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第七話 『幸せの裏側』

 ユーマを見送った夜。

 夕食を終え、入浴した子供達は性別ごとにある寝室に別れ、布団で寝入っていた。

 女性用の寝室には、ミシェルの姿もあった。


「ん……」


 ふと、ミシェルは喉の渇きで目を覚ました。

 外はまだ暗く、周囲からは眠りについた子供達の寝息が聞こえている。

 変な時間に起きちゃったな、と思いながら、ミシェルは静かに部屋から出た。


 灯りはなく、廊下はシンと静まり返っていた。

 とっくに消灯時間を迎えているため、起きている者もいない。

 いつもの賑やかな孤児院とはかけ離れた静けさが、ミシェルは少し怖かった。


(けど……怖がっちゃシーナに笑われる)


 今の自分を見られたら、間違いなくシーナにからかわれてしまう。

 昼に成長すると決めたのだから、いつまでも夜におびえてはいられない。

 フンと鼻を鳴らすと、ミシェルは堂々とした足取りで下に降り、水を飲んで喉を潤した。


 用を済ませ、元来た道を帰ろうとした時だ。


「――――」

「――!」


 遠くから、リリーとジョージの声がした。

 よく聞こえないが、何か慌てているような様子だ。


「……どうしたんだろう」


 二人に何かあったのかもしれない。

 シーナがいなくなった今、彼女の分まで自分がリリー達を支えなくてはならない。


「……よし」


 一瞬の逡巡の後、二人を心配したミシェルは声の聞こえた方に行ってみる事にした。

 声の方向へ進んでいくと、大きな扉が見えてきた。

 リリー達から、入ってはいけないと厳しく言われている部屋だ。


「……?」


 いつもはどうやっても開かない扉が、何故か小さく開いていた。

 今なら、扉の先へ進むことも可能だろう。

 

 言いつけを守って帰るか、この部屋の先へ進むか。

 悩んだ末、ミシェルは先へ進んでみることに決めた。

 万が一、リリー達に何かが起きていたら心配だ。

 

 ……それに、正直中がどうなっているのか気になる。


 音を立てないように扉を開けると、ミシェルは忍び足で中に足を踏み入れた。

 中には一切の灯りがなく、薄暗い。

 姉から習った魔術で灯りを付け、ミシェルはゆっくりと先へ進んでいく。

 

 しばらく進んだ先に、階段があった。

 その下は暗闇に覆われていて、何があるのか分からない。

 階段の先がポッカリと開いた怪物の口のように見えて、ミシェルはブルリと体を震わせた。


 恐る恐る、ミシェルは下へと降りていく。


「リリー……ジョージ……?」


 呼びかけてみるも声はない。

 ただ、グワングワンと何かが動く音が遠くから聞こえている。


「……!」


 長い階段を降りきって、ミシェルは息を呑んだ。

 進んだ先にあったのは、かなり広い通路だったからだ。

 いくつかに枝分かれしており、色々な部屋が見える。

 天井に設置された灯りが、地下を照らしていた。

 

(地下にもう一つ、お家があるみたい)


 試しにいくつかある扉の一つに手を伸ばすも、鍵が閉まっているのか全く開かない。

 耳を当ててみるも、中から音は聞こえない。

 

「……む」


 開いている部屋を探して、ミシェルは先へ進んでいく。

 この時既に、最初の目的よりも、地下の探検という好奇心が勝っていた。

 秘密基地みたいな地下を、キョロキョロしながら歩き回る。

 廊下は頻繁に掃除されているのか、埃がほとんどなく綺麗だ。

 夜なのに灯りが付いていて、少し目がチカチカする。


「――――」

「…………?」


 しばらく歩いていると、遠くから小さく声が聞こえてきた。 


 進んで行った先には今までとは少し雰囲気の違う、鉄の扉があった。

 扉の隙間から灯りが漏れている。

 中で誰かがいるようで、ブツブツと小さな声が聞こえてきた。


「ジョージ……?」


 その時に、ミシェルはジョージ達を探していたのだと思いだした。

 同時に、立ち入り禁止と言われている部屋に入ったことへの罪悪感が芽生えてくる。 

 恐る恐るミシェルはその鉄扉に近づき、音を立てないように中を覗いてみた。


「……っ」


 扉を開けた瞬間、中から形容しがたい悪臭が漂ってきた。

 この部屋は掃除をしていないのか、酷く生臭い。

 昔、父親が釣ってきた魚のような臭いだとミシェルは思った。


 扉から見える範囲に、見たことのない器具があった。

 特に大きな椅子のような物がいくつも並んでいる。

 

(実験室……かな?)


 二人は昔、凄腕の錬金術士だという話を聞いたことがある。

 この部屋はその実験をしている部屋なのかもしれない。

 どんな実験をしているのかに興味を惹かれ、ミシェルは更に扉を開いた。


(……え?)


 部屋に並んでいる椅子に、見知らぬ人が座っていた。

 布で目隠しされており、口にも猿轡を噛まされている。

 両手足を椅子に縛り付けられており、身動きが取れなくされていた。


 ジョージではない。


「……! ……!」


 猿轡の下で何かを叫んでいるのか、くぐもった声が聞こえてくる。

 縛られた手足を解こうと藻掻いおり、カタカタと小刻みに椅子が揺れている。


「――んふふぅ」

「……っ」

 

 その時、ミシェルの死角から上機嫌そうな男の笑い声が聞こえてきた。

 生理的な嫌悪感を覚えるような、にちゃにちゃと湿った音が混ざっている。

 こちらも、ジョージの声ではない。


 声の主が見えるまでに扉を開き、ミシェルは叫びそうになった。


「はぁ……はぁ……」


 豚の魔物のように肥え太った、全裸の男がいた。

 息を荒くしており、全身が汗塗れでテラテラと光っている。

 全身に蓄えられた贅肉が、呼吸のたびにプルプルと揺れている。

 髪型だけは綺麗に整えられており、それが余計に気持ち悪さを増していた。


(なに……あれ……)


 さっきから漂っているこの臭いは、あの男の物らしい。

 吐き気を催すようなおぞましさに、ミシェルは体を凍らせていた。


「あー、可愛いよぉ。んふー、んふー」


 見れば、その男は何かに跨っていた。

 何をしているのかは分からないが、その何かに汗塗れの体をニチョニチョと擦りつけている。


(なにを、して……)


 扉を少し開けて、その男が何をしているのかを覗き見る。

 そして、呼吸が止まった。


「ぁ……え……?」


 男の下にある何か。

 あり得ない筈なのに、ミシェルはその下にある物を知っていた。


 肩口まであるクリーム色の髪に、髪と同じ色の猫耳。

 家族に会えると、喜びながら孤児院を出て行った親友。


「シーナ、ちゃん……?」


 あり得ない。

 そう否定するも、男の下にいる猫人種ワーキャットは、どう見えてもシーナだった。


 服は着ておらず、全裸の状態で転がっている。

 殴られたのか、肌には痛々しい痣がいくつも浮かんでいた。

 まるで何日も食事をしていないかのように痩せ細っており、意識を失っていた。


(なんで……? どうして……?」


 シーナは二日前にリリー達に連れられて、孤児院から出て行ったはずだ。

 それがどうして、こんな所にいる?

 シーナに跨っているあの気持ち悪い男は一体誰?


「んふ、こんなに痩せちゃって、可哀想にぃ。寒いでしょぉ? ぼくが温めてあげるからねぇ」


 ねっとりとした口調で、男がシーナに声を掛けている。

 脂ぎった体をシーナに押し付け、ニタニタと吐き気のするような笑みを浮かべて。


「……! ……!」


 ガタガタと、奥の椅子が一際大きな音を立てた。

 椅子に乗せられている男が暴れているのだ。


「…………」


 気持ちの悪い動きを止め、豚のような男が椅子の方を見た。


「うるさいなぁ!! ぼくは今、この子と仲良くしてるの!!」

「…………!」

「んぁあああああ!! ぼくはうるさいって言ってるのにッ!」


 癇癪を起こした男が叫びながら体を震わせる。

 勢い良く起き上がると、脂肪を震わせながら男は椅子の元へ歩いて行く。


「ぼくの言うことを聞かないやつはなぁ、こうだぞ!!」


 椅子のから伸びているコードの先に、無色の大きな石のような物がある。

 男はそれに触れて、何かの呪文を唱えた。

 

 ――直後。


「んんんんんんん――――!」


 椅子の上に乗っている男が跳ね上がった。

 陸に打ち上げられた魚のように、縛られた状態のまま暴れ回る。

 その間、猿轡の下からくぐもった絶叫が響く。


「……!」


 変化は劇的に現れた。

 男性の体が、徐々に痩せ細っていく。

 全身の水分が抜け落ちていくかのように、肌が色を土気色に変わっていった。

 

 体が細くなったことで、目隠しと猿轡が地面に落ちた。

 

「ががががばっがばばばっ」

 

 泡を吹き、目を見開き、男が叫ぶ。

 あまりの光景に、ミシェルは声を出すことすら出来ない。

 数分後、糞尿を垂れ流しながら暴れ回る男の勢いが、徐々に弱くなっていく。

 そして、ガリガリのミイラのような状態で男は息絶えた。

 窪みきった目と、大きく開かれた口は、男が受けた苦痛の大きさを物語っていた。

 

 コードの先にあった無色の石が、いつのまにか血のように赤くなっている。

 まるで男の血を吸ったかのような、おぞましい赤だった。

 

「シーナちゃん! これでぼくたちの邪魔をするやつはいなくなったよ!」


 その光景を見ても何も感じていないのか、男は嬉しそうに床で眠るシーナに声を掛けた。

 

「んふー、眠ってる顔、可愛いよぉ」


 男がシーナに顔を近づけ、頬を舌で舐める。


「んっ、ふひゅ! 美味しいッ! んおいしぃよぉ!」


 あまりの光景に、ミシェルの理解が追いつかない。

 何が起きているのか、全く分からない。


「んんぅ」


 興奮が最高潮に達したのか、男はビクビクと体を震わせながら仰け反った。

 部屋の生臭さが、より一層増す。


「ふぅぅ。んじゃあシーナちゃん。もう一回あの椅子に座ろうねぇ。ちょっとずつ魔力を吸い取ってあげるからね」


 男は息を吐いた後、シーナを持ち上げて椅子の方へ引きずっていく。

 ズルズルと、衰弱しきったシーナは無抵抗で運ばれていくだけだ。


「シーナちゃんの叫び声はぁ、さっきのカスと違って可愛いんだよねぇ。あはぁ、こんな可愛い女の子がガリガリになって死ぬなんてぇ、たまらないよぉ……」


 助けなければ。

 ミシェルの頭にそんな考えが浮かぶ。

 しかし、体は一向に動かなかった。

 それどころか、カタカタと震えて、今にも倒れこんでしまいそうだった。


 その時。

 キィ、と鉄扉が音を立てた。


「だぁれ!」

「ひっ」


 男がバッとこちらを振り返る。

 目があった。


「だれ……? お前、ママじゃないな!」

「ひ、あああああああっ!!」


 次の瞬間には、ミシェルは逃げ出していた。

 部屋に背を向けて、無茶苦茶に走る。

 頭の中にあった考えは全て恐怖に塗りつぶされ、グチャグチャだった。


(逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ!)


 走る。走る。走る。走る。

 躓きそうになりながら、ただ走り続ける。


 後ろから男の声がした。

 扉を開けて、外に出てきたのだろう。


(隠れなきゃ……)


 近くにあった部屋に入ろうとするも、鍵が閉まっている。

 次も、その次も開かない。

 泣き叫びながら開く扉を探し、六個目の扉がようやく開いた。


 一目散に中へ飛び込もうとして、


「うっ……」


 想像を絶する悪臭に、ミシェルの動きが止まった。

 先ほどの部屋など比べ物にならないほどの臭い。

 それが死臭であると、ミシェルはすぐに気が付いた。


 死体が山積みになっていた。

 椅子に座らされていた男のように、ガリガリになっている。

 この臭いは、この死体達のものだ。


「ぁ……あぁ」


 大人も子供も、男も女も関係なく。

 数十の死体が無造作に転がっている。

 

「…………え?」


 その中の死体の一つが、目についた。

 割りと新しいのか、山の上にある小さな男の子の死体。

 黄色の髪と、干乾びた長い耳には見覚えがある。

 つい、今日の朝に孤児院を出て行った、妖精種エルフの少年。


「ユーマ……くん?」


 そう口にした瞬間に、ミシェルは気付いた。

 気付いて、しまった。

 

 ――転がっている死体の幾つかに、見覚えがあるということに。


 家族が見つかったと、孤児院を後にした子供達。


「うぶ……」


 吐瀉物を床にぶちまけ、ミシェルはフラフラと後退る。

 部屋の扉が、乾いた音を立てて閉まった。


「見てしまったようだね」


 不意に声を掛けられ、ミシェルはバッと振り返る。

 そこには、悲しそうな顔をしたジョージとリリーが立っていた。


「どうして私達の言いつけを破ったの? 入っちゃ駄目だと言ったでしょう?」

「あ、あ。ゆ、ユーマくんが、ユーマ君が! それだけじゃないの、他の子も! み、みんな死んでて、その部屋で……!」


 支離滅裂な言葉で訴えるも、二人は酷く落ち着いた顔をしている。


「ああ、知っているとも」

「それがどうかしたのかしら?」


 その冷静さに、ミシェルは自分の体が急速に冷えていくのを感じた。


「全く……貴方は間が悪いわね。よりによって、こんな時に入ってくるなんて」

「封印し忘れていたか」

「貴方、今後は気をつけてちょうだい。それで前も子供が入ってきちゃったんだから」


(二人は一体、何を言っているの……?)


「残念だよ、ミシェル」

「ええ、本当に」


 二人が見てくる。

 いつものように、穏やかな笑みを浮かべている。

 ただし、その目は人間に向けているとは思えないほど、無機質だった。


「何を言ってるの……!? そ、そんなことより、シーナちゃんが! ば、化物に襲われて!」


 ピクリと、二人が動きを止めた。

 

「……化物?」

「そ、そう! ぶ、豚のッ! 豚の化物が――」


 刹那、ミシェルの視界が赤く染まった。

 床に勢い良く倒れこみ、地面に背中を強打する。

 殴られたのだと気付いたのは、数秒後のことだった。


「貴様ァアアア!! 私達の息子を化物呼ばわりするなァア!!」

「ダーちゃんを馬鹿にするんじゃないわよ、このブスッ!!」


 ジョージが顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、リリーは甲高い金切り声をあげる。


「家畜の分際で! 今すぐ魔力を搾り取って殺してやるッ!」


 ミシェルはもう、何も理解できていなかった。

 一杯一杯で、脳に情報が入ってこない。

 その場から走りだしていたのは、命の危機が迫っているということを本能が悟っていたからだろう。


 背後から、二人の絶叫が聞こえている。

 振り返る事無く、ミシェルは走り続けた。


「――――」


 ボゴッ、と奇妙な音が響いた。

 直後、目の前の通路の床が大きく盛り上がる。


「な、なに……」

 

 それは徐々に大きくなっていき、やがて三メートル程の人型になった。

 全身が床の材質で構成された"土巨人ゴーレム"だ。

 固まるミシェルに向けて、土巨人が大きく腕を振りかぶった。


「ぁ――」


 大人の胴程もある土巨人の腕が振り下ろされた。

 ミシェルを押し潰そうと、豪速で腕が迫る。

 死の恐怖に身が竦み、ミシェルはそれを見ていることしか出来なかった。


「助けて……」


 走馬灯はなかった。

 死の直前。

 最期にミシェルは絞りだすようにそう呟いて、土巨人の腕に押し潰されて――――



「――――あぁ、任せて」



 ――その呟きに、応える者がいた。


 ズドンと音がした。

 地下を震わせるその音に、ミシェルが瞑った目を開く。

 ミシェルを潰すはずだった土巨人の腕が、地面に落ちていた。


「――――」


 最初に目に入ってきたのは、灰色の髪だった。

 布を体に撒いただけの簡素な格好をした、長身の男性。

 見知らぬ男が、土巨人から庇うようにミシェルの前に立っている。


「……だ、れ……?」


 男がゆっくりと振り向く。

 ミシェルを見て、男は少し困ったような顔をしながら言った。




「――アマツ、らしいよ」

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