重い瞼をゆっくりと開けて、目に光を取り込んだ。目が痛むほどの眩しい光に、思わず強く瞼を閉じた。暫くすると、光は和らぎ、恐る恐る再び瞼を開いてみると、視界に真っ白な空間が広がった。その息を呑むほど白い空間には果てがなく、夜のあのしんとした、妙にあたたかな薄暗がりが恋しくなるほどだ。
ふと足元にぬくもりを感じ、視線を下へずらすと、無数の蝋燭がゆらゆらと火を揺らしながら延々とその空間に比例するようにあちらこちらに立てられていた。まだ真新しい蝋燭や、火の消えてしまった蝋燭、もうずっと長い間灯りを湛えていたのか、地面との距離がほとんどないほど短い蝋燭もある。それが、ずっとずっと向こうの方まで、ぼくが見える視界の先まで続いていた。
しゃがみ込んで蝋燭に触れてみると、蝋燭はまるでぼくに敵意でも抱いているかのように、蝋燭の火がぼくの指先を覆った。ぼくは慌てて手を振りながら引いて、火から逃れるともう片方の手でその手を握る。ちくり、と指が痛んだ。軽い火傷をしたんだろう。
蝋燭の灯りは相変わらず穏やかに揺れたまま、ぼくが触れようとするとき以外は至って柔和だ。
ずっとしゃがみ込んだままでいると、不意に遠くの方で、ゆらりと何かの影が揺らいだ。ぼくははっとして、顔を上げ、目を凝らす。目を細めてよく見てみると、華奢な体つきの、制服を着た髪の長い女の子が悲しそうに目を伏せながら、屈みこんでひとつの蝋燭を手にした。女の子の涙がぽとり、と一粒蝋燭に落ちて、蝋燭の火はしずかに消えた。女の子の、哀婉でありながらもどこか安堵したような美しい表情にぼくは魅せられる。すると、女の子は突然ぼくの方へと眼差しを向け、それからぼくを襲った火と同じように敵意と憎悪を剥き出しにしたような瞳でぼくを睨みつけてから、背を向けてどこかへ消えていった。
それからしばらくして、今度はどこかで見たことのあるような四十歳後半ぐらいの、少し痩せこけた男が現れた。着込んでいるスーツがやけに不似合いだ。その男も、先ほどの女の子と同様に、大分短くなった蝋燭を手にすると、悲しげに涙を落として蝋燭の灯りを消した。そしてまた、深い憎しみを突き刺すようにぼくを睨んでから、消えてしまった。
そんなことが何度も、何十回も続いて、一体ここはどこなんだろうとよくやく疑問を胸に抱きはじめたころ、またもや人が現れた。しかし今回は、全く見知らぬ人物でも、どこかで見かけたような、記憶の曖昧な人物でもなく、ぼくが完全に見知った人物だった。白い肌、下から血の色の差した程よく赤い頬、大きく鋭い目、細身で姿勢がよく、女性特有の細く長い髪が歩くたびに揺れている。この女とは、何度も顔を合わせた。女がぼくに注ぐ恨みをぼくは幾度となくかわし、ぼくが飄々と生きていることがどうしても許せない、と面と向かって彼女に言われた覚えもある。女もまた、ここに現れた皆と同じように、涙を落とし蝋燭の灯りを消し、そして心底恨めしそうにぼくを睨みつけてから、赤い口紅が塗られた小さな唇を動かし、「あんたが死ねば良かったのよ」とだけ吐き捨て、そして消えた。
ぼくはその場に呆然と立ち尽くし、それから「ああ」と納得したふうに声を漏らす。ここは、自分が殺した人の墓場なんだな、と認識してから、がくりと地面に膝をついてもういない女の後姿を追うように、ずうっと遠くを見つめた。蝋燭の灯火は相変わらずゆらゆらと揺れていて、あるひとつの蝋燭からぽとり、と熱によって溶けた白い蝋が、ぼくのいる白い空間に吸い込まれた途端、視界が灯火のように揺れた。
重い瞼をゆっくりと開けて、目に光を取り込んだ。目が痛むほどの眩しい光に、思わず強く瞼を閉じた。暫くすると、光は和らぎ、恐る恐る再び瞼を開いてみると、視界に見慣れた自室の天井が広がった。部屋いっぱいに漂う懐かしい香りのする空気を肺いっぱいに吸い込む。額に浮かんだ汗を拭って、深くため息をつく。そうしてようやく、先ほどのあれは夢だったのだ、と頭の中で理解した。ちょうど昨日からインテリアとして起きはじめた洒落た蝋燭を数本、部屋に飾り始めたのがきっかけだろう、とぼくはほっと肩の力を抜く。
ぼくはベッドから起き上がると、ぼさぼさになった髪を手で撫で付けながら洗面所へ向かった。
蛇口を捻り、ばしゃばしゃと水で顔を洗うと、手探りにタオルを引っ掴んで顔を拭いたあとゆっくりと頭を持ち上げる。鏡を覗き込んだ瞬間、ぼくはあっと息を呑んだ。鏡に映った、無数の蝋燭の姿に、ぼくはよろよろと後ろへ数歩下がる。そして即座に、後ろを振り返った。が、何もない。鏡へ再び目を向けると、もうそこに蝋燭の姿はなかった。きっと、さっきの夢が頭の中に出てきたんだ、と自分で自分を宥めるように心の中で言い聞かせた。
タオルを首に掛け、リビングに戻ると、ガラス製の大きな丸テーブルの上に、分厚い書類が置かれていた。ソファに腰掛け、足を組んで書類に手を伸ばす。一瞬だけ、夢の中で感じた火傷の痛みのようなものがちくりと指を刺激したが、気にしないようにして書類を手にした。
書類の一枚目には、「患者の不審死について」と記されていた。二頁目をめくってみると、そこには、公にはなっていないものの、自分の医療ミスや指示ミスで死に至らしめたひとりの患者の顔が、惜しげもなく堂々と載っていた。三頁目をめくると、また顔、四頁目も顔、とそれは何十頁にも続いていた。ぼくはあまりの恐怖と気持ち悪さに思わず書類を床に放り投げると、逃げるようにベランダへ向かった。
ベランダに出ると、冷たい空気に小さく身震いする。高層マンションの最上階となれば、無論風もきつい。手すりをつかんでぐっと身を乗り出して下を見てみると、ミニチュア模型のように並んだ建物や道路、それに街路樹や道を歩く人々がずいぶんとちっぽけな存在に思え、たまらず笑ってしまった。
すると、その瞬間、汗ばんでいた手が原因か、それともつよい突風が原因か、がくりと体勢を崩し、前のめりになったまま誰かに背を押されたようにベランダからぼくは落ちた。何の前触れも無い、どうしようもない死への衝突に、ぼくは無意味に空を足掻く。肺が圧迫されたように、息ができず、なんともいえない恐怖に口から心臓やらが今にも出てきてしまいそうだった。排泄物が体内から出ていくのをどこか遠くで感じたが、今はそんなことすら考えることができなかった。ごおごおと風の音が耳を劈く。
あまりにも速い落下の速度に、ぼくは意識が薄れていくのを感じた。
開け放たれたベランダの戸から、強い風が部屋の中へ入り、ゆらゆらと揺れていた、まだ新しい蝋燭の光が、ふっと音を立てることもなく静かに消えた。
---了 |