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第七話 『嗤う愚者、暴く聖女』

少し長めです

 

――これは、遠い日の記憶。


 その少年は、聖都シュメルツの東部に位置する、小さな村で生まれた。

 臆病で、おどおどしてばかりの子供だった。

 親から「この子には勇気が足りない」と言われるほどに、その少年は臆病だった。


 村には活発な子供が多く、少年がからかわれることは少なくなかった。

 少年は走り回ったり、木に登ったりすることが出来なかったのだ。

 どうして怖いのかと聞かれても、少年には分からなかった。

 ただ、怖かったのだ。


 七歳になった頃から、他の子供達は夢を語るようになった。

 

『冒険者になりたい』

『アマツのような、かっこいい英雄になりたい』


 彼らがそう語る中で、少年は何一つとしてやりたいことを見つけられなかった。

 冒険者になって戦うなんて怖い。

 英雄になるなんて、自分なんかに出来っこない。

 

 臆病な夢を見つけられず、ただ切り株に腰掛け、のどかな風景を見る日々を過ごした。


 ある日のことだった。


「そこで何してるの?」


 切り株に腰掛けていた少年に、話しかけて来る者がいた。

 自分と同じくらいの少女だった。


「風景を見てる」

「ふーん。楽しいの?」

「……どうかな。わかんないや」


「だったら私の話を聞いてよ」と言って、少女は少年の隣に腰掛けた。

 そして、無口な少年にお構いなしに、少女は一方的に話しかけて来る。

 親が厳しいこと、聖書を毎日読まされること、そんな愚痴だ。

 少女の話を聞いて、少年は何言か思ったことを言う。

 少女は話し終えると満足したのか、去っていった。


 翌日も、少女は来た。

 少年の隣に座り、あれこれと話しかけて来る。

 少年はまた、思ったことを何言か口にする。


 その翌日も、その翌日も、少女は来た。

「お前と遊んでも楽しくない」と言って、誰も話し掛けない少年に、少女は何度も何度も話し掛けた。

  

「……ねえ、なんで僕なんかと話してくれるの?」


 ある日、少年は聞いた。

 楽しくもないだろうに、どうして少女が自分と会話してくれるのか理解出来なかったのだ。


「なんで……って、君がちゃんと話を聞いてくれるからかな」

「え……?」


 戸惑う少年に、少女はニッコリと笑いながら言った。


「村の他の子は、走ったり、木登りとかするのが好きでしょ? お話したくても、聞いてくれないんだ」

「……僕は、ただ運動するのが好きじゃないだけだよ」

「それでも、君は私の話を聞いて、ちゃんと返事してくれるでしょ?」

「…………」

「それに、君と話してると、なんか落ち着くんだ」


 だから、君とこうして話していたい。

 駄目? と首を傾げてくる少女に、少年は慌てて首を横に振った。


 落ち着く。

 そんな風に言われたのは初めてだった。

 だけど、少年も少女と話していると、すごく落ち着くことに気付いた。


「……名前」

「ん?」

「まだ、名前聞いてない」

「あ! そういえば私も、君の名前聞いてなかった!」


 変なの、と少女は笑うと、答えた。


「私はキリエ。キリエ・ウルスラ・エイヴェルンっていうんだ」


 少女の言葉に頷くと、少年は言った。


「……僕はレオ・ウィリアム・ディスフレンダー」


 これは遠い日の記憶。

 ある少年と少女の記憶に刻まれた、出会い。



「……しかし、本当に拍子抜けだったな」


 私室で来客者を待ちながら、マルクスは小さく呟きを零した。

 

 あの夜、わざわざ屋敷に忍び込んできたリューザス。

 ジョージ達を殺した相手の話をあの男から聞いた時は背筋が冷えたが、呆気ないにもほどがある。


 英雄アマツの亡霊と、行動を共にしている魔族。

 あの二人を罠にかけるには、もう少し手間が掛かると思っていた。

 最低でも出会い頭に両手足を切断されるくらいのことはされるだろう、と身構えていたが、まさか無傷でことをすませられるとは。


「あの馬鹿女どもをわざわざ助けるとはな。腐っても"英雄"ってわけか? あまりの愚かさに恐れ入る」


 仮にあれが本物のアマツなら、三十年前に自分が裏切られたことくらいは知っているだろう。

 それなのに、まだ人助けが出来るとは、底抜けの愚か者だ。


「……しかし、罠に掛ける前に、手足を斬られることくらいは覚悟していたのだがな」


 どういうわけか、あの二人はマルクスに斬り掛かる前に足を止めた。

 その隙をついて床を砕いたが、少々不可解だ。


 どちらも、技能ではマルクスを上回っている相手だった。

 正面から斬りかかられれば、対処出来なかったはずだ。

 最初から、斬られて弱ったふりを見せ、その隙をついて床を崩すつもりだったのだが。


「私が感じたほどの差はなかったか……それとも、私を警戒していたか」

 

 いっそ手足を切断できる間合いに入ってくれていれば、より確実にあの二人を殺せていたのだが。

 床を崩したことで、リューザスから受け取っていた、『対魔族用』の魔力付与品マジックアイテムをいくつか無駄にしてしまった。


「こんなことならば、あの魔力付与品は仕掛けずに取っておけば良かったな」


 あの『対魔族用』に作られた魔力付与品マジックアイテム群がなくとも、マルクスには奥の手があった。

 "英雄アマツ"と魔族の不意を突き、トラップに落とすだけの切り札が。


「ふん……まあいい」


 "英雄アマツ"の亡霊は力を失っていた。

 高い技能を持っていたようだが、所詮はその程度だ。

 魔族の女にしろ、リューザスの結界で封じ込められる程度ならば、大した実力ではなかったのだろう。


 穴の中には、あの二人を仕留めるための多重結界と、いくつかのトラップが仕掛けられている。

 結界を含めたいくつかの罠はリューザスが用意したものだが、その効果は完全に把握している。

 今頃、あの二人は罠に食われている頃だろう。

 あの二人のことは、事が済んでからじっくりと後処理をすればいい。


「は、結局、警戒しすぎたというわけか。あの程度の相手に、ずいぶんと手間を掛けさせられたものだ」


 穴の底へと落ちていったあの二人を思い出し、マルクスが唇を歪めたタイミングだった。


『――ずいぶんと、おめでたい頭をしてんだなァ?』


 室内に、聞き覚えのある男の声が響き渡った。

 バッと立ち上がり、マルクスは身構える。


『てめェ、あいつらを甘く見過ぎだぜ』

「……リューザス殿か」


 部屋中に響き渡る、リューザスの声。

 その音源が、自分の腰辺りだという事に気付き、マルクスが視線を下げる。

 マルクスの使用している剣の柄――そこにいつの間にか、小さなリングが取り付けられているのが目に入った。


「これは……」

『とろいな。声と魔力を伝える魔力付与品マジックアイテムだ』


 いつの間に。

 そんな間抜けな質問をしようとして、マルクスは口を噤んだ。

 

 いつの間に? 

 決まっている、最初に接触したあの夜だ。


 リューザスは、警戒するマルクスに気取らせず、魔力付与品マジックアイテムを取り付けた。

 マルクスが今日、この瞬間まで気付かなかったということは、使用するまで一切の魔力を放たない、オンオフのきくタイプの代物だろう。


「…………」

『は、怒ってんのかァ? むしろ感謝するのが筋ってもんだろう。俺が魔力を飛ばしてなきゃ、てめェ、両手足を斬り落とされてたぜ?』

「…………むしろ、そうされるのを想定して、対処策を練っていたのだが」

『そうかい。そりゃ、邪魔しちまったなァ?』


 負け惜しみを嘲笑するような声色に、マルクスの額に血管が浮く。

 苛立ちのまま、腰の剣に付いてるリングに手を伸ばした。


『おいおい、壊す気か? もったいねえことするじゃねェか』

「勝手なことはしないで頂きたい。他の魔力付与品マジックアイテムも、見つけ次第破壊させていただく」


 バキッと音を立てて、マルクスはリングを砕いた。

 聞こえていたリューザスの声が、ノイズ混じりになっていく。


『まァいい。ここまでお膳立てしてやったんだ。しくじるんじゃねえぞ?』


 その言葉を最後に、リューザスの声は完全に聞こえなくなった。

 リングを地面へ投げつけ、苛立ちのままに靴の裏で踏みにじる。

 

「"大魔導"だかなんだか知らないが……調子に乗りやがって。言われるまでもないわ」


 あの穴の中の罠の半分を用意したのはあの男だ。

 あれだけの効果があって、殺せないとでも思っているのか?


「……チッ」

 

 それとも、それほどまでに自分を舐めているのか。 

 どちらにせよ、あの程度の二人では罠を突破できない。

 

「なにせ、私の半身・・・・が埋め尽くしているのだからな」


 部屋中を調べ、リューザスが何か仕掛けてないからを調べあげる。

 どうやらあのリングだけで、他は何も仕掛けてないらしい。


「今は、そんなことよりも……」


 ギシリ、とマルクスの腰掛ける椅子が軋む。

 目を瞑り、意識を切り替える。

 考えるのは、侵入者でもリューザスのことでもない。

 

 ――キリエ・ウルスラ・エイヴェルン。


 一目見た時から、いい女だと思っていた。

 教団にいる女はどれも着飾っているが、脱ぐとだらしない体つきの者ばかりだ。


 しかし、キリエは違う。

 着飾らずとも十分に美しい容姿に、引き締まった体型。

 最初からキリエは最高の女だと、マルクスは確信していた。

 

「玩具にするならば穢らわしい亜人種で十分だが……。ふはっ、やはり本当に楽しむなら人間の女だな」


 これまで、手に入れたいものは何でも手に入れてきた。

 上司だったジョージ達を利用して、金と地位を手に入れた。

 得た金と地位を使い、部下を、弄ぶ女を、そして力すら手に入れた。


 それは、あの女も例外ではない。

 キリエは、どうしても手に入れておきたい。

 体も重要だが、聖唱魔術が使えるというのは重要だ。

 要らなくなれば、喰って・・・しまえばいいのだから。


「あぁ……ディスフレンダー君。本当にすまないねえ」


 レオがキリエに恋をしているのは気付いている。

 気付いているからこそ、余計にキリエが欲しくなった。

 

「ガキのくせに、副隊長なんて座にまで登ってきた君が悪いんだ」


 自分がどれだけ苦労して、この地位までやってきたと思っているんだ。

 あんなケツの青いガキが自分のすぐ下にいるなど、許せるわけがない。


「くく」


 レオが敬っていた前隊長の末路を知ったら、あの若造はどんな顔をするだろうか。

 想像するだけで胸がすく思いだ。


「……ふん」


 そんなことを考えている内に、時間はやってきた。

 深夜を回る、少し手前ほど。


「あの二人が出て来る気配はないな。やはり、我が半身に食われたか」


 ならば、こちらはこちらで楽しむとしよう。

 それから数分後、屋敷に来客があった。

 扉を開くと、簡素な服に着替えたキリエが立っていた。


「よく来てくれたね、キリエ君」


 玄関先で、マルクスがにこやかにキリエを迎え入れる。


「……こんばんは」


 キリエはうつむきがちで、声も小さく震えている。

 怯えている様子が、手に取るように分かった。

 

「さあ、ここにいるのもなんだ。私の部屋で話をしよう」


 笑い出しそうになるのを堪え、マルクスはキリエを寝室へと促した。

 俯いたまま、キリエは無言でそれに従う。


(馬鹿な女だ)


 マルクスの私見として、キリエはそこらにいるような頭の悪い女ではない。

 ただの馬鹿ならば、教団での権謀術数に飲み込まれ、今の地位につくことは出来なかっただろうからだ。

 

(だが……)


 レオが絡むと、話は変わってくる。

 教団での権謀術数を知っているからこそ、この女は『権力』というものの恐ろしさを知っているのだ。 

 騎士団にも権力やコネというものは深く関わっている。


 教団、騎士団、どちらの深部とも関わりのあるマルクスが本気で手を回せば、レオの出世を阻める。

 戦いの激しい僻地へ飛ばし、戦死を誘うことすら可能だろう。

 

(実際には、あの若さで今の地位まで成り上がってきたディスフレンダーを落とすのには、相当な無茶をしなければならないがな)


「…………」


 キリエはレオの未来を閉ざすことを恐れ、マルクスとの婚約を受け入れた。

 どうやらこの女は、レオの足手まといになることを恐れているようだ。 

 

(だからこそ、付け入れやすかったよ、キリエくぅん)


 マルクスは、内心で嘲笑を必死に噛み殺す。

 だからこそ、


「……っ」


 歩く途中、耳を押さえ、息を呑むキリエに気付くことが出来なかった。




「今、紅茶を入れよう。そこに座っていてくれ」

「…………はい」


 キリエを椅子に座らせ、マルクスは紅茶を取りに行く。

 白い湯気をあげる紅茶の中に、懐から取り出した茶色の粉をさらさらと振りかけた。

 粉はすぐに溶け、紅茶の色に混ざって見えなくなる。

 

 使用を禁じられている、ある薬草を煎じた粉末だ。

 紅茶に入れただけの量を飲めば、泥酔したかのように意識が朦朧となる。

 粉末の効果が切れた頃には、キリエは『紅茶』が飲みたくて仕方なくなっている頃だろう。

 そうなればもう、キリエはマルクスから離れられなくなる。


「すまない、待たせたね」


 紅茶を持ってマルクスが部屋に戻ると、キリエは小さく顔を上げた。

 緊張からか、その顔は真っ青だった。


「そう硬くならなくてもいい。ほら、この紅茶を飲みなさい」


 そんな緊張も紅茶を飲めばすぐになくなると、キリエにティーカップを渡そうとした時だった。

 

「……貴方は一体、何をしているんですか……?」


 キリエはキッとマルクスを睨みつけ、震え声でそう言った。

 その鬼気迫る表情に、マルクスの内心で僅かに動揺が生まれる。


「……うん? キリエ君、どうしたのかね。とりあえず、落ち着いて……」

「悲鳴が……。悲鳴が、聞こえてくるんです」

「……何?」


 耳を押さえながら、キリエは掠れた声で告げる。


「屋敷に入ってからずっと、たくさんの女の人の悲鳴が聞こえるんです」

「……何を、言っているんだね」

「牢屋……薬……、もう嫌だ、助けて……って」


 キリエの言葉に、今度こそマルクスは凍り付いた。

 悲鳴など、マルクスの耳には聞こえていない。

 どれだけ耳が良くても、地下での音がここに聞こえるはずがないのだ。


(たとえ魔術を使おうと、聞こえるはずが……ッ!)


 魔術という単語に、マルクスはハッと目を見開く。

 この女が使う魔術の名は"聖唱魔術"。

 メルトの奇跡を現代に再現するという、特殊な魔術なのだ。


(まさか、――"聖聴"……か?)


 聖書に記されていた。

 "聖光神"メルトは、助けを求める者の声を聞き逃さなかったと。

 その奇跡を人々は、"聖聴"と呼んでいた。

 

 それを、この女が使えるとすれば――――。


「何をいっているのかね、キリエ君。君は疲れているんだ。さあ、この紅茶を飲んで落ち着き――」


 にこやかな笑みを浮かべ、キリエへと紅茶を差し出す。

 これさえ飲んでしまえば、"聖聴"があろうと関係ない。

 多少強引にでも、これを飲ませれば――、


「――ッ」


 バチッと小さな雷が走ったような感覚が、マルクスの手に走る。

 ティーカップが弾かれ、音を立てて砕け散った。


「……紅茶の中に、何か入れていたのですか」

「……これは」

「悲鳴を聞いてから、体に結界を張っておいたのです。……不浄なものから、体を守る結界を」


 カーペットに染みこむ紅茶を一瞥した後、キリエがマルクスを睨む。


「貴方は……一体何をしているのですか……?」


 キリエの双眸が、正面からマルクスを見据える。

 先ほどまでの女の顔ではない。

 邪悪を弾劾する、聖職者の顔だ。


「まさか……このような力を隠していたとはね」

「……隠していたわけではありません。悲鳴を聞いたのは、初めてです」


 厄介な能力だ、と目を細めるマルクス。

 キリエは厳しい表情のまま、マルクスを睨んでいる。


「……否定、しないのですね」


 キリエの言葉に、マルクスは小さく吹き出した。

 それから、コツコツコツ、と机を三度指で叩く。


「否定する必要がないからだよ」

「……何故ですか?」

「決まっているだろう」


 バン、と音を立てて、マルクスの合図に反応した部下が寝室の中に飛び込んできた。


「――君が、ここで死ぬからだよ」


 不測の事態に備えて部下を待機させておいたが、まさかキリエに使うことになるとは思っていなかった。

 まったくままならぬものだと、マルクスは嘆息する。


「殺せ」

「よろしいのですか?」

「陵辱し尽くせないのは残念だが、生かしておいたら、どんな奇跡を起こされるか分からんからな。首を刎ね、確実に息の根を止めろ」


 もったいないが、仕方のないことだ。

 確実に殺した後に、遺体を喰らうことにしよう。


「……っ」


 部下が剣を抜き、キリエに斬り掛かる。

 訓練された騎士の動きに対応できず、キリエの首が切断される――、


「――"神の聖炎をここにアンセム・インシネレート"」


 そう確信していたマルクスの視界を、白い炎が覆い尽くした。

 とっさにマルクスが飛び退いた直後、炎に飲まれた部下が絶叫する。

 ジタバタと地面を転げまわり、そのまま意識を失った。


「――――」


 上級魔術を上回るほどの強大な魔術を、キリエはただの一言で行使してみせた。

 白い炎の中、紐でくくられた藍色の髪を揺らしながら、キリエは佇んでいる。

 尋常ではないほどの熱量――だというのに、焼かれた部下たちの体に火傷はない。


「素晴らしい。これが噂に聞く、"聖唱魔術"か……!」

「抵抗しなければ、これ以上危害は加えません。……マルクスさん、何をしているのか、私に教えてもらえませんか。これ以上、罪を重ねるのは――――」

「その力は、私にこそ相応しいッ!」


 奇跡の再現を目の当たりにして、マルクスが昂揚する。

 剣を抜いて迫り来るマルクスへ、キリエは無言のままに腕を振り下ろした。

 家具を燃やすこと無く、ただマルクスだけを狙って白炎が迸る。


「その威力は認めるが――」

「……ッ」


 訓練された騎士が、為す術なく飲み込まれた白炎。

 マルクスはそれを、大きく体を仰け反らすことで回避した。

 想像を越える柔軟性にキリエは一瞬息を呑み、すぐさま次の攻撃へと移った。

 キリエの挙動と連動して、白炎で形作られた刃がマルクスへ襲い掛かるが――、


「――使っているのが、君のような小娘ではねぇ!」


 マルクスは前転してそれを回避。

 回転の勢いでキリエとの距離を詰め、起き上がると同時に斬り掛かった。

 そのトリッキーな体捌きに、キリエは反応できない。


「宝の持ち腐れというものだよ、君ぃッ!!」


 下腹部を狙った、マルクスの突き。


「――"神は我を見捨てずプレイ・イージス"!!」


 キリエの詠唱と同時に出現した不可視の壁に、刃が音を立ててへし折れた。

 間髪入れず、マルクスが掌底を放つが、壁は小動もしない。


「……"聖光神"の、防御魔術か」

「はい。貴方では、この守りを破ることは出来ません」


 壁に手を突いたまま、諦めたかのようにマルクスがうなだれる。

 それを見て目を伏せ、キリエは悲しげな表情を浮かべた。


「マルクスさん。これ以上、罪を重ねないでください。メルト様はおっしゃいました。『己の罪を認め、悔い改めなさい』……と」

「キリエ君……」

「人は誰でも間違いを犯します。犯した後に、何を為すのかが重要なんです。マルクスさん。私と一緒に、騎士団の宿舎へ行きましょう。そこで、しっかりと事情を説明すれば――」


 キリエの言葉に、マルクスが顔を上げた。

 理解してくれたかと、キリエが気を緩みかける。

 しかし直後に、マルクスの顔に張り付いている嘲笑を見て固まった。


「君は、本当に馬鹿な女だよ」


 "神は我を見捨てず"に触れていたマルクスの腕が、赤黒い光を放った。

 その光のおぞましさに、キリエが一歩後退るのと同時。



「――"魔技簒奪スペル・ディバウア"」



 彼女の身を守っていた壁が、マルクスの右腕に飲み込まれた。

 防御魔術が容易く破られ、動揺を露わにするキリエ。


「……っ」

「遅いんだよ」


 白炎を放つよりも早く、マルクスの腕がキリエの喉を掴んだ。

 キリエの華奢な体を軽々と持ち上げ、激しく部屋の壁に叩きつける。

 その衝撃に、キリエの意識が飛びかけた。


「そ……れ、は」


 キリエの首を掴んでいるマルクスの腕。

 露出した肌に、無数の赤黒い血管が浮かび上がっていた。

 その管の中央にあるのは、ビクビクと脈動する菱型の結晶体だ。


「これが気になるかね?」

「……っ」

「"英雄アマツ"の力の一部だよ。ジョージ達へ協力することへの見返りに手に入れたんだ」


 粘着いた笑みを浮かべ、マルクスは語る。

 ジョージ達は、"英雄アマツ"の細胞と魔力を再現しようと研究を続けていた。

 その過程で、アマツが使っていた"魔技簒奪"という魔術をある程度再現することに成功したのだ。


「実用的ではないと、あいつらはホムンクルスの研究に方向転換したようだがね」

「か……、は……っ」


 ボコボコと音を立てて、マルクスの体の一部が変形してくる。

 服の隙間から、赤黒い触手のようなものが姿を現した。

 その先端には、無数の歯が生えた円形の口がくっついている。


「これで他者を喰らえば、その力の一部を私の物にすることが出来る」

「……っ」

「キリエくぅん……。君の柔らかな肌を食いちぎり、血を啜り、骨を噛み砕く。そうすることで、私は君の聖唱魔術を手にすることが出来るのだよ」


 触手が蠢き、キリエと接近してくる。

 逃れようともがくキリエだが、マルクスの人間離れした腕力に、身動ぎすることすら出来ない。


「君が私のペットになるなら、助けてやらんこともないが?」


 汚水を煮詰めたかのような、情欲に塗れたマルクスの笑み。

 朦朧とした意識の中、


「……嫌、です……ッ」


 キリエはそれを拒絶した。

 ここで屈することは自身が信仰する神、そして愛する人を侮辱する行為だ。

 それだけは出来ない。


「忌々しい。メスガキ風情が私を拒絶するとはな」

「……っ」

「骨の髄まで、喰らい尽くしてやる」


 大きく口を開いた触手が、キリエへ襲い掛かる。


「――――」

 

 遠い日の記憶が、走馬灯のように脳裏を走った。




 寂しかった。 

 両親は教団での地位を上げる事に腐心し、キリエを見ようともしない。

 怒られたくないから、キリエは大人しくいい子にしているしかなかった。

 だからずっと、誰かに話を聞いて欲しかったのだ。


 同い年の友達に話したけど、よく分かっていないようだった。

 年上の男の子に話して「それより木登りしよう」と言われた時は、思わず笑ってしまった。

 相談出来る大人は、いなかった。


 そんな時に、一人の少年に出会った。

 内気で、臆病で、少し鈍臭い男の子。

 村の子達に馬鹿にされているのを、キリエは知っていた。

 

 村の外れでボーッとしていた彼に話し掛けたのは、ただの気まぐれだった。

 ただの、退屈しのぎ。

 キリエは、一方的に愚痴を零した。

 どうせ、分かってくれないと思っていたから。


 だけど。


「……えっとね」


 少年はキリエの話を聞いて、しっかりと自分の思ったことを言ってくれた。

 つっかえつっかえで、少年は口下手だったけれど。

 きちんと話を聞いてくれたのが、キリエには嬉しかった。


 それから、キリエは少年と喋るようになった。



 少年と出会ってから、二年近く経過した頃だろうか。

 活発なキリエと仲良くなったことで、少年は村の子供達にある程度馴染めるようになっていた。


「ほら、行くよ」

「でも……危ないよ」

「大丈夫だって!」


 その日、村の子供達で集まって、キリエ達は立ち入りを禁止されている森へ入った。

 理由は、ただ探検したかったという幼稚なものだ。

 嫌がる少年を無理やり引っ張って、キリエ達は森の奥へ入っていく。

 

「あ……!」


 その途中、キリエは綺麗な花畑があるのを見かけたのだ。

 どうしてか生えている花が無性に欲しくなって、列から飛び出して、キリエは畑に踏み込んだ。

 見たこともない綺麗な花に夢中になっている内に、キリエは一人で森の奥に入っていってしまった。


「……あれ?」


 気付いた頃には周りには誰もおらず、日も暮れかけていた。

 森の中を一人、キリエは何時間も彷徨った。

 日が落ち、周囲が暗くなって、自分がどこにいるかも分からない。

 怖くて、悲しくて、不安だった。


 そして、彷徨っている内に。


『ルル……』


 ついにキリエは、魔物に出会ってしまった。

 小さな狼型の魔物が複数、涎を垂らしながらキリエに飛び掛ってくる。

 どうすることも出来ず、座り込んでしまう。


「助けて……っ」


 その、直後のことだった。

 誰かがキリエと魔物の間に、割り込んできたのだ。


「――――」


 月の光すらない、暗い森。

 誰も助けに来てくれない、闇の中。

 魔物に襲われて、死にそうになった時。


「も……もう、大丈夫だから……っ」


 体をブルブル震わせて、今にも泣きそうになりながら。

 木の棒を手に、キリエを守るために駆けつけてくれた人がいた。


 その、少年の名前は――――。



 ズドン、と何かが地面に落ちる音がした。

 見れば、斬り落とされた触手が地面でピチピチとのたうちまわっていた。

 マルクスが、苦悶の表情を浮かべて後退る。


「――貴、様ァ」


 ついで、締められていた首がふっと楽になる。

 体勢を崩して地面へ倒れ込むキリエの体を、温かい何かが支えた。


 それは、あの時の再現のようだった。

 違うとしたら、彼は体を震わせることも、泣きそうにもなっておらず。

 憤怒の表情で、一本の剣を握っていることだろう。


「――もう、大丈夫だから」


 柔らかな口調でそう言ったのは、


「レオ、くん……」


 

 レオ・ウィリアム・ディスフレンダー。



 ――キリエの大切な、幼馴染だった。

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