服を借して!
ビル風吹き荒れる道の端で、俺は風から身を守るように電柱の陰で1人佇んでいる。
高くそびえ建つマンションを見上げると、キィンと頭の奥が痛みだし、慌てて俯いた。
後に残るのは背中の違和感だけ。
マンションの前には沢山の人がいて、その中心には1台の救急車。運ばれているのは俺。
「さみぃ……」
両手をすり合わせながら息を吐きかけるが、そんな事で暖がとれる訳がない。
とにかく寒い。つか、なんでこんな時期に薄い着物1枚なんだよ!冬なんだからもっと厚着をさせろ!しかも額に三角布って、古典的過ぎるわ!
って、どこに苦情を入れたら良いのだろうか?
何でも良い、とりあえず暖かい場所に移動しよう。
ペタペタと冷たいアスファルトの上を素足で駅に向かって歩く。その道中に1軒のコンビニを見つけた。
助かった……。暖かい飲み物と、靴下を調達しよう。それよりもまずは暖かい店中で立ち読みして、冷えた体を温めるんだ!
ゴン!
痛い。
普通ならば開く筈の自動ドアが無反応。何度か左右に揺れてみても、飛び跳ねてみても綺麗に無視する自動ドア。もう1度店内に入ろうと歩みを進めて再び打つ頭。
なんで!?
開かないのは、まぁ仕方ないとしても、なんで入れないんだよ!
普通幽霊ってこう言うの通り抜けられるんじゃないの!?
ゴン!
そして痛いんですけど!そもそも寒いんですけど!
誰かが入る時に便乗入店させてもらおうとその場で待ってみても、コンビニへ立ち寄る気配のある人が通らない。だったら中で立ち読みしている人が出て来る時に入店しようと思っても、2冊目を手にとり読み始めたばかりで出て来る気配がない。
仕方ない、この手は使いたくなかったが、どこか窓の開いている家にあがらせてもらおう……。
ペタペタと歩き、適当な民家の庭に忍び込む。
この家を選んだのは、ベランダに洗濯物が干されていたから。上着と靴下だけ借りようと思って。
で、ベランダまでどう行けば良いのだろうか?
「トゥ!」
どこかで見た戦隊ヒーローっぽい声を出してジャンプしてみても、至って普通に着地して終わる。
普通……飛べたりするんじゃないのか?
よじ登るしかないようだな。幸い普通の人には俺の姿は見えないんだから誰かに見られる心配もな……。
「グルルルル……」
い、犬ぅ!?
そうか、動物は鋭いんだっけ?
「あ、いや……いい子だね~……あははは……さようならっ!」
犬から全速力で逃げたせいで全く土地勘のない場所にまで来てしまい、途方に暮れつつ歩いていると、目の前には立派な佇まいの寺が見えてきた。
寺と言う事は、俺のようなモノを攻撃してくる人間が大勢いる場所だ。と言う事は、俺が見える人間てんこ盛り!
よし、行って服と靴下と靴を借りよう!
「たのもーう」
敷地に入って何度か大声で叫ぶと、若いお坊さんが1人現れた。
「ど、どうされました?」
どうもこうもない、寒いんだ。なのにこのお坊さんは暖かそうなダウンジャケットを着用している。しかも、ふかふかルームソックスだとぅ!?
「服を……寒い……。服……」
もう自分の体温さえ感じないほど冷えてしまったんだ。
元々体温なんてないんだろうけど、薄い着物1枚だけじゃ寒過ぎるんだ。
「暖かな場所にかえしてあげましょう……」
いや、そう言う説法はいいから。単純にその着ているダウンジャケットとルームソックスを置いて行ってくれるだけで良いから。
「絶対返すから、服脱いで!」
そう詰め寄った時、お坊さんは抵抗するように暴れ、その拍子に俺の背中に触れた。
途端に襲い掛かってきたのは、決して痛い訳ではない背中から感じる、とてつもない恐怖。
何が起きたのかも分からず、慌てて寺から逃げ出した。
ペタペタとまた歩き出し、犬がいなさそうな民家を探す。
「あっ、あそこ窓が少し開いている」
駆け足で近寄って、少しだけ開いている窓に向かって体を捻じ込もうとするが、防犯グッズのせいで窓がこれ以上は開かない。
片腕を突っ込んで防犯グッズの取り外しを試みるが、後少しの所で手が……くそっ、もう少しなのに……。こうなったら、最後の手段だ。
ドンドンドン。
「すいませーん、開けてくださーい。部屋の隅にちょっと居座らせてくださーい」
声をかけながらノックした。
声は聞こえなくとも、ノックの音ならきっと届く筈だと信じて。
「あら?今日は風が強いわねぇ」
ピシャン。
窓を締められてしもたっ!
いや、待て。窓を叩けたんならインターフォンが押せるかも知れない。家の人が玄関を開けたら、ササッとあがらせてもらおう!
家の正面に回り、恐る恐る周囲確認。
よし、犬はいない。
意気揚々とチャイムを押し玄関前で待機していると、
「はい、どちらさま?」
と、インターフォンから家の人の声がした。
「あの、寒いので少しだけ暖を……」
聞こえる訳ないし!聞こえたらそれはそれで不審者だ!でも、何か存在を示さないとただのイタズラだと思われてしまう。なにか存在を知らせる何か……。
ガサガサ。ガリガリ。コンコン。
インターフォンを指で突いたり、擦ったりして何とか音をたててみたのに。
「ヤダ……気持ち悪い」
不気味がられただけで終わってしまった。
けど、折角反応があったんだから、もう1回試そうとインターフォンに指を伸ばした所で突然後ろから背中を叩かれた。
また襲ってくるとんでもない恐怖感に飛び退きながら振り返ってみると、そこには1人のお爺さんが立っていた。
見ただけで分かったのは、俺と同じだという事。
だって、着物だし。三角布だし。
「家になんのようだ」
家にって事は、ここはこのお爺さんの家?だったら丁度良い。
「寒いので、服を……靴下と、靴……手袋も借して下さい」
俺を怪訝そうに眺めていたお爺さんはスッと腕を上げると、背中を押してきた。
「帰れ」
怒鳴られた訳でもなんでもないのに、酷く恐ろしかった。
お爺さんがと言うよりも、触れられた背中から全身に広がる違和感が、怖い。だからもう何も言えなくなって、俺はお爺さんが指した方向に歩き出すしかなかった。
ペタペタ、ペタペタとアテもなく彷徨い、強い風を感じて顔を上げると、俺はマンションの前に戻ってきていた。
あれだけいた人ごみも、救急車も今はなく、静まり返っている。
「さみぃよ……」
座り込んで膝を抱えて目を伏せると、キィンと頭の痛みまで激しさを増してきた。そして徐々に遠のき始める意識。
俺、もう駄目なのかな?このまま……いや、まぁ、元々幽霊な訳なんだけど……。
一旦は遠のいた意識、しかしそれを呼び戻す程の寒気と頭痛に、また意識がハッキリとしてきて、あまりにも寒いから目を開けた。
ボンヤリと見えたのは天井と、開け放たれた窓。カーテンは風にあおられて大きく揺れている。
寒い。
窓を閉めようとして手を伸ばすが届かない。起き上がって閉めに行こうとしてみるが、頭が痛くて身動きが取れない。
どうにか寒さを紛らわせる物がないかと周囲を見渡した視界には、暖かそうな服を着ている人影が映った。
「服っ!脱いでっ俺に借して!」
勢いに任せて起き上がったせいでガンガンと痛む頭を落ち着かせようと押さえると、頭には包帯が巻かれていた。
なんだろう、いつの間に怪我をしたんだろう?幽霊でも怪我ってするの?
「え?お兄ちゃんの着替えはそっちの鞄の中だって」
んん?着替え?お兄ちゃん?
ぼやけている視界をどうにかしようと目を擦り、横に座っていた人物の顔を確認すると、妹だった。良く見るとここは病院で、俺が着ているのはパジャマだ。
「俺、どうしたんだっけ……?」
幽霊じゃなかったのか?それで彼方此方歩き回って、マンションの前で意識が……。
「階段から落ちたんだよ。覚えてないの?」
全く覚えがない……いや、待て。って事は、俺は生きているのか?さっきまでのは夢?
そうだよな!建物が通り抜けられないとか、空も飛べないとか、痛いとか、寒いとか、そんな妙にリアルな幽霊なんかいないよな!
「階段から落ちたのは覚えてないけど、夢で良かったぁ」
夢の中で寒かったのは窓が開いていたせいだな、頭が痛かったのも怪我をしてるんじゃしょうがないし、背中の違和感は……。
「どんな夢?」
なんだよ、急に真剣な顔してさ。そんなに俺の見た夢が気になるのか?
「やたら寒い中を歩き回る夢。もう2度と見たくないわ~」
なにそれ、と呆れた妹は、俺の目が覚めた事を知らせてくると椅子から立ち上がり、その状態で俺の顔を見下ろしてくる。
なんだろうか?と首を傾げながら見上げて、背中の違和感が再発した。
夢の中だけの事じゃないのか?触られたわけじゃないのに、どうしてこんなに怖いんだ?
「つぎは、良い夢が見られると良いね」
妹は、ゾッとする程の笑顔で出て行った。