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第十三話 『悪辣なる水魔将』

一万文字です

 ディオニス・ハーベルク。

 鬼族の中で最も高い実力を持った、水魔術に長けた水鬼。

 鬼族を代表して、勇者のパーティに入ったかつての仲間。


 そう。

 俺を裏切った、かつての仲間。

 俺が最も復讐したい相手の一人だ。


 ――これ以上、同族が傷付く姿は見たくない。だからアマツ、僕も君と一緒に戦うよ。


 最初に会った時、ディオニスは同族を守るために戦うと俺に言った。

 流されてばかりだった俺は、そんな確固たる意志を持ったディオニスに俺は憧れていたんだ。


 世界を平和にしたいという理想にも、ディオニスは賛同してくれた。

 そんな素晴らしい世界を作るためなら、僕は何でもすると。

 そう言ってくれた。


 同じ目標の為に共に戦う大切な仲間。

 俺はそう思っていた。

 

 そんな信頼は呆気無く砕かれた、


 魔王城での戦い。

 俺を待っていたのは、仲間からの裏切り。

 ディオニスは不意打ちで、俺の胸を貫いた。


 そしてニヤニヤと笑いながら、こう言ったのだ。


 ――魔王を弱らせて、僕達をここまで連れてきた時点で君の役目は終わってるんだよ。


 ――勇者の力がなくても、後はリューザスに魔力を譲渡すれば魔王は殺せるからね。


 ――これで、君の役目はおしまいってワケ。分かるかなぁ?


 あの時のことは、今でも夢に見る。

 それまで背中合わせで戦ってきた仲間が、悪意を剥き出しにしながら俺を嘲笑ったのだから。

 同じ目標を持って戦ってきたじゃないか、という俺の言葉にディオニスは言った。


 ――夢は寝て見た方がいいんじゃないかなぁ?


 これがディオニスの本心。

 それまで、同意し、君の力になりたいと何度も言っていたのは、全て騙して利用するためだった。

 

 理想を否定したのはいい。

 今の俺には、あの頃の自分の甘さが分かるから。

 だがそこに付け込んで、利用して、用済みだと嘲笑いながら捨てたことは許さない。

 

 魔王軍のスパイだろうが、亜人だろうが、関係ない。

 嘲笑われながら殺されたこの借りは、かならず返す。

 俺が先に進むために。



「ちょっと下がっててね」


 ディオニスがそう口にすると、周囲の魔物達は動きを止めた。

 こうして魔物を操ることが出来るのは、前にエルフィに聞いた、魔王に認められているということなのだろう。


「……ッ」


 三十年前からほとんど変わらない、優男を装ったその表情を見て頭が怒りで白くなる。

 剣で斬り掛りそうになる自分を、歯軋りし、両拳を握り締め、怒りを押し殺す。

 そうだ。

 怒りのままに行動しても、あいつには届かない。


「――――」


 それに怒りを押し殺しているのは、俺だけではない。

 エルフィはディオニスに部下を殺されている。

 怒りを感じていないはずがない。


「……久しいな、水鬼。勇者のパーティだった男が水魔将とは笑わせてくれる」

「やぁ、エルフィスザーク。僕にも色々事情があってね。それより、驚いたよ。ルシフィナの封印から抜け出せたんだね。おめでとう」


 空中でこちらを見下ろしながら、ディオニスがパチパチと手を叩く。

 親しげな表情の声音だが、馬鹿にしているのが伝わってくる。


「ふん。あの程度の封印で私を封じ続けられるとでも思っていたのか? 随分と舐められた物だな」

「ああ、ごめんね? 魔王の座を奪われ、大事な部下の命も奪われ、その挙句に体バラバラにされちゃった負け犬には、あの程度の封印で十分だと思っていたよ」


 宙からこちらを見下ろしながら、ディオニスはエルフィを挑発する。

 だが、エルフィは僅かに目を細めるだけで、その挑発を受け流した。

 それに対し、ディオニスは僅かに不快そうな表情を浮かべ、エルフィから視線を外した。


 作り物めいた気持ち悪い笑顔が、俺に向けられる。


「君もだよね。久しぶりなのはさ」

「……なに?」

「とぼけなくても良いよ。あの地下での出来事は全部知ってるんだ」


 古くからの友人に向けるような笑顔で、ディオニスは言った。


「――久しぶり、アマツ」


 ……そういうことか。

 地下というのは、オリヴィアの屋敷のことだろう。

 あの水の眼球は、ディオニスの放った魔術だったのだ。

 

あの女オリヴィアが妙な動きを見せていたから、一応監視してたんだけどね。そこに君たちが現れて驚いたよ」


 オリヴィアは魔物を操って、迷宮を討伐しようとしていた。

 それを知って監視していたディオニスの魔術に、俺達が映ってしまったという訳か。


「負わせた傷は完全に見当たらないし、容姿も以前と違う、か。うんうん、なるほど、オルテギアの策が裏目に出たようだね」

「……オルテギアの策だと?」

「おっと。大丈夫、気にしなくていいよ」


 失言したという風に口を抑え、ディオニスが微笑む。

 その仕草や態度から、俺が生きていたことに対する驚きがあまり感じられない。

 意外な人物と再会した程度の反応だ。


 訝しむ俺に対し、ディオニスは両手を広げながら言った。

 

「君にもう一度会えて嬉しいよ、アマツ」

「……あぁ」


 それに対しては、同意しかない。


「俺もだよ、ディオニス。俺もお前に会いたかった」


 どうやって、苦しませてやるか。

 どうやって、裏切ったことを心の底から後悔させるか。

 どうやって、自分が間違っていたのだと謝罪させるか。


 そして、


「どうやって、お前を殺してやろうか、ずっと考えていた」

 

 復讐対象がノコノコとやってきてくれたんだ。

 こんなにありがたい話はない。


「何のつもりで外に出てきたかは知らんが、手間が省けた。ここで部下の仇を打たせて貰おうか」


 そう言いながら、エルフィも一歩前に踏み出した。

 全身から魔力を滾らせ、既に戦闘態勢に入っている。


「復讐と仇討ちってとこ? 悪いけど、そういうのには興味ないな。僕はただ、間違いを訂正しに来ただけなんだよ」


 聞き分けのない子供諭すような口調。


「『アマツは最強の勇者』とか言われてるよね、人間の分際でさ。全く、笑えない間違いだよね。君如きが最強とかさ。だから、その間違いをずっと訂正したいと思ってたんだ。君を叩き潰して、僕が最強だってことをさぁ!」


 そこから一変して、作り物めいた笑みを消し、悪意がありありと伝わってくる歪んだ笑みを浮かべ、ディオニスがそう叫ぶ。


 そして、ディオニスも浮遊したまま、戦闘態勢に入った。

 彼の合図によって、周囲の魔物達が再び動き始める。

 魔物を相手にしながら、同時にディオニスと戦うのは少し厄介だが、やりようによっては戦える。

 あいつと戦闘力は、三十年前のモノだが把握しているからな。


 互いに向き合い、今にも戦闘が始まろうという時だ。


「おとうさん……おとうさん……」

「――――ッ」


 そのタイミングで、背後で父親の骸に縋り付いていた少女の声が耳に入ってきた。

 父親を失った少女の存在に、それまでの高揚感が散る。

 ディオニスの登場に、完全に失念していた。


「――気になるのかい?」


 同時に、ディオニスの顔が嗤いに歪むのが見えた。


「はははっ!!」


 浮遊した状態で、ディオニスが振り上げる。

 たったそれだけの行程で、その周囲に無数の水の球体が構成された。

 そして直後、笑みを浮かべたまま、ディオニスが腕を勢い良く振り下ろした。


「――――ッ」


 無数の水弾が、雨のように降り注ぐ。

 その水弾全ての狙いが、俺達ではなく、膝をついて泣いたままの少女に向けられていた。

 

 判断する暇すらない。

 少女を抱き上げ、その場から走り出す。


「……チッ」


 何をやっているんだ、俺は。

 ディオニスは誰かを庇いながら戦えるような相手じゃない。


「うあああ……」


 腕の中で、少女が泣いている。

 戦いのじゃまになる。

 見捨てるべきだ。


 ――泣いているこの少女を?


「……ッ」


 それ以前に、俺はなぜこの少女を助けた?

 復讐の役にでも立つのか。

 ディオニスを殺すための戦力にでもなると?

 いや、それはない。なるはずがない。


 だったら、今すぐ捨てるべきだろうに。


「……なんでだ」


 俺は歯を軋ませた。


 無意識の自分が、分からない。

 少女を守る理由など一つもなかった。

 いかに凄惨な死に方をしようと、切り捨てるべきだったのだ。

 それなのに、俺は――

 

「相変わらず優しいね。でもさ、そんな余裕、あるのかなぁ?」

「ッ」


 意識に割り込んでくる、嘲笑混じりのディオニスの声。

 真後ろで爆発が起こる。

 

「は――づッ」


 衝撃に背を叩かれ、意識が飛びそうになる。

 唇を噛みきって、何とか意識を保った。


「ほら! 頑張らないと、その子が死んじゃうよ?」


 立ち塞がる魔物の脇をすり抜け、ひたすらに距離を取る。

 俺を追いかける破壊は、魔物達も容赦なく飲み込んでいく。

 爆発が連続し、魔物の体が爆散していった。

 それを気にした風もなく、ディオニスの耳障りな哄笑が背後から聞こえてくる。


「ああ……!」

 

 少女の悲鳴。

 男性の骸があった場所にも、破壊は降り注ぐ。

 見るまでもなく、男性の体はもう原型を留めていないだろう。


「おと……うさん、お父さん、ああああッ!!」


 その光景を俺に抱えられながら、少女は見てしまった。

 腕の中で、少女が泣き叫び、暴れ回っている。

 このままでは、水弾に対処しきれなくなる。


「……ぁ」


 少女の頭に魔力を流し、意識を飛ばした。

 力を失い、腕の中で少女は眠りについた。

 

 ……意識を失わせるんじゃなくて、見捨てるべきだろうが。


「本当に弱くなってるんだね、アマツ。この程度の攻撃から少女を守るだけで精一杯なんてさ」


 そうディオニスが嗤い、更に水弾を放とうとしたタイミングで、


「――"魔眼・灰燼爆"」


 同じように水弾を凌ぎながら、魔力を溜めていたエルフィの魔眼が炸裂した。

 俺達は別方向に移動していたエルフィの攻撃が、笑い声をあげていたディオニスを飲み込む。

 偽装の魔力付与品マジック・アイテムを嵌めた状態では最大級の一撃だ。


 紅蓮の閃光が視界を覆う。 

 爆風が吹き荒れ、大地が揺れる。


「どうだ……!?」


 エルフィがそう呟くと同時。


「……はーあ」


 爆煙が消し飛び、無傷のディオニスが姿を現した。

 その体を水の障壁が覆っているのが見える。

 あれで、エルフィの魔眼を完全に相殺したのか。

 

「ねぇ、エルフィスザーク。エルフィスザーク・ギルデガルド。その程度の爆撃で僕にダメージを与えられるとでも思ってるのかな? だったら、随分と僕を馬鹿にしたもんだよね。その魔眼、腐ってんじゃないの?」

「……火力不足か」


 苦い表情を浮かべ、エルフィがディオニスから距離を取る。

 そして、『偽装の腕輪』を外そうとした時だった。

 僅かに苛立ちを浮かべた、ディオニスが指を鳴らした。


「っ、な……!?」

「エルフィ……?」


 直後、不意にエルフィが苦悶の表情を浮かべ、膝をついた。

 見れば、彼女の右の太腿に深々と一本の剣が突き刺さっているのが見える。

 距離は十分にあったし、そもそもディオニスは何の武器も手にしていなかったはずだ。


 ディオニスが何をしたのかが理解できない。


「ほら、アマツ。お仲間がピンチだけど、助けなくてもいいの? それとも魔族だからって見捨てるのかな?」


 膝をつき、動きを止めたエルフィに向けて、ディオニスが水弾を放とうとする。


「……ッ」


 少女を抱えたまま、片手をポーチへ飛ばし、魔石を握り込む。

 "壊魔ブレイク・マジック"を使い、ディオニスの攻撃を止めようとした時だ。


「違う! 狙いはお前だ、伊織!」


 エルフィの叫び声。

 同時に、ディオニスが指を鳴らした。

 こちらに背を向けたままだというのに、宙を浮かんでいた水弾が背後に向けて発射される。


「――――」


 倒れ込むように後ろへ跳躍しながら、魔石を投げる。

 迫る水弾と魔石が接触すると同時、"壊魔"を発動した。

 跳躍だけでは爆風の範囲から脱しきれず、灼けるような風に強打された。


「か、は……っ」


 地面に叩き付けられ、呼吸が止まる。

 焼かれた肌がジリジリと痛む。

 少女を庇ったせいで、上手く受け身を取ることが出来なかった。


 ぼやける視界で、どうにかディオニスの姿を捉える。


「残念だけど、寝てる暇はないよ?」


 痛みでぼやけた視界の中で、ディオニスが魔術を行使するのが見えた。

 このタイミングでは、躱すことも出来ない。

 ……劣化した魔毀封殺イル・アタラクシアで凌ぐしかないか。

 あの威力では、相殺することは無理だろうが。


 ダメージを受ける覚悟をした時だ。


「――はァああッ!」


 太腿から剣を引き抜いたエルフィが、ディオニスに飛び掛かった。

 

 ――"魔腕・壊裂断かいれつだん"――


 五つの魔力の爪が、ディオニスに襲い掛かる。

 水弾の標的がディオニスからエルフィに変わった。

 爪と水弾が激突し、激しい爆発が起こる。


「チッ……」

「く、う……!」


 お互いに爆風によって飛ばされる。

 エルフィは宙で体勢を立て直しながら、俺達の方へ下がってきた。


「……無事か、エルフィ」

「何とかな」


 足の傷は既に塞がっている。

 腕と顔以外は分身体の為、魔力を込めれば再構成することが出来ると前に言っていた。


「あの水鬼、これまでの魔将とは格が違うな。腐っても、元勇者のパーティという訳か」

「……全力で戦わないと、勝てる相手じゃない」


 エルフィが『偽装の腕輪』を外し、抱えているこの少女をどうにかしなければ勝機はない。

 だが……。

 それを読み取ったのか、耳障りな声が響く。


「ねぇ、アマツ。その子を見捨てたらどうかな。庇いながらじゃ、まともに戦えないでしょ?」

「……必要ないな。お前程度、この状態でも十分に戦える」


 強がりだ。

 全力を出せない状況で勝てる相手ではない。


「あのさ」


 自身の茶髪を指でクルクルと弄りながら、ディオニスが溜息を吐く。

 眉を寄せ、呆れたように言った。


「君って、一体どこまで馬鹿なのかな」

「……何だと?」

「あれだけ手酷く裏切られたのに、まだ人助けかい? 三十年も経ったのに、まるで成長していないじゃないか」

「……違う」

 

 違う。

 断じて違う。


 俺は人助けをしている訳じゃない。

 そんな甘い考えはもう捨てた。

 復讐のためだったら、何でも利用すると決めたんだ。


「じゃあ、どうしてその子供を見捨てないのさ?」

「……それ、は」


 そうだ。

 どうして俺は、この期に及んでこの少女を見捨てていない?

 足手まといになるだけだと、理解しているというのに。


 何故――――


「伊織、耳を傾けるな」


 思考が中断される。

 エルフィの手が、俺の肩を叩いていた。


「裏切り者の戯言など、聞く価値はないぞ。何を真面目に取り合っているのだ、馬鹿者」

「……あ、ああ

「冷静さを失うな。敵を見据えろ。前を向け」


 頭を振り、余計な考えを捨てる。

 戦場での逡巡など、自殺行為そのものだ。



「お前はその子供を抱えたままで、出来る限りの対処をしろ。私があいつの攻撃を凌ぐ。その隙に――」

「あ、ごめんね。そ・れ・は、無理!」


 話に割り込みながら、ディオニスが手を振り下ろした。

 再び放たれる大量の水弾。


「――――ッ」

 

 エルフィの魔眼で撃ち落とし、魔毀封殺イル・アタラクシアで防御する。

 だが、ディオニスは攻撃の手を緩めない。


 こちらが逃げられないのを知って、少女を抱えた俺を重点的に狙ってきている。

 強制的に、防戦一方に追い込まれてしまっていた。

 ポーションを飲む暇すら無く、ただ魔力と体力を削られていく。

 エルフィも、『偽装の腕輪』を外すことが出来ていない。


 やがて。


「――がッ」

「くっ」


 防御を破り、眼前で水弾が炸裂した。

 衝撃に吹き飛ばされて地面を転がる。

 エルフィも膝をつき、荒い息を吐いている。


「うっそでしょ? ねえねえ、仮にも元勇者と元魔王がこんなに弱いって、一体全体何の冗談? 困るなあ。色々準備してきてるんだからさぁ」


 ディオニスが腕を持ち上げる。


「まだ殺さないよ。取り敢えず、その子を君たちの前で殺してから、さんざん甚振ってあげるね」


 そして、水弾が放たれ――――。



「――間に合った……!」


 

 俺達を囲むように、結界が生じた。




 赤い髪を振り乱し、荒い息を吐きながら肩を揺らす女性を見た。

 その後ろには武装した複数の兵士が控えている。

 結界を張り、俺達の命を救ったのは――――


「……カレン、さん」


 いつかの時のことを思い出す。

 かつて、窮地に陥った俺達を助けてくれた男がいた。

 赤髪の心優しい男が。


「来るのが遅くなりました。すいません」


 ガッシュの面影を持ったその女性に、俺はまた助けられたのだ。


「…………」


 不快げに眉を顰めたディオニスが水弾を放つ。

 目の前に展開された結界にぶつかり、連続して爆発が起きた。

 結界が軋み、やがてヒビが広がっていく。


 だが。


「――――」


 破壊が広がるよりも早く、カレンが新たに結界を展開した。

 ヒビの入った結界の上からもう一層の結界が現れ、水弾を弾いていく。

 荒い息を吐きながら、何度も何度も繰り返しカレンは結界を張り直していった。


 その応酬が数分続き、やがてディオニスが攻撃の手を止めた。


「……あぁ、君知ってるよ。隣の領主に父親を殺された女でしょ? 魔物にボリボリってさ。君の父親とは面識があってね。そのよしみだ。結界を解いて、今すぐ目の前から消えるんなら、見逃してあげるけど?」


 結界越しにも伝わってくるディオニスの殺気。

 カレンの背後に控えている兵士達に震えが走る。 

 そして、直接その殺気を向けられているカレンも、ガクガクと体を震わせた。


「……断ります」


 だが、カレンは震え声で、そう答えた。


「……はぁ?」

「私はレイフォード家当主――カレン・レイフォード。領地を、領民を、そして大切な客人を傷付けることは、絶対に許しません」


 その背中に、はっきりとガッシュの姿が重なって見えた。

 

「どうせあれでしょ? 両親が残したものを守る、それが私の使命だからーみたいなさ。あーあ、惨めだよね。死人が残したモノに縋っちゃってさ。僕は君みたいな、分を知らない人間が一番嫌いなんだ。だから、早く、どけよ人間」

「どきません。 貴方がなんと言おうと、私はこの領地を守ります」

「…………」


 目を瞑り、ディオニスが黙る。

 それから、「ああそうだ」と手を打った。


「この領地と領民を守りたいんだったよね?」

「……ッ」


 ディオニスの表情が醜悪に歪む。

 その凶相にカレンが息を飲む。


「だったら、こうしようか」


 浮遊していたディオニスが民家の屋根に着地したかと思うと、大きく跳躍した。

 跳んだのは迷宮方面。

 その先に、大きな台座が設置されていた。


「……まさか」


 その台座の上に置かれている、人の頭ほどの橙色の石。

 ディオニスは台座を破壊し、その上の石を手に取った。


「――これ、『要石』っていうんだってね。迷宮を封印する為に必要な、魔力付与品マジック・アイテムなんだろ? これは僕が没収しよう。あんな結界はいつでも破壊できたけど、邪魔だからね」


 ポンポンと石を手球のようにして弄びながら、


「知ってるかな。死沼迷宮には大量の毒沼が内包されてるんだよ。生物が死に絶え、植物が枯れ死に、全てを殺す毒の沼が」


 芝居がかった仕草で髪を掻きあげ、酷く楽しげに、優しく微笑みながらディオニスは宣言した。



「――その毒沼をこの領地に垂れ流してあげるよ」




「それが嫌なら、僕を止めに迷宮に来るといい。ちょうど、そこの二人なんかが適任なんじゃないかなぁ?」


 一方的にそう言い残すと、ディオニスは哄笑を響かせて姿を消した。

 残ったのは獣に食い荒らされたかのように醜い傷跡の残る大地と、呆然と立ち尽くす人々。


「……そん、な」


 視界に広がっていた結界が、スッと消滅した。

 それと同時に、震えながらも一歩も引かなかったカレンが膝から崩れ落ちる。

 兵士が駆け寄るが、カレンはそれを手で制す。

 だが、その顔は蒼白で珠のような汗が浮かんでいる。


「……住民の救助と避難を行いましょう」


 よろよろと立ち上がり、蒼白な表情のままで、カレンはテキパキと指示を出してみせた。

 それに従い、兵士達が動き出す。


 その後すぐに、俺達は治癒魔術による治療を受けた。

 その際に、事情を説明して抱えていた少女を兵士に手渡す。


 足早に去っていく兵士。

 その背を見ながら、考えた。


 たった数時間で、家族を失ってしまった少女。

 父親の死を目の当たりにし、その骸が蹂躙される所を見せ付けられた。

 少女の精神状態は、どうなってしまうのか。


「――おい、伊織」


 そこで、軽く頭を叩かれて我に帰った。

 振り向けば、険しい表情のエルフィが立っている。


「私も全力を出せなかったが、お前は浮つきすぎだぞ」

「……ああ、悪い」

「復讐相手にあったこともあるだろうが…………、あの子供のことか?」

「…………」


 言い当てられ、言葉がない。


「戦いが起これば、ああした犠牲は出てしまう。お前はそれをよく知っているはずだろう」

「……そうじゃないんだ。俺はあの時……」


 どうしてあの子を見捨てなかったのか。


「……いや、なんでもない。それより、カレンさんの所に行くぞ」

「…………」


 エルフィは追求してこず、「分かった」と頷いて俺に付いてきた。

 周囲を見回すが、カレンの姿はない。

 しばらく探し、半壊した民家の裏に一人佇んでいるのを見つけた。

 その背に、声を掛ける。


「カレンさんのお陰で、助かりましたありがとうございます」


 振り返し、「ご無事で良かったです」とカレンが頷く。

 だがその顔は蒼白だ。

 虚ろな目をしている。


「……大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」

「……え? ああ」


 空を見上げたまま、上の空という風だった。


「……カレンさん?」

「私の家は」


 か細い声で、カレンが滔々と喋り出りだした、

 

「これまで、迷宮の封印をずっと続けてきました。お父様はそれを誇りに思い、お母様がそれを支えて……。私も、そんな風になりたいと思っていました」

「…………」

「だから……お父様とお母様がいなくなって……私がきちんと迷宮を封印しなければいけなかったんです」


 カレンが、頭を抑える。

 

「なのに、迷宮封印の命を解かれて、要石を奪われて……! わ、私が! 私がちゃんとしなければいけなかったのに!」


 ガリガリと、カレンが頭を掻き毟る。


「カレン、さん……」


 残された自分が領地を守らなければならない。

 その重責に、カレンは押し潰されそうになっていた。


「私が領地を守らないといけないのに……」


 両親を殺され、迷宮封印の命を解かれ、領主になった。

 その上、水魔将に襲撃されて。

 普通の精神状態でいられるわけがない。


「わたしが……迷宮を封印しないと、いけないのに……!」


 抑えていたものが溢れだしたのか。

 カレンの瞳から、ポロポロと涙が溢れ出す。


「――――」


 ――沢山の泣き顔を


 頭を掻きむしり、嗚咽を漏らしながら泣く彼女の姿。

 ここには、「オリヴィアとの問題を解決した報酬を貰う」と言いに来た筈なのに。


 気付けば俺は、頭を掻くカレンの手を掴んでいた。

 

「……伊織、さん」


 もう片方の手を、カレンの肩に乗せる。

 驚きを浮かべたカレンを正面から見据え、俺は言った。

 

「――もう、迷宮を封印する必要はありませんよ」

「え……?」


 何かを考えていたわけではないのに、言葉は勝手に出てきた。


「ディオニスは――水魔将は俺達が倒します」

「――――」

「だから……もう大丈夫です」

 

 安心させるような口調で、俺は言い切った。


「で、でも……そんな、危険すぎます」

「俺達は冒険者です。前に、知り合いの冒険者が言ってたんです。ここで『冒険』しないでどうするんだって、ね」

「伊織さん……」

「迷宮は俺達に任せて、カレンさんは自分に出来ることをしてください」

「どうして……」


 震え声で、カレンに尋ねられた。


「どうして……そこまでしてくれるんですか?」


 答えは出ない。

 問題解決の報酬に迷宮に入れろと、一言言うだけで良かったのだ。

 なのに、何故俺はこんな余計なことを口にしたのだろう。


「……、俺はガッシュと……それに、カレンさんにも助けられたから。その恩を返したい……ってことにしておいてください」


 そう言い残し、俺はカレンに背を向けた。

 振り向かず、目的地へ向かって進む。

 向かうのは、死沼迷宮だ。


「……随分と張り切っているな?」


 隣を歩くエルフィが、茶化すように言ってきた。


「当たり前だ。なんせ、復讐相手がすぐ先にいるんだからな」


 言わなくてもいいことまで口にしたが、目的は変わらない。

 復讐だ。


 待ってろ、ディオニス。

 すぐに殺しに行く。


 

切る場所が見つからなくて、長くなってしまいました。

見難いようでしたら、再構成します。

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