりで乗って通学していた、可愛い服を何着も持っている。二つに分けて結んでいる髪飾りも、前の学校で流行っていたものらしい。杏奈ちゃんの口から語られる都会の暮らしにみんながうっとりした。

 だけど一ヶ月も経つとだれも都会の話を聞かなくなり、物珍しさも忘れ去られていた。その間に杏奈ちゃんは仲間を見つけ、休憩時間に図書室に行く有希ちゃんや文香ふみかちゃんと一緒に過ごすようになっていた。

「ねぇ、杏奈ちゃんってさ」

 男子に交じってドッヂボールをしていた私に、同じチームの千尋ちゃんが近づいてくる。保育園からずっと一緒にいる千尋ちゃんは、夏休み中、学校のプールで泳いでいたから歯と目玉以外は真っ黒だ。

「本、あんまり好きじゃないのかな」

「どうして? いつも図書室行ってるよ」

 私たちめがけてボールが跳んでくる。お互い逆方向に避けた。だけど千尋ちゃんはすぐカニ歩きで戻ってくる。

「でもさ、いつも同じ本借りてるよ。不思議の国のアリス。他の本を借りているところ見たことない」

 図書委員の千尋ちゃんは図書室で本の貸出をすることがある。だから知っているのだ。

「あたしのお母さんが言ってたけど、杏奈ちゃんのお家はいろいろ大変なんだって。お母さんが心の病気で、家のことなにもできないみたい。お父さんもリストラに遭って、仕事探してこっちに来たんだって」

「ふぅん」

 杏奈ちゃんが大変なのは分かったけど、私には関係ない。


「千尋ちゃん、帰ろう」

 その日も、私はいつものように千尋ちゃんを誘った。十月に入って時々冷たい風が吹くようになったけど、千尋ちゃんはまだ半袖のままだ。

「ちょっと待ってて。杏奈ちゃんが図書室寄りたいんだって」

「え、杏奈ちゃんと一緒に帰るの?」

 びっくりして聞き返してしまった。団地に住む杏奈ちゃんはいつも有希ちゃんたちと帰っている。私たちも方向は同じだけど一緒に帰ったのは一回か二回だけ。

「昨日のくじ引きで同じ係になったから」

 と笑う千尋ちゃんに、杏奈ちゃんなんか放っておいて二人で帰ろう、と言いたかった。だけど杏奈ちゃんが近づいてきたから黙るしかない。

 千尋ちゃんの隣で立ち止まった杏奈ちゃんは、えくぼを刻んで「綾ちゃん、行こう」と手を伸ばしてきた。きらきらした、お姫様のような笑顔だ。私は首を振る。

「……いい、行かない。帰る」

 杏奈ちゃんは顔を曇らせて、

「じゃあ、気をつけてね。ばいばい」

 と手を振った。小さな手だ。

 ちっちゃな肩を突き飛ばしてやりたいと思ったけど、千尋ちゃんの前ではそんなこと出来ない。

 一人で玄関を出たけど、いつもはなんでもないランドセルがやけに重くて、無性に捨てたくなった。

 学校のすぐ裏手にはススキ畑が広がっている。いろんなものが捨ててあって危ない、と担任の金子先生に注意されているので普段は近づいたりしない。だけどランドセルを捨てるならここだと思った。

「……うわぁ」

 さわさわ、と風に揺れるススキ。心臓がトクトク鳴った。とても背が高い。どこまでも広くて、海みたいだ。おじいちゃんの田んぼとは全然違う。稲穂はもっとぴかぴかして誇らしげに頭を垂れているのに、ススキたちは白髪のような先っぽをいい加減に揺らしているだけだ。

 山からの風が吹くと一斉に揺れて、かわいそうに、かわいそうに、って私を冷やかしているみたいだった。

 もしここにランドセルが捨ててあったら、千尋ちゃんは私のものだと気づいて拾ってくれるだろうか。

 ううん、そんなはずない。ここはだれも見ない。だれも来ない。ランドセルを置いて帰ったらお母さんに怒られるだけだ。

 それに、このススキ畑には入りたくない。背の低い私はきっと溺れてしまう。

 私はススキ畑にランドセルを向けていつもの通学路を歩き出した。数十分後にこの道を通る二人の姿を想像しては、涙が出そうになって、唇を噛んだ。

 悔しかった。悲しかった。淋しかった。

 いつも私の隣にいて笑っている千尋ちゃんは、いまごろ杏奈ちゃんの隣で笑っているのだ。杏奈ちゃんは私の特等席を奪ったことも知らず笑っているのだ。

 なんで杏奈ちゃんが転校してきたの?

「いなくなっちゃえばいいのに」

 大きく振りかぶって蹴り上げた石ころは、乾いたコンクリートの上を跳ねまわったあと、水気のない溝に転がり落ちた。


「綾ちゃん、一緒に帰ろう」

 歯科に行く千尋ちゃんがお母さんの車で帰ってしまった日があった。ランドセルに教科書を押し込んでいると、珍しく杏奈ちゃんの方から声をかけてきた。

 杏奈ちゃんが千尋ちゃんと行動するようになってから、私は杏奈ちゃんを避けていた。休み時間は一人で縄跳びをしたし、下校するときも二人を置いてずんずん歩いた。徹底的に杏奈ちゃんを無視した。

 杏奈ちゃんにとって私は千尋ちゃんのおまけなんだ。一人ぼっちで帰るのは淋しいから、こうやって声をかけてくる。私はあの日一人きりで帰ったのに。ずるい。

 歩き出してすぐ「手をつなごう」と言われた。前にいた学校では、仲の良い友達同士が手をつないで帰るのが当たり前になっていて、それをやらないと落ち着かないんだって。

 千尋ちゃんと手をつないでいるのは見ていたけど、私たちが手をつなぐのはきょうが初めてだった。ススキのような白い手に掴まれるのは気持ち悪い。早く放したいと思ったし、早く家に帰りたいと思った。

 ふと、杏奈ちゃんが履いている靴に視線が吸い寄せられた。つないでいた手をそっと外し、靴を指さす。

「真っ赤な靴、可愛いね」

 杏奈ちゃんは頬を赤くして喜んだ。

「お父さんがね、買ってくれたの。中にウサギさんがプリントされているんだよ。杏奈、ウサギさんが大好きだから」

「あぁ。だから、いつもウサギみたいに髪を二つに結んでるんだね」

「うん、お母さんが結んでくれるの」

 杏奈ちゃんは糸みたいに細い髪を撫でた。

 なんとなく自分の短い髪を撫でてみたけど、指先に引っかかるだけで、杏奈ちゃんみたいに手で梳かすことは出来ない。

 杏奈ちゃんは私が欲しいものをいっぱい持っている。私が持っていないものばかり持っている。私が持っているものを盗んでいく。

 そうやって人のものを取っていること、知っているのかな? そうやって人を傷つけていること、分かっているのかな?

「この靴、杏奈の宝物にするの」

「……ふぅん」

 さわさわさわさわ。

 頭の中で、ススキの揺れる音が聞こえた。杏奈ちゃんがあんまり幸せそうな顔をしていたからだ。


   ※   ※   ※


 杏奈ちゃんの「宝物」を盗んだ日の放課後。

 なにも知らない杏奈ちゃんは図書室に寄った。杏奈ちゃんを待つ千尋ちゃんに私もついていく。

 図書室で杏奈ちゃんが借りる本は分かっている。『不思議の国のアリス』だ。期限になると一旦返して、次に借りる人がいなければまた借りる。その繰り返し。

 貸し出し手続きをするまで、私は近くの本棚を眺めていた。「雑草図鑑」を手に取り、ススキの項目を開いた。日当たりの良い所に株立ちしているススキは、秋風で種子を飛ばしどこまでも飛んでいく――と書かれたあとに「幽霊の正体見たり枯れ尾花」という文がある。

 恐怖心や疑いの気持ちがあるとススキの穂が幽霊に見えるという意味の故事だ。逆に恐ろしいと思っていたものが、実はなんでもなかったという意味もある。

 怖いものが怖くなくなるって、どういうことだろう。

「綾ちゃん、なにか借りるの?」

 ひょい、と杏奈ちゃんが覗き込んでくる。私は首を振りながら本を閉じ、本棚にぎゅっと押し込んだ。

「待たせてごめんね。いま手続きするから」

 杏奈ちゃんはいつもとは違う本を腕に抱えている。私の視線に気づいた杏奈ちゃんは恥ずかしそうに頬を掻いた。

「えへへ、ドッヂボールの本借りるの。外でみんなと遊びたくて。綾ちゃんはいつも楽しそうだったよね、羨ましい」

 羨ましい、という言葉に私は首をひねった。

「杏奈ちゃんは本を読むのが好きなんじゃないの?」

 有希ちゃんたちと最初に友達になったのも本が好きだからと思っていた。

 杏奈ちゃんはもじもじと恥ずかしそうに肩を揺らす。

「外でかけっこやサッカーする方が好きなの。本は苦手。ケガするとお母さんが心配するから我慢していたんだけど、千尋ちゃんや綾ちゃんを見ているとソワソワしちゃって」

 杏奈ちゃんは照れたように笑って、スカートの裾をぎゅっと掴んだ。

「可愛い服も好きだけど、杏奈はウサギさんみたいにぴょんぴょん動きたいの」

 本当は外で遊びたかったのに、お母さんの気持ちを大事にしてずっと我慢していたのかな。だから本も同じものしか借りなかった。

「だから千尋ちゃんと同じ係になって、一緒に遊べるようになって嬉しかった。お母さんにもね、ちゃんと伝えたの。外にいる方が楽しいって。そうしたらケガしないよう気をつけてね、って言ってくれた」

 杏奈ちゃんはこんなに頑張っていたのに、私はなんにも知らずに、千尋ちゃんをとられたと思って拗ねていた。

「わたし、綾ちゃんとも友達になりたい。綾ちゃんはわたしのこと嫌いかもしれないけど、好きになってもらえるよう頑張るから」

 ドキッと胸が跳ねた。杏奈ちゃんは私の気持ち、知っていた。

 私は杏奈ちゃんのこと勝手に嫌いになって、そして――。

 そのとき、図書室の扉が開いて有希ちゃんと文香ちゃんが顔を出した。

「あー、やっぱり杏奈ちゃんいるよ。おかしいね」

 有希ちゃんの声に、私の心臓が凍りつく。

「どうしたの?」

 千尋ちゃんの問いかけに文香ちゃんが身振り手振りで応える。

「帰ろうとしたら玄関で金子先生に会ってね、返し忘れた連絡帳をくれたの。杏奈ちゃんを知らないって聞かれたから、靴がないから帰っちゃったと思いますって言ったら、ランドセルが教室に残っていたって言われて」

「靴がなかったの?」

 二人は同時に頷いた。

「なかったよ」

「赤い靴だもん、間違えないよ」

 ドキドキ。心臓が飛び出しそう。

「杏奈ちゃん、見に行こう」

 言葉を失っている杏奈ちゃんの腕を掴んで、千尋ちゃんが駆け出す。有希ちゃんと文香ちゃんも追いかけるように走り出した。

 ――首をはねておしまい!

 ぽつんと残された私は、ハートの女王様の言葉を思い出してゾッとした。


 遅れて玄関に到着すると、千尋ちゃんたちが靴箱の周りをきょろきょろと見て回っていた。肩を震わせて泣いている杏奈ちゃんを先生がなだめている。

「杏奈の……杏奈の靴……ウサギさん」

「大丈夫、きっとすぐに見つかるから」

 背中をさすられても、杏奈ちゃんの泣き声は止まらない。帰ろうとしていた他のクラスの人も次々と立ち止まって、靴探しに協力している。

「先生、ないよ。どこにも入ってない」

「傘入れやゴミ箱も探したけど、ないよ」

 二人からの報告を受けて、先生も困り顔。

「ありがとう、有希ちゃん、文香ちゃん。どうしてないのかしらね。だれかが間違って履いていったのかしらね」

 靴箱によじ登って上を探していた千尋ちゃんが、強く声を上げた。

「でも、靴箱にはちゃんと名前が書いてあるし、杏奈ちゃんの靴と同じもの持っている人いないよ。あんまり可愛いから持って行っちゃったんだよ」

 悲しみが頂点に達した杏奈ちゃんは、赤ん坊みたいに声を張り上げた。

「杏奈の、杏奈の靴……杏奈のなの、杏奈のウサギさんなのォ」

 先生の腕の中で泣く杏奈ちゃん。先生はその頭を撫でていたけど、突然、私の方を振り返った。

「ねぇ、綾ちゃん今朝ちょっと遅れちゃったじゃない? その時はどうだった?」

 その場にいたみんなが、私を見た。

 私の心臓は、ドキドキと鳴り続けている。外に聞こえたらどうするの? 私が、私が隠したってばれたら、どうなるの?

 ――嫌われるに決まっている。

 さわさわ、とススキが笑う。

「あの、朝は、杏奈ちゃんの靴があったかどうか、見ませんでした」

 少しだけ声が震えてしまった。だけど先生には気づかれなかったみたい。

「そうなの。あ、疑ったわけじゃないのよ。最後に来たから、聞いてみただけ」

 杏奈ちゃんが弱々しく顔を上げた。

「綾ちゃんは、そんなことしないよ」

 ウサギみたいに目を赤くしているけど、はっきりした声だった。

「先生、他のところも探してみよう」

 下に降りてきた千尋ちゃんの言葉に、先生も「そうね」と頷く。

「でも、もうすぐ暗くなるから一時間だけね」

 みんなそれぞれ散っていく。教室、食堂、体育館、外。

 千尋ちゃんが向かったのは、私が石を落とした排水溝だ。溜まっていたゴミや落ち葉を小枝でかき分けながら靴を探している。

 私は、千尋ちゃんの横にしゃがみ、靴を探しているふりをした。

 千尋ちゃんは口を開かずに、黙々と小枝を動かしている。

 どうしよう。ここじゃないよって言おうか。でも犯人が私だって分かってしまう。

「ひどいよねぇ、なんで靴をとったりするんだろう。杏奈ちゃんはなんにも悪いことしてないのに」

 千尋ちゃんの声はとても怒っていた。

「杏奈ちゃんが可哀想だよ。やっと仲良くなれたのに」

「……うん」

 夕暮れの風が私の頬を叩く。

 ――知っているくせに、知っているくせに、と頭の中でススキが叫ぶ。

「あたしだって、靴がなくなっていたら泣いちゃう。だれかに意地悪されるようなひどいことを自分がしていたのかもしれないって思って、すごく悲しいと思う」

 それは、杏奈ちゃんが千尋ちゃんと仲良くなったから。

 杏奈ちゃんが千尋ちゃんを取ったから。

 私が、杏奈ちゃんを嫌いになったから……。杏奈ちゃんは私のこと、嫌ってなんかいなかったのに。

 ――バカだなぁ、私。

 取り戻したいと思っていたけど、戻ってきたものなんか一つもなかった。こんなことして、なにか変わると思ったのかな。

 靴を隠して、杏奈ちゃんの泣き顔を見て、こんな風に千尋ちゃんを怒らせて。

 私、本当はどうしたかったんだろう。

 ススキがザワザワと揺れる。

 ――仲間外れで淋しかったんだろう。

 そうかもしれない。私も、杏奈ちゃんと友達になりたかったのかもしれない。

「千尋ちゃん。あのね、私、他のところ探したいんだけど」

 ゆっくり立ち上がると、千尋ちゃんは目を細めて私を見つめた。

「なんとなく、なんとなくだけど、ここにあるような気がするんだ」

 夕陽に照らされたススキ畑を前に、私は靴を捨てた辺りを指してぐるっと円をかいた。千尋ちゃんは疑うように私の顔を見たけど、「探してみよう」とだけ言って飛び込んだ。

 ススキ畑の底は思ったよりも浅い。私の肩にやっと届くくらい。先生が言ったとおり、空き缶やビニール袋、折れた傘や片方だけの靴なんかも棄てられていた。

 私はわざと、的外れな場所を探していた。千尋ちゃんに見つけてほしかった。

 朝、赤い靴を抱いて飛び出した私は、一度はススキ畑を無視した。だけど結局ここに来て、靴を隠したのだ。ここならだれにも見つからないし、知らない人に勝手に持っていかれることもない。

「……あった。あったよッ」

 千尋ちゃんの明るい声が上がった。

「ほら見て、そんなに汚れてない。きれいなまま。折ったススキの上に、ちゃんと揃えて置いてあった」

「良かったね」

 両手で赤い靴を掲げている千尋ちゃんと目が合う。「ごめんね」と私が言おうとしたら、なぜか先に「ごめんね」と言われてびっくりしてしまった。

「あたし、靴がなくなったって聞いたとき、一瞬だけど綾ちゃんのこと疑ったの。朝遅れてきただけなのに。ごめんね。友達なのに、最低だよね。本当にごめん」

 大事そうに靴を抱いて近づいてきた千尋ちゃんは、笑顔で私の手をとった。

「早く持って行ってあげよう」

 ススキ畑は、私たちを優しく送り出してくれる。ダメだよ、早く言った方がいいよって教えてくれていたのに、私は聞こえていないふりをしていたよ。ごめんね。

 千尋ちゃんの背中を追ううちに涙が出てきて、この痛みを杏奈ちゃんも味わっているのかなって思うと、もっと涙が出てきた。ススキ畑はもう何も言わなかった。

 玄関で私たちを待っていた杏奈ちゃんは、靴を見てぴょんぴょんと飛び跳ねた。

「千尋ちゃん、綾ちゃん。ウサギさんを見つけてくれてありがとう」

 涙の跡がくっきりと残った顔で、杏奈ちゃんはにこにこと笑う。

「あれ、どうして綾ちゃんが泣いているの?」

 杏奈ちゃんに聞かれたけど、答えられなかった。言葉よりも涙があふれてくる。

「靴が見つかって嬉しかったのよね」

 先生が肩を撫でてくれる。杏奈ちゃんも私の頭を撫でてくれた。

「杏奈と綾ちゃん。お揃いだね。赤いおめめの、ウサギさんだね」

 我慢できず、私は声を上げて泣いてしまった。嬉しいのか悲しいのかも分からない。こらえていたものが一気に流れ出した。

 「ごめんなさい」と言わなくちゃいけないのに言葉にならず、私はバカみたいに泣き続けていた。


   ※   ※   ※


「杏奈、こっちこっち」

 お店の入口に現れたスーツ姿の杏奈は、えくぼを凹ませてテーブルに駆け寄ってきた。

 お互い新社会人。千尋は都会で就職したけど、私たちはUターンで地元に帰ってきた。ネットで所在を知り、私から会いたいと連絡したのだ。

 顔を合わせるのは中学卒業以来だけど、緊張続きの仕事、上司の悪口、格好いい先輩など、話題は尽きない。

「杏奈、顔黒いよ。日焼け?」

「週二でゴルフやってるからね。綾ちゃんもサークル入る?」

「遠慮しとく」

 長い髪にパーマをかけて化粧している杏奈は、もうウサギのような二つ分けでもないし、靴も赤くない。

 だけど笑うときに現れるえくぼを見ていると、心が疼く。ススキの声が耳の奥でよみがえるのだ。

 白い穂先が一斉に揺れる光景はいまでも目蓋に焼きついている。懐かしさとともに就活中のストレスをずいぶん和らげてくれた。

 ――大丈夫、面接なんて気楽にいけ。好き勝手に揺れるオレ達のようにさ。

 運ばれてきたコーヒーに口をつけた杏奈が、思い出したようにカップを置いた。

「小学校の裏に広い畑があったの覚えてる? ずっと耕作放棄地だったんだけど、今度家が建つんだって」

 私は思わず身を乗り出してしまう。

「じゃあ、あのススキたちは」

 杏奈は小さく首を振る。

「見に行ったけど、もう更地になってた」

 せめてもう一目、ススキ畑を見たいと思っていたけど、あの風景はもう私の中にしかないのだ。

 さわさわ、とススキが笑う。

 ――オレ達のことはいいんだよ。おまえの心に種を飛ばすことができたんだから。それよりもやることがあるんだろう。

 そうだった。そのために連絡したんだ。

 私は手元のコーヒーに角砂糖を落とした。ひとつ、ふたつ、みっつ……。

「そんなに入れるの?」

 と杏奈が目を丸くしたけど、私は笑ってごまかした。今更なんて言えばいいんだろう。機会は何度もあったのに、つい言いそびれてしまっていた。

 角砂糖を何個投入したかも忘れ、決心がつくまでティースプーンで執拗にかき混ぜた。

「……ねぇ杏奈。転入してしばらくしてから、靴がなくなったこと、覚えてる?」

「うん。綾ちゃんと千尋ちゃんが見つけてくれたんだよね」

 私はコーヒーをかき混ぜ続けた。心臓がドキドキと鳴っている。

 鼓舞するようにススキが揺れた。

 ――がんばれ。誠意が大事だぞ。

「あれね、本当は……本当は、私が隠し」

「お待たせいたしましたぁ、パスタセットでぇーす」

 まるで狙ったように、店員さんが料理を運んできた。問答無用で並べられる皿が、私と杏奈を隔てる。

「美味しそう。いただきまーす」

 杏奈はフォークを持ち、早速パスタに手をつけている。視線が私に向くことはない。

 仕方なくコーヒーを口に運んだ私は、

「綾ちゃん、靴のことはもういいよ」

 突然の言葉とコーヒーのあまりの甘さに噴きそうになった。なんとか飲み下したけど軽く咳込んでしまう。

「あ、杏奈。いまのって」

 落ち着いたところでようやく話を戻すと、杏奈はフォークを置いてうつむいた。

「わたし、毎日のようにススキに靴を自慢していたの。ススキ畑にはたくさんの靴が捨てられているけど、わたしの靴はどれよりも可愛いでしょう、ってね」

 杏奈は頬にかかっていた髪を耳の後ろへと払いのけた。耳元でキラキラと輝くピアスは、ウサギの形をしている。

「靴だけじゃない。服も髪飾りも見せびらかした。なんでもかんでも自慢するわたしにススキたちも怒って、靴をとって反省させたの。わたしはそう思ってる」

 私は困惑した。杏奈の意図が分からない。

「友達ができたって千尋ちゃんのことも自慢した。綾ちゃんが淋しがっているのを知ってて。――だからね、わたしも悪かったの。おあいこだよ、綾ちゃん」

 杏奈はまっすぐ私を見た。だれが犯人か、とっくに知っていたような顔つきだ。

「靴はきれいなまま返ってきたし、綾ちゃんはずっと気にかけてくれていたんでしょう。だからもういいよ。最初から友達になっておけば良かったね」

 杏奈の顔に浮かんだえくぼを見た瞬間、私の中で長年抱いていた罪悪感が消えた。本当の意味で杏奈と友達になれた気がした。

 飛び跳ねたくなる私の心境とは裏腹に、杏奈は忙しなくコーヒーをかき混ぜている。

「本物のススキ畑はもうないけど、いまでもわたしの中に広がっているの。自慢とか八つ当たりとかしてしまいそうなとき、サワサワと揺れて戒めてくれる。おかしな話でしょう? でもね、忘れられないんだ」

 恋人を想うように目を細めた杏奈を見て、私は笑うしかなかった。そっと身を乗り出し、秘密を明かすため声をひそめる。

「あのね、杏奈。実は私の中にも――」

 同じススキ畑を心に持つ者同士、今後隠し事はできそうにない。

ご覧いただきありがとうございました。

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