第十六話 『嘲笑を斬り裂く』
戦いが始まった。
玉座の周囲に展開された水弾が、ディオニスの合図によって一斉に掃射される。
エルフィと視線で意思疎通を行った直後、"加速"と"強化"を同時に使用して回避を行った。
水弾が地面に着弾して爆ぜ飛沫く。
「――"魔眼・灰燼爆"」
超人的な身体能力で水弾を軽々と躱しながら、エルフィが魔眼を連発した。
小規模な爆発が、連続してディオニスへ襲い掛かる。
「前にも言ったけど、こんな子供のお遊びみたいな攻撃で僕を殺せると思ってるの?」
「――ッ」
灰燼爆はエルフィが向けた視線の先に爆発が起こる。
ほぼノータイムで起こる攻撃を、ディオニスは鼻で笑いながら回避していた。
エルフィが向けた視線がどこにあるかを目視で確認してから、余裕を持って躱しているのだ。
ああ、お前がそれぐらい出来ることはわかってる。
だからこそ、ディオニスが躱す先。
そこへ向けて、俺は既に雷の魔術を放っていた。
「こんな程度で――――」
迫る雷に鼻を鳴らし、ディオニスが水弾で対処する。
その瞬間、動きを止めたディオニスに対して、エルフィが魔眼を撃ち込んだ。
それまでよりも威力と規模の大きな爆発が起こるが――――
「……なるほど。やはり、簡単にはいかないか」
その爆発が斬り裂かれ、消し飛んだ。
手にした剣の刃に水を纏わせたディオニスが、剣を振り下ろした状態でこちらを睨んでいる。
「陳腐な攻撃、見え透いた連携。はーあ。全く、がっかりさせてくれるよね。何か策があってここに来たんだと思ったけど、期待はずれも甚だしいよ」
片手で髪をかき上げながらの、ディオニスの呟き。
大袈裟に溜息を吐き、わざとらしく落胆した風な表情を浮かべる。
「弱い者いじめをするようで僕も心苦しいけど、これなら無事、水魔将としての役目を果たせそうだねぇ」
「……来るぞ!」
ディオニスが跳んだ。
剣を構えながら、俺の方へ突っ込んでくる。
「弱い方から叩くのって、定石だろ?」
「……チッ」
威力を高めた雷の魔術を放つ。
紫色の雷が蛇のように地面を滑りながら、向かい来るディオニスへ絡み付こうとするが、
「あの頃とは違うんだよ、アマツ」
「……!」
直前に、その体を透明な水が覆う。
たったそれだけで、ディオニスの体に直撃した紫電が霧散した。
「純水か……!」
不純物を含まない純水は雷を通さない。
元の世界の理科の授業で習った内容、それはこの世界でも同じだった。
練度の高い魔術師が使用する水属性魔術は純水を生み出し、苦手なはずの雷属性魔術を弾くことが可能となる。
「三十年間、君が何してたのか知らないけど、僕は成長してたんだよ。頭スカスカのまま、ただ劣化した君とは違ってねぇ!!」
「……ぐぅッ!」
ディオニスの放つ、水を纏った剣閃を辛うじて受け止める。
何重にも強化した体だが、たった一撃受け止めただけで、後退させられた。
何の魔術も使わずに、鬼族は人間の数倍の膂力を発揮する。
ディオニスは鬼族の方では筋力の低い方だが、それでも今の俺には受け止めきれない。
流石に、厄介だな。
「――させんッ!」
体勢を崩した俺へ迫るディオニスの追撃。
そこへ、後ろで魔力を溜めていたエルフィが割って入ってきた。
魔力を纏った腕でディオニスの刃を受け止め、開いた片手でカウンターを放つ。
「……そういえば、君は肉弾戦も出来たんだったね」
後ろへ飛び退き、拳を回避するディオニス。
逃さず、エルフィが連続して拳を撃ち込んでいく。
その隙に俺も体勢を立て直す。
「はァあああッ!!」
「――柔剣」
軽々と天井を砕いた元魔王の拳。
その全てを、ディオニスは剣で受け流していく。
カウンター気味にエルフィの胴を、剣で薙ごうとするディオニス。
「――ッ!!」
そこへ、今度は俺が割り込んだ。
横薙ぎの一撃を、翡翠の太刀の刃が辛うじて受け止める。
動きの止まったディオニスへ、エルフィの魔王パンチが叩きこまれた。
その時になって、ディオニスが剣を握っていなかった片手を使った。
柔剣を体術に応用し、ディオニスがエルフィの拳を片方の手で受け止める。
「危ない危ない」
受け止めた拳の勢いを利用し、ディオニスが後方へ飛び退く。
「逃がさん!」
間髪入れず、エルフィが魔眼を撃ち込もうとするが――、
「おおっと」
それを阻むように、水の壁が目の前に生み出された。
それまでディオニスが生み出していた透明な純水ではない、濁った水の壁。
「エルフィスザーク。君の魔眼を相手に当てるには、対象に視線を向ける必要がある。だったらその視線を遮っちゃえば、どうしようも出来ないよねぇ?」
壁の先から聞こえる、ディオニスのせせら笑い。
「余計な知恵が回る……!」
「エルフィ、助かった。だが、あまり前に出過ぎるな」
「……ああ」
「焦るな。今の所は順調だ」
順調に、あいつは俺を侮ってくれている。
先ほどからディオニスの視線は、ほとんどエルフィに向けられていた。
最初の段階で、エルフィよりも俺の方が弱いことをあいつは理解している。
あいつは軽く俺を攻撃しながら、エルフィが隙を見せるのを待っているのだ。
好都合だ。
あいつがエルフィを警戒すれば警戒するほど、俺が動きやすくなるのだから。
目の前を塞いでいた壁が消えると、ディオニスは少し離れた所に立っていた。
剣を片手に、相変わらずこちらを侮った視線を向けてきている。
ああ、認めよう。
今の俺達にとって、お前はかなり厄介な敵だ。
だが、それ故にその弱点が浮き彫りになる。
格下に対しての油断、侮蔑、傲慢。
自分が勝てると理解した相手で、あいつは遊ぶ癖がある。
旅の途中、何度もルシフィナに注意されていたお前の欠点だ。
三十年経っても、幸いなことに治っていないようだな。
「エルフィスザークの方はまあ、及第点だよ。けどさ、アマツ、君ちょっと弱すぎじゃない?」
貴様に及第点を貰っても嬉しくなんかないわ、とエルフィが吐き捨てる。
「まあ、旅していた時から思ってたよ? 君は大したことないただのカスだってさ。勇者? 英雄? 世界を救う? 人間ごときが偉そうにさぁ。リューザスとかいう無能野郎も人間の分際で最強の魔術師だとかほざくし、人間ってのはつくづく己の分が分かってないよね」
ディオニスが腕を持ち上げ、詠唱する。
――"激流蛇"――
それまでの水弾とは違う。
巨大な水の塊が生成され、それが大蛇のような形を成した。
「――ッ!」
「下がるぞ、伊織!」
うねりながら、大蛇が勢い良く向かってくる。
あれに取り込まれれば、間違いなく溺死させられるだろう。
「そういえば、まだ聞いてなかったね。ねぇ、誰に復讐するんだって?」
高笑いするディオニスを無視し、大蛇から逃れるために走り出す。
エルフィは跳躍し、壁を蹴って部屋を移動。
軽く回避している。
だが、俺にはあんな動きは出来ない。
水の勢いは早く、ただ走っているだけでは逃れられないだろう。
水弾を潜り抜ける為に用意していた手を、ここで使うか。
「……"二重加速"」
それまで使っていた"加速"に、更に"加速"を重ね掛けする。
更に倍になった敏捷性で、迫る大蛇を回避した。
「……ッ」
全身が軋み、体が弾けそうになる。
ブチブチと筋繊維が切れる感覚がある。
『強魔の腕輪』で通常よりもかなり敏捷性が上がっているが、その分負担も大きくなってしまう。
腕輪のデメリットだな。
「……だが」
動く度に痛みが走るが、直後それが癒えていく感覚がある。
ここに入る前に飲んでおいた、持続式ポーションのお陰だ。
持続的に回復するお陰で、二重加速の負担を軽減することが出来ている。
「あっははは! 無理をするねぇ、アマツ! 必死さが伝わってくるよ!!」
大蛇を置き去りにし、玉座のすぐ前に立っているディオニスへ肉薄した。
ほんの数秒で間合いを詰め、ノータイムで斬り付ける。
が、
「君の太刀はもう見切ってるのさ」
二重加速から繰り出した一撃も、受け止められた。
それも、片手で握った剣でだ。
「そういえば、君に柔剣を教えたのは僕だったねぇ。ま、見込みはないと思ってたけど、さァ!!」
「ぐっ」
序盤の焼き直し。
体勢こそ崩さなかったが、俺は後ろへ弾かれる。
笑いながら、ディオニスが追ってくる。
「……伊織!」
「おおっと!」
援護しようとするエルフィだが、そこへディオニスの大蛇が襲い掛かる。
剣術と魔術の同時行使。
エルフィは大蛇で足止めされ、俺は剣で追いつめられていく。
……エルフィ、まだか。
「あはははは! ほら、アマツ! 頑張らないと死んじゃうよぉ!?」
「ッ」
ただひたすらに、ディオニスの猛攻に耐える。
ディオニスの言う通り、俺はこいつに柔剣を教わった。
だからこそ、分かる。
こいつは高い技術を持っているが、今こちらに使っているのは舐めきった力押しの攻撃だと。
十合近く打ち合い、俺の息が切れ始めたタイミングだった。
「ちぃ――最大火力の魔眼で吹き飛ばしてやるぞッ!」
遠方で、エルフィの痺れを切らした叫びが聞こえてきた。
その言葉通り、彼女が高い魔力を纏うのが感じられる。
「――――」
ディオニスの注意が、エルフィに逸れる。
魔眼を防ぐために、片手で防御魔術を展開しようとしている。
「――はああァッ!!」
このタイミングで斬りかかるが、それでもディオニスはこちらの一撃を軽く防いでみせた。
そこで終わらず、間合いを詰め、全力の一撃を振り下ろす。
「君程度、余所見しながらでも対処出来るんだけど?」
嘲笑いながら、ディオニスがこちらのタイミングに合わせて剣を構える。
そう。
寸分違わず、完全にこちらのタイミングを捉えている。
――このタイミングを待っていた。
「"三重加速"――ッ!!」
振り下ろしている最中の剣。
その剣速が、"三重加速"によって跳ね上がる。
こちらのタイミングを完全に捉えていたからこそ、ディオニスはこの一閃に対処出来なかった。
「は!?」
刃がディオニスの肩口から脇腹にかけてを斬り裂いた。
鮮血が吹き出し、ディオニスが後ろへ仰け反る。
「ぐ……ふッ」
三重加速の影響で体がバラバラになりそうな程の負荷が掛かっている。
持続式ポーションでもカバーしきれないダメージだ。
「……あああああ!?」
傷口を抑え、悲鳴を上げるディオニスに向け、更に一閃叩き込む。
「そんな剣でェ!!」
だが、今度は対処された。
三重加速の剣速にも、ディオニスはついてきている。
「アマァアアツ!! 手加減してやれば、調子に乗りやがって!!」
血を滴らせながらの、ディオニスの猛攻。
これまでとは違う、"技"の乗った一撃に攻撃が弾かれる。
三重加速で身体速度はこちらが勝っているのに、だ。
だが、それも今だけだ。
「なぁ、ディオニス。傷口をよく見てみろよ。気付かないのか?」
「……は?」
肩口から脇腹に掛けての傷口。
いつの間にか、その周囲の肉がどす黒く染まっていた。
「な……なんッ」
「……沼の毒だよ。水魔将なんだから知ってるだろ?」
入ってすぐにあった、あの紫色の毒沼。
その毒を採取し、翡翠の太刀の刀身に塗りつけておいた。
軽い傷だけでも、沼の毒は十分に効果を発揮する。
魔族だろうが、鬼族だろうが、この毒は有効に働く。
「……僕が何の対処策を持ってないとでも思ってるのか!? こんな毒、すぐに解毒してッ!」
「――させねえよ!!」
三重加速に加えて、更に"強化"を二重に掛ける。
後ろへ下がろうとしたディオニスへ、渾身の一撃を叩き込む。
「ぐうううッ!?」
骨が砕けるのも構わずに放った一閃。
ディオニスは受け止め切れず、大きく後ろへ吹き飛ばされる。
「馬鹿め……!」
距離を取ったのをいいことに、解毒を行おうとするディオニス。
体への負担もあって、すぐに間合いは詰められない。
だが、計画通り。
これで俺も、十分に距離を取れた。
「――言っただろう? 私を忘れるなと」
大蛇を身体能力だけでやり過ごしていたエルフィの紅色の視線が、完全にディオニスを捉えていた。
「チェックメイトだ、ディオニス」
「まさか……ッ」
ギョッとして、ディオニスがエルフィへ視線を向ける。
既にエルフィは魔力を溜め、準備を整えていた。
「や、やめ――――」
その必死の叫びも虚しく。
「――"魔眼・灰燼爆"――」
激しい爆発が、ディオニスを飲み込んだ。
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